33話 温泉宿場町・エウリザ
ダンガロの街を出て十日、俺たちは予定通り温泉宿場町・エウリザに到着した。隊商の皆さんとは行き先が別れるので、ここでお別れとなる。
「いやぁ、本当に助かりました。それではこちらが報酬です」
恰幅のいい豪商のおじさんが俺に手渡してきたのは300万ジェン。C級パーティである『三食おやつ付き』が受けた報酬額は10日で40万ジェン。勘違いで渡す額では無い。
「え、っと。多くないですか?」
苦笑いで俺が問いかけると、豪商は顎ひげを触りながら意味ありげな含み笑いを見せる。
「商人とはいいものを安く買う人種。でもね、リューズさん。……一流の商人とは、良いものは適正な金額で買うんですよ。もしワタシの値付けが間違っていたらお返しいただいて構いませんがね」
そう言って豪商はカラカラと豪快に笑う。そんな風に言われて返せる訳が無い。
「ありがたく頂戴します。ほら、シーラお前もお礼」
俺の少し後ろで我関せずとばかりに腕を組んでいるシーラに礼をせっつく。だが、シーラはキョトンとした顔で首を捻る。
「ん?なんで。お互い様でしょ」
「……お前さぁ」
依頼をする側と受ける側、どっちも対等でしょ?とシーラは言っているのだ。理屈はわかるが、現実は大体金を貰う側が弱いもんだよ。だが、豪商さんはそんなシーラの態度がますます気に入った様子。
「それはごもっともでございます。『三食おやつ付き』の評判、仲間内でも広めさせていただきますよ。では、またご縁がありますことを」
互いに握手を交わして、俺たちは豪商のおじさんと別れる。時は夕暮れ、間もなく日が暮れて夜が訪れる頃合い。馬車の停留所から町に近寄ると、シーラは鼻をつまんで眉を寄せ、俺を見て呟く。
「くっさぁ」
「えっ、そんなに!?」
とっさに衣服の臭いをかいでみるが、自分の臭いは自分ではわからないと言う。
「いや、リューズとは違う匂い。何の臭い、これ」
言われてスンと鼻を鳴らすと、町のほうから微かに流れてくる硫黄のにおいに気が付く。さすがシーラ、鼻もいい。
「あぁ、これ温泉の匂いだ」
俺が答えると、シーラは鼻をつまんだまま『へぇ』と短く答えて頷いた。
天然の温泉が湧くと言うここエウリザの町は、町の至る所に湯煙が上がり、硫黄の香りが町中を漂っている。
「しかし焦ったぜ。てっきり俺が臭いって言われたのかと思ったよ」
ヘラヘラと笑いながら軽口をきくと、シーラはふるふると首を横に振る。
「大丈夫。リューズはおじさんの匂い」
「えっ!?それ大丈夫なの!?」
反射的にまた服のにおいをかいでしまうが、やはり自分ではわからない。
さて、宿はどこにしようと町を眺めると、『温泉ミカン販売中』、『名物!温泉ミカン』とオレンジ色ののぼりがいたるところに立ち、湯煙と共に風に揺れている。
「リューズ。名物、温泉ミカン」
俺の服を引いてシーラがのぼりを指さす。
「別に構わないけど、食ってもお前味しないだろ」
シーラは何度も俺の服を引いて強引にのぼりの元へと近づいていく。
「平気。食べてみる」
「貪欲っすなぁ」
うまかったら後で再現してやろう。
「温泉ミカン、二つ」
シーラは率先して店員さんに声をかけ、指を二本立てて『ふたつ』を表す。
「あいよっ、温泉ミカン二つで800ジェンだ!」
法被を着たおじさんは威勢のいい返事をして、温泉ミカンとやらを用意する。名前からはどんな食べ物なのかいまいち想像ができない。
「へい、お待ちィ!」
手渡されたのは使い捨ての容器と匙。中には湯気立つ温泉と思しき湯と、その真ん中に堂々と浮かぶ橙色のミカン。
「あはは、なにこれ」
シーラはその見た目だけで楽しそうに笑う。……これ、本当にうまいのか?
