37話 神戟の故郷
12年ぶりの故郷・バルハードの町。ここを訪れたのなら、俺がまず最初に行かなければならない場所――、実家である。
「た、ただいま」
引きつった顔で俺が玄関を開けると、親父と母さんは幽霊でも見たような顔でまばたきもせずにじっと俺の顔を見た。
「家間違えたんじゃない?」
俺の後ろでシーラが頓狂な推理を披露するので、振り返り小声で苦言を呈する。
「そんな訳ねぇだろ」
「おかえり。遅かったな、茶でも飲んでく位の時間はあるんだろう?上がっていけ」
親父はぶっきらぼうにそう答えると、すぐにリビングの方へと引っ込んでいった。
「え、えぇっと……」
12年前までの普段通りな反応。逆に俺が戸惑ってしまい、母さんに視線を送り助けを求める37歳。
「そちらのお嬢さんは?あんたちゃんと紹介しなさいよ。困ってるでしょ」
久しぶりに会って早々小言を言われる37歳。
「いや、そんなので困るやつじゃないんで。こいつはシーラ。俺の新しいパーティメンバーだ。ほら、挨拶しろ」
挨拶を急かすと、シーラは物珍しそうな顔で母さんの顔を眺めていた。
「へぇ、お母さん生きてるんだ」
「ご・あ・い・さ・つ」
眉を寄せて再度挨拶を催促すると、『めんど』とか言うのかと思いきや、意外に素直にペコリと頭を下げた。
「シルヴァリア。『三食おやつ付き』」
シーラの自己紹介に母さんは頰に手をやり、困惑した様子で首を傾げる。
「三食?おやつ付き?」
母さんの困惑の復唱を意に解さず、シーラは得意げに頷く。
「そう。パーティ名。私と、リュー……」
シーラは少し考えて、言葉を続ける。
「リューくんの」
「リューくん!?」
「おかしな呼び方するんじゃねぇよぉ!?」
つい大きな声を出してしまうが、その抗議は母さんの耳には入っておらず、そわそわと浮ついた様子でシーラを問い詰める。
「ね、ねぇシルヴァリアさん!?あなたとリューズは、そ、そういう関係なの!?」
「そういう関係。だからシーラでいい」
当然、とばかりに堂々と頷くシーラさんに、母は両手で口を隠して目を潤ませる。
「本当に!?じゃあシーラちゃん、って呼んでもいいかしら?あぁ〜、夢みたい。まさか今になって娘が出来るなんて……」
「あのな、母さん。水を差すようで悪いんだけど、勘違いだから。シーラ、『そういう関係』って具体的には?」
「ん?パーティメンバーでしょ?」
キョトンとした顔で答えるシーラを見て、母は平静を装いながらも目に見えて落胆した様子に変わる。
「……12年音信不通だった子が、女の子連れて急に帰って来たから、てっきりそう言う事かと思っちゃった」
本来なら不要だったダメージに胸が痛い。
「年齢差を考えろっての。そんなわけないだろ」
「……お茶にしましょっかぁ。シーラちゃんも、ゆっくりしていってねぇ」
みるからに肩を落として手招きをする母を見て幽霊を想像してしまい、不謹慎ながら一人面白くなってクスリと笑ってしまう。
「なにがおかしい?」
「や、別に」
――場所はリビングに移る。
テーブルも、椅子も最後に訪れた12年前と同じ物だった。だけど、それらは確実に色褪せ、古びていた。
それは両親も同じだった。
「いつまでいられるんだ?」
母の淹れた紅茶の湯気の向こうで、父が落ち着いた口調で俺に問いかけてくる。俺と同じ銀色の髪はだいぶ白くなり、顔にはシワも増えている。今年で66歳になる。そりゃそうか。
「決めてない、かな。二、三日はいると思う」
「そうか。宿がまだなら泊まっていけ。シルヴァリアさんさえよかったらな」
そう言って父は紅茶の入ったカップに口をつける。
