第十話(2)
朝、けだるい一時間目が終わった休み時間、険しい表情で篠原千夏がやってきた。こいつが、俺にこんな表情をするのは珍しい事ではない、いつも怒られてるからな。でも、今日のは少し不穏さが垣間見えていた。
千夏は、一枚のプリントを俺の机にバンとおいた。
俺は、篠原千夏からそのプリントを受け取ってその意図を察知すると、すぐさま生徒会室に向かっていた。
千夏が見せてくれたのは、俺たちのクラスではなく、莉緒のクラスの出場種目リストだ。
事態を察知してくれた千夏が、わざわざ見せてくれたのだった。
がたん、と立ち上がった勢いで椅子が倒れるのも構わず、俺は走った。
「これ、おかしくないか」
ものの一、二分後には、そのプリントを生徒会長の机に突き付けていた。
◆◇◆◇◆
私は、なぜか生徒会長を前にして、対決姿勢をとっていた。さほど剣呑な雰囲気ではない。
しかし……キーン、コーン、カーン、コーン……。
四時間目、午前最後の授業を開始する鐘が鳴ってしまった。
「春詩くん、戸を閉めてください」
生徒会長は私と鉢合わせした先輩を名指しで指示した。
それは、教師に見つかると面倒だから、という指示だろう。
私はここまで皆勤の優等生なんだけどな。
「さほど時間は取りません。五分ほど、生徒会の用事を頼まれていた、と遅刻してくだされば、評価には障りありません」
長い黒髪の生徒会長は、私の心配を読み取ったかのように言った。
なぜだろう。そんなつもりはなかったのに、自分が招いた事態に私は内心では困惑していた。
「お兄さんにも、同席していただきたいです」 と、言って生徒会室に踏み込んだのはいいものの、短い休み時間を計算に入れていなかった。
そもそも、同席させて、何を言いたいのだろう。
状況に任せて、私は事態を語った。
結局、私は小さな情報提供者でしかなかった。
葉月兄も、事態を悟って同じタイミングで生徒会室を訪れたのだという。
生徒会室で交わされたいくつかの対処と、軽い口論、いや、あれは痴話げんかなんだろうか? でも、どれも私には関係ない。
ただ、許せないことがある。他人の提出プリントに手を出す行為だ。
生徒会室に乗り込んだあと、昼休みを使って私は行動を起こした。
生徒会室への動線にある、各教室のゴミ箱に、私は手を突っ込んだ。
最初は、身の毛がよだつような拒否感が全身を走ったけれど、紙ごみと消しゴムくずだけと信じて、がさがさと漁る。ゴミ箱の数は、さして多くなかった。専門教室のゴミ箱は、ゴミもほとんど入っていなかった。
だけど、私が求める結果は出てこない。
手掛かりがないまま、最後に、私たちの教室のゴミ箱に取り掛かる。
その姿を見たクラスメイト達に、ちょっとしたざわめきがあった。
何事が起きているのかと、奇異な目を集めているのは百も承知だ。
一般教室のゴミは、専門教室と違って量が多い。そして気色も悪かった。なにをぬぐったのかわからないティッシュ、空き缶、ペットボトル? 燃えるゴミだけのはずなのに、分別をしない輩にいらだつ。べとつく液体がかかって、手を汚して不快だ。
私は、そこから、一つの丸められた紙を探し当てた。ほかは乱雑に放り込まれているのに、それはやけに念入りに丸められていた。もちろん、そんなゴミはほかにもたくさんあるから、その都度、開いて確かめて見てはいる。期待しすぎない程度に、丸められた紙を開く。
「あったわ」
私は、しわくちゃになったプリント———葉月莉緒の名前が書かれた、体育祭の出場種目が記入された提出票を掲げた。
埃と、飲み残しのジュースでシミを作ったA4のプリントだ。
「だれよ、葉月くんのプリントを捨てたのは」
私は注目を浴びていることを利用して、犯人もわからないまま告発した。
「みんなも見たでしょう? このプリントが提出されなかったことで、葉月くんが望まない種目に四種目も出る羽目になっているのよ」
ざわめきたった教室が無音に変わる。
(ちょっと、桐原さんて、ああいうキャラ?)
小声で女子たちが囁きあう。こういうとき、ああした声はよく聞こえるものなのね。
「お、おい、だれがやったんだよ! こんないじめみたいな真似、卑怯だぞ」
丸刈りの男子が席を立った。いまひとつ、力の弱い声。丸刈り……マルゲリータ…そう、丸尾くんだったわね。日に焼けた野球部の。体力はありそうだけど、ここでは役に立たなさそう。連想ゲームのように覚えた名前。クラスメイトの名前を覚えようと努力した入学初日の初々しい自分がはるか昔のように感じる。
「知らねえよ……だいたい、そうやって言い出す奴も怪しいだろ。疑いを逸らせるしな」
男子の中から声が上がる。井出という男子だ。まだ入学して二か月。よく知らない。いま、別に知る必要がないと決めた。こいつの情報は一生いらない。必要ない。
「まじめかっ」
井出の隣にいた男子が言った。
茶化そうとした、にしてもだ。私の逆鱗はぞわりとした。
私は、ごみ箱に手を突っ込んで、空のペットボトルをつかむと、ふざけたそいつに叩きつけた。
「いてっ!」
「真面目を笑うな!」
まずい、私は思った。声を上げたけど、どうせ犯人が名乗り出るはずもない。わたしは孤立する。こんな痛くてめんどくさいキャラ、だれも近寄っては来ないだろう。いや、弱気になるな。自分の心に反する作り笑いのうえに成り立つ付き合いなんて、いらないわよ。
私は、きっと興奮状態だった。自分の手を取ってくれる人が、隣にきたことにすら気づかないでいた。
私の手を取ったのは、葉月莉緒本人だった。当たり前だ、私はあんたのために声を上げたんだから。以前の私ならそう思っただろう。でも違う、これは私が許せないからやったんだ。葉月莉緒は、目立てば目立つだけ、つらい立場になるかもしれない。なら、こんなことしないであげたほうが良かったのかもしれない。私の身勝手だった。
なのに、莉緒はとなりで、私の手を取った。
「ごめん、桐原さん、手を汚させてしまって……」
そして、みんなに向き合い繊細ながら、はっきりとした声量でいった。
「聞いてください。僕の提出物が、今回だけでなくて、なんどか無くなってるんです。それを、僕が何も言わないものだから、桐原さんが僕のために言ってくれたんです。お願いです。何か知っている人がいたら、教えてください」
莉緒は、頭を下げた。ちゃんと、自分の口で説明して、頭を下げたのだ。
自分で、自分自身を助けようと努力できる人、そして、今回は私も救われたのだった。




