35話 本物のお風呂
引き続き、温泉宿場町エウリザ――。
地獄の塩分超堅おにぎりを完食。これでもかつては『神癒』と呼ばれた治癒術士だ。口腔内と腎臓をメインに治癒魔法を回し続ければ何の問題もないが、額に浮かぶ脂汗は激闘の跡を思わせる。そんな中シーラは部屋の床に寝転がり、レシピ本を広げてご満悦に足を揺らしている。
「つーかさ、その本に分量って書いてない?おにぎりのページってあったっけ?」
「うん。おにぎりは252ページ。塩は適量って書いてあるから、その通りにした」
「な、なるほどね」
そうか。日頃料理をしない人間にとっては、『適量』とか『少々』、『ひとつまみ』なんてなんだそりゃって感じだよな。いやぁ、勉強になります。もしかすると、『ふんわり握る』とか書いてあって、あれはシーラ的にふんわり握った結果なのかもしれない。
とはいえ、味なんてどうでもよく、俺に朝ごはんを作ってくれたその気持ちが嬉しい。これが『料理は心』というやつだろうか。
「あぁ、そうだ。結局昨日すぐ寝ちゃったから風呂入ってねぇな」
独り言のようにそうつぶやくと、シーラは怪訝な顔で俺を見る。
「汚っ」
きっとお父さんが年頃の娘に言われて傷つく言葉トップ3。俺の心にグサリと突き刺さる。
「……いや、汚くは……ねぇよ?ぼぼぼ冒険者だから、ダンジョンでは一週間くらい入らないことだってあるだろ」
「私は毎日入ってるけど」
「ダンジョンでも?」
「うん、もちろん」
予想外の答えをさも当たり前とばかりにシーラは頷き答える。
「えっと、それはこないだの昇級試験の時も?」
二泊三日のパーティ昇級試験。俺が知る限りあのダンジョンの踏破区域に水場は無い。
「そう言ってる。しつこい。昨日も今日もちゃんと入った」
「え、今日も?つーか、お前ひとりで温泉とか入れんの?」
「は?意味わかんない」
まったく会話がかみ合わない。部屋に風呂がなく、宿に温泉があるのだから、そんなに頓狂な質問をしているつもりはない。と、なると答えは一つ。前提が間違っているのだ。
「あ、あの~、シルヴァリアさん?」
苦笑いでへりくだった呼びかけをすると、シーラは面倒くさそうに視線を俺に向ける。
「なに」
「風呂ってどうやって入るんだっけ?」
一見素っ頓狂な俺の質問を、シーラは面倒くさそうに小さくため息で返す。
「なに?めんど。こう」
ひゅん、と一瞬暖かい風が吹いた気がした。
「これでいい?」
「ごめん。言ってる意味がわからん」
「もー、なんなの今日。うざい」
だんだんシーラもイライラしてくる。
「理解が悪くて申し訳ない。今なんかしたの?」
「お・ふ・ろ」
聞けば聞くほど会話が成立しなくて逆に笑えてくる不思議。
「……俺の思っている風呂とかなり乖離があるんだけど、それって貴族特有のアレなのかそれともお前が特別なのかどっちなんだろうな。お前に説明ばっかりさせてるのもフェアじゃないから俺から説明するな?俺の思う風呂って言うのは――」
で、一応説明をする。といっても説明というほど大した事はない。身体と頭を洗い、お湯を張った浴槽に全裸で入る。以上。
シーラは興味深げにそれを聞いた後で、小ばかにしたようにクスリと笑う。
「それは子供の時に卒業した。リューズはまだ入ってるんだ?」
「風呂は卒業するもんじゃ無くね!?」
ゴホンと咳ばらいをして気持ちを切り替える。
「……で、シーラの言う『風呂』ってのはどんなのなんだ?一瞬じゃわからんから詳しく解説してくれ」
17歳少女に入浴方法の詳しい解説を求めてくる37歳男性。字面だけ見ているとなかなかにヤバい。事案確定である。
「めんどいなぁ。①風魔法。膜を作る」
シーラはそう言って、敢えて俺にも見えるような厚さで身体の周りに膜を作る。
「②炎魔法と水魔法をミックスした熱いお湯を、風魔法で一気に描きまわす」
「まさかの服ごと!?」
「③炎魔法と風魔法をミックスした温風で一気に乾かす。終わり。これが本当のお風呂」
すっきりした顔で、シーラはきっぱりとそう言い切り、俺は少しの間開いた口が塞がらなかった。確かに効率を求めればこれが最適解なんだろう。服も脱ぐ必要はなく、水場すら必要ない。ただし、それはここがダンジョンだったら、の話だ。
「……シーラ、俺に40分くれ。俺がお前に本当の風呂を教えてやる」
