62話 聖都・ブラドライト
――聖都・ブラドライト。
街の中心に王城のように高くそびえるのは、ブラドライト正教の中心である大教会である。三日月が照らす深夜の大教会。その最上階に位置する教皇の執務室。真夜中、その部屋には三人の人物がいた。
「アミナ、今日はめぼしい収穫はあったかな?」
白い修道服に身を包んだ恰幅のいい初老の男性が、アミナと呼んだ女性に問いかける。黒い修道服を着た20代前半くらいの年齢の金色の髪をした女性。異質なのは、その両目を黒い布で覆っている事だった。
アミナはふるふると首を横に振る。
「いえ、教皇様。本日は特には」
「それは残念。聖遺物を君が『視る』事で、失われた神代の時代の事が少しは知れると思ったんだけどね」
テーブルには明らかに高級そうなワインと、それに釣り合う価値をもつだろうグラス。三日月に照らされたグラスに注がれたワインは、血のように紅い。
室内には三人。教皇と、アミナと、もう一人。細身の老人。老人はワイングラスを傾けて、その赤い液体を喉に潤す。
「知る者は?」
老人は短く、端的に問う。アミナはビクっと一度身じろぎ、視線を向けずに首を振る。
「おっ、おりませんでした」
それを聞いて老人はほっと安堵の息を吐く。
「それはよかった。……もし世界の真実に近づくような者がいるのなら、七獄に送らなければならんからなぁ」
――深淵の七獄。あまりの超高難度なダンジョンであり、通常は立ち入りすら禁じられている未踏の地。かつて『神戟』が挑んだ『神殺しの魔窟』も七獄の一つである。
「乾杯しよう、ザカリウス君。今日も世界の秘密が守られた事に」
老人が掲げたグラスに、ザカリウス教皇はグラスを合わせる。
「はっ、ヴァリアル様。明日も、世界の平和が守られる事に」
二つのグラスが重なる音は、福音の様に夜の闇にこだまして、空には完璧なまでに丸い月が浮かんでいた。
◇◇◇
早朝、聖都・ブラドライト。少し値の張る高級宿。
「おはよ、朝だよ。ご飯だよ」
ウィンストリアを出てブラドライトに着いたのが夜だったので、そのまま宿に泊まって目が覚めた朝。
いつも通りシーラの声で目が覚めて、大きなあくびをすると空気とともに何やら料理のにおいが鼻腔を満たす。
「ん。朝ごはん。召し上がれ」
テーブルの上にはシーラが作ったパンケーキとスクランブルエッグが、温かな湯気を立ち昇らせていた。
「来ちゃったかぁ」
スクランブルエッグの隣には真っ赤なミニトマトが二つ添えられている。見た目は完璧だ。だが、シーラは味を感じない。故に味見はできない。料理本特有の『少々』とか『一振り』の概念も理解できているとは言い難い。
シーラは俺の向かいに座り、ワクワクした様子で俺の表情をじっと見つめる。
「温かいうちに食べな」
「て、手づかみで?」
精一杯の抵抗。机の上にはカトラリーがおかれていない。
「あ、ごめん。すぐ出す」
収納を開くと、明らかに高級そうな銀食器を取り出す。無駄な抵抗、終了。
俺は意を決して両手を合わせる。
「いただきます」
とはいっても、俺に食事を作ってくれるというその気遣いは本当に涙が出るくらいうれしい。それと比べればリスクなんてあってないようなもんだ。どうせ硬いか辛いかしょっぱいかだろ?そんなの全部治癒魔法で解決だぜ。
パンケーキの上で四角いバターが溶けて、シロップを掛けると甘い匂いが広がる。くそっ、うまそうじゃねぇか。
ナイフとフォークでパンケーキを切る。切れる。まずは第一関門クリア。
そして、フォークに刺して、開けた口へと招き入れる。
――いつかのおにぎりを思い出して少し手が震える。大丈夫、俺は不老不死だ。死にはしない!
