4話 生き恥と黒姫
「なぁ、他にどんな祝福もってんの?」
街に戻り、ギルドに向かう道すがら問いかけると、当然の様に「関係ない」と返事が返ってくる。
ダンジョンを踏破した者は、人智を超えた【祝福】を得る――ただし、世界に九十九あるダンジョンのうち、これまで踏破されたのはわずか十七。ソロで三つのダンジョンをクリアしているシーラは三つの【祝福】をその身に宿している事になるが、確かに一飯をともにしただけの俺に教える道理はない。俺は小さくため息をついて、こくりと頷く。
「ま、確かに。たまたまダンジョンで一緒になっただけだもんな」
S級とF級。きっと踏破目的のシーラと、日銭を稼ぐのが目的の俺。たまたま一瞬道がすれ違っただけだもんな。
「貴重な経験だったよ、またご縁があったらよろしくな」
俺がひらひらと手を振ると、シーラは返事もせず、表情も変えずにじっと俺を見ている。
「な、なにか?」
「なんでもない」
真顔でシーラはそう答える。
「だよなぁ。それじゃあ」
「ん」
返事とも言えない短い発音。
立ち去るでもなくシーラはまだそこにいるので、俺の方から移動する。さて、まずはギルドにダンジョンから戻った報告を入れに行くか。報告と精算をして、それから食材や備品の補充でもしよう。せっかくだから食器類を新調してみるか。もしかしたら、また誰かに料理を作る機会があるかもしれないしな。
と、考えて無意識に顔が緩んでいる事に気が付き、慌てて口元を手で隠す。周囲をチラリとみると、道行く人々の視線は俺を見ている。そりゃそうだ。37歳のおじさんが一人にやけて歩いていたらそうなる。憲兵を呼ばれないだけまだ優しい方だ。
内心冷や汗をたらして顔を引き締める。だが、人々の視線は俺……と言うよりもその後ろにあると気が付く。
ピタリ、と立ち止まる。と同時に背中にぼふっと何かが当たる。
「わ」
シーラの声だ。
「……なにか?」
「急に止まんないで」
僅かに眉を寄せ、俺の問いかけに文句で返してくる。
「いやいや、そんなに後ろピッタリ歩いてるからだろうが」
人々の視線は俺でなくその背後のシーラに向けられていたのだ。きっと、そうだ。そうであって欲しい。
「どこを歩こうが私の勝手」
シーラはそう言ってぷいっとそっぽを向く。
往来でそんなやり取りをしていると、通行人たちのざわめきが聞こえてくる。
『黒姫だ』
『本物初めて見た』
『超綺麗~』
『あのおっさん誰?』
注目を集めるのは俺の望むところではない。再びギルドに足を向けるが、やはり嫌な予感がして足を止める。
「む」
再度背中にシーラが当たる。
「……何?若者の間でそれ流行ってんの?」
「意味わかんない」
「……それはこっちのセリフだよ。お前もギルド行くのか?先行っていいぞ」
先を促すが、シーラは首を横に振る。
「先行けば」
いまいち要領を得ない会話に困惑する。俺は37歳でシーラは17歳。20も離れていれば、そりゃ会話も通じないか。でもなんとなく、少し懐かれているようで悪い気はしない。と言ったら少しキモイか。
結局俺はシーラを連れてギルドに向かうことになる。野良猫に餌をあげたらついてきた。そんな感覚。
街はずれにある石造りの大きな建物が冒険者ギルド。ここではダンジョン探索やその他の依頼など、冒険者にかかわるあらゆる手続きが行える。酒場も併設されており、情報交換と憩いの場も兼ねている……のだが、俺にとってはそれはあまり嬉しくない要素ではある。
チラリ、と後ろのシーラを見てから重厚な古木の扉を引く。
薄暗い室内は多くの冒険者でにぎわっており、酒やタバコの臭いが充満し、街のにぎやかさとは違った種類の喧騒に包まれていた。