人はみんな身体をきれいにする為だけに風呂に入ってる訳じゃないんだよ。俺の言葉を聞いて、シーラはなぜか少し嬉しそうにクスリと笑い、予想外に素直にコクリと頷いた。
「ん、いいよ。今日4回目のお風呂だけど」
部屋を出て温泉に向かう。ここの宿の売りは露天風呂。宿泊棟から渡り廊下を進むと、香り立つ硫黄の匂いが高揚感を掻き立てる。
「ここの風呂はな、露天風呂って言って外に風呂があるんだよ」
ウキウキと俺がそう告げると、シーラは眉を寄せる。
「え、変態じゃん」
「ちげぇよ?」
少し進んでふと当たり前の事に気が付く。
「あのさ、シルヴァリアさん?ちょっといくつかお風呂のルールを説明するな?まず、一つ。入口は男女別になっているので、俺とシーラは別々の入り口に入ります」
「は?いやだけど」
「いやだけど、じゃねぇよ。どこまでついてくる気だよ。ルールその①男女別々に入りましょう」
厳密にいえば混浴もあるわけだが、初心者にはお勧めできないし、シーラに勧めたくはない。
「②は?」
渋々ながらシーラから続きを聞いてくる。
「②お風呂には服を脱いで裸で入りましょう」
「は?変態じゃん」
「ちげぇよ?いいな?ちゃんと服脱いで入るんだぞ?」
俺の念押しにシーラは返事をしない。こいつなら服を着たまま湯舟に入りかねない。俺はシーラの肩を両手でつかみ、まじめな顔で懇願する。
「シーラ、頼む。お願いだ。服を脱いで裸になってくれ」
「え、きも」
すれ違うご婦人たちが俺を指さしながらひそひそと何やら会話していて、己の言葉のやばさを知る。事案である。
「いや、違うんですよ。こいつが風呂の入り方知らないから説明してるんすよ」
「そう。私は一緒に入ろうと思うんだけど、リューズは服を脱げっていう」
援護射撃なのか同士討ちなのかわからないけれど、シーラはもう誰もいない渡り廊下でそんなことを言った。
③身体を洗ってから湯舟に入りましょう、④タオルは湯舟に入れてはいけません、⑤湯舟で泳いではいけません。他にも細かいことはたくさんあるんだろうけど、シーラに温泉を楽しんでもらう為にはこのくらいで留めておく。
――そして俺とシーラは入口の暖簾でしばしの別れとなる。
◇◇◇
「くぅあ~っ、たまんねぇ」
湯煙けぶる露天風呂。男湯と女湯は高い衝立で遮られていて、ごつごつした自然石を利用した天然の露天風呂に浸かると、ついおっさんっぽい声をあげてしまう。見上げれば天井は青空。緑の木々が彩を添える。朝早い事もあり、利用者は俺一人。貸し切り状態だ。
「リューズ。いる?」
衝立の向こう側からシーラの声が聞こえる。
「おう。いるぞ。ちゃんと服脱いで入れよ?」
「わかってる。ルール②」
「もう湯舟入ったか?」
「まだ。今身体洗ってる」
衝立越しの言葉のやり取り。言葉だけとはいえ、様子が確認できて一安心だ。
「湯舟入るときは障壁とかの類は全部切っとけよ」
戦闘時に魔力で身体を覆う『障壁』。シーラクラスだと無意識に自動展開されている可能性が高い。
「ん、了解。じゃあ、入るね」
湯舟に浸かりながら、緊張の面持ちでシーラの次の言葉を待つ。
「ぅぁあ」
小さく、か細く、シーラのうめき声が聞こえてくる。つい口元が弛んでしまうが、はたから見れば女湯の声を聴いてにやけるやべーやつだ。
「リューズ」
シーラは俺を呼んでから言葉を続ける。
「こりゃ本物だぁ」
表情が見えないのが惜しい。いつもより少し語尾がだらしない気がして、あいつは今どんな顔でそんな言葉を言っているんだろう。
「たまには湯舟もいいもんだろ」
「最高」
「だろ?」
衝立越しに、俺たち二人はしばらく無言でその空気を感じていた。
「あ、違った。最高じゃなかった」
不意にシーラがそう呟き、俺は思わずくくっと笑う。
「要求高ぇな、減点要素どこだよ」
「リューズがいない」
「……そりゃ光栄な事で。じゃあ一生満点は無理だなぁ」
「は?」
その言葉でカチンと腹を立てた様子のシーラの方からザブンと音がする。おそらくは立ち上がった音。
「じゃあ今からそっち行く。それで満点」
「あ、俺もう上がりますね。ちゃんと身体拭いてあがれよ」
見上げた衝立の上に白い手が見えてゾッとする。
「ちょっと、シーラさん!?憲兵!憲兵さーん!戻れシーラ!俺はお前を犯罪者にしたくない!」
俺の本気の懇願が功を奏してか、渋々ながらシーラは女湯へと戻って行ってくれた。ともあれ、風呂の楽しさを知ってくれてよかった。




