第六話(2)
俺たちの乗ったバスは、学校近くのバス停を通り過ぎ、駅の終点まで向かう。
「とまりますのボタン、押したくなるよね~。いつも誰かに押されちゃうんだもん」
「押してみれば?」
りこに向かって莉緒が言う。
「知らないのか? 終点は押さなくてもいいんだぞ? どうせみんな降りるんだから」
俺はわざと少し大きめな声でからかった。
「わ、わかってるってば!」
ほかの乗客の目線を感じてりこの顔が赤くなる。
終点で降りると、俺たちの足はさっそく当初の目的地のほうに向いた。
ショッピングモールの中に入っているセレクトショップが、妥当な選択肢。二人もそう思っていたようだ。
「だって、こういうお店のは、ちょっとまだ早いよねぇ?」
道すがら、りこがおしゃれな路面店を構えるアパレルショップを覗く。うーん。俺には敷居が高い。個人オーナーが国内外問わず、気に入ったブランドを仕入れていて、大量生産品ではなさそうだ。敷居も高いが値段も高い。
「うん……僕もそう思う」 莉緒も眼中にない様子だ。商品を手に取るまでもなく、話題につられて足を止めるだけ。
おもてに並んだ服を眺めるだけ眺めて目の肥やしにすると、俺たちは再び歩き出した。
ショッピングモールに着くと、目当ての店とそれ以外にもいくつか店があったので、このフロアで自由行動にしようと三人で決めた。
りこも莉緒も、それぞれ好きな店の、服という名の海に潜っていく。ウーム、俺はどうしよう。量販店に行って、適当なシャツを買い足しとくか。
ぐるっと一回りして、さっと戻ってくる。おしゃれはわからんのだ。
「あっ、はる兄、試着するから見てよ……」
りこが心細そうに頼んできた。
「んー、いいけど……」
りこの買い物かごを見ると、彼女にしてはちょっと挑戦的な服が何セットか入れられていた。主張した柄の生地でバッチワークされたシャツ(合わせるのが難しそうだ)と、タイトなスカート。フリフリのついた原色つよめのワンピースなどなど。
さっそく試着室のまえで、りこの着替えを待ち構える。
「これ……とか」
ふむ。
「これ……ね?」
ふむふむ。
「あと、こんなの」
じー。
俺はりこのファッションショーを眺めていた。服の組み合わせ自体は、サンプルでも参考にしたのか、さほどおかしくない。いやまあ、普通に可愛いよ?……だが。
「それ、おまえ普段着れるのか?」
着慣れない、自信が持てない服は結局出番が少なくなって、そのままタンスの肥やしになる。りこの選んだ服は、どれも今のボーイッシュなりこのイメージにそぐわない、ごてごてした可愛らしい感じだった。
「うぇぇん。わかんないんだもん」
「でもま、おまえの好きな服の方向性はわかるよ」
勝手な周りのイメージに、全部付き合う必要はないだろう。いま似合う服と、なりたい自分が別でもいい気がする。
つまり、りこはかわいい服が好きなのだ。活発に動き回るから、ひらひらしたものがそぐわないだけ。だから、着慣れないし周囲もそれを見慣れていない。結果、りこってボーイッシュな格好だよね、という認識に落ち着いたのが現状。
でもきっと、りこが成りたい自分って、もう少し違うのだ。
俺は店内をきょろきょろしてマネキンが着ている服の一つに目をつけると、同じものを取ってきてりこに渡した。
「これから暑い季節になるし、涼しげな生地のやつにしておいてさ、りこが普段着やすいシンプルな感じで、ちょっとかわいい飾り気があるやつ」
「う、うん。着てみるよ」
シャっと、りこは試着室のカーテンを閉めて着替え始めた。
と、そこへ莉緒もやってきた。
ちょうど試着室のカーテンが開く。
「ど、どうかな……」
それは、薄く黄色に染められた夏もののワンピース。サンダルとか麦わら帽子とかが合いそうだ。今日の日和なら、涼しげでよさそう。シンプルに着られるし、軽い感じの生地は、りこの活発なイメージを損なわない気がした。
