5話 腹ペコ黒姫
――手続きを終えてギルドを後にする。
「……つーかさ、ギルドで武器出すのって明確に罰則の対象なはずなんだけど、なんでお咎めなしなの?」
「さぁ?」
常識的な問いかけをしたつもりだったのだが、最小単語で返答を得る。最年少S級だからって甘やかすのはどうかと思うよ。
「さて、約束通り飯でも食いに行きますか。何か食べたいものあるか?」
自分で聞いておいてなんだが、てっきり『別に』とかそんな返事が返ってくるのかと思ったが、意外にシーラは『ある』と即答した。
「こっち」
「お、おう」
俺の服の裾を引いてシーラは市街地へと向かう。ダンジョン最寄りの街は交易が盛んな為、どこも栄えているが、ここダンガロの街も例外ではない。
「ここ」
そう言ってシーラが立ち止まった先には冒険者お断りの超高級レストラン『ル・リオン・エール』。予約は半年先まで埋まっているともっぱらの噂。お値段だって水一杯で1万ジェンなんて噂もある。
「し、シーラさん?確かにおじさん奢るって言ったけどさ。物には限度ってものがあるでしょうに。そもそもここ予約しなきゃ入れないし、冒険者お断りだし」
「関係ない」
シーラはそう言って堂々とレストランの扉に手を掛ける。
館内は外とは隔絶された別世界の様に、魔導灯が煌びやかに照らし、店名にもなっている獅子の彫像が来店者を出迎える。
「いらっしゃいませ、ご予約は――」
パリっとした給仕服に身を包んだ案内人は、シーラの姿を認めるとハッと表情を変えて恭しく一礼をする。
「これはお嬢様。ようこそお越しくださいました」
(……お嬢様? ダンジョンでスライムを丸かじりしようとしていた、あの黒姫がか? 冗談だろ)
「二人」
俺が怪訝な顔をするのも気にせずに、シーラは指で2を表すと、案内人に伴われ奥の席へと移動する。
「あれ?冒険者お断りじゃないの?」
小声で案内人のお兄さんに問いかけると、彼はにこやかに微笑んで答えてくれた。
「シルヴァリア様は冒険者である前に公爵家……ドラッケンフェルド家のご令嬢でございますので」
「公爵家」
思わず復唱してしまう。
「シーラ、お前名前は?」
足早にシーラに追いついて問いかけると、『何こいつ?』とばかりの冷たい目でチラリと俺をみてくる。
「シルヴァリア」
「フルネーム」
「めんど」
ため息まじりにそう答えやがる。
「シルヴァリア・ノル・ドラッケンフェルド様ですよ」
「長っ」
確かにめんどいわな。それにしてもスライム丸かじりする貴族なんているのかよ。貴族じゃなくて奇族だろ。
案内されたのは明らかにVIP席であろう個室の席。
「あの〜……、シルヴァリアさん?俺多分お金足りないよ。水だけでいい?」
シーラは俺をチラリと見るが無視してそのまま注文を進める。
「ラグー・ド・ブッフ(牛肉の煮込み)2つ。あと適当でいい」
「らぐ?」
俺の疑問を置き去りにして、給仕人さんは注文を受けてそのまま席を離れていった。
メニューを見るが値段なんて書いていない。
「なぁ、シーラ。ラグーなんとかってなに?」
「ビーフシチュー」
「へぇ」
思わずシーラの様な返事をしてしまう。
「……つーかいくらすんだよ」
「お金ならある」
いまいち意図が分からない。と言っても何か明確な意図があるだろう事だけは分かるんだが。
「あ、俺の作ったビーフシチューと比較して、『これが本物の100万ジェンのシチュー』とか言うつもりか?」
へらへらと軽口をきいてみると、シーラは予想外の反応を見せる――。
「違うっ」
言葉は短く、表情もあまり変わらないが、気のせいで無ければ少し怒っている様にも思える。テーブルの上で拳を握り、ジッと俺を見てくる。
やがて前菜が運ばれてくる。
「七色の海鮮と光苔のジュレ寄せでございます」
――港町から直送された七種類の新鮮な魚介類を、美しく寄せ集めて固めたゼリー寄せ。ゼリー部分には、洞窟に生える「光苔」が使われており、皿全体が淡く幻想的に輝いている。
「うおぉ、比喩でなく輝いてんな」
「いただきます」
そう言ってシーラが手を合わせるのを見て、俺も慌てて「いただきます」と言う。
そして、テーブルに置かれた無数のナイフとフォーク。
「……どれから使うんだっけ?」
つい苦笑いで独り言を漏らす。
「好きなの使えば」
シーラは外側のフォークとナイフを手に取り短く答える。なるほど、それが正解か。
ぷるぷるに弾み輝く海鮮の宝石にナイフを入れ、フォークで口に運ぶ。
「うっま」
口の中でジュレが溶け、色鮮やかな魚卵がプチプチと小気味いい食感で弾けて濃厚な旨味が口に広がる。
これはスライムで代用は無理だよなぁ。思いながら一口、また一口とジュレに寄せられた魚介を口に運ぶ。
「すげぇうまいな、これ」
シーラを見ると、無表情でもぐもぐと咀嚼している。
「そう?」
「……そう?って。お前馬鹿舌なのか?スライムばっか食ってるからじゃないだろうな」
シーラは心外とばかりに首をゆっくりと横に振る。
「他にも食べてる。ゴブリンとか、オオサソリとか」
「……亜人はやめようぜ」
続けてスープ、魚料理と続いて注文のビーフシチュー。ラグ……なんだっけ?
