41話 呪い
◇◇◇
――遡ること12年前。
S級パーティとして名を馳せた『神戟』に、並の冒険者には挑戦することすら許されない『深淵の七獄』の1つである『神殺しの魔窟』への挑戦が許可された。これは世界の権力を三分する教会、王国、ギルドのそれぞれから教皇、大臣、ギルド長の推薦を得た非常に名誉な事柄であった。
年に一度の里帰り。大テーブルを囲んだ宴会の席でマリステラの膝に座る当時10歳のミアリアは、心配そうな顔で姉の顔を見上げる。
「お姉ちゃん、本当にだいじょうぶなの?あぶないんでしょ?」
「もちろん。みんなもいるしね。いつも優しいけど、みんな超強いんだよ」
マリステラは柔らかな微笑みを浮かべながら歴戦の仲間たちを誇る。
「七獄踏破か。『神戟』最後の伝説には持って来いだな」
切り込み隊長のレオンは町名産の酒を飲みながら不敵に笑う。
その言葉通り、幼馴染同士で結成した彼らのパーティ『神戟』は、次の冒険で解散することを決めていた。
「帰ってきたらずっとマリーといられるねぇ、ミアリア」
バルドは屈強な体格に似合わない優しい笑みでミアリアの頭を撫でる。
彼らが15歳で町を出た年に生まれた、マリステラの歳の離れた妹・ミアリア。彼女に会うために、『神戟』は毎年一度彼女の誕生日の週に帰省する事を決まり事としていた。
一年でわずか七日。十年でたった七十日。それが、ミアリアが姉と過ごしたすべての時間。
「大丈夫だ。マリステラは……俺が死んでも守るから」
少し離れた席で静かにグラスを傾けながら、リューズは力強くそう呟き、それを聞いてミアリアはぱあっと満面の笑顔で、身を乗り出してリューズに問いかける。
「本当!?約束だよ、リュー兄!」
「あぁ、任せとけ」
自信たっぷりな笑みを見せ、リューズは酒を飲みほした。
姉と同じく、年に七日だけ会う三人の男たち。彼らも、ミアリアにとっては兄のような存在だった。
宴会を終えたほろ酔いの四人は、夜風に吹かれながら町はずれの高台へと向かう。樹齢100年を数える大樹が町を見下ろす、子供の頃から四人のお気に入りの場所だ。
「いや~、飲んだ飲んだ」
いまだ酒瓶を片手にレオンが満足げに笑い、それを見てバルドが苦笑いを浮かべる。
「まだ飲んでんじゃん」
「あー、大丈夫。俺が解毒かけてっから」
「わはは、無限に飲めるぜ。……つーかよ、結局お前の【祝福】ってなんなんだろうな?」
数年前、当時未発見だったダンジョンから魔物が溢れ出し、近隣の街を蹂躙した未曾有の大事件――『奈落噴出』。その元凶となるダンジョンを踏破した事で、彼らはS級となり、踏破の際にリューズは【祝福】を得た。
守護者を倒した時に、リューズの身体のみがほのかな光に包まれた。それが【祝福】を得た証だと彼らを冒険に駆り立てた『ヴァリアル冒険記』にも記されていた。【祝福】は得た。だが、その効果がなんなのかはまだ彼らは知らない。
「さぁ?【知将】とかじゃねぇの?」
得意げにリューズが言うと、バルドは腹を抱えてケラケラと笑う。
「……うぜぇ」
「あはは、真顔で言ってら」
子供の頃のように楽しそうに笑いあう三人を見て、マリステラは申し訳なさそうに呟く。
「ごめんね、みんな」
『神戟』はこの冒険で解散する。それを決めたのはリューズだった。
「なんでお前が謝んだよ。決めたの俺だろが」
それを聞いてレオンがリューズに食って掛かる。
「あぁ?なんでお前ひとりで決めたことになってんだよ。お前はそんなに偉いのかよ」
「そりゃそうだ。リーダーだからな」
「まぁまぁ。でもミアリアの為にもそれがいいと思うよ。二人でレストラン開くんだろ?ちゃんと宣伝しておくからね」
「あ~あ、マリステラも本当男を見る目がねぇよな」
それを聞いてリューズも苦笑する。
「それは俺も同感だ」
