(おまけ)猫と、王家の味と(上)
とある日曜日の午後。
冬の空気は澄んでいて、吐く息が少しだけ白い。私はマフラーの端を指でいじりながら、勇者と並んで商店街を歩いていた。
私は収録帰りの私服だ。膝丈のスカートにタイツ、ふわふわしたニット、上からベージュのコート。足元は歩きやすいショートブーツ。
勇者は、仕事が休みらしくカジュアルなコートにジーンズという、いつもの服装だった。黒いマフラーがよく似合っている。
今日の目的は、旅行ガイドブックを買いに来ること。
海で勇者に会ったとき「また旅に出ようと思うんだ」と言っていた。ところがあれからもう3か月ほどが経つというのに、勇者は一向に出発する様子がない。事ここに至り、さすがに私は察した。
こやつ、どこに行こうか全然決めてないな、と。
それなら、とりあえず分厚い旅行ガイドでもめくりながら決めればいいじゃないか、という流れの今日である。
既に何冊かガイドブックは入手したが、勇者はなぜか日帰りで帰って来れる場所の本しか買おうとしなかった。どうやら、こちらの世界で冒険心を忘れてしまったらしい。
なので私は、こっそり厳選した本をカゴの中に紛れ込ませておいた。いずれも通常コースが五泊六日という長丁場の観光地ばかりである。家に帰って驚くがいい。
「この通り、にぎやかだね~。お祭りみたい」
商店街のアーケードには、冬のセールの旗が等間隔にぶら下がっていて、コロッケの匂いと焼き芋の甘い香りが入り混じって漂ってくる。気になってちょっとそわそわしてしまう私。
勇者が、少し肩をすくめた。
「まあ、土日はこんなもんだろ」
そう言っている本人の手にも、いつの間にか紙袋がぶら下がっている。さっき「ちょっと待ってろ」と言って離れたときに買ったのだろう。……なんだろうあれ。でもたぶん食べ物だと思う。いやきっとそうだ。そうだといいな。
そんなことを私が考えていると、八百屋の脇から、ふらりと影が出てきた。
「……あ」
白と薄茶が混ざった、ふわふわした猫。
猫はまっすぐ私の足元に歩いてきて、そのままコートの裾あたりに頭をすりすりと押し付けてくる。
「わ、こんにちは〜。どうしたの〜?」
しゃがんで指を伸ばすと、冷たい外気の中で、その小さな体は驚くほど温かかった。毛並みはふわふわで、触れるだけで掌がじんわり解けていくみたい。
猫は目を細め、ゴロゴロと喉を震わせた。
勇者のほうには、特に興味を示さない。視線だけちらりと向けて、すぐにまた私のほうにぐいっと寄ってくる。
「お前って、昔から猫に好かれるよな」
勇者が、少し呆れたような声で言う。
「……そうかなぁ?」
撫で続けながら首を傾げると、勇者はどこか懐かしそうに笑った。
「ほれ、いつだったか宿の手伝いした時あったじゃん。あの時も、やたら集まって来てた」
「あー、そういうのもあったねえ……」
猫の毛並みを指でとかしながら、私は目を細める。
――山の中の、小さな宿。忙しそうな主人。
エプロンを借りて、みんなで手伝いをした日。
あの晩の、にぎやかな食堂の匂いが、ふっとよみがえった。
少しだけ、息が白くなった。
……そうだ。あのときも、猫がいっぱいいたっけ。
* * * * * * * * * * * *
あれは、魔王討伐の旅の途中。
山間の街道沿いにぽつりと建っている、小さな宿に辿り着いたのは、ちょうど日が傾き始めた頃だった。
石畳の道の脇に、木造二階建ての宿が一軒。私たちでちょうどいっぱいになったらしく、表には「満室」の札がカタンと掛けられた。それでも、窓の内側からは忙しない人の気配が漏れていた。
近くの村では、明日お祭りがあるらしい。道理でお客さんが多いわけだ。
「人手が足りなくてさ……」
出迎えに出てきた宿の主人は、額に汗をにじませながら苦笑した。