パクリ、と口に入れる。ひとかみする毎に口の中にじゅわっとあふれ出すバターの濃厚なうまみとシロップの甘味が絡み合う。生地はふんわりと柔らかくありながら、もっちりとした弾力を感じる。
「うっ……まぁ!?嘘だろ!?うますぎる!本当にこれお前が作ったのかよ!?」
「嘘?ううん、これは本当に私が作った」
つい大声を出してしまった俺に少し驚きながらも、シーラは照れ臭そうにそう答えた。そうか。見たまま絵を描くのも得意だし、一晩でセイランの動きをある程度なぞったことからも、シーラの模倣力はかなり高かったのだ。なので、レシピ通りに作る事はシーラにとっては実は簡単なことなのだ。
『少々』とか『ひと煮立て』とか、曖昧な言葉さえなければ、シーラは実はちゃんとした料理が作れるのだ。感動にぶるっと一度身震いしてしまう。
「マジか……。たった一度でここまで修正できるもんなのか?天才かよ、マジで」
「修正って?」
シーラは『何のこと?』とばかりに首を傾げる。前回のおにぎりもシーラの中では失敗に含まれていない。危ない、失言。
「いや、こっちの話。それにしてもうまいなぁ。こんなおいしいパンケーキ食ったの生まれて初めてだよ」
俺の言葉に、シーラは嬉しそうに、照れくさそうに口元を緩ませる。
「一番?」
「あぁ、一番!文句なし。絶対に俺の作ったやつよりうまいな!」
賛辞を続けると、シーラは神妙な顔で首を横に振る。
「それはない」
本心だったんだけど、ちょっと言い過ぎたか。嘘っぽく聞こえちゃうと申し訳ないしな。こんなにうまいのに。
「食べ終わったらすぐお前の朝飯作るからな。今日は何が食べたい?」
「ん。パンケーキ」
「同じじゃん。いいのか?」
「うん、パンケーキ食べたい」
自分の作ったものの味がしないってのは本当に難儀なものだよな。
「了解。すぐ作るから待ってな」
「食べてからでいいよ」
いつもなら『早くね』とでも言いそうなシーラさんは、料理を誉められた為かいつもより余裕がある反応をしてくれる。
朝食を終えると今度はシーラの朝ごはんを作る。いつも通り宿の厨房を借りての料理となる。一応泊まる時に借りられるか聞いてみているのだが、事情を説明すると意外とみんな快く貸してくれる。『極端な偏食で俺の作ったものしか食べないんですよ』、と。嘘は言っていない。
バンダナを巻いて、袖を捲りバンドで留める。メニューは姫様のオーダー通りパンケーキとスクランブルエッグだ。
「おわぁ。丸さがすごい。黄金の丸さだ」
食べる前からシーラは目を輝かせて感想をくれる。これだけで作った甲斐があると言うものだ。
シーラの分と、量を減らした俺の分。食事なんてのはどんなにおいしくてもまずくても、一人より二人がいいに決まっている。
「いただきますっ」
両手を合わせて、待ちきれないとばかりにシーラは声を出し、いそいそとパンケーキを切る。
大きめに切ったきつね色の生地を二つに丸めて、大きく口を開けて頬張る。
「んっ……ふふふ。こんな味かぁ。おいしすぎる」
机の下で足がパタパタと上機嫌な犬のしっぽのように動いている。
「あのね。作りながらずっと味の想像してた。どんなのかな?って。リューズがおいしいって言った時もずっと思ってた。どんな味かなって。ふふ、これは確かにおいしいねぇ」
そうか、言われてみればパンケーキは初めて作ったか。フレンチトースト、クレープと作ったからてっきりもう作っていると思ったよ。二口目も食べるとシーラはフォークとナイフを手にしたまま、納得したように何度か頷く。
「やっぱりこれが一番。私のは世界で二番目だな」
食べ終えた俺はコーヒーカップを片手に照れくさく笑う。
「おかわりいるか?」
「もちろん」
俺とシーラの聖都の朝はそんな風にいつも通り迎えた。