リューズとマリステラは、この冒険が終わった後ここバルハードの町でレストランを開く予定を立てている。二人は恋仲であり、他の二人もそれは知っている。リューズのわがままで決めた形になっているこの解散も、実際はマリステラが妹のミアリアと過ごす時間を作る為の方便でもあった。他の二人も、当然それは分かっている。
結成からちょうど10年。伝説を伝説のまま幕を引くいい機会だ。彼らはそう思い、大臣から直接打診のあった『神殺しの魔窟』への挑戦を承諾したのだった。
そして、いつものように七日間を町で過ごし、彼らは向かう。
彼らの旅の終着点、『神殺しの魔窟』へ――。
――『神殺しの魔窟』。その名前に偽りは無かった。
今まで彼らが挑んだダンジョンのどこよりも複雑で、強力な魔物に満ち溢れていた。それでも、そんなものは彼らの障害にはなり得なかった。
自分たちなら踏破できる。四人いれば出来ないことはない。全員が、真剣にそう信じていた。
やがて、3か月以上かけて最深部までたどり着いた四人は守護者と相対する。
神殺しの魔窟の守護者は、純白の身体に六枚の翼を持つ巨大な姿だった。下半身は馬のようで、腕は六本。そのそれぞれに神話に見るような武器を携えていた。背後に浮かぶ大きな光輪は神々しさすら感じさせ、魔物と呼ぶことを躊躇わせる。
守護者のいるそこはまるで神殿のようで、明らかに人により作られた建造物だった。
ダンジョンとは、魔物とは、祝福とはなんなのか?そんな事を考える間もなく、壮絶な戦いが始まる。
リューズは後方であぐらで座し、右手を地面に付けて彼の固有魔法・【超速即時治癒魔法】を発動する。地面から直接魔力を吸い上げる事で魔力供給をカバーして、即死以外のあらゆる怪我を即時に治癒する事ができるという、禁術レベルの規格外魔法。その代償として、その場から動くことができないが、リューズにとってそんなものはリスクにはならない。前衛に命を懸けさせる以上、後衛はさらに危険に身を投じる必要があると彼は考える。
バルドは最前列で守護者に攻撃をしつつ攻撃を一身に集める。その隙を縫ってレオンの高速斬撃。魔力を纏った強大な刃が、一本の剣とは思えないような無数の剣閃を刻む。そして、マリステラの多重魔法が二人をフォローしつつ攻撃にも加わる。水の守護結解を張りながら、足場を崩し、十を超える魔方陣からの全方位攻撃。
守護者の持つ雷の槍でレオンの左手が消し飛ぶ――、が、次の瞬間トカゲの尻尾さながらの再生力で、腕はもう戻っていた。
「レオン!」
「平気だぞ……っとぉ!」
両手で持った剣を大振りで振り回すと守護者の腕が一本落ちる。
「まず一本!」
「『圧縮針雨砲!』」
落ちた腕を瞬時にマリステラの魔法が襲う。十六方向からの針のように鋭い無数の雨が一瞬で守護者の腕を塵と化す。
『ヴォォォォォォッ』
守護者が咆哮を上げると、つるりとしていた口の部分が鈍い音とともに開き、血のように赤い口腔内からは相反して神聖さを感じさせる透明な涎が滴る。それは神殿の床に落ちると煙を上げてそれを溶かす。
背後の光輪が回り、頭上にも光の環が現れる。
「あはは、お怒りみたいだけど。レオン、謝んなよ」
「悪いっ」
前衛二人は軽口をたたきあいながら、抜群のコンビネーションで守護者を圧倒する。当然無傷ではない。けれど、無傷だ。そんな意味の分からない戦いを可能にするのが、後ろに坐するリューズの治癒。この桁外れの治癒力が『神戟』を支えていたといっても過言ではない。
「マリステラ、大丈夫か」
右手を地面につけながらリューズはマリステラの方を見る。彼女はリューズとは違い、バルドとレオンの位置取りを見ながら移動して魔法で補助や攻撃を行う。常に10以上の魔法陣を展開しながら戦うそのスタイルは他者に真似のできるものではなく、疲労も消耗も大きい。
