54話 B級依頼・ゴブリンの調査及び討伐
――B級依頼・ゴブリンの調査及び討伐。
「ねぇ、リューズ。魔物ってダンジョンにしかいないんじゃないの?」
件の森の入り口付近でシーラが俺に問いかける。
「いい質問だ。いくつかパターンがあるから一概には言えないんだが、一般的にはダンジョンから抜け出した個体が外で繁殖するパターンが多いかな」
「あぁ。”あびすげいず”みたいな?」
シーラの口から似合わない単語が出てきたのでなんだか少し面白い。
「まぁそれもあるな。あとは人間がダンジョンを見つける前に魔物が外に出ているパターンだ。ほかには、こないだの雷獣みたいに冒険者が連れ出した個体が逃げ出したとかもある。調査ってのはそれなんだ」
俺とシーラは鬱蒼と茂る森に足を踏み入れ、道を進む。時刻はまだ昼を少し過ぎた頃合いなのだが、幾重にも折り重なる深緑の天井に日を遮られた森はまるでダンジョンのように薄暗い。ゴブリンたちもきっと落ち着くのだろう。
風が止み、森の奥からギィ、ギィと古い扉の開く様な音が微かに聞こえる。
「それ、ってなに?」
言葉とほぼ同時に、木陰からゴブリンたちが飛び出した。
「ギィ!」
草を分ける音と同時に叫び声を上げながら、三体のゴブリン達がシーラに襲い掛かる。黒い二刀を手にしたシーラが踊るように回ると三匹の小鬼は首を刎ねられてたちまちに絶命する。
「……相変わらず瞬殺だな。ゴブリンは右肺だぞ、魔石」
早速解体しようとするシーラに要らぬ助言をすると、シーラは『魔石は右肺』と復唱しながらゴブリンにナイフを入れる。
「右肺、ないじゃん」
解体を終えたシーラが不満げな声を上げるので、答え合わせの時間だ。
「そう。それが、”それ”」
ほかのゴブリンも同様に解体してみるが、魔石がない。
「じゃあ、これは”動物”?」
以前俺が教えた魔物の定義をちゃんと覚えていた様で、シーラが困惑した様子で首を傾げる。その間に俺はゴブリンの肉をてきぱきと切り分ける。
「いや、ゴブリンは”魔物”だよ。これがこの調査の目的だ。ダンジョンの外で生まれた魔物の身体には魔石が無い。つまり、討伐してどのくらい魔石を持たないゴブリンがいるのかを調べる事で、外で繁殖したのかどうかがわかるって訳だ」
「へぇ」
シーラは納得した様子で腕を組んだまま何度か頷くと、思いついたように呟く。
「じゃあ、イノシシも昔は魔物だったのかもね」
思わず解体する手を止めてシーラを見てしまう。そんな事考えた事もなかった。俺たちが”動物”と定義している生き物たちも、もしかするとはるか昔にダンジョンから外に出た種なのかもしれない。なにせ、ダンジョンがいつから出来たのか俺たちは知らない。
「……本当、お前は天才だよな」
あきれ半分でつぶやくと、シーラは嬉しそうに、得意げに胸を張る。
「ふふ、私は天才」
「それじゃ、そろそろ小休止と行きましょうかね。天才様」
シーラはワクワクした様子で岩場に腰を掛けてパチパチと手を叩く――。
◇◇◇
F級冒険者を示す木製の腕輪を付けた紺色の長髪を揺らす青年・セイランは、森から少し離れた場所に竜馬を停め、武器らしい長い木の棒を肩に乗せ、森へと立ち入る。彼の依頼はE級依頼・ゴブリンの生態調査及び討伐。報酬は3万ジェン。それはE級の報酬としても相場よりだいぶ低い。
日の当たらない森をしばらく進むと、彼は違和感を感じる。スン、と鼻を鳴らすとどう考えても森に似つかわしくない人間の作った料理の匂い。警戒も無く、彼は匂いの方へと進む。
木の枝や葉が落ちる森を、音もたてずにセイランは歩く。彼は次第に匂いの元へと近づいていく。人の話し声。彼にはその声の主は分かっている。一切の音も、気配も絶ち、セイランは声の主へと近づいていく。
「人間だった」
「だから殺すなって言っただろ」
セイランが姿を現す直前、シーラとリューズは彼が現れるのがわかっていたかのように普段通りの緩い雰囲気で物騒な会話を交わしていた。
二人の間には炎魔石に乗せられた、使い古された鍋。鍋からはショウガの利いた食欲をそそる湯気が立ち上り、リューズの傍らに置かれたドリッパーからは濃褐色の液体が一滴一滴時間をかけて抽出されている。
