3話 100万ジェンのビーフシチュー
両断されたミノタウロスが血の匂いを放つ中、俺とシルヴァリアは食卓を囲んでいた。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺、リューズ。治癒士だ」
「興味ない」
後片付けがてら自己紹介をすると、シルヴァリアの代名詞的な答えが返ってきた。興味ない、どうでもいい、関係ない。孤高のS級冒険者。
「シルヴァリアって長いからシーラって呼んでもいいか?」
「どうでもいい」
はい、早速二つ目もいただきました。ここまで来たら三つ目も引き出したい。
少し思案してシルヴァリア改めシーラに問う。
「さっきの戦闘でどっかからでっかい剣出してたよな?あれって何かの【祝福】?」
――【祝福】。それはダンジョンをクリアした者だけが得られる、冒険者垂涎の異能。ある者は自由に空を飛び、ある者は決して壊れぬ身体を得たと言う。世界に99個存在するダンジョンの内、踏破されたのは未だ17個。
シーラの口の動きに合わせて俺も口を開く。
『関係ない』
ちょうどピッタリ言葉が重なり、俺が満足げに笑うとシーラは露骨に不快感を顔に表す。
「……うっざぁ」
シーラは俺から離れて両断されたミノタウロスへと向かう。
「おい、生で食うなよ」
「うるさい」
急ぎ片付けを終えて後を追う。
じっとシーラを見ていると、彼女は怪訝な顔で俺を見返してくる。
「なに?」
「いや、またかぶりつくのかなって」
「関係ない」
シーラはムッとしたままその場にしゃがむと、どこからともなく取り出した黒いナイフでミノタウロスの解体を始める。
「あ、肉ちょっともらってもいい?」
問いかけると、特に視線もやらずにコクリと頷く。
何をしているのか、と眺めていると死体に手を入れてゴソゴソと探っている。あぁ、魔石か。
「ミノタウロスの魔石は胆嚢だぞ」
一応アドバイスをするとシーラはジロリと俺にジト目を向けてくる。
「知ってるし」
そう言って、シーラの左手は方向転換。ミノタウロスの胆嚢のあたりを探る。そして、少し得意げな表情で、むふーっと鼻息を鳴らしながら、こぶし大の大きさの青色に輝く魔石を取り出す。
「あった」
「うおぉ、でけぇ……」
青の魔石は氷結系。この大きさだと容易に屋敷まるまる冷凍庫に出来るくらいの出力があるだろう。売却したら俺の稼ぎの何か月分になるだろうか。
シーラは、チラリと俺を横目で見てから『あん』と口を開け、無造作に掴んだ魔石をおもむろに口に運ぼうとする。
「石は食うな!人であれよ!」
慌てて俺が制止しようとすると、シーラはピタリと手を止め、口角を僅かに上げて悪戯そうに笑う。そして、ぽいっと俺に魔石を投げ渡す。
「あげる。代金」
「うわっ、投げんな!」
魔石の大きさは価値に直結する。落ちて割れれば価値は激減だ。
両手でキャッチした魔石はズシリと重い。見た目以上の重さだ。
「……あげるって、本気かよ。売れば100万ジェンはくだらないぞ?」
「興味ない」
「いやいや、興味ないって言ってもさ」
ミノタウロスを倒したのはシーラなのだ。ランクは下だが、俺にもおじさんの矜持がある。おいそれとこんな高級品の施しを受けるわけにはいかない。
「いい。代金」
シーラも頑なに折れる様子はない。うーむ、と考えてピンと閃く。
「代金、ね。じゃあこのミノタウロスを使ってめちゃくちゃうまい料理作ってやる。それをお前が美味いって思ったら代金としてこれを貰おうか」
俺の提案にシーラはピクリと反応する。
「すぐできる?」
「……あんた食べたばっかでしょうが。んー……、悪いけど5時間!俺はここで作ってるから腹ごなしに先進んでこいよ」
「5時間……、わかった」
右の掌を向けて『5』を示すと、意外にも素直にシーラはこくりと頷いた。それだけ料理に興味があると言うことか。
「じゃあ、5時間後な。精々腹すかしてきてくれよ」
そう言って手をひらひらと振りシーラを見送ると、シーラは一度振り向いて呟く。
「戻ってきて死んでたら埋めてあげる」
テンプレ外の言葉につい笑ってしまう。
「大丈夫、俺死なねぇから」
「あっそ」
短く答えるとシーラはそのままダンジョンの闇に消えていった。
さて、まずやる事。拠点の確保。拠点となるこの空洞の入り口に魔除けの香を焚く。種類にもよるが魔物の嫌がる成分が入っている。気休めだろうとやらないよりマシだ。
腕まくりをして、袖をバンドで留めて、頭にバンダナを巻く。
お題。5時間でできて、100万ジェンの価値があるミノタウロス料理。
と、なればビーフシチューしかないだろう。
レシピ――。
ミノタウロスの肉を切り分け、脂身の部分を鍋で熱して油を抽出する。
その油で、スライスした香味野菜をじっくりと炒める。
もう一つ鍋を出して、焼き目をつけたミノタウロスの骨を煮込み、ブイヨンを作り始める。まだ十代の駆け出し時代に買った、苦楽を共にした愛用の一品。
野菜を炒めた鍋に肉を投入し、表面に焼き色をつける。赤ワインを注いで鍋の旨味を溶かし、アルコールを飛ばす。
空いたフライパンにミノタウロスの油と小麦粉を入れ、焦げ茶色のブラウンルーを丁寧に作る。
肉の鍋にブイヨンを注ぎ、ブラウンルーを溶き入れ、隠し味の干しキノコなどを加えて、蓋をして長時間コトコトと煮込む。
――以上。
久しぶりに作ったけど、意外と覚えているもんだなぁ。
