第七話(3)
「葉月くん。中間テストの勉強は順調かしら?」
一ノ瀬真白が、唐突に話しかけてきた。
中庭で、二度とはなさそうな顔ぶれで昼食をとった、その翌日のことだ。
今日は昼食も終え、五限目も始まったところだった。
臨時の職員会議とやらで、全校でこの時間が自習となっていた。なんでも学園の理事が来ているとか何とか。
自習は各自の教室もしくは、出歩くとしても図書室までというお達しだ。小テストのプリントを配る間もないくらい、理事の来訪は急だったのか?
おかげで教室が騒がしくて仕方がない。という理由で、俺は図書室にやってきていた。本をあさるでもなく、席を一つ確保する。最近べったりというわけではないが、説明しておくと、竹内は腹が痛いとか言ってトイレだ。
そんなとき、スマホにメッセージアプリの着信通知が入った。
相手はとみちゃんこと、りこの親友の富田祐子だ。開くと、しゅぽ、と音が鳴ってしまったので、慌ててマナーモードへ。こないだウカツって言われたばかりだってのに。
とみちゃんとは、先日の練習試合見物の帰りにIDを交換した。りこの様子をお知らせしますから、なんて言われてホイホイ交換したバカな男が俺だ。
とみちゃんめ、画像だけ送り付けてきて。
年下の女の子だというのに、そのやり口は鋭かった。
りこと勇吾くんが、仲良さそうに体育館の壁際で弁当を食べている写真だ。ちょうど今日の昼どきの写真だろうか。二人とも、楽しそうだ。
その画像に、俺の心が何か心をつむごうとしたところで、一ノ瀬真白が声をかけてきたのだった。
「よかったら、自習に集中できる空間を提供できるのだけど?」
「真白さん……真白。特段、中間テストに対して切羽詰まっているわけではないのだけど」
真白は、兄・蒼司がいうとおり距離の取り方というか友達作りが苦手なのだろう。だって、中間テストの勉強がはかどっているかなんて、昨日の昼休みと全く同じ話題ではないか。
「お茶とお菓子付きで。何ならお昼寝をする自由もあるわ」
だが、交渉力はあるみたいだ。
「コーヒーもあるなら」
俺は条件付きで乗ることにした。
真白が案内してくれたのは、図書室、図書準備室、さらに資料室を挟んでの、生徒会室だった。すべて室内でつながっていて、廊下で誰にみられるということもなく、生徒会室に移動出来た。
生徒会室は予想に反して無人だった。
「生徒会のメンバーも利用していると思ったけど……」
「たまたまです。普段ここで予習復習している方もいます」
連結して大きなテーブルに仕立てた事務机が真ん中に。
整理された書類棚と、PCとプリンターなどの機器と器具を整然と並べた机が壁際に。
簡素だが整頓された室内だった。
漫画とかでありそうな優雅な生徒会という雰囲気はなかった。一ノ瀬兄妹を見ていると、そんな想像をしがちだが。
真白は、手際よくドリップしたコーヒーをテーブルに置いて俺に勧めてくれた。
みずからはティーカップに緑茶をペットボトルからそそいでいた。意外と、お嬢様のイメージを壊してくる。
「なんです?」
俺の目線に感づいて真白が言う。
「言っておきますけど、我が家は一般家庭の庶民ですよ?」
「イメージだよ、イメージ」
「たとえば、どんな?」
「たとえば、お付きの運転手が車で送迎……」
「ありえません」
真白はぴしゃりと俺のセリフを封じた。
それから、クスクスと笑いだす。
「こんな会話をする相手ができるなんて、思いもしなかったから」
真白は……一ノ瀬真白は、本当に美人だ。それに、こんな笑顔を見せられたら、こんな生徒会室で二人きり、何でも言うことを聞いてしまいそうだ。
「それで。何か用事だったか?」
だってそりゃそうだろう。勉強道具も持ち出さずに図書室でくつろいでいた男子を、生徒会室に引っ張ってきたのだ。そんな男子が、自習がはかどるから、なんてお題目でのこのこ誘いに乗るはずはないのだ。
「そうですね。ほんとうは、あなたを来期の生徒会に勧誘しようと思ったんです」
「ほんとうは?」
提示してみせた本題をさっさと覆す真白が、何を言い出すのかと身構えた。
「ねえ、葉月くん。私とお付き合いしてみない?」
「え」
真白は、いまなんといったか。いや、表面の意味は分かってる。男子たるもの、真白のような美人に興味がないといえばウソだろう。額面通り、そっちに受け取っていいのか、それとも思春期男子が盛大なカンチガイをしてないか。はたまた真白は俺を篭絡して弱みを握ろうとしているのか?
