31話 4引く3と4引く4、どっちがいい?
――『三食おやつ付き』は、王都ウィンストリアを目指してダンガロの街を発つ。
長い事お世話になった宿で、地図を広げてシーラにこれからの旅の順路の説明を行う。
「はい、シーラさん。ダンガロの街どこかわかる?」
シーラはさほど興味なさそうに地図の真ん中を指さす。
「知らない。この辺?」
「残念。そこは海なんだな」
「へぇ」
まさかとは思ったが、地図の読み方すら知らないとは思わなかった。
「……へぇ、じゃなくてさ。どうやってお前ここまで来たんだよ」
「どうやってって、まぁ普通に。馬車とか竜馬とか歩きで」
考えてみれば、俺はまだまだシーラの事を全然知らない。公爵令嬢であるシーラが冒険者をしている理由も、今までこいつが踏破したという3つのダンジョンも、そこで得た祝福も。とはいえ、それは現状それほど優先順位の高い問題ではない。いくらシーラとは言え、人には話したくない事もあるだろうし、そりゃ当然俺にだってある。お互いゆっくり知っていけばいい。
「生活力があるのかないのかわかんねぇな、お前は。ダンガロはここ、でウィンストリアはここ」
地図上を指さすと、シーラは興味深そうに何度か頷く。
「遠い?」
「まぁ、近くはないかな」
ダンガロがあるミヨルド半島とウィンストリアは同じ大陸ではあるが、その間には峻険なグラッド山脈があり、直線的なルートは難しい。船で迂回しつつ、陸路を交えて行くのが一般的なルートになるだろう。
「じゃあいくつか案を出すから、好きなルートを選んでくれ」
と、問いかけるがシーラは夢中で地図を見ていて、何かを考えている。
邪魔をしないようにそのまま様子を見ていると、シーラの視線が上がって俺の顔を見る。
「リューズが生まれたのはどこ?」
全く予想外の言葉が出てきて、つい目を丸くしてしまう。
少しの間言葉を失っていると、せっかちなシーラは不満げに眉を寄せながら再び地図に目を向ける。
「無視って。じゃあ勝手に当てよ。ここでしょ」
「……そこも海だ」
「海ばっかじゃん」
そりゃそうだ。世界の7割くらいは海なんだから。
俺はダンガロから山脈を隔てた遠くの町、川の近くにある山間の町を指で示す。
「ここだよ。バルハードって町。なんもない、田舎町だよ」
俺と、他の『神戟』の三人の生まれた村。
「へぇ」
シーラはダンガロからバルハードまでを指でなぞる。
「じゃあ、そこ行ってからにしよう」
「え、いやだけど」
思わずシーラのような返事をしてしまう。すると、本家本元シーラさんは嫌そうな顔で俺を見てくる。
「は?なんで」
「なんでって。意味ないだろ。それに遠すぎる。途中だとしても嫌なのに、遠回りどころの騒ぎじゃないだろ、この距離は」
「嘘つき。好きなルートを選べっていったのに」
「聞こえてんじゃん。そこは好きなルートには入ってないんだよ」
シーラは不満げに机の下で俺の足を蹴ってくる。
「そんなの知らない。嘘は嘘。バルハードに行く。決まり」
「えぇ……」
正直な話、12年前に一人生き延びて以来、俺は一度もバルハードに帰ってはいない。というか、これからも帰るつもりなんてなかった。だって、そうだろう?レオンも、バルドも、マリステラも同じ町の生まれなんだから、どの面下げてといったところだろう。
何より、幼いころから見知った町のみんなに、ギルドの荒くれたちのように罵声を浴びせられる事に耐えられる気がしない。それも逃げなんだろう。俺は、十二年前のあの日から、ずっと逃げ続けているんだ。
心底嫌そうな顔をする俺を、シーラは不思議そうに見つめる。
「なんで嫌?」
「そりゃ嫌だろ。合わせる顔が無い」
俺の言葉が理解できない様子で、シーラは難しそうな顔でダンガロとバルハードの間を眺めて指でなぞる。
「ふーん。よくわかんない。『神戟』みんな死んでた方がよかったって事?」
「どういう意味だ?」
俺の問いかけに、シーラは何を当たり前の事を、とばかりにきょとんとした顔で答える。
「そのままの意味だけど。一人だけでも生きてた方がよくない?」
その言葉は、まるで晴れ渡った空に雷が落ちるかの如き衝撃を俺の心に与える。言うなれば、晴天の霹靂。
「そ、……そう思ってくれるかな?」
「計算できる?4ひく3と4ひく4。どっちがいい?」
シーラは両手で3とか4の数を作って見せて、得意げな顔だ。俺はそれを見て大きくため息をつく。そうだよな、と思いながら、その答えは決して俺一人ではたどり着いてはいけない答えだとも気が付く。俺が逃げ続けていなければ、いつか誰かが言ってくれただろうか?
仮にいつか、他の誰かがそう言ってくれたとして、俺はまっすぐにそれを受け止められただろうか?
「……行くか」
俺は短くそう呟く。蔑まれ、罵られ、石を投げられるかもしれない。けれど、俺はそれを受け止めなければならない。12年間逃げ続けて、ようやくそれに気が付いた。きっと、一人ならいつまでも気が付けなかっただろう。
「おいしいもの、ある?」
「いや、無い。何も無い」
それを聞いたシーラは目に見えて落胆し、苦々しげな顔で肩を落とす。
「何も無いのか」
わかりやす過ぎてつい笑ってしまう。
「やめとくか?」
シーラは首を横に振る。
「いや、行く。神戟饅頭とかあるかも」
「……あってもお前味しねぇだろ」
そして、俺たちは宿を出て、街を出る。特に別れの言葉なんて要らない。冒険者なんてそもそもそんなもんだ。生まれ育ったわけでも無い、ただ失意と逃亡の末に辿り着いただけの街なんだから。
――だけど、俺はきっとこの街の事を一生忘れない。