一切のためらいなく、シーラは湯に浮かぶミカンを匙で一口で口に運ぶ。
「リスの脳みそみたい」
まったく食欲をそそらない地獄の食レポ。
「い、いただきまーっす」
とはいえ、俺も食べないと再現ができない。覚悟を決めてパクリと食べる。……一言で言うと茹だった温かいミカン。そっかぁ、リスの脳みそってこんな感じなんだなぁ、とそんな感想が浮かんだ。
そして、宿に至る。俺一人なら安宿に泊まるのだが、シーラがいるので少し等級の高そうな宿にする。当然部屋は二つ。
「それじゃ、シーラ。お前そっちの部屋な」
「ん?いやだけど」
向かいの部屋を指さしながらそう言うと、シーラは当然のようにそう答える。
「いやだけど、じゃねぇよ。お・ま・え・は・そっ・ち」
「い・や・だ・け・ど」
対抗するように一文字ずつ区切って苦言を呈してくるシーラ。
「理由を聞こうか」
あきれ顔でため息をつき、シーラに問いかける。
「一人でいるよりリューズといるほうが楽しい」
「楽……しい?」
あまりに予想外の言葉が返ってきて返答に困ってしまう。というか、楽しいって言った?今!?
「理由言ったよ。いいよね」
シーラは俺の部屋のドアノブに手を伸ばす。
「……待った」
その手を止めると、怪訝な顔で俺を振り返る。
「何?」
「えーっとな」
俺は眉を寄せて言葉を選ぶ。
「シーラ、真面目な話をするぞ?お前は17歳の年頃の少女で、俺は37歳の独身中年おじさん。それが家族でもないのに同じ部屋に泊まるってのは世間的にかなりまずいんだよ」
シーラは首を傾げる。
「パーティでも?」
「まぁ、……そうかな。つーかあんまり歳の離れたパーティって見かけないからアレだけど、普通はそうなんだよ」
「私とリューズは『三食おやつ付き』なのに?」
本当に困った様子でシーラはそう言った。言い換えれば『特別』と言っている様に聞こえ、思わず頷いてしまいそうになる。
「ダメだ。部屋は別。また朝な」
ムッと口をつぐんだまま、シーラは諦めて踵を返す。そして、背中越しに『わかった』と呟いた。その後ろ姿を見ていると、なにかとんでもなく悪い事をしてしまったような錯覚に囚われる。
パタン、とか細い音を立ててシーラの部屋の扉が閉まる。それを見届けてから俺も部屋に戻る。ベッドにドサッと寝転がり、天井を見上げて大きく息をはく。当然の対応だ。何も間違っていない。『神戟』の駆け出しの頃こそ、経費削減で男三人は同じ部屋だったけれど、マリステラだけは別だった。当たり前だろ。幼馴染だろうと、パーティだろうと、年頃の女の子が男と同室でいいはずがない。
四六時中一緒な訳でもない。冒険を終え、依頼を終えて、宿に戻れば後は互いに自由時間だ。寝るなり夜の街に行くなりそれは自由だろ。と、考えてシーラはいつもどうやって過ごしていたのだろう?と急に気になる。出会った頃は『どうでもいい』『関係ない』『興味ない』を口癖にしていたシーラ。ここ最近はそんな言葉聞いたこともない。
――と、気が付くといつの間にか眠りに落ちていた。
目を覚ますと、時刻は深夜の1時を回る頃。少し早く眠ってしまったので変な時間に起きてしまったなぁ、と思いながら身体を起して一度大きく伸びをする。窓の外を眺めると、深夜にも関わらず酒場はまだ煌々と灯りを灯している。
「……一杯だけ飲んですぐ寝るか」
立ち上がり、ドアに向かう。あぁ、折角だから温泉も入りたいな。朝風呂にするか。
簡単に身支度を整えて、ゆっくり静かにドアを開ける。
ドアのすぐそばに、壁に寄りかかって座るシーラがいた。薄暗い廊下で大判のレシピ本を眺めていたシーラは眠そうな目でチラリと俺を見る。
「まだ夜だよ」
「……もしかして、ずっとここにいたのか?」
「私の勝手。ここはリューズの部屋じゃない」
俺は頭をかいて、大きくため息をつく。
「……腹減ったろ?夜食でも食いに行かないか?どっかで厨房借りて作ってやるよ」
それを聞いて眠そうだったシーラの瞳は朝日のように輝く。
「本当!?四食目だけど」
「まぁ、たまにはな」
シーラは跳ねるようにピョンと立ち上がる。
「やった。起きてて得した」
「食ったらすぐ寝るんだぞ」
やはりシーラは不満げに口を尖らせる。
「一人で?」
本当に、俺はダメな大人だよ。自分で決めたルールすら守れない。
「……お前はちゃんとベッドで寝ろ。俺は床で寝る」
「ん、了解」
無表情に短く答えたシーラ。その足取りは弾むように、宿の階段を下りていた。




