10話 黒姫と未知なる魔物
シーラの大声音波探知を頼りに俺たちはナインの仲間の元へと向かう。
「……ほっ、他に魔物の気配は!?」
変わらず息を切らせて高速移動しながらシーラに問いかける。シーラはだいぶ速度を落としてくれていて、ナインくんも何とか食らいついている。C級なのにすごい。
「その近くにはいない」
「鍋は!?」
「なにそれ」
「元々それが目的なんだよ!あ~、どこ行っちゃったんだよ俺の鍋ちゃん」
長い事使っている愛用の寸胴。いったい何処の誰が持って行ったというのか。
「ナインくん、鍋知らない?」
「なべ……ですか?」
「そう。途中の空洞に置き忘れたんだけど見当たんねーんだよ。大事な鍋なんだ」
一応聞いてみたが、どうやら知らない様子。もしかすると、本格的に別れの時が来たのかもしれない。俺たちはどんどんとダンジョンの奥に向かっていく。記憶の限りではもう少し進んでしまうと探索完了区域を出てしまうはず。
「もう一回」
走りながらシーラは口を開けて大きく息を吸い込む。
「あいよ、耳塞げ!」
「了解!」
再度の音波探知。普段の話し声からは想像もできないくらいの大音声でシーラは遠吠えの様に声を上げる。知らない人間が聞いたら新手の魔物だと思うよな、きっと。
「この先。隠れてるみたい。震えてる」
「そりゃ震えるよ。あんな声聞いたら」
先頭をシーラが走り、次いで俺、そしてナインが追う。
「む」
一音発したかと思うと、急にシーラは地面を蹴り大きな弧を描いてバク転の様に宙を舞う。反射的に振り向くとシーラはまたどこかから真っ白な大剣を取り出していた。その視線の先には異形の魔物。頭上に浮かぶたいまつ代わりの光球が照らすそれは、漆黒の体毛に覆われた巨大なフクロウの様に見えた。大きく見開いた両の瞳は左右別々の方向を目まぐるしく回り、鋭い嘴の中からはカメレオンの様に長い舌をチロリと覗かせる。一切の気配もせずに、最後尾のナインを狙っていたのだ。
S級冒険者のシーラでさえもこの距離まで気が付かない隠密性能で。
「いつの間に」
一切の躊躇をせずに目にも止まらぬ速度で振り下ろされるシーラの大剣。だが、それは鋭い足の鍵爪に止められる。金属と金属のぶつかり合う鈍い音がして、音は羽毛に吸収される。――おそらくは、この付近に生息しているワーウルフの天敵なのだろう。音を吸収するその特殊な羽毛は彼らの遠吠えによる索敵を阻害するのだろう。
「硬っ」
「……なんだ、コイツ。見た事ねぇぞ」
「先行って。追われるとめんどい」
選択。どうする。ここで俺とナインが一緒に戦ったところで戦力になるのか?先を急いで彼の仲間たちを助けるべきか?その近くにはいない、と言ったシーラの言葉を信じるなら先を急ぐべきだろうか?
まともな戦闘なんて12年振りだ。きっと判断は鈍っている。なればこそ、追われるとめんどいと言ったシーラの判断に従う。
「悪い、任せる。行くぞ、ナイン」
「そんな!俺だって戦えます!」
立ち止まり、剣を抜いて今にもシーラに加勢に入らんとするナイン。
「アホ。即席とは言え、この場の最上位者の判断が優先だ。つーかお前がいなかったら2人の顔もわかんねーだろ。行くぞ!」
「……了解しました!」
ナインの承諾を受けて、俺は両手をパンと合わせる。
「刻々逆巻く血潮の歯車、満ちよ、途切れぬ生命の奔流……【再生】!」
崖の時と違い完全詠唱の継続治癒魔法。戦闘中にも関わらずシーラは迷惑そうに俺を振り返る。
「いらんって」
「わはは、とっとけ。ナイン、急ぐぞ」
「おせっかいおじさん。うざ」
そう呟いたシーラが少し嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。
その間にシーラの手からは大剣が消えていて、代わりに両手には闇夜の様に真っ黒な異国の片刃刀が携えられていた。
収納魔石を開いている様子もない目にもとまらぬ武器の入れ替え。これも祝福の一つなのだろうか?
