第九話(4)
「あなた! お名前はなんていうんですか!」
校門に待ち構えたとみちゃん……富田さんが、校門でどんと待ち構えるものだから、俺たちは目立ってしようがない。
ちらりと、真白がふたたび俺を見るが、答えは期待いない様子。姿勢を正して受けて立った。
「青陵学園生徒会会長、一ノ瀬真白です」
鞄を持つ手はまっすぐに気をつけをし、涼やかに立つ真白は二年後輩の中三女子を威圧するでもなく受け止めていた。
その所作、立ち居振る舞いだけで富田さんは分の悪さを感じ取っていた。それを感じられるだけでも、いい感性をしてると思うけどな。
すっと真白は、あなたの番です、と問うように手のひらを差しだす。
名乗ったからには、名乗り返すのが礼儀だ。なんなら、名を問うには先に名乗るのが礼儀。それを曲げて、それを許して名乗った真白の度量が、どうにも圧倒的だった。
ええっと、ナニコレ、この状況。
「りょ、緑生学園中学校三年、女子バレー部・富田祐子……です」
「ようこそ青陵学園へ、富田さん」
と、真白は校門の内側でホームグラウンドにいることをことさらに表現するような言い方をした、と俺は一瞬誤解したが、それは違っていた。
真白は、校門の境目を一歩踏み出し、敷地の外に出るといった。
「さあ、これで私とあなたは、対等な女子です」
肩書と立場が、敷地の外だからといってなくなるはずもないが、たぶん真白はかわいい年下の女子をリラックスさせたかったのだろう。真白のやさしさに、俺はちょっと感じ入った。
富田さんは、真白を睨んで、睨みつけようとして失敗していた。真白はきれいだし、態度からにじみ出る雰囲気はどうしても好意的に見てしまうよな。わかるよ。
「かっ、確認しておきたいことがあります」
「はい」 真白が応じる。
「葉月先輩と、お付き合いしてるんですか!」
「はい」 動じることなく答える。
「葉月先輩のことが、す、す、好きなんですか!」
「…はい」 なんか間があったな。俺のほうから、真白の表情は窺えなかった。
だが、とみちゃんは、うぐ、っと何か半分納得したような顔をしていた。
「じゃ、じゃあ……じゃあ、えっと、どこまですすんでるんですかっ」
「どこ、と、いうと……?」 うん、真白、その返しはかわいそうじゃないかな。
顔を真っ赤にしたとみちゃんが、言葉を練りあぐねる。
「えっと、えと……」
ふっ、と笑みをこぼして真白が助け舟を出す。
「おたがいに、名前で呼び合う仲です」
「じ、じゃあ、手は?! もうつなぎましたか」
とみちゃんの声が裏返った。
「……はい」
はじめて、真白が顔をそむけた。真白の顔が真っ赤だ。
「ちょ、りこ……!」
とみちゃんが、やや絶望的にりこにすがる。
「ほら、兄さんって、少し距離近めだから」
ようやく存在感が復活したりこが、とみちゃんに耳打ちしている。
まったく、どういう評価なんだか。
「あー、みんな。そろそろ、場所を変えないか?」
周囲は、可笑しな対決を見物する生徒たちで人だかりができていた。
これが、葉月家の特派員・富田祐子の少し早い高校デビュー(中学卒業見込み)だった。
駅前には市の施設があるのだが、その公共フロアで少し勉強会をしようということになった。緑生学園も試験期間に入ったというからちょうどいい。
なるほど、試験期間で部活がないと、あのタイミングで青陵生徒を待ち伏せできるのか。
それにしたって、最後の方は人だかりができていた。あの分だと、莉緒にも見られたかなあ。
テーブル一つを確保して、それぞれ教科書やらノートを広げる。
真白は、やっぱり魅力的なのか、あれだけ突っかかったとみちゃんも、いつの間にかなついて、わからない箇所があると素直に真白に質問していた。真白も自分の勉強があるだろうに、先生役を快くこなしていた。
「ねえ、ここ、教えてよ」
りこは、なんだかそんな様子をつまらなそうにしている。俺に数学の問いを質問するのも、半分やけっぱちみたいだ。
「どれ、おにーさまが教えてやるよ。なんせ、中三の時は神童だったからな」
もう。という感じで、りこはプンとする。
「そのネタはもういいよ」
傷つくなあ。それでも、問題の解説をちゃんと聞くのは、やっぱりりこだよなあ。
「ほら、この問題はこの公式で、この数字は、この公式のaの部分、こっちはbの部分。全部公式だよ」
それから二時間ほど集中して解散。バスの方向がそれぞれ違うので、真白ととみちゃんとは駅で別れた。
(図らずも、まじめに勉強してしまったな……これは、中間テストは期待できるかもしれん)
帰路のバスは、いつものとおり。入れ代わり立ち代わり、乗客が乗っては降りて。最初は座れなかったけど、終点に近づくにつれ、席はまばらになり、俺とりこは二人掛けの席に身体を押し込んだ。
「りこ、何考えてる?」
りこの口数がすくなくて、ちょっと不安になる。
「昨日の晩、はる兄に彼女できたって聞いて……」
車窓は薄暗くなったけど、夕日がまだほのかに遠くの空をオレンジに染めていた。
「んん、まあな。真白、俺の何に興味があるんだかな?」
俺なんかを相手にするなんて、美人は物好きなのかな? なんて口にしてみる。
「なんかね、びっくりしたけど、とみちゃんのおかげで毒気が抜けたっていうか」
周りの誰かが激しく怒ってくれると、それを客観視する自分は冷静になれるよな。
そういうことだよな。とすると、りこはとみちゃんみたいに怒ってたわけか。
「今日会ってみて、あんなきれいな人、仕方ないかなって……だから、がんばってね」
それだけいうと、そっぽを向いて窓の外を見るりこ。このままだんまりしちゃうのかなって思ったら、ガタンとバスが揺れて、ごちんとおでこを固いガラスにぶつけていた。
「そんなに痛かったか?」
横顔をのぞき込むと、りこの瞳に涙が浮かんでいた。
「いたいもん」
俺はりこのおでこを撫でる。
「いたいの痛いのとんでけ」
「ふぇ、ぇぇん」
(え? ええ?)
俺はりこの泣き顔に戸惑った。
「ぇぇう、痛いよう、はる兄……」
幼い妹が泣き出したとき、どうしていいかわからないもどかしさ。りこの気持ちが、どうやったら晴れるんだろう。もう、ただおでこが痛いから涙が出てしまう年齢ではないことくらい、俺にもわかる。だから、頭をなでてやるしかなかった。
その日、りこは家に帰ると、夕飯も食べずに寝てしまった。