「じゃあ、俺帰還報告と地図の提供してくるから」
「ん」
シーラはコクリと頷く。そして、予想通り俺の後ろをついてくる。
「おおっ?」
酔っぱらった大柄な冒険者が俺を見つけると、嬉しそうに声を上げた。
「これはこれは、【生き恥】様じゃありませんか」
明らかに酒に酔った彼はなれなれしく俺に肩を組んでくる。
「今日も一人でセコセコ探索してたんですかぁ?かわいそうになぁ、誰もパーティ組んでくれないもんなぁ」
「……うるせぇな。いちいち絡んでくんなよ」
迷惑そうに手を振り払おうとするが、丸太のような彼の腕は俺の力ではびくともしない。腕には銅のブレスレットが鈍く光り、彼がC級冒険者である事を証明している。ちなみに俺の手には古びた木製のブレスレット。それはF級冒険者である事を意味する。
「んだぁ?その態度は。仲間を見捨てて一人帰ってきた腰抜けが随分偉そうな口きくじゃねぇか。ぶっ殺すぞFランが!」
声を上げ、つばを飛ばしながらC級冒険者は俺を恫喝する。通常であればこういった揉め事はギルドが介入して場合によっては処分を与えるのだが、皆一様に見世物を見ているようにニヤニヤと薄笑いを浮かべて俺たちを眺めている。
そう。簡単に言うと、俺はギルド中から嫌われている。十二年間、ずっと向けられ続けてきた視線。もはや小鳥のさえずりにも等しく、痛みも何も感じはしない。そもそも、俺にはその汚名を受けるだけの理由がある。
――かつて所属したS級パーティ『神戟』を見殺しにして、ただ一人尻尾を巻いて逃げ帰ってきた卑怯者なのだからそれも当然だ。
「殺す?」
後ろでボソリと声がした。
瞬間、俺の身体の横を、蛇が這うようにぬるりと何かが通った。目の前にいるC級すら気が付かぬうちに、シーラの手が伸びていて、彼のその太い首元は真っ黒な刃先を持つ二又槍に捕らえられていた。――ミノタウロスの時に使ったのは真っ白な大剣。召喚かなにかの【祝福】か?と思案する心の声は続くシーラの言葉で霧散する。
「なら殺さなきゃ」
シーラが短く呟くと同時に、まるで深い海の底に沈んでしまったかのような圧力が場を支配する。誰も動けない。男の首筋には、まるでマーキングのように血の筋が伝う。シーラがわずかに手を捻れば、彼の首はシャンパンのコルクの様に宙を舞うことだろう。
「あほか、殺すな!」
腐っても元S級パーティ。咄嗟にシーラの頭に手刀を放つが、シーラは最小限の動きで不機嫌そうに躱して俺にジト目を向けてくる。
「だって殺すって言った」
その手に持った漆黒のバイデントは未だ男の首を捕捉中だ。
「そんなの言葉の綾に決まってんだろうが!?本気じゃねぇよ!みりゃわかんだろ、こいつに人を殺せる胆力なんてあるわけないだろうが!」
「どっちでもいい」
「ほらほら、早く槍しまって。な?ほら、みんな見てるぞ?」
「関係ない」
強情なシーラは頑として槍をしまわない。
「そ、そうだ!早く手続き終わらせて飯にしよう!何か食べたいものあるか!?おじさん奢っちゃうぞ~!?」
「ごはん」
シーラはその言葉にピクリと反応する。
「そう!ごはん!はやく行こうぜ?そんなの殺したら飯がまずくなるぞ!?」
「それは困る」
シーラの手からバイデントが消え、辺りを覆う重圧も消え失せる。
俺はじっと眉を寄せてC級の彼を見て、シッシッと手で追い払い、小声で『早くいけ』と告げる。すると、彼は海辺のフナ虫のように素早く俺たちの視界から消えた。
『く、黒姫……』『なんでFランと?』『もしかして、庇ったのか?』『相変わらずお美しい……』『今度は腰ぎんちゃくかよ』
視線と陰口と噂話を全身に受け、俺は報告と精算手続きを終えた。




