58話 信じて
――実質E級のB級クエスト、ゴブリン100匹の生態調査及び討伐。二日目。残り21匹。
「朝だよ、おはよ。ご飯だよ」
日の光が入らない森の中、シーラの声で目を覚ます。
「ん……、あぁ。おはよう。今何時だ?」
「さぁ?朝だよ」
シーラを見ると目の下にクマがあり、瞳はいつになく眠そうにとろんとしている事から、おそらく一睡もしていない事が推測される。
「眠ってないのか?」
「大丈夫。ちゃんと戦える」
首を横に振り、そんな事を言うので隣に座るシーラの頭を手刀で軽く小突く。
「そんな心配はしてねぇよ。朝飯作るからその間だけでも寝とけ」
「ん。早くね」
「へいへい」
寝転がるシーラにマントを掛けて立ち上がる。さて、今日の献立はどうしよう。眠気が覚めて、やる気が出るようなもの。バンダナを巻き、腕まくりをしてバンドで留める。
単純な話、気分転換には甘いものだよな。と考えて炎魔石に鉄板を敷いて熱する。同時に生地を作る。
その光景をセイランは興味深げに眺めている。
「ずいぶんちゃんと作るんですね。毎食ですか?」
確か前にも同じ様な事をビスカに聞かれたな。
「まぁね。『三食おやつ付き』。パーティの理念なもんで」
生地を溶きながら得意げに笑うと、セイランもなぜか嬉しそうに口元を弛める。
「そんなパーティもあるんですねぇ」
――そして、20分後。
「おーい、シーラ。出来たぞ」
声を掛けると同時にパチリと瞳が開く。
「ん。おはよ」
口元を隠さず、天を仰いで大きなあくびをするお年頃のシルヴァリアさん。
「はい、おはようさん」
「いい匂いがする」
シーラは起き抜けにすんすんと鼻を鳴らして嬉しそうに笑う。
簡易的な折り畳みテーブルを出して、朝食を並べる。
「眠気すっきり疲労回復はちみつレモンクレープとベーコンエッグだ」
「あは、これ絶対おいしいじゃん」
「これは魔物入ってないからな」
それを聞いてセイランは少し驚いた顔をする。
「あれ?僕の分も作ってくれたんですか?」
「当たり前だろ」
そして、手を合わせて『いただきます』。森の中だろうとダンジョンだろうと、食事とはそう言うものだ。
まず最初に、とシーラはクレープを両手で持って豪快に口を開き、大きく一口パクリとかみつく。――ハチミツの甘みと絶妙に溶け合うレモンの酸味の黄金律。スライスアーモンドと砕いたナッツ類の香ばしさがアクセントになって、黄金律をさらに引き立てる。
一口食べただけで、眠そうだったシーラの瞳が朝日のようなきらめきを取り戻す。
「んんん。おいっ……っしい!」
まるで競争のように言葉を継ぐ前にもう一口。
「ふふ、ちょうどこんなの食べたかった。おいしすぎる」
シーラはジッとセイランを指差していぶかしげに眉を寄せる。
「リューズ。そいつ食べても何にも言わないけど」
「こら、そいつ呼ばわりはやめろ」
「もちろんすごくおいしいよ」
ニコリとほほ笑むセイランに、シーラは得意げな顔で頷く。
「知ってる」
食事を終えると、お返しとばかりにセイランがまた食器を洗ってくれる。食後にゆっくりコーヒーを飲む贅沢なひと時をもらえるのは地味に嬉しい。
――調査再開。
森の奥に行くほど魔石持ちのゴブリンが増えてくる。ランダムでないと言うことは、ある程度の社会性があるという事なんだろうか?70体、80体と狩るごとに傾向が分かってきたのだが、金属製の武器を持っている個体は確実に魔石を持っている。俺は生物学者でも魔物学者でもないから詳しい理由はわからないが、昨日今日の短い期間でもその程度の事はわかる。
「あっち。多分いっぱいいる」
