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第八話 りおの傷(1)

 俺と莉緒は、病院の帰り道、バスの車内で静かに揺られていた。

 俺は窓の外を見ながら、ぼんやりと考え事をしていた。

 となりに座る莉緒の手を、俺は握っていた。

 莉緒も、あのときのことを思い出しているのかもしれなかった。




 俺たち兄妹の通っていた中学は、二年の秋に修学旅行にいく。行き先は、昔っから京阪神らしい。俺も二年のころに奈良・京都に行ったが、あまり友達がいなかったので、楽しいというより、まじめに修学旅行をしてしまった。

 翌年は、莉緒も行った。出かけるときは、楽しみにしていた。そうだ、このころの莉緒は、まだ無邪気で、りこにはちょっと負けるけど、元気な子供だった。

 初日はビジネスホテルで個室だったらしいが、二日目の夜は温泉宿の大浴場。

 男子どもが騒いだという。俺の時もあったな。女子風呂覗こうぜ、とか、おまえデカいな、とか、毛がぼうぼうだな、とか。とにかくガキさ加減が抜けない中二男子だ。

 莉緒の場合、まだそのころは俺たち家族も莉緒の体のことには気づいてなくて、両親すら、成長期が遅いけど、見守ってやろうって感じだったし、俺もりこも、そんなことには頓着していなくて、俺は体の小さな弟を守ってやらなきゃ、くらいにしか思ってなかった。

 莉緒は、ガキでやんちゃな男子のグループのいたずらにあった。

 話によると、そいつらは男子同士で、腰を隠すタオルの取り合いを始めた、きっかけはそういうことだったみたいだ。それがエスカレートした。莉緒は、身の危険を感じて服を脱ぐのをやめたらしいのだが、それが目についたのか、もともと顔が美形で女子みたいな莉緒だからなのか、標的にされ、服を脱がされバカにされた。

「うは、葉月ちっちぇー。子供じゃん、毛も生えてねえし!」

 言葉だけでなく、スマホで写真に撮り、あろうことか、クラスのチャットグループにさらした。

 さらに問題だったのは、それをやったのが、やんちゃではあるが普通の男子生徒だったこと。

 過ぎたいたずらが、いたずらで済まなくなるまでに歯止めがかからなかったこと。

 そしてだれも止めてくれなかったという、そのことが莉緒にとって恐怖だった。




 ◆◇◆◇◆ ふたりの記憶 ◆◇◆◇◆




 僕は、男子たちの興味がそがれるのをひたすら待った。そして、服を着て部屋に逃げ帰った。

「よ、よう、莉緒、大丈夫だったか? 災難だったなー、あいつらひでえよな」

 そこそこ仲の良かったはずの同部屋の男子の一人が、遠慮ぎみに声をかけきた。僕は、それを味方だとは思えなかった。

「あ……う、うん」 僕は言葉を絞り出したけど、耐えきれなくなって部屋を飛び出した。

 誰にこんなことを相談すればいい。男なのに、女子に相談なんてできない。

 先生に、なんていう? 説明できない。

 父さん、母さん?

 恥ずかしい。迷惑かけたくない。

 どうすればいい?

