第十話 理々香(1)
「あ、あのね。葉月くん」
休憩時間、同級生の女子生徒が、私の前の席、葉月莉緒のところにやってきた。
確かそう、その女子は白石さんといったか。気が弱くて体育祭実行委員を半ば押し付けられていた。
嫌ならいやといえばいいのに。やる気を出したふりをして、多数の意見に流されるタイプ。
「葉月くん、実行委員会の人に言われたんだけどね、おとついのプリントが出てないって。それで、希望なしとして競技が割り振られちゃってて……」
葉月莉緒にプリントを見せながら、白石は言った。
「え……」 と、葉月莉緒は少し戸惑いの声を漏らしていた。
一昨日のプリントというのを、私は思い出していた。
ああ、体育祭の出場種目の希望を書くプリントと、希望の色組を記入するプリントだった。色は、赤白青黄の四チームのはずだ。
私は、無難なところで100m競争とか綱引きとかを適当に選んだ。一番短い運動で済む種目と、団体で過大な責任がない種目。100m競争は個人種目だけど、各チームから複数の代表者が何レースかに分かれて走るので、人目も分散してプレッシャーは少ない。
楽な競技は希望者多数となる可能性が高いと踏んでいる。大穴狙いの当選はむずかしい。
で、葉月莉緒が未提出の結果選ばれた種目は……私は興味本位で言った。
「種目決まったの? 私にも見せてよ」
出場種目リストのプリントは、全員に配るくらいの束だったから、それを見た私は自分の分を白石さんにリクエストした。
あくまで自分の種目を確認するため、という体裁。周囲でも、体育祭の出場種目がわかったと聞いて、おもに男子たちが出場種目リストを求めて白石に群がり始めている。いち早く紙を受け取った私は、混雑をさっさとよけて席についた。
席に着くと、私は自分の種目より先に興味の方を優先させる。そのためにわざわざ機先を制したのだから。
葉月莉緒・赤組・種目、騎馬戦、障害物競走、選抜リレー、ムカデ競争?
四種目も? なんだか、見事に穴埋め要員にされたみたいだ。最低二種目参加、おおくて三種目の人が多いなか、四つは珍しい。葉月莉緒のためにプリントの表枠が増設してあるから、表の中でその名前はやけに目立った。
騎馬戦は、体力馬鹿どもには人気があるけど、一騎仕立てるのに四人いるから人数が要る。障害物競走は中学と似たような内容なら、何気に体力勝負で敬遠されがちだし、リレー
はチームの責任と体力面がつらい。ムカデ競争は未知数。
まあ、こういうの、張り切るやつはがんばるのだろうけど。
葉月莉緒はどんな顔をしているだろうか。背中からでは当然わからない。
「白石さん、ありがとう。がんばるよ……でも、プリントは出したはずなんだけど。いまから訂正って間に合うのかな」
言葉を少し飲みこみかけていた、と、私はそう思ったが、葉月莉緒はちゃんと言った。それで私は思い出した。彼女……間違えた、彼は一昨日、吟味に吟味を重ねる私より先に席を立ち、プリント提出ボックスに丁寧に置いたのを。当然、彼は私の前の席だからよく見える。
席に戻ってきたとき、彼は私に言ったのだ。
『良い種目にあたるといいね』
私は席を立って白石に言った。
「私、葉月くんがプリントを提出ボックスに入れたのをみたわ」
提出したはずの物がない。そこに明確な悪意を感じとると、葉月莉緒を守るという感情よりは、悪意に対する嫌悪が勝った。
「白石さん、クラス選出の実行委委員として、委員会に修正を掛け合えないの?」
「で、でも提出期限、過ぎちゃってるし……」
この、って苛立ちが顔に出たかもしれない。白石はちょっとびくついていたけど、これ以上ごり押しする義理もない。当の葉月莉緒が、それ以上強く言わないからだ。
「ごめんね、白石さん、ありがとう。桐原さんも」
彼は振り返って、その綺麗な顔で笑顔をつくった。
「葉月くん、もう少ししたたかでもいいんじゃないの?」
次の授業の先生がきたので、私は席に着いたが、言いたいことはそれだけだし、葉月莉緒が引くのだったらかまわない。
ただ、世間の無責任さに嫌悪した。
騒がしかった男子たちも、おとなしくそれぞれの席に散ったが、ざわつきがしばらく止まなかった。
「おれ騎馬戦だ」 「玉入れかよカッコわりい」 「葉月やばくね? 四種目!」 「ほんとだ、莉緒くんかわいそう」 「えー、自信あるんじゃないの? 希望出したんでしょ?」
ざわつきというのは、だいたいそんな声だ。まだなじみ切っていないクラスである。