見るからに高級そうな器に、濃厚な赤褐色のビーフシチュー。上りたつ香りだけで、すでに涎が出そうな逸品だ。添えられたパンは焼き目からして芸術品の様な佇まいをしていて、二つに割ると表面がパリパリっと多層的なオーケストラを奏でる。
「腕によりを掛けてお作り致しました。よろしければ、ご感想など頂けたらと思います」
背の高いコック帽を被る恰幅の良い柔和な笑顔の男性が俺たちの席に姿を見せる。見るからに料理長と言った佇まいだ。
「いやぁ、もう食べる前から目だけでおいしいですよ」
「これは嬉しいことを言ってくださる。さぁ、温かいうちに是非」
料理長に促され、曇一つない鏡面の様な銀のスプーンをビーフシチューへと沈ませる。試しに肉にスプーンを入れてみると、一切の抵抗なくスッとスプーンに掬われる。
口に入れた瞬間、じゅわっと広がる芳醇な味わい。デミグラスソースのコクと野菜の甘みが幾重にも重なり、一口ごとに多層的な味わいがプリズムの様に広がっていく。肉は噛む必要も無いくらい柔らかに、口の中で解けて上質な旨みと多幸感を運んでくる。
「いかがでございましょう?」
料理長の呼びかけでハッと我に帰る。
「やっ、……すげぇ、いや、すごく!うまいです!」
いい歳して小僧みたいな感想を述べてしまって恥ずかしい。料理長は満足そうに頷くと、視線をシーラに移す。ちょうどシーラもスプーンを口に運んだところだった。
「ドラッケンフェルド様、お口に合いましたか?」
シーラは音もなくスプーンを置くと、「うん」と何かを確かめる様に呟いて頷く。
そして、顔を上げると料理長には視線もやらずに真っ直ぐに俺を見る。
「やっぱりおじさんのシチューが美味しい」
その言葉に部屋の空気が止まる。
「シ、シルヴァリアさん?馬鹿なのは舌だけじゃないの?」
引きつった顔でシーラに苦言を呈そうとするが、料理長がそれを遮る。
「よ、よく聞こえませんでしたな。もう一度言っていただけませんか?」
柔和な笑顔を取り繕おうとしているが、今にも怒り出しそうに顔は真っ赤だ。
シーラは面倒くさそうに小さくため息をつく。
「めんど。おじさん、厨房借りてなんか作って」
自分のシチューの皿を俺の方に押しやってシーラは世迷言をのたまう。
「作る訳ねぇだろ!?」
「ケチすぎ」
「い、いいでしょう。是非お使い下さい」
料理長もまさかの乗っかり。見ると、笑顔はそのままで、今にも血管ぶち切れそうなほど怒っている。
「……恥ずかしながら浅学にて存じ上げませんが、さぞ高名な料理人なのでしょうなぁ。是非!勉強させていただきたいですなぁ。失礼ですがお名前をいただいても?」
明らかに怒りの矛先が俺に向いているが、俺何も言ってないですよ?ビーフシチューは最高にうまいし。とはいえ、公爵令嬢らしいシーラに直接文句を言うのはきっと俺が思う以上にハードルの高い行為なのだろう。
「名乗るほどのもんじゃないっすよ。……あー、ほら。シーラ。もう帰るぞ」
雲行きが怪しくなってきた。ビーフシチューは惜しいがここは退散が吉。
「り……り……り~……」
首を傾げて鈴虫の様に鳴くシーラ。
「リューズ!」
俺を指差して、思い出した!とばかりにシーラは声を上げ、それを聞いて料理長は一瞬眉をひそめ、そして笑い出す。
「リューズ!?あの臆病者のリューズ!?あなたが!万年F級の?得意料理はチキン料理ですかな?」
大笑いする料理長を意に介さず、シーラは得意げに俺を見る。
「覚えてた」
「……はいはい、偉い偉い」
呆れ顔でそう答える――、フリをするが内心嬉しくて仕方がない。わざわざ俺の名前を覚えたのか!?コイツが!?
俺は袖をまくり、バンドで止めると、バンダナを頭に巻く。そして、きっと引きつった顔で料理長に宣言する。
「お言葉に甘えて――、ちょっと厨房借りていいですかね?うちの姫が腹空かせてるもんで」
突拍子も無い俺の提案を受けて、彼は俺を見下ろしながら挑戦的な、不敵な笑みを見せる。
「材料でも機材でもお好きに使ってください。その代わり、もし私の作った料理よりおいしくなかったら……、土下座でもしてもらいましょうか。王都のこの目抜き通りでね」




