6話 臆病者のチキンハート
さて、おかしな成り行きで超高級レストランの厨房を借りて料理を作る事になってしまった。
広々とした厨房はきちんと整理整頓されていて、道具一つとっても大事に扱われていることがわかる。
「ある材料はお好きに使ってください。なにをお作りになるので?」
料理長は腕を組み、お手並み拝見とばかりに俺の様子を窺う。
「うーむ」
少し考えてみる。でもあんまり時間はない。シーラに早く何か食わせてやりたい。
氷結魔石で冷やされた保冷庫を眺めると、梅干しの入った瓶を見つける。で、ピンと閃いた。
「おっ、いいのあんじゃん」
材料は鶏胸肉、梅干し。あとは大葉や調味料。
早速、調理開始。
まず鶏むね肉を塩で軽く茹でていく。火が通ったら冷水にとって粗熱を取り、その間に梅干しの種を抜いて包丁で丁寧に叩く。ペースト状になったところに少量の酒とみりん、醤油を加えてタレを作り、手で細かく割いた鶏肉と和えるだけだ。仕上げに刻んだ大葉を散らす。そして、最後におなじみ治癒魔法。あっという間に完成だ。
「鶏肉の梅肉和え……名付けて『チキンハート』だ!」
所要時間は約9分。透明で涼しげな器を借りて盛り付ける。
「そんな大衆酒場で出す様な料理でこの私に張り合おうと?」
料理長は侮蔑の混じった表情で俺に問いかけるが、それは全くの見当違い。
「いや?言ったろ?うちの馬鹿姫が腹空かせてるって。悪いけど、あんたとどうこうは考えてなかったよ。どう考えてもあんたの方が腕が上に決まってるしな。シチュー、最高でしたよ」
ヘラヘラと笑ってそう答えると、雰囲気を出す為に給仕用のエプロンも借りて厨房を出る。
「お待たせしました。鶏肉の――」
と、俺が話している途中でシーラの声が遮る。
「遅い」
だが、俺も負けじと料理名を続ける。
「梅肉和え――」
「早く」
「名付けて――」
「なんでもいい」
「……チキンハートでございます」
合いの手の様にバンバンと机を叩いてくるシーラの猛攻を何とか耐え切って最後まで言えた。
茹でた白い鶏肉に赤い梅肉が映える。透明な椀を眺めるシーラは気のせいでなければ少し嬉しそうに見える。腕を組んでシーラを見る料理長からは柔和な笑顔は消えて眉を寄せて怪訝な表情をしている。
「いただきます」
手を合わせてお決まりの言葉を発し、フォークに乗せてパクリと一口頬張る。
その瞬間、シーラはぶるるっと震える。
そして、嬉しそうに、困り顔で舌を出して笑う。
「あは、なにこれ。おいし」
その反応を見て俺もついにやけてしまう。
「すっぱいけどうまいだろ?」
「すっぱい、ね。これが」
シーラは興味深そうにもう一度フォークに乗せた鶏梅肉を眺めると、ためらわずにパクリ口に入れる。で、またぶるっと震える。
「あはっ」
「梅肉には疲労を回復する効果があるらしいからな。ダンジョン帰りのお前にはピッタリだろ」
「別に疲れてない」
三口、四口と食べるにつれてさすがに震えなくはなるが、シーラは本当においしそうに俺が作った鶏肉の梅肉和えを食べ終わる。俺はその間シーラの残したビーフシチューを食べる。多少冷めても変わらぬおいしさ。
俺がシチューを味わっていると、目の前に器が差し出される。
「もっと」
「ちょっと待てよ、今おじさんが食べてるでしょうが」
「早く」
「もうねぇよ」
「嘘。匂いでわかる」
確かに多めに作ったのでまだ厨房にある。だけど、俺は今超高級ビーフシチューを食べているのだ。まだパンに付けて食べてもいない。
「は・や・く」
俺の事情など全く意に介さずワガママ公爵令嬢黒姫様はバンバンと行儀悪くテーブルを叩いて俺を急かす。
「では、私がお持ちしますよ。リューズ様はごゆっくり召し上がってください」
「なんでもいい」
料理長の声からは嫌味のような感じはしなかった。
それから一分もしないうちに、料理長は新しい器に綺麗に盛り付けられた鶏肉の梅肉和えを持ってくる。
「お待たせ致しました。鶏肉の梅肉和えでございます」
「早く」
見たところ俺の作った分全てが盛られている様子。
一分も経っていないのに待ちかねた感を全身で出しているシーラは、器が目の前に置かれるとほぼ同時にフォークを皿に向かわせる。
そして、俺の目の前にも焼きたてのパンと温かいビーフシチューが置かれる。別料金じゃないよな?
シーラは梅肉が多いところを選んで、大きく開いた口でそれを食べる。
無表情なシーラの口元が僅かに上がるのを俺は見逃さなかった。
「……んふふ」
目の前で本当においしそうに俺の作ったなんでもない料理を食べているシーラと、初対面の時のスライムをまるかじりしようとしていたシーラが今ではまるでイメージが重ならない。
「リューズ様」
後ろから料理長の声がした。
「なんすか」
「……私の負けです」
「は?」
怪訝な顔で振り返ると、料理長は目から涙を流して食事をするシーラを見つめていた。
「私が間違っていました。料理人の本懐とは、相手の喜ぶ顔。それを私に見せたかったという訳ですね?」
「いや、そんな事欠片も思ってないんで」
料理長は目元をハンカチで拭いながら、俺の話を聞かずに言葉を続ける。
「私はいつの間にか己の知識と技巧をひけらかすだけの料理を作っていたようです」
「間違ってないっす。十分旨すぎますから」
「お陰で初心を思い出す事が出来ました。料理は心!この鶏肉の梅肉和え、当店の自慢の一品とさせていただいてもよろしいでしょうか!?」
「店潰れますよ?」
そんなやり取りをしていると、シーラはテーブルの下で俺の足を蹴る。
「どうでもいい話は終わり。もっと」
シーラの催促を『待ってました』とばかりに、料理長は足早に厨房へと赴く。
――8分後。
「お待たせいたしました。当店の【スペシャリテ】、鶏肉の梅肉和えでございます」
「正気すか」
三度運ばれてきた鶏梅肉を、シーラは飽きもせずに期待のまなざしで見守る。
フォークに乗せて、口に運ぶ。料理長はドキドキとしたまなざしでそれを見守る。俺が作った料理はさっきので全部。つまり、これは料理長が作ったものだ。
パクリ、と口に入れると同時にシーラは苦々しい顔でべっと舌を出す。
「うえっ。リューズのじゃない。偽物っ」
「言葉を選べよぉ!」
自分で言っておいてそれは無理な注文だと悟るが後の祭り。
結局、勉強代と言って勝手に食事代はタダになった。本当にいいの?
「ぜひ、またお越し下さい。腕を磨いてお待ちしております」
料理長はそう言って俺たちを見送った。