「よう。お前さんも飲むか?」
リューズはセイランを安心させるように笑いかけ、空いたカップを掲げて見せる。セイランはキョトンとした顔で状況が呑み込めない様子。
「え、あ~……そうですね。それじゃあ、せっかくなんで頂こうかな」
収納魔石を開いて折り畳みの椅子を取り出してセイランが腰を掛けると、リューズはカップにコーヒーを注いでセイランに手渡す。
「俺はリューズ。こっちがシーラ。『三食おやつ付き』ってパーティだ」
「僕はセイラン。パーティは……組んでないですね」
「そりゃ大変だろ。ま、無理せずほどほどに。命大事に、な」
リューズはそう言ってコーヒーをゴクリと飲み、シーラは眉を寄せながらリューズのカップを指さす。
「リューズ。私もそれ飲む」
「お前はミルクティーだろ」
「何を飲むかは私が決める。そいつだって飲んでる」
指さす指はカップからセイランに移る。
「こら。初対面の人をそいつ呼ばわりするんじゃない」
「あはは、大丈夫ですよ。はぁ~、コーヒーおいしい」
人懐っこい笑顔で、満足げに吐息を漏らすセイランを見て、シーラのイライラはさらに募る。
「リューズ。いい加減にしないと怒る。私も、それを、飲む」
「……こないだ『正気?』とか言ってた癖によ。わかった、じゃあブラックコーヒー以上においしいとっておきを作ってやる」
その言葉にシーラはピクリと反応をする。
「へぇ。とっておきか」
言葉通りの特別感に、満足気に岩に座り直して足を組む。
コーヒーを淹れ直し、空いた炎魔石を使いミルクを温める。
「シーラ。これ、中身だけ風魔法でかき回せる?」
「たやすいけど」
ビンに入れた温かいミルクを受け取ると、ビンの中身は途端に高速回転を始め、ミルクはみるみるうちに泡立っていく。
「あ、そんな感じでいい。サンキュー」
濃いめに抽出したコーヒー。コーヒー初心者のシーラに向けて砂糖を入れて甘くして、そこに温めたミルクを注ぐ。カップの中の黒い海にミルクの白が溶け込み、混ざり、芳醇な褐色の液体に変わる。リューズの視界の端でシーラがすんすんと鼻を鳴らして期待感を露わにしているのが見える。
そして、ここからが特別。
カップに注いだコーヒーの表面に泡立てたミルクを乗せると、神経を集中して、千枚通しを使って泡の形を整える。素早く、正確に。コーヒーの冷めないうちに。
丸くコーヒーの表面に乗った泡は次第に姿を変え、かわいらしいクマの顔になった。
完成だ。
「ふぅ、12年ぶりだ。お待たせ。森のクマさんラテアートだ」
「わぁ」
シーラは宝物を受け取るかのように、クマの顔が描かれたそのカップを両手で受け取る。そして、カップを揺らして絵を崩さないように細心の注意を払いながら、色々な角度からそのカップを眺めると、嬉しそうに笑う。
「へへ、これは特別だ」
セイランはコーヒーを飲みながら、二人のやり取りをほほえましく見守っている。
「で――」
一仕事終えたリューズの視線はシーラからセイランに移る。
「君は何で俺たちをつけてきたんだ?」
ニコリと人のよさそうな笑顔で、遠慮なくリューズはセイランに問いかける。それはカマをかけている訳では無い確信を持った問いかけ。僅かな躊躇いも、間も、疑念を数倍にも膨らませるだろう。
セイランはリューズに笑顔を返す。
「あのB級の依頼書。E級にも同じようなのがあったんですよ。だから、そんな割に合わない依頼を受けた人はどんな人かなぁって」
そう言ってピラリと依頼書の控えを見せる。E級依頼ゴブリンの群れの生態調査、討伐。報酬は3万ジェン。
それを見てリューズはあきれ顔でため息をつく。
「発注ミスか。ま、それならそれでいいんだけど」
そんなやり取りをしているさなか、リューズははっと慌てて鍋に目をやる。
「おっと、危ねぇ。煮立っちゃうところだった。シーラ、できたぞ」
「遅すぎ」
「しょうがねぇだろ。あ、お前さんも食うか?ゴブリンのつみれ汁」
悪気なく笑顔でリューズはセイランに料理を勧め、セイランは目を見開き声を上げる。
「ゴッ、ゴブっ……!?正気ですか!?」
その言葉を聞いてシーラは腕を組み頷く。
「そう。リューズは正気じゃない」
「お前にだけは言われたくねぇな」




