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第三話(2)

「てめえ、ちょっと顔貸せよ」

 俺のシャツをつかんで藤原がすごむ。俺は、別にケンカっぱやいわけじゃないし、強くもないし、怖くないわけでもない。ただ、こういう手合いは、反撃があるとか大きな声を出せばいうことを聞くわけではない、ということをわからせないといけないと知ったのだ。少なくとも俺の経験ではそうだ。

「や、もうすぐ授業ですし、センパイ」

 ああ、そろそろ拳が飛んできそうな気がする。殴られたら教師に言って、藤原を停学か退学においこんでやろう。そういうのが社会的な抑止力のはずだ。そのくらいの反撃の手札は、俺も考えていた。

 その瞬間、教室の扉ががらりと開いた。

 長身で短髪の三白眼が、藤原を一瞥する。

「藤原、チャイムはまだだが、もうすぐ授業がはじまるぞ」

 低めの声で淡々と伝えるのは、それはそれですごみがあった。たしか、三年で生徒会副会長の……俺の記憶にその名前は刻まれていなかった。

「うっせーな、一ノ瀬。二年と話してただけだ」

 藤原が俺のシャツを突き放す。

 そうだ、あの長身三白眼、副会長の一ノ瀬といったっけ。生徒会という立場ながら、武闘派で、藤原みたいな輩を裏でシメてるとかなんとか。本当かわからないが、なんだ、俺の上位互換か?

 藤原が渋々と俺たちの教室を出ていく。それを見送った一ノ瀬先輩が、俺の無事を確かめてから立ち去ろうとした。

「一ノ瀬……先輩。面倒見がいいですね」

 どうせ藤原みたいなやつは、余罪があるだろうし、停学にでも何でもなれば学校の為だと思うのだが。

「お前は辛らつだな。俺はあいつと同学年だしな。卒業くらい、させてやろうと思っている。これはやさしさだよ」

 なるほど、校舎の裏で不良どもをシメておいて、一般生徒に手を出させないようにする。落ち度がなければ、少なくとも卒業くらいはできるだろう。学校の空気は平和になり、絶滅危惧種の不良たちは、次の世代にはいなくなるかもしれない。

「一定数、世の中には言語を理解しない人間がいるからな。文字通り、事実として」

 叩かないとわからない、とでも言いたいのだろうか。それこそ辛らつだと、一ノ瀬の背中を見送りながら俺は思った。

「悪かったわね、援護できなくて」

 ピンと張りつめた空気が緩み始めたタイミングで篠原千夏が声をかけてきた。昨年学級委員長を務めた彼女は、先日めでたく新しいクラスでも委員長というニックネームを正式なものとしていた。数少ない、俺の雑談相手でもある。頻繁には話さないけど。

「女子に、あれをどうにかしろなんて、思ってないよ」

「それにしても、藤原先輩がちょっかいだしてくるって、やっぱりあんたの弟、影響大きいのね」

 そうだ、考えなきゃいけないのは、莉緒のことだ。

「リオなあ、俺も中学の頃を知ってるけど、美少女に磨きがかかったよなー」

 と、竹内がまざってきた。こいつに悪意はない。だから嫌な気はしない。

「りおの前では、それ言わないでくれよ?」

「おう、わかってる。てか、お前がちょっとだけわかってきた」

 竹内が、なぜかうれしそうに喋るので、もうこいつも会話に混ぜてやろう。うん。

「ねえ、藤原先輩がこっちにきたのって、どうしてかしら。ああいう人なら、直接弟君のところにいくんじゃない?」

 俺と竹内は、千夏の発言に対する回答を探してフリーズした。ぐるぐると検索中のアイコンが回り続ける。

「あ、そうか。お付き合いしたいので、お兄様にご挨拶と、紹介を頼みに来たんじゃ……」

「あはっ、まさかそんなBL的な理由?あの藤原先輩が?」

 さしもの委員長も、竹内の妄想がそこまで飛ぶとは思わなかったらしい。

「そんなのあるわけないじゃない」

 俺は、二人からそっぽを向いて何かしらの表情がおもてに浮かぶのを噛みこらえた。

 俺と、莉緒は、特別だ。いや、誤解なきよう。別にBLとかじゃない……つもりだ。誰ともなく俺は頭の中で言い訳した。

「まあ、衆目を集めているのも事実だし、次の休み時間に様子を見てこいよ」




 竹内の案に乗ったわけではない。ただ、俺もそうしようと思っていたのだ。なんなら放課後はいっしょに下校すればいいやとか、そういう考えもあったけど、いてもたっても居られなくて休み時間に莉緒の教室に走った。

 俺は莉緒の顔が見たかった。兄として、心配だろう?

 廊下をうろうろする。開け放ってある教室の扉から、視線を滑らせて中の様子を窺うが、角度が悪いのか、莉緒がどの席に座っているのかわからない。

 うろうろ。

 さすがに教室前を五往復もすると、おかしな目を向ける下級生も出てきた。

「あ……はる兄さん」

 と、廊下の側から声を掛けられて振り向いた。もちろん俺が莉緒の声を間違えるはずがない。

「りお……出掛けてたのか」

「うん……その、トイレに行ってて」

 莉緒は、少し頬を上気させていた。

「教員用の、トイレを借りにいって、授業に遅れそうだから走って戻ってきた」

「そか」

 教員トイレは、職員室のある一階だ。一年生の教室は最上階の四階だから、駆け上がれば息もあがるだろう。

 それにしても、莉緒が教員トイレを使う理由。俺はあえてそのことには触れなかった。わかってる。莉緒が何を怖がっているのかも。

「変わったことないか? 今日、一緒に帰らないか?」

「ごめん、兄さん。僕、吹奏楽部に入ろうかと思って」

 莉緒の返事で、冷静さを取り戻す。

「それはいいな。うん、いいと思う」

 中学の時も、あの事件より前は、吹奏楽部の活動に精を出していた。頑張れるなら、それもいいと思う。

「りお、あのな……」

 そこへ今日最後の授業のチャイムが鳴った。何を言おうとしたわけでもないが、俺の言葉は遮られた。

「……じゃ、何かあったら言ってくれよ」

 チャイムにせかされて、俺は莉緒に手を振った。

 莉緒が手を振り返してくれるのを見て、階下へ走る。二年の教室は一年の教室が並ぶ四階の一つ下だ。ダッシュで教室に駆け込む。社会科の教師が入ってくるのとジャスト同じタイミング。

 ふう。心配はあるけど、元気そうでよかった。


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