34話 黒姫のおにぎり
――シーラは基本的に熟睡する事はないし、睡眠時間自体も短い。
それは、11歳の頃から冒険者として常にダンジョンに潜り、生死の狭間で過ごしてきた事に由来するのだろう。それ自体には彼女は何の感慨も感想も抱いておらず、生来そう言うものだと思っている。
日の当たらないダンジョンでの暮らしが長いシーラはかなり正確な独自の体内時計を持っており、朝は何もしなくても5時51分に目が覚める。
温泉宿場町エウリザの宿、ベッドの上で目を覚ましたシーラは毛布にくるまって床で眠るリューズを見てクスリと笑う。
「リ――」
起こそうと声を掛けかけて、言葉を止める。どうやら何か思いついた様子のシーラは僅かな足音をも立てずにそっと部屋を出ようとするが、ドアの前でいったん立ち止まる。そして、思い出したようにリューズに毛布をもう一枚かけてから部屋を出る。その後ろ姿はどこか楽しそうだ。
――それから約20分後。
「おはよ。朝だよ。ご飯だよ」
毎度おなじみのモーニングコール。
「んぁあ、おはようさん。毎日早いな、お前」
床から身体を起こしたリューズはあくびをしながらシーラに挨拶をかわす。リューズの目の前にしゃがんだシーラは珍しくワクワクした様子を隠し切れない表情で、リューズの目の前にコトリと皿を置く。
「ん」
「ん?」
その皿にはいびつな握り飯が四つ乗っていた。
リューズは首を傾げる。そして、次に『夢か?』と考える。その次は『今日の朝ごはんは何を作ろうか』、だ。
一向にリューズから答えが返ってこない事にしびれを切らして、シーラは言葉を続ける。
「リューズ、ご飯だよ。おにぎり」
ぼんやりとした頭で、リューズはおにぎりを見る。
「え?俺の?」
シーラはコクリと頷くと、得意げに笑いおにぎりを一つ手に取って差し出す。
「私が作った。ご飯だよ」
瞬間、リューズの両目から涙がつうっと伝う。
「……嘘だろ?」
「違う。私は嘘つきじゃない」
リューズは目頭を手で押さえてうつむき、言葉を続ける。
「ちょっと状況を整理させてくれ。今俺の目の前にある四つのおにぎり。これはシーラが作った、聞き間違いでなければそう聞こえたんだが、どうだろう?」
「うん、合ってる。早く食べな。ご飯は温かいほうがおいしい」
「あのシーラが……、まさか俺におにぎりを作ってくれるなんてなぁ。成長したな、本当」
まるでわが子の成長を見守るような心境。
「いいから。早く」
そう言っておにぎりをグイグイと口に近づけてくる。
「ははは、分かったよ。それじゃ、ちょっと勿体ないが、いただきます」
口を開けておにぎりを口にする。――したはずだった。
ガリッ。およそおにぎりを食べる音とは思えない音と歯ごたえ。
(……えっ、硬っ!?)
硬い。それはあまりに硬いおにぎりだった。生米を糊で固めてもこうは硬くならない。力加減を知らないシーラが、きっと雪玉を固めるかの如く力を込めて握ったそのおにぎりは、比喩でなく石のように硬かった。
それと同時に舌に痺れるような痛みに似た刺激。それは塩。塩分。痛いくらいの塩味。リューズの料理以外味を感じないシーラには、塩の適量などわかるはずもない。
(しょっ――ぱ……、いや、痛い!……塩!?どんだけ入ってんだ!?)
リューズの額と鼻頭にじんわりと脂汗がにじみ出る。二口、三口と咀嚼をすると、リューズの歯はおにぎりに負けて欠けてしまうが、神癒の名に懸けて即座に治癒させる。
――これは人の食べるものではない。そんな感想が頭をよぎって、必死に振り払う。
これはシーラがリューズの為に作ってくれた料理。もしかすると、人生で初めての料理かもしれない。
チラリと視線を上げるとシーラが期待に満ちた目で自身の反応を待っている。ここで正直な感想を言ってしまうと、もうシーラは料理をするのが嫌になってしまうかもしれない。とはいえ、お世辞で褒めてこの兵器が量産されるのも避けたい。
「こ、個性的な味だなぁ~。歯ごたえもすごくて通好みだけど、おじさんの顎には少しだけきついかなぁ」
できる限り笑顔を繕い、リューズはまず褒めた。改善点があるにせよ、まずは褒める。シーラに料理を嫌いになってほしくない。
「そっか。次はもう少し柔らかくする。味は?味はどう?」
リューズの眼前にしゃがむシーラは前のめりに味の感想を求めてくる。少し間をおいて、リューズは眉を寄せ、苦々しい顔で言葉を絞り出す。
「……しょっぱい」
端的に伝えられた感想。シーラは目に見えてシュンとしてしまう。
「そっか」
それを見て、リューズはわざとらしく目元を手でこする。
「あ!そうか!俺の涙かぁ!わはは、そりゃしょっぱいよなぁ」
「へぇ。涙ってしょっぱいんだ」
そう言うシーラの表情は安心した様に見える。そして、リューズは子供にするようにシーラの頭をよしよしと撫でる。
「初めて作ったにしたら上出来だ。ありがとな」
「へへ、うん」
「今度一緒に作ってみようか。そしたらもっと上手くなるぞ」
シーラはニッコリと笑い、首を横に振る。
「大丈夫。驚かせたいから」
リューズの背筋にゾッと冷たい何かが走る。
「今もう驚いちゃったなぁ……。あのさ、魔法とかもそうだけど、最初っから独学だと割と伸び悩んじゃうぞ?ほら、あの盗賊頭の魔法もそうだったろ?詠唱だけ長くて中身がない~、みたいな?ははは……」
「なるほど、一理ある」
納得した様子で頷くシーラを見て、リューズは内心胸を撫で下ろす。
「さて、お前も腹減っただろ?何かリクエストあるか?」
リューズは立ち上がり、袖をまくるとバンドで留める。
シーラはしゃがんだまま、皿に乗ったおにぎりを指さす。
「ん。食べてからでいいよ」
「お、おう。そうだな……」
気合と根性があれば割と何でも食べられるんだな、そんな事を思いながらリューズは残りのおにぎりもきれいに平らげた。