シーラが指さす方向に俺は何も感じなかったが、あいつの感覚に間違いがあるはずがない。三人で、気配を殺してゴブリンの巣に向かう。
「全部私がやるから。手出ししたら怒る」
左手に見たことのないシンプルな細身の槍を取り出してシーラが呟く。
「了解。任せた」
「お願いしま~す」
岩場の陰に洞窟を見つけると、ためらわずにシーラは足を進める。獣と汚物のすえた臭いが苔むした風に乗って運ばれてくる。折り重なる不快なきしむ低音の鳴き声。――ゴブリンの群れだ。
「24匹」
いつかのワーウルフの時のように、シーラは即座に相手の数を把握。あの時は【全属性同時解放展開】と言う聞いたこともない全属性多重発動魔法で、一瞬の元に34匹のワーウルフを屠った。『めんど』が口癖の面倒くさがりで、効率重視のS級冒険者『黒姫』シルヴァリア。
「リューズ。ちゃんと見てて」
その声には、確固たる意志と決意がにじんでいた。
「あぁ。ちゃんと見てるぞ」
狭い洞窟の通路を超えると、大きな部屋があり、シーラの姿を見つけたゴブリンたちは歓喜と困惑の交じり合ったうめき声の大合唱を始め、それを合図にするようにシーラの戦いが始まった。
――きっと、その相手はゴブリンじゃない。
木製のこん棒を持ったゴブリンたちがシーラに襲い掛かる。そのこん棒はシーラの槍の柄に受け流される。そして、足の位置を入れ替え、返す槍の反対側――石突で顎を跳ね上げる。後ろに目でもついているかのように、もう一体のゴブリンの攻撃をかわし、一撃を入れる。
ゾクリとした。一夜にして、昨日までのシーラの戦闘とは全く別物に進化していた。そこには目にも止まらぬ超速度も、一撃で敵を屠る超出力も無かった。前衛で無い俺がしっかりと目に追えるような速度。それこそC級冒険者かそれ以下の動きと力で、シーラはゴブリンたちの猛攻を受け、いなし、攻撃を加えていた。
セイランとの闘いを経て、彼の戦いを見て、きっと一晩中一人で特訓していたのだろう。
「……一晩でここまでできるもんかね」
思わず顔が引きつると同時に、得も言われぬ嬉しさも込み上げてくる。シーラは真剣な表情に汗をにじませ、ゴブリンの群れと相対する。力でなく、技術で戦う事を知った新しいシーラの第一歩だ。
俺はどこか誇らしい気持ちでチラリとセイランを見る。
「まだ期待外れか?」
意趣返しのように問いかけると、彼は申し訳なさそうに笑う。
「期待してなきゃそんな事言いませんよ。……あ、まずいですね」
セイランが短く声を上げると同時に、シーラの槍は受け流しに失敗してこん棒を真正面から受け止めてしまう。そうなると動きは止まり、力勝負になる。一対一ならともかく、相手は20を超える数のゴブリン。当然、横から、後ろから攻撃がシーラを襲う。
ギッギィ!と勝機を悟った様な声を上げ、一体のゴブリンが丸太のようなこん棒でシーラの胴を横なぎに狙う。
「シーラ!」
痛みに顔を歪ませたシーラは一旦超速を解禁して、ゴブリンの囲みの外に抜け出る。
「大丈夫。一回失敗しただけ」
治癒魔法を、と思い手を伸ばすが、シーラの視線でそれも『手出し』に当たる事を悟る。
「リューズ」
短く俺の名を呼ぶと、再びシーラはゴブリンたちに向かう。
「信じて」
そんなことを言われてしまったら、俺にできることなんて一つしかない。唇をかみしめていたら小さく皮膚の裂ける音がして、血と痛みが流れる。俺は、その場にドカッと勢いよく胡坐をかいて座る。気が付いたら右手を強く握りしめていた。
「頑張れ」
それを見たシーラは、死臭と腐敗臭漂う真っ暗な戦場のただ中で嬉しそうに微笑む。
「うん」
弾むような足取りで、シーラはゴブリンの群れへと駆けていった――。