「うん、平気。ちゃんと補給してるから」
時折隙を見てポーションで魔力を補給する。魔力量の多い彼女ではあるが、それを上回る消費なのだ。
どれくらいの時間戦いが続いただろうか?守護者の腕は一本、また一本と減り、ある程度の時間とともに再生をするが、それよりも早くレオンが腕を落とす。目に見えて再生速度は遅くなり、動きも鈍くなってきているように見える。
――勝てる。
そう思ってしまったのは四人の罪か。
守護者は最後の咆哮とばかりに神殿全体がビリビリと揺れるような声で雄たけびを上げると、前足二本を上げて、力強く地面を蹴る。ケンタウロスのように、馬型と思われていた下半身。守護者は二本の脚で高く前方に跳躍をすると、残された後ろ足はふたつのハサミを持つ魔物となり前衛の二人を襲う。
守護者の狙いはマリステラ。
まったく予期せぬ守護者の変貌と行動に四人の反応が遅れる。
「マリステラ!」
スローモーションの様な時が流れ、リューズはその刹那で幾つもの思考を巡らせる。マリステラには彼女自身が張っている水の結界もある。自身の治癒魔法もある。即死しなければすぐに治る。腕がもげようが、腹が裂けようが、顔が半分欠けようが、瞬時に治せる自信はある。だから大丈夫――。
そう思った瞬間、思考に反してリューズの身体は駆け出していた。地面から手を放し、全力で、マリステラへと手を伸ばす。なぜ?ケガしても死ななければ治るのに。なぜそんな馬鹿なことを!?
マリステラを傷つけたくない。そんな幼稚で単純な感情が、理屈を上回ってしまった己の未熟さを恥じた。
ドン、とマリステラを押すと彼女と目が合った。
「マリステラ、お前は――」
薄明るい神殿内、影がリューズを覆う。
その頭部を守護者の持つ巨大な槍が貫く。ゆっくりと形を失う自身の頭部の感覚は、明確に死を意識させられ、そこでリューズの意識は途絶えた――。
だが、彼は目を覚ます。
目覚めたリューズの視界に映ったのは、横たわる三つの亡骸と、それに覆いかぶさるように捕食している守護者の姿だった。
「……え?」
理解ができなかった。
自分は死んだはず。それなのに、なぜか生きている。だが、それを考えるよりも早く頭に熱く血が昇り、反して身体からはさぁっと血の気が引く。
目の前で捕食されている亡骸。見間違えるはずがない。それは、生まれてからずっと長い間一緒だった、三人の幼馴染のものだった。
「うああぁああああっ!やめろっ!食うな……!食うなっ!」
武器もなく、攻撃魔法も扱えないリューズは、それでも守護者へと殴り掛かる。守護者は一瞥たりもせずに捕食を続ける。赤い髪の冒険者の身体はだんだんと減っていき、守護者の体内へと取り込まれる。
「やめろ!やめてくれよ!食うなら俺を食え!やめろ!」
リューズは叫びながら、ひたすらに守護者を殴る。それ以外できることはなかった。両手のこぶしの皮が向けて、血が流れ、骨が砕けても、リューズは拳を止めず、守護者は無力な害虫には目もくれず、目の前の魅力的な餌の捕食に夢中になった。時折、蝿を払う様に尾で薙ぎ払われるが、彼はそれでもひたすらに守護者へと食らいついた。
ぺき、ぽきと水色の髪の亡骸が音を立てて喰われても、叫びすぎて喉から血が流れても、地獄は終わらなかった。
三人が骨も残さず食べられ、絶望の底にいながらも『あぁ、あとは俺が食べられて終わりだ』と安堵にも似た気持ちが胸を満たす。
だが、守護者は姿を消した。
リューズは、一人死ねずに生き残ってしまった。
当然、死のうとした。もう生きている理由も意味もない。だが、死ねなかった。考えられる様々な方法で命を絶とうと試みるが、たちまちに再生してしまう。何か月か経った頃、それが【祝福】なのではないかと気づき、リューズは神殺しの魔窟を後にする。
祝福は、呪いだった――。