「ふうん、いいんじゃない?」
ふう、莉緒の賛同をもらえて俺も安心。
りこは、次兄の好印象に少し自信をつけて、さらに俺を見る。あ、俺の感想も必要なのか。
「似合ってるよ」
「……なんか褒めてよう」
「むー、かわいいぞ」
「やった」 莉緒とハイタッチ。なにやら言わされてしまったな……。
りこは、このワンピースと同じ、シンプル目のちょっとかわいい方向性で、いくつか服を選び直して買うことにした。
「で、りおは? どんなの買ったんだ?」
莉緒が買い物袋を提げていたので、覗き込んだ。自分の小遣いで買っちゃったのか。母さんからお金を預かっているので、払おうと思っていたのに。
「えっ、パ、パンツと、シャツとくつ下……」
「なんか俺の買い物と変わらんなあ」
そんな会話の一方で、俺は思考する。ブラジャーは買い物袋に入ってなさそうだった。さすがに俺たちに気づかれそうなところでは、買いたくないのか、必要品だけれど、自分で買うのは恥ずかしいのか。下着とかは母さんが買ってくるときもあるからな……。
「それだけでいいのか?」 と聞くと、こくん莉緒は頷いた。
「じゃ、昼めしにするか」
「うん、おなかすいたよ~!」
服選びという悩みが解消して食欲が出てきたと末っ子は語った。中三女子の悩みの深さが、俺には計り知れない。
さすがゴールデンウィーク。フードコートはごった返していて、客が入れ代わり立ち代わりに席を埋める。三人分のテーブルが確保できそうにないので、俺たちは一番空いている定食屋に並ぶことにした。
「いらっしゃいませ~! お名前を記入してお待ちくださーい!」
忙しそうな店員が、忙しそうに目配せと声だけで案内する。不人気店ではなさそうだが、簡単な丼もののメニューが多いおかげか、回転が速そうだった。
順番待ちの用紙に名前を書こうとペンをとる。
「お?」
ぷるぷると、ボールペンを挟む人差し指と親指が震えた。しびれてうまく書けない。用紙にペン先を押し付けようとして、指の方が負けてペンを取り落としてしまった。
(あー、久しぶりだな。このしびれるやつ)
右手を骨折して以来、訳も分からずしびれだすことが、たまにあった。実害というか、日常で困ることといえば、文字を書こうとする指の力が入らなくなるというくらい。大ごとに聞こえるかもしれないが、不意に発生して、何時間も続かないうちにいつの間にか収まる。時間を計ったことはないが、ものの数分もすればたぶん元に戻るのだ。試験の時とか、そうなったら困るだろうなとは思うけど、実際になったことはない。
どういうときにそうなるのか説明ができないし、しびれの症状が数分しか続かないので、タイミングよく病院にいけるというわけでもないから、医者に話したことはなかった。
ペンを取り直して、「葉月」と書き込む。書き込むというには、あまりにも弱い筆圧で、どうにか紙にインクがつたってくれた、という具合。
書いた漢字二文字は、ミミズがのたくったようになっていた。はは、店員さん読めるかなあ。
外国人が正しい見本を真似して書いたほうがマシなくらいだ。
「はる兄、字が汚い~。もっと丁寧に書きなよー」
さすがにりこがイジってくる。
それを聞いた莉緒の表情が変わった。ボールペンを取って、用紙に「葉月」と書き直す。姿勢の綺麗な、莉緒らしい字だった。
ペンを置くと、意を決したように、りこに向き直った。
「りこ、はる兄さんに謝って」
莉緒の表情は真剣だった。
「え……なに、りお兄……」
めったに怒らない莉緒の表情に、りこは縮こまった。きっと自分がなにかいけないことをしたんだと、ちゃんとわかるりこだから、反発はしなかった。
「りお、大丈夫だから」
俺がなだめても莉緒は譲らない。俺はりこをとがめる気はなかったんだけど。
「後で、教えてあげる」
莉緒はりこにいうと、あとは無言で席に案内されるのを待った。