「リューくん。紅茶、ミルクティーにして」
シーラがそう言って俺にカップを差し出すのを見て、父は苦々しげな顔をする。
「……オレがとやかく言う事じゃないかもしれんが、いい歳してそんな風に呼ばせてるのはどうかと思うぞ」
「だってリューズって呼ぶなって言うから」
「……リューズ、お前」
俺は大きくため息をついて首を横に振る。
「うん、言ったね。けどね、そう言う意味じゃ無いんだよね。町の人にリューズって知られたくなかったからなんだよね。もういいよ、ははは」
シーラの紅茶にミルクと砂糖を入れてかき混ぜる。そのまま飲んでも味がしないが、俺が手を加える事で味がする謎ルール。理由はわからない。
――もしかして、俺の持つ【祝福】が関係しているのかもしれない。
「へいよ、お待ち」
「へへ」
シーラはまだ微かに渦巻くミルクティーを受け取ると嬉しそうに笑い、両手でカップを持って口へと運ぶ。
「うまぁ……」
満足げな吐息と共に、シーラは幸せそうに呟いた。つい口元が弛んでしまいそうになるのを頬杖で隠して、手で母の方を示す。
「淹れたの母さんだから。お礼はあちらへ」
「あ、そっか。すごくおいしい。ほっとする甘さ」
シーラの食レポを聞いて母さんも嬉しそうに、照れくさそうにはにかむ。
「あらあら〜、ありがと。やっぱり女の子は良いわねぇ」
「え、男の子はどうなの?」
俺が首を傾げて質問をするが、その答えは返っては来なかった。
「おかわり」
シーラは飲み終えたカップをすっと俺の前に差し出す。
「へいへい」
ティーポットから紅茶を注ぎ、さっきと同様にミルクティーにする。
「リューズ。お母さん生きててよかったね」
「お前なぁ――」
なにをそんな当たり前の事を、と言い掛けて自分がどれだけ愚かな事を言おうとしたのか気付いて言葉を止める。よかった。口に出す前に気がついて、本当に良かった。
12年の間、両親が生きていたのは決して当たり前のことでは無いのだ。
「いや、そうだな。その通りだ。生きてて本当に良かった」
ストレートで飲む紅茶のほのかな苦味と酸味が、今は少しだけ心地よく懐かしい。
「そう言えば、リューズ。みんな言ってるから一つだけ聞きたいんだが――」
そう前置きをして、親父は世間話でもするように切り出した。
「逃げたのか?みんなを置いて」
時が止まったような錯覚を覚え、それでも俺は止まった時の中を動く様に、力強く頷く。
「……そうだ。俺は、死んだみんなを置きざりにして、一人で逃げ出して来たんだ」
「なるほどな。……色々あったんだろうが、リーダーってのは辛いな」
まるで予想外の反応にぽかんと口を開けて親父を見る。
「怒んねぇの?」
「オレが?なんで?」
そう言ってから親父は馬鹿にしたようにフッと笑う。
「なんだ、お前もしかして怒られると思って帰ってこなかったのか?12年も?バカタレが。もっと早く帰ってこい。母さん心配してたんだぞ」
親父は戸棚からグラスとウイスキーを取り出すとトクトクと音を立ててグラスに注ぐ。
「これは独り言なんだが――」
そう前置きをして父は言葉を続けた。
「オレと母さんはお前に正しさとかそんなものを求めちゃいないよ。例え間違っていたとしても、卑怯だとしても、みんなが後ろ指を指そうとも、少なくともオレ達は味方だ。……いくつになろうが、お前はオレ達の子供なんだから」
言い終えると、照れ隠しの様にグラスのウイスキーをグイッと飲み干す。
「……親父」
思わず涙目になりながら、隣のシーラの反応を気にしてチラリと見ると、シーラは眉を寄せて怪訝な顔をしていた。
「やば、独り言長くない?」
「お前は本当さぁ」