 こんな時、助けてという言葉さえ思い浮かばない。自分が助けを求めていることにさえ、気づかなかった。

 僕は、ホテルを抜け出して、夕暮れが闇に変っていく京都の街をさまよった。




 そのとき、脳裏によみがえった声は……。

「何かあったら、電話しろよ。なんでもなくても電話しろ。なにがなくとも、俺がいるからな」




 たしかに、修学旅行に出かける直前の莉緒に、俺はそう言った。莉緒はそれを覚えていてくれたのだ。

 その言葉は、転校の苦労をした兄なりの気遣いだったのかもしれない。僕はスマホの連絡先から、おのずと兄の電話番号を表示していた。

「兄さん……」

 震える指が、押すつもりもないまま、発信ボタンをタップしてしまっていた。なんていえばいいのだろう。呼び出し音が、向こう側で鳴っている。

 呼び出し音が止まって、音が一瞬途切れる。

 俺は家の子供部屋で、寝っ転がっていた。中学からの下校は、自転車をすっ飛ばして、読み残しの漫画でも読んでやろうと一息入れていたところだった。

 りこは、一年ながら時期レギュラー争い目指して部活。そろそろ帰ってくるだろうが、それにはもう少し間があるだろう。

 スマホが鳴ったのは、そんな時間だ。莉緒の名前が画面に表示されていた。

「りお?」

 兄さんの声が、耳元に聞こえた。

 俺は耳元に、京都の空気が流れ込むのを感じた。

「おす。旅行はどう? 今はホテルか?」

「う、ん……」

 車の往来やクラクションの音が騒がしくて、兄の声が遠い。

「りお……楽しんでるか……?」

 僕は、返事が出来なかった。

 口元に手の甲をあてて口を結ぶ。だというのに、涙があふれて、嗚咽が止められない。兄さんに気づかれてしまう。

 莉緒の息遣いが聞こえる。うしろの京都の街並みの喧騒が、ただうるさかった。

「りお、ファミレスとか、近くにあるか?」

 さっきホテルにいると莉緒は肯定したのに、お構いなしに俺はそう言った。

 返事を待たずに続ける。

「24時間とか、夜中までやってるとこがいい。お金が無くても、お店に入ってずっとそこにいろ。お金は心配するな。兄ちゃん、すぐいくから」

 僕は、口にあてた手の甲を噛んで、涙がこぼれるのを感じていた。




 なるたけすぐ乗れる新幹線に、俺は飛び乗った。

 家には書き置きをした。

 家から自転車でしゃにむに走って、電車から新幹線に乗り継ぐ。途中、駅のATMで自分が自由にできる貯金を全部おろした。

 駅に着いたらどうする? 莉緒に合流する方法。大体の道すじを確認して、飛ぶように流れる車窓を苛立たしく眺めた。

 新幹線が京都の駅に着くと、俺は走った。

 部屋着として着させられる体操服姿で、莉緒はファミレスに座っていた。小さな体が、肩が、いつもよりもっと小さく見えた。

「りお!」

 俺は、見つけるなり莉緒を抱きしめた。

「兄さん……うわぁぁああん!」

 ずっとファミレスに座っていた僕は、兄さんの姿を見ると、固く結んでいた気持ちがほどけるように感情が流れ出して、それが声になった。ただの泣き声だったけど。




 ◆◇◆◇◆




 俺は莉緒の手を引き、新幹線の車内で予約しておいたビジネスホテルに泊まった。ちょっと遠かったけど、オーバーツーリズムの影響か予算内で泊まれるホテルはあちこち満室で、とにかく泊まれるホテルがあるだけでもよかった。チェックインでは、当時中三の俺は年齢を十八歳と書き込んで気を張ったが、フロントのホテルマンはさして気にもせず受付けてくれた。




 修学旅行の宿泊先では、引率の教師たちが、点呼で莉緒がいないことに気づき、生徒たちから聞き取りをしてようやく事件を悟ったらしかった。

 俺は、すでに何度か着信の入っていたらしき莉緒への電話を代わりにとり、教師に自分が保護してホテルにいることを伝えた。どこのホテルにいるかは言わなかった。

 それから母さんに電話した。もちろん、莉緒に何があったかなんて、その時は何もわからなかったけど、莉緒が心配だったから、莉緒と二人で京都で遊んで帰るとだけ伝えた。既に家にも教師から電話が入っていたようだったけど、母さんは何も言わずに俺に任せてくれた。

「そう、そう、あんたがいてくれてよかった。お願いね。気をつけてね」

 莉緒は、ちょっと喋れそうになかったから、母さんには大丈夫だから、となるべく安心させて、電話を切った。母さんだって心配だろうに、いろんなことを聞きたいだろうに、こらえて、本当にこらえて、俺に任せてくれたのだった。


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