59話 すべてのダンジョンを、消す
ゴブリン21匹。その全てが動かなくなると、シーラは天井を見上げて大きく長く息を吐いた。
服は汚れ、ところどころ破れ、黒く長い綺麗な髪はぼさぼさ。汗を滴らせ、疲労感のある表情で、でもどこか満足げに、シーラは俺を見て笑う。
「見てた?」
「……見てたよ。見てたに決まってんだろ!?」
「ふひひ、また泣いてる。きも」
悪戯そうにシーラは笑う。言われるまで自分でも泣いている自覚が無かった。
「……そりゃ泣くわ。あんなの見せられたらよ。あ~あ~、髪もぼさぼさだぞ。セイラン、なんか髪梳かすやつ持ってないか?」
「ありますよ、はい」
女性のように髪の長いセイランなら持っていると思ったよ。というか、まずシーラに聞くべきだったか?
「サンキュー、ちょっと借りるぞ。ほれ、シーラ」
セイランから借りたブラシを手渡そうとすると、シーラはプイっと俺に背を向けてその場にあぐらで座る。
「ん。やって」
「やって、って……」
言いかけて言葉を飲み込む。今しがた死闘を終えたシーラの望みを断るなんて事はあってはならない事だ。
「動くなよ」
「ん」
治癒を掛けながら、シーラの黒髪を梳かす。女性の髪を梳かすのなんて生まれて初めての経験だ。力加減もよくわからない。
緊張の面持ちで、髪に触れ、髪を梳かす。それを何度も繰り返す。
「昔はお母さんがやってくれてた。黒い髪で、綺麗だねって。リューズもそう思う?」
背中越しにシーラが俺に問いかける。
「そうだなぁ」
その答えが不満だったようで、シーラは眉を寄せて振り返り言葉を復唱する。
「そうだなぁ、とかは聞いてない。綺麗かどうかを聞いてる」
「……はいはい、キレイキレイ」
半ば投げやりにそう答えると、満足気に口を弛ませたシーラはまた前を向く。
「ふふ、綺麗か」
「今無理やり言わせたよね?なぁ、これいつまでやんの?」
「ん?ずっと。これからずっと。一生リューズがやって」
「……お前すぐ一生って言うよなぁ」
視線を感じて横を見ると、セイランが笑顔で様子を眺めていた。
「セイラン!お前昨日なんか言おうとしてただろ。ほら、今ならシーラがいるぞ。ほら!」
照れくさいので無理やり話題を方向転換。
セイランは腕を組みながら、楽しそうにクスクスと笑う。
「無理やりだなぁ。別にまぁ、僕の話は大した話じゃないんですけど――」
少し間を置いたセイランの顔はいつも通りの涼しげなほほえみ。その瞳はいつもより僅かに真剣に見えた。
「二人には、いつか僕からの依頼を受けてほしいんです」
シーラはセイランの話に一切の興味を持たず、俺に髪を梳かされながら、時々うつらうつらと眠そうに船を漕ぐ。まるで猫を撫でているような気持ちになってきたよ。
「なんで俺たち二人を?内容は?」
「理由は、昨日も言った通り。あなた達が僕が用意したこの割に合わない任務を受け、等級や身分で人の扱いを変えない人だからです」
しれっと混じる爆弾発言。
「……今、『僕が用意した』って言ったよな?」
「ですね。ちなみに、どうして受けたんです?」
「そりゃあ……、困ってるから依頼した訳だし、金が用意できなかっただけかもしれないだろ」
改めて問われると、なんとも青臭い理由である。齢37歳。それを聞いてセイランは嬉しそうにケラケラと笑う。
「あはは、困ってるのは僕でした。ちゃんと正規のB級相当の金額をお支払いするので、その辺はご心配なく」
「金はいいんだけど……いや、よくないか。いや、よくないけどいいんだよ。それより――」
シーラはふわっと後ろにもたれてきたので抑えつつ俺もその場に座る。疲れてるからってやりたい放題だな、こいつ。シーラは俺の足を枕にするように寝転がり、いつの間にかセイランの話を聞いている。
「ゴホン。それより、試されてるみたいなのはいい気しねぇなぁ。結果だまされた訳だし」
セイランは本当に申し訳なさそうに困り顔で頭を下げる。
「それは本当にすみません。……けれど、本当に誰でも良い訳じゃないので。なかなかいないんですよ?実力があって、地位や名誉に縛られない人って。僕の知る限り『神戟』くらいですかねぇ。だから、こんな風な依頼を出し続けて二年間……、ずっとそんな相手を探してたんですよ」
神戟、の名前を出されると悪い気がしない俺は年齢不相応に単純なおじさんだよなぁ。
「内容は?おっと、受けるとは言っていないぞ。内容を聞かないとその判断もできないだろ」
至極当然な問い。セイランは少し考えた後で自らを納得させるように一度頷く。
「……僕にとって露見するリスクが大きすぎるので、本当は『秘密』としたいところなんですけれど――」
そう前置きをしたセイランの覚悟の決まった表情は、どう考えてもF級冒険者などでは無かった。
「それでも少しでもあなた方からの信頼を取りに行きます。いつか、その時が来たら……」
セイランは言葉を続ける。
「この世界から、すべてのダンジョンを消す手助けをして欲しい」
まったく予想だにしない言葉につい口が開いたまま言葉を失う。セイランの表情は、瞳は真剣そのものだ。
「そ、それは……残りのダンジョンを全部クリアしようぜ!って話?」
ひきつった顔で問いかける俺に、セイランはゆっくりと首を横に振る。
「違う。それじゃあ、救われないんだ」
悲しそうに呟いた後で、彼の表情は微笑みを取り戻す。
「っと。今はまだ答えはいいんで。また一緒に依頼やりましょう。僕らはもっと互いを知るべきなんです」
人懐っこい笑顔でそう言った後で、セイランは悪戯そうに口元に人差し指を当てる。
「重ねて言いますけど、他言無用で。冗談抜きで危ない橋なので」
――この世界から、すべてのダンジョンを消す。そんな荒唐無稽な依頼。
ダンジョンを消せば、魔物も、魔石も消える。それはまさに世界の理を変えるような絵空事だ。けれど、彼のその瞳は正しい未来を見据える熱さを帯びていた。
それは夢想か、革命か。仮にそんな世界が訪れたら、人々は、冒険者はどうなるのだろう――?