しばらくダンジョンに潜ろうと思って色々食材を持ってきたけど、出し惜しみなしだ。なんたって、100万ジェンのビーフシチューなのだから。
収納魔石の中には保存用の固いパンがいくつか入っている。俺は一人首を横に振ると、石を集めて窯を作る。治癒魔法以外は使えないが、工夫しだいでいくらでもどうにでもなる。
十二年ぶりの『食卓』であり、ましてや100万ジェンの価値を示す一食だ。妥協などできるはずがない。
汗をにじませながら生地をこね、窯に火を起こす。生地を休ませる間、俺も小休止。
木の器、木のスプーン。今更自分以外の人が使うだなんて考えた事もなかったから、どれも粗末なものだし、一揃えずつしかない。
シチューは煮込み中、パンは下準備を終えているので時間を見て焼き始めればオーケー。あとは……、キノコのソテーでも作るか。あぁ、あとテーブルも欲しいな。こんなダンジョン内とは言え、こだわりだすときりがない。いったん座って一息とする。紙に巻いた魔除けの乾草を咥えて、ふーっと長く息を吐く。煙はゆっくりと空洞の天井へと向かい揺れて、消える。
シーラは大丈夫だろうか?と思ったが、どう考えても俺が心配するような相手じゃないと思い出し一人苦笑する。本来B級パーティ4~5人がかりで相手をするような魔物を一太刀で両断するようなやつだ。一人でダンジョンをクリアしたのも頷ける。
とは言え、相手を心配するのに戦力差は関係ない。弱いやつが強いやつの心配をしてはいけない道理はない。幸い俺は治癒士だ、ケガ位だったら治してやるから無事に帰ってこいよ――。
――そして、約束の時間。
「五時間経った」
本当に時間ピッタリにシーラは空洞に戻ってきた。
俺はうやうやしく頭を下げてシーラを出迎える。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お食事の準備はできております」
シーラは俺を一瞥すると、聞こえるように『きもっ』と短く呟いて簡易的に作った席に座る。ちょうどいい高さのテーブルなんてなかったから座る用の平らな石に布を敷いたもの。
「何やってたんだ?」
「関係ない」
お決まりの言葉に逆に嬉しくなり、ビーフシチューをよそいながら笑ってしまう。鍋から漂うビーフシチューの香りが湯気とともに揺れる。そして、最後におまじない替わりの『治癒魔法』をひとつまみ。
「だよな」
お椀にビーフシチュー、そして皿には焼きたてのパンとキノコのソテー。
「ほい、召し上がれ。100万ジェンのビーフシチューだ」
「へぇ」
シーラは短くつぶやいて手を合わせる。
「いただきます」
赤褐色のシチューをスプーンですくい、大きく開けた口に運ぶと、パクリとスプーンを含む。
すると、シーラは驚きの顔で俺を見る。
「おいしい。……なんで?」
「なんでって。まぁ、魔物の死体まるかじりに比べりゃなんでもうまいだろうがよ」
シーラは首を横に振る。
「違う。そうじゃない。じゃなくて――」
何を言おうか言葉を選んでいるのは伝わってくるが、言葉が出てこないもどかしさも伝わる。
シーラは困り顔でべぇっと舌を出して言葉を続ける。
「じゃなくて。変な感じ」
「……なんだそりゃ。まぁ、いいさ。冷める前に食え」
おいしい、と言われて悪い気がするはずがない。俺が促すと、シーラはコクリと頷いてビーフシチューを食べる。
「パンにつけてもうまいぞ」
「へぇ」
言われるままにシーラはパンを手に取り、大胆にそのままシチューにつける。そして『んあ』と大きく口を開き、大きな一口でパンを頬張る。外はカリッとして、中はふんわりの焼き立てパン。かみしめるとジュワっとビーフシチューが口の中に溢れる。
基本無表情なシーラが、目に見えて目を輝かせるのがわかる。もうそれだけで感想がわかる。
「冷めるよ」
おいしそうに料理を食べてくれるシーラを眺めていると、俺のお椀を指さしシーラが呟く。
「おっと、そうだな。温かいうちに食わないとな。うん、うまい」
俺が一口食べて感想を口にすると、シーラはほんのわずかに口角を上げる。
「でしょ」
結果、鍋いっぱいに作ったビーフシチューも、10個焼いたパンも見事に完食と相成った。
「食材もだいぶ使っちまったし、俺は一旦街に戻るよ。要らぬ心配だろうけど、気をつけてな」
後片付けをしながら俺がそう言うと、シーラはおもむろに立ち上がる。
「ん」
短く、返事とも言えない単音を発しながら鍋を洗う俺に近づいてきたかと思うと、ポンと肩に手を乗せる。キィンと一瞬、耳鳴りのような音が頭に響く。
――次の瞬間。俺とシーラの目の前に青空が広がる。振り返れば薄暗いダンジョンの入り口。ダンジョン特有の湿った空気は消え失せていて、心地よい風が吹く。見上げれば雲一つない青空。久しぶりの太陽に目が痛い。
「……どこ?」
「外。帰るんでしょ、街」
俺は引きつった顔でシーラを見る。
「今のは?」
「祝福。便利」
街へと向かう道すがら聞き出したところ、【帰還】と言う祝福で、一瞬でそのダンジョンの外に移動できる優れものの様だった。まぁ、ありがたい。
「あれ?俺の鍋は?」
シーラは無責任に首を横に振る。
「知らない」
「え。あれ駆け出し時代からずっと使ってる大事な鍋ちゃんなんだけど!?」
「それは困る。興味なさすぎて」
「あぁ!?」
洗い途中だった鍋は、今もまだダンジョンの中に――。