巨大キモフクロウの相手をシーラに任せて俺とナインは足場の悪い岩場を駆ける。幸いにして分かれ道は無い。確かシーラは、『隠れている』と言った。そりゃそうだ。
「ナイン!お前が呼んで安心させてやれ」
「了解です!」
そしてナインはシーラの様に息を吸い込み、声を上げる。
「エイラ!ダルトン!もう大丈夫だ!」
神聖術師エイラと、剣士ダルトン。それがナインの仲間らしい。彼は何度も、仲間の名前を呼んだ。
「おーいっ!」
一応周囲の警戒をしながら、ナインは何度も叫ぶ。
「……ナイン?」
やがて、暗がりの岩場から震える様なか細い声が聞こえ、恐る恐る2人の冒険者が顔を出した。
「2人共……、無事でよかった」
涙ぐみ目元を擦るナインを見て、エイラとダルトンは呆れ顔を向ける。
「それはこっちのセリフだけどな」
「……だね」
何となく甘酸っぱさを感じさせる若人3人パーティは、互いの無事を喜ぶ。関係ないけどおじさんも嬉しいよ。
――若き冒険者達が合流する少し前。
シーラとフクロウ似の魔物との戦闘は続いていた。音を吸収する特性を持つ硬くしなやかな羽毛は、シーラの二刀の攻撃を受け流す。素早い爪の攻撃を最小限の動きでシーラは回避する。
「中々厄介。魔法効くかな」
試しに無詠唱の炎魔法を放ってみるが、漆黒の羽毛を焼くには至らない。
「羽はダメか。なら」
無造作に左手に持つ刀をフクロウもどきに叩きつける。
刀は鉤爪に弾かれ、回転しながら宙を舞う。左右独立して動くその特異な瞳がギョロリと刀を追う。
刹那、シーラの右手の刀もまた独立した動きでフクロウを狙う。それも彼の視野の内。もう一本の刀も鉤爪に絡め取られる。
獲物を捕らえた捕食者の空気に、シーラは微かな弛緩を感じ取る。
「まだだよ」
右手に注意を引きつけた間に、無手だったはずの左手には闇より黒い二又槍。それは収納魔石から取り出していると言うよりも、もはや召喚術の様に見える。
槍は、まるで双子の流星の様に、まっすぐとフクロウの両目を貫く。当たり前だが、眼には羽毛などない。
「ケエェェェエェエッ!」
槍は脳髄を貫き、嘴を大きく開けて彼は断末魔の叫びを上げ、最期の一撃とばかりに長い舌は暴れ回る。
「わっ」
とっさに手を引こうとするが、何を思ってかシーラはわざと避けずに手を残す。ざらついた鋸のような舌はピッと僅かに彼女の左手甲を掠めた。
やがて、その巨躯は力無くゴトリと岩場に横たわる。
「ふぅ」
左手を眺めると、白い肌に引いた赤い一筋の傷跡。
その傷跡はジワリと早送りの様にすぐに癒え、血の跡だけが綺麗に残る。――リューズが残した【再生】の効果だ。
「へへ」
手を掲げ、その赤い線を眺めてシーラは満足げに笑う。
動かなくなった巨鳥の亡骸に腰を掛けて、上機嫌に足をぷらぷらと揺らしながらその痕を眺めている。
やがて、思い出したかのように収納魔石を開き、先刻のワーウルフから得た魔石を10個ほど手のひらに乗せる。そして、両手にドロップ飴の様に載せたそれを、おもむろに口へと放り込んだ。
ガリ、ボリ、と嚙み砕く。
次は何を食べさせてくれるかなぁ。そんな事を思いながら、シーラは嚙み砕いた魔石を飲み込んだ――。