「もちろん、女子が恋したりとか、男子が女子に憧れたりとか。そういうたぐいの話をしているわ」
俺の困惑を正確に察した言葉を、適確な間をおいて付け足した。
「つまり、その説明でいうと、真白は俺にコイシテル?」
ふう、とちょっと残念そうな表情を真白は見せた。
(やっぱり俺のカンチガイ?)
「残念ながら、ちょっと違うの。でも、あなたに興味があるわ。それが今わかったから、優先すべきこの提案を先に回したの」
どっちもどっちなのだが、俺とお付き合いを始める<俺を生徒会に誘う、という優先順位なのか。
「あのさ、それって、もう少しお友達付き合いとか、前の段階を踏まえてからのほうがよくないか? ステップすっ飛ばしてない?」
「いいえ、すっ飛ばしてはいないわ」
にこりと、真白は微笑んだ。
テーブルに置いてあるスマホが、ぶぶ、っと揺れた。
“いいんですか?” 開きっぱなしのスマホの画面に、とみちゃんのメッセージが表示される。
(妹ばなれが、必要かなあ。このままあと二年、枯れた高校生活というのもなあ)
「なんだか、よくわからないけど……いいよ。とりあえず、お付き合い。要するに、試しに付き合ってみるっていうことだろ?」
こくりと、真白はうなずいた。
えー、と、いざそうなると、少しいたたまれない気分になってきた。だって、そういう相手がいたことないのだ。何をしゃべればいいんだ? これが意識してしまうということなのだろうか。
とりあえず、用件は済んだし、今はお暇しよう。そうしよう。
それを、ヘタレというのだと、俺は竹内にあとから非難されるのだが……。
「じゃあ、また」
真白に背を向けて、廊下に出る扉を開けようとしたところで、偶然にもその扉が開いた。
「あ、お客様ですか。失礼しました」
扉を開けたのは女子生徒だ。よくは知らないが、全校朝礼などで生徒会役員が並んでいるときに見たことのある眼鏡女子だ。会長と似て、落ち着いたタイプみたいだ。
眼鏡女子が道を譲ってくれたので、俺が先に廊下へと出て、彼女が入れ替わりで生徒会室に入っていく。
背中の方で、眼鏡女子の声が聞こえる。
「どうかしたんですか? 生徒会長、顔が少し赤いですよ?」
え? 冷静沈着なあの真白が? 俺が振り返るのと、眼鏡女子が後ろ手で扉を閉めるのは同時だった。
まあ、いっか。
というわけで、俺に人生初の、カノジョができた。
……えー、と、そういうことでいいんだよな?
……自信ないなあ。ほんとに? しばらく誰にも言わないでおこう。
真白はああ言ったけど、やっぱりステップをいくつもすっ飛ばした急展開で、俺の頭は少し置いていかれ気味だ。
廊下を歩き、階段に向かう。
もうすぐ、全校で自習となって五限目が終わる頃合いだ。俺は自分の教室へと戻る階段で、莉緒と出くわした。
「兄さん……」
その莉緒の表情は、悪いことをしているのを見つかってしまったという顔、そのものだった。
「ど、どうした?」
莉緒は鞄を抱えて、見た目はすっかり帰り支度した様子であった。莉緒が悪い事なんてするわけはないのに、ちょっと咎めるような言い方をしてしまった。
「あの、僕……今日早退するから。担任の先生にも、許可はもらってあるから」
俺の横を、逃げるように、莉緒は階段を降りていく。
そうか。万が一にも、俺とすれ違わないように、一般教室のある棟の階段ではなく、専門教室の並ぶ棟の階段を莉緒は選んだのだ。そして、五限目が終わって休み時間になる直前、まだ生徒が教室を出歩かない時間のうちに自分の教室を出てきたのだろう。
それなのに、俺が図書室と生徒会室で時間をつぶしていたから、たまたますれ違ってしまった。
なんで莉緒は、俺から隠れるような真似をする? 本能で俺はそう感じて、だから少し腹を立ててしまって、莉緒に見とがめるような言い方をしてしまったのだ。
俺は階段を駆け下りる莉緒の背中を、瞬き数回分、見送って心を落ち着かせた。
なんで、莉緒は、俺から隠れるような真似をしたのか。
決まってる。言えなかったんだ。俺にも、母さんにも。GWに聞いておけなかった定例の検診のこと。それなのに、くだらない腹立ちを感じてしまうなんて。俺のバカやろう。
「りおっ」
階段を数段飛ばしで飛び降りて莉緒の後を追うと、その手をつかんだ。
「俺も一緒に行く。病院だよな?」