校内SNSの、クラスのグループチャットは、逆に静かなものだ。
総じては同情的な声の方が多い反面、手を差し伸べることもない。表面が平和なだけ。
次の休憩時間。私は前の授業に集中した、その反動の脱力を軽く感じながら、次の授業の教科書を取り出していた。
背中の方から声がかかった。私にではない。
「リオくーん」
私の横を通り過ぎて、その女子は前の席の葉月莉緒の肩に手をやっていた。何度か二人がやり取りしているのは目にしたことがあるけれど、この女子は少し距離が近いわね。
名前は、杉山柚羽だったと思う。
「ねえ、四種目ってこれ間違いじゃないの?」
そうそう、こういう子だ。何度か目にしているこの子、ちょっと目立つけど、言いたいことを後に回さないタイプ。ちょっとだけ好ましいかも。
どういうこと? とか、無遠慮に葉月莉緒の状況をぐいぐい聞きたがる。
聞くたびに、短めのツインテ―ルがゆらゆら揺れていた。
二人の出会いを私は知らないけれど、きっと葉月莉緒は彼女に対して根負けしたのだろう。彼はけっこう素直に、杉山に状況を説明していた。
「えー、それ、なんとかなんないの? 実行委員って、白石さんだよね?」
まあ、普通はそう思うだろう。私の普通を押し付けるのもおかしいと思う。しかし葉月莉緒の考える普通は、私の考える普通とは違うようだ。
「う…ん。ちょっとね、それはそれで面倒というか、あまり目立ちたくないんだ」
「そっかー。でも、あー、なんかモヤっとするなあー!」
そう。杉山柚羽の言葉は、私、桐原理々香の代弁でもあった。
私は無言で席を立って教室を後にした。
「そうだ、お兄さんとか、あの先輩に相談したら? 前にプリント届けてくれた人いたじゃん!」
私の背中では、まだ二人の会話が続いていた。
私は、階下に降りると、当たり前の経路を通りながら職員室に向かう。担任に訊くと、プリントの提出先は体育祭実行委員会に直接持ち込まれるとのことで、教師は触っていない。しまった。
職員室から再び生徒会室のある四階へ。と、その前に同じ階にある自分の教室にいったん戻る。まったくとんだ無駄足。
がらり。教室に戻って自分の席の方を一瞥する。
まだ、杉山柚羽と葉月莉緒は会話していた。葉月の方がこちらに気づいたが関係ない。
私は次にプリントの提出ボックスの場所をあらためて確認してから、再び教室を後にした。
目指すは生徒会室兼体育祭実行委員会。
再び、当たり前の経路を思案しながら、生徒会室に向かう。足元を丁寧にさらい、窓を見やり、風に飛ばされて落ちるプリントを想像し、それを放置する白石ではないと一つの選択肢を打ち消す。
床に落ちたプリントも、可能性の高いその他の事象も思いつかぬまま、私は生徒会室の扉の前に着いていた。中に用はない。ここまでの動線を確認して、手掛かりがないということを確認した。それで目的は達せられている。
だが、しまった。
私は、実は名探偵ではない。だから、当たり前のことしかできない。
当たり前のこと……声を上げられないクラスメイトの代わりに、行動をおこす?
それは主義に反する。自分のために行動しない人を助ける義理なんて、私はないと思うから。
そう思っていたのだけど。
さっと立ち去るつもりが、がらりと、生徒会室の扉が開き、中にいた人物の一人と面と向かってしまった。
普通は、扉の前に来たら、部屋の中に来訪の目的があると思うものだ。
「あ、ごめんな。おどろかせてちゃって」
今年の生徒会は、すごい人が揃っていると聞く。その割には、ずいぶん普通っぽい人が出てきたものだ。
よく言えば、ほどほどに切りそろえられた髪。背丈はそこそこ。衣類は清潔だけど、制服だから当たり前だ。男子たちはネクタイを緩めているが、緩めるにしても程度はある。あまりだらしないのは好みではない。その点だけは、この人はぎりぎり合格ラインだ。ただ、容姿で見出せるのはそのくらい。
表情は、温和なんだかとぼけているのだか。後輩への気遣いはできるようだ。
「すみません、入口をふさいでしまって」
私が謝罪すると、その先輩は一歩下がって出入口を先に開けてくれた。
「体育祭の実行委員のひと? どうぞ」
……この人は……私は少しだけ見上げる角度でその顔をじっとみた。
今を時めく葉月莉緒の次に、新たな話題を校内に提供したその兄、葉月……なんだったかな。一ノ瀬真白会長の彼氏だと噂になっている人物じゃなかっただろうか。




