第九話(6)
朝。さわやかな日が続くが、今日も良い天気だ。いや、今日はもうむしろ暑いくらいで、日々ぐんぐん気温が上がっている気がする。
俺と莉緒は、今日は並んでバス停からの道のりを歩いていた。莉緒は楽器ケースを肩に下げていたが、肩ひもが食い込んで重そうだ。えーと、なんて言ったっけ、この楽器。
暑さに負けて記憶を探るのをあきらめる。夏の用意ができていない体に、この日差しは堪えた。
再来週の体育祭が思いやられるな。
「莉緒くーん、おはよう♪」
莉緒が手を振って応えると、きゃあっ、ていう黄色い声が沸き立って、女の子たちは恥ずかしさで昇降口へと駆けていく。
中学の時は、物珍しさが攻撃に変わったけど、いまは容姿の良さが好意に変換されていると思う。
『ね、莉緒くん、かわいい!』 『でしょでしょ!』 『友達になりたいな~』 『彼氏でもいいよね、ちょっと倒錯的で!』 きゃ~!
と、好き勝手に妄想を膨らませているようだ。
「おはよ」
そこへ、同じく登校してきた委員長、篠原千夏が声をかけてきた。
「よーっす」
続いて竹内が肩をたたいてきた。その横から、並んで歩く小倉美帆が、ぺこりとこちらに挨拶した。
「みんなお揃いだな」
「今日は、朝から軽く体育祭委員の仕事でな」
竹内がたりぃなー、というが、口ほどには思っていないはずだ。
小倉さんが女子の体育祭委員に指名された一方で、男子の成り手がいないところに、やむなくといったボランティア精神で手を挙げたのが竹内だったからだ。
「あんたもなんか手伝ってくれてもいいのよ?」
肘でぐりぐりと、委員長がボウリョク行為を働いてくる。いやいや、せっかく存在感を消して平和な体育祭を迎えられそうだというのに。
「ご遠慮したい」
だが、みんなが生徒会室に行くというので、ひとまず俺も行くことにした。真白の陣中見舞いといったところだ。
生徒会はただいま体育祭実行委員会が組織され、授業以外はいつ行っても、普段見慣れない顔があり、その顔も毎回違う。様々な事案に応対しつつ、業務を行う常駐の面々もなかなかに忙しそうだ。
真白とも、先日一緒に弁当を食べて以来、会話していない。それも生徒会室に行こうと思った理由の一つだ。
なのだけれど、今朝の生徒会室はそれどころではなかった。各クラスの体育祭委員が生徒会室のすし詰めで、それぞれに自分たちの業務に関して熱を帯びた会話を交わしている。部外者の俺が入り込むすきはなさそうだ。背伸びをして覗き込むが、真白の顔は見えなかった。
「兄さん……」
莉緒が、俺の制服の裾を引っ張る。
「ん、いこう。わるいな、付き合ってくれて」
真白に会えないのが寂しい、と言ったらうそになる。きっと俺たちはまだそれほど親密な関係じゃない。そうなんだけど、ほんの少しだけ先日の会話は後味が悪かった。
その時、俺の横顔を見ていた莉緒が何を思っていたかなんて、気が回る男では俺は無かった。
その日の朝のホームルームは、どこのクラスも似たようなことが繰り広げられただろう。
体育祭委員と学級委員の仕切りで、プリントが配られる。
学園祭のスケジュールと種目一覧に合わせて、希望種目と、それから組分けの希望の記入表だ。青陵学園は、赤、白、青、黄の四つの組に、学年混成で分けられる。それも体育祭実行委員会の仕事だ。
俺は、さささっと、楽そうなのを書いて素早く提出。周囲は何に出る? なんて仲のいいもの同士で相談している。
「春詩、種目なんにした?」
待ち時間をくつろぐ俺に、竹内が振り返ってくる。
「えー、借り物競争と、玉入れ」
「あー、本気で走らなくていいチョイスね」
竹内は俺の意図を素早く察した。
「競争率たかいぜー?」
そうなのだ、外した時は、外れ種目の穴埋めに回される危険性もある。一か八かだ。
◆◇◆◇◆
私の名前は桐原理々香。
今をときめく葉月莉緒の後ろの席に座る女子だ。
私は、きっと葉月莉緒のことが好きではない。
今は五月もすえ。入学式から二か月、私は見てきた。
くくった髪を手で漉きながら、私は思いにふけった。
葉月莉緒を初めて見たときは、なんて綺麗な子がいるんだろう、って思った。正直、同じ女でも見とれるくらい綺麗だって思ってた。でも男子の制服に身を包むあいつは、やっぱり男の子で、なんだか少し気味が悪くなった。
入学当初、なんとなく仲良くなった子たちとグループで行動するようになると、彼と同じ中学の子がいて、いろいろ耳に入ってきた。中学……緑生学園のころから、すごく綺麗だったって。小学生から、中学になるあたりまでは、ちょっとカッコイイって噂にはなってたらしい。それがだんだん、気づくと女の子っぽいって囁かれるようになったって。
極めつけの噂話は、中庭でお弁当を食べている時に聞いた話。
女の子っぽい容姿、それがきっかけで、修学旅行の時に、『乱暴』されたって聞いた。乱暴っていう言葉は、いろいろ状況を包み隠すような表現での意味だった。
その時は、周囲のみんなに合わせながら、互いに冗談めかして話を終わらせるように誘導したけど、それからそのグループとはうまく距離を取ってフェードアウトした。
古いスマホに、画像も残ってるとかなんとか、噂を語る彼女は力説してたけど、どうでもよかった。
人の秘密をもったいぶって、そのくせひけらかして、結局口にしてしまうような、そんな彼女らの性根に付き合えないと思ったからだ。
入学直後と今とでは、女子グループも多少シャッフルがある。私のように、なんとなく合う合わないの選別が固まってきたのだ。
そのことがあってから、私は葉月莉緒を観察してきた。そうするまでもなく、もともと目を引くのには違いないけど。
葉月莉緒は、表面では今は大人気だ。
でも、どこかで何かがくすぶっている。
わたしの耳にした噂や、人気の影でささやかれる陰湿な言葉。人気者の失墜を笑う機会を待っているかのような空気をまとった言葉が、どこかで口にされているような気がする。
その事件は、あのプリントを提出した二日後におきた。あのプリント、体育祭の出場希望プリントのことだ。




