2話 食前にミノタウロス
ミノタウロスは血のように赤いその目で俺たちを見つけると、口から涎を垂らしながら、咆哮を上げ、大斧を引きずって突進してくる。
岩と金属の擦れる耳障りな音と咆哮の地獄のようなシンフォニーが空洞に響き、血の臭いが混じった獣の臭いが辺りに立ち込める。俺はFランク冒険者。そして治癒士。攻撃手段は持たない。――だが、そんな事はどうでもいい。
ミノタウロスの進路を塞ぐように立ちはだかり、シルヴァリアは!?と振り向くと、彼女の姿はもうそこには無かった。
まるで鴉の羽が舞うかのように、重力感なくヒラリと跳んだシルヴァリアはマントを揺らしてミノタウロスに向かう。そして、その左手に一瞬黒い光が宿ったかと思うと、どこからともなく身の丈ほどの真っ白な大剣が現れる。
シルヴァリアは一切の躊躇いなくミノタウロスに向かい大剣を振り下ろす。そして彼は剣を受けようと大斧を振りかぶる。薄暗い洞窟に擬態するかのような黒い毛皮。それに線を引くかのように白刃がまっすぐに伸びる。次の瞬間、真っ赤な血しぶきが拍手喝采のように吹き上がる。そして、両断されたミノタウロスは左右に分かれてドサリと床に落ちた。
「……さすがS級、だな」
至近距離で両断したはずの彼女は一切の返り血をも浴びておらず、真っ白な大剣もそれは同様だった。俺は少しの間その姿に見惚れてしまう。
大剣は黒い光とともに消え、シルヴァリアは砂時計を指さす。砂は今まさに最後の一粒が落ちようかと言う瞬間だ。
「時間、いいの?」
と、言われて火にかけた串を思い出す。
「うわっ!?そうだ、串っ!焦げ……、ま、まぁちょっと削れば……いけるよな」
ナイフで焦げを削り、最後に一つ隠し味――。
「【治癒】」
当然ながら治癒魔法は死体には効かない。よって、食肉にかけても本来意味は無い。俺が作った料理を食べた人が、ほんの少しでも元気になるようにとかつて行っていたおまじないのようなもの。
俺が治癒魔法を使う視界の端、シルヴァリアはミノタウロスを無造作に掴み上げると呟く。
「デザート」
そう呟いて両断されたミノタウロス死骸を両手で掴み、毛皮の上から口を開けるシルヴァリア。あまりに異様なその言葉と光景に、俺の背筋に冷たいものが走る。
「あっ、ほ……ほら!焼けた!ちょうど焼けましたぜ、黒姫様!」
――黒姫。それはその髪の色と衣服から付けられたシルヴァリアの二つ名だ。
俺は引きつり笑いを浮かべながら焼きあがった串をシルヴァリアに差し出す。ミノタウロスの血と死の匂いを、串焼きの香ばしい香りが上書きしていく。
シルヴァリアはミノタウロスを食べようとして口を開けたまま、チラリと串焼きを見る。興味はある様子。俺は恭しく、宝剣を差し出すかのように彼女に串焼きを乗せた皿を差し出す。
「干し肉とキノコの串焼きでございます!どうぞ召し上がれ!」
「へぇ」
皿を受け取ったシルヴァリアが発した言葉は三つのどれでもなかった。
「いただきます」
意外、といったら失礼だろうか?言われると思わなかった言葉についむずかゆい気持ちになる。
シルヴァリアは『あ』と大きく口を開ける。そして串焼きにかぶりつく。
正面から、ガブリと。――串焼きを口にした途端、シルヴァリアは驚き目を丸くする。だが、俺の視線はそれに気づかず口元の串を見る。
妙な違和感。
一瞬理解できずに脳が停止してしまう。
モグモグと串焼きを咀嚼する彼女の手に残る串を見て違和感に気が付く。串、短くない?
「串も食べてないですかね!?」
活動再開した脳が大声を放つように指令を出し、俺が声を上げるとシルヴァリアはビクッと小さく身じろいでから迷惑そうに眉を寄せる。
「召し上がれって言った」
「言ったよ!?でも串は食うなよ!?刺さるだろ!?危ないだろ!?」
「こんなの私には刺さらない」
「そういう問題じゃねぇんだよぉ!皿は食わないよな!?食うなよ!?」
「……皿を食べる人間はいない」
「串を食べる人間もいないんだよ!」
大声を連発する俺を見てシルヴァリアは大きくため息をつく。
「いちいち細かい。教えたがりおじさん」
そう言いながらも手は二本目の串に伸びる。口を開けながらどう食べるべきか思案して、串の位置を何度か変えている。その姿が妙に面白く思える。
「ははっ、こうだよ。こう」
俺はお手本を示すように串の横からかぶりついて串を引く。
甘辛いタレが染みた干し肉もいい塩梅に戻っていて柔らかく、醤油とみりんが焦げる香ばしい匂いが嗅覚を刺激する。ミノタウロスが引き寄せられるのも納得の出来だ。
「こうかな」
シルヴァリアは独り言のようにつぶやくと、俺と同じように串焼きを食べる。カリッとした焦げ目の付いた肉にシルヴァリアの歯が触れ、噛みしめると、干し肉の濃厚な旨味が口いっぱいに広がる凝縮された肉汁がじゅわっと溢れ出す。瞬間、彼女は驚きに目を丸くしていた。
「うまいか?」
そう問いかけると、なぜか不思議そうに首を傾げた後で、シルヴァリアは怪訝に眉を寄せる。
「ねぇ、コレ何かした?」
「何かって……、まぁおいしくなる魔法を一つまみ」
「おいしくなる……魔法」
シルヴァリアは妙に納得したように一度頷き、串焼きをまた一口食べると、満足げに呟く。
「悪くない」
「そらよかった」
俺は満足げにニヤリと笑う。十数年ぶりに誰かの為に作った食事。それが相手を少しでも喜ばせられたならそれでいい。
「スライムは?」
「スライム?」
と、反復して思い出す。そうそう、デザートがあるんだった。
茹でたスライムを冷やして、四角く薄く切り、そこにきな粉と黒蜜をかける。涼しげなガラス容器に盛り付ければ完成だ。名付けてスライム餅。もちもちとプルプルが同居した食感に、舌の上でとろける黒蜜の濃厚な甘さ魅力。
「ほいよ」
シルヴァリアは差し出した器を両手で受け取ると、まるで宝石を眺めるかの様に掲げてみる。
「これは……、食べ物?」
「皿は食うなよ」
「知ってる」
フォークでスライム餅を刺すと、きな粉と黒蜜をたっぷりと付けて、口に運ぶ。
もぐ、もぐ、とシルヴァリアの口が動く。気のせいかもしれないけど、その一噛みごとに目がキラキラと輝いて見えた。
「どうだ?」
いちいち感想聞くなよ、と自分でも思うがもはや反射に近いものがある。俺の問いに、シルヴァリアは自分でも分からないと言った風に困惑しながらも、胸のあたりに手を当てて、不思議そうに呟いた。
「たぶん、おい……しい、んだと思う」
そんな一言がもう最高に嬉しい。
「たぶん、てなんだよ」
俺は照れくささを隠す様にそっけなく答えて笑う。
――これが、俺とシルヴァリアとの出会い。これから数えきれないほど多くの食卓を囲む事になる、S級冒険者のシルヴァリアと現F級冒険者の俺が初めて囲んだ食卓だ。
書籍化目指して頑張ります。
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