聞いてみると、いつも働いているスタッフが、親の具合が悪くて故郷に帰ってしまったのだという。その穴を自分と妻だけで埋めようとして、逆に自分の腕をひねって包帯を巻いている始末だった。
食堂を覗くと、皿は山積み、注文は溜まり、客は待たされ、厨房からは悲鳴じみた声がたまに飛んでくる。小さな宿なので、お客さんは見た感じ10人くらいだったけれど、見事なまでに、回っていない。
「……これじゃ、いつまでたっても収まらないわよ」
王女様が、細い眉をわずかにひそめて呟いた。
金の髪をゆるくまとめたかんざしが、灯りを受けて揺れる。
剣士はと言えば、無言のまま、食堂と厨房を一度ぐるりと見回している。
その目は、戦場を見ているときと同じ、配置を測る視線だった。
私は、勇者と目を合わせた。
勇者も、こちらを見て、肩をすくめる。
どうやら思っていることは、みんな同じらしい。
私は一歩前に出て、そっと手を挙げた。
「よかったら、手伝いましょうか?」
宿の主人は、ぱっと顔を輝かせた。
「ほんとかい!? 助かるよ!」
その声を合図にしたみたいに、勇者と王女様と剣士も、自然と頷いていた。
「それじゃあ、これを着てくれるかい?」
宿の主人が出してきたのは、淡いクリーム色のエプロンと、同じ色の三角巾。
私は「おお〜」と小さく感嘆して、それを受け取る。
……が、実際に着てみると、少し大きかった。
腰ひもの位置が合わず、後ろで結ぼうとしても手が届かない。
「ん〜〜……あれ……?」
私がぐるぐると回っていると、横から王女様と勇者の手が同時に伸びてきた。わずかに早く、王女様が紐を掴み取った。なぜか悔しそうな顔をする勇者と、これまたなぜか勝ち誇ったような顔で「ふふん」と笑う王女様。
そして、王女様がくい、と紐を引き、余った分を器用に結び直してくれる。
私はその間に、袖をくるくると肘のあたりまでまくり上げた。三角巾を頭に乗せ、前髪が落ちてこないようにピンで留める。うん、私的にはけっこういい感じかも。
「どうかな?」
エプロンをひらめかせながらくるりと振り向くと、勇者が一瞬だけ言葉を飲み込んだような顔をした。
「……まあ、似合ってるんじゃねぇの」
そっぽを向きながらそんなことを言う。むむ。あんまり似合ってない? こうなったら明日の朝、この格好で男子部屋に起こしに行ってやろうか。「お客様、起きてください。朝ですよ」とか言ってやろ。
一方、王女様は「悪くないわね」と涼しい顔で頷き、剣士はほんの少しだけ目を細めた。やさしい。
私は「よーし、がんばるぞ〜」と両手を握りしめる。
かくして――宿のお手伝いという一大任務が開始された。
「で、役割はどうする?」
勇者がそう切り出すと、最初に口を開いたのは王女様だった。
「私は接客でもいいけれど?」
すました顔で言った瞬間、勇者の表情が露骨に微妙になる。
「いや、客とやり合ったらまずくね?」
「あら。どういう意味かしら?」
「そのまんまの意味だよ!」
「ふーん? 言うじゃない」
険悪になる前に、宿の主人が慌てて割って入った。
「あ、あの、その……できれば厨房も手伝ってもらえると……料理が追いついてなくて……」
「だったら、料理は私がやるわ。接客が駄目ならそっちしかないわよね?」
王女様はあっさりそう言った。
その横顔を見て、剣士がほんの少しだけ目を見開く。
その様子が気になった私は、そっと剣士の近くに寄った。
「……王女様って、お料理上手なんですか?」
「いや、見たことがないな」
短い答えが返ってくる。
ちょっとだけ、嫌な予感がした。
「あの、王女様、やっぱり私が――」
「いいわよ。私が一番いいものを食べてきてるはずだから、うまく作れるに決まってるでしょ」
『美味しいものを食べると料理が上手になる』。王女様から新しい説が投じられた。下手すると料理人界隈を根本から揺るがしかねない巨大な一石だった。
ほ、本当にそう……? 私は、ちょっとそれには賛成できないかも……!
けれど王女様は、やる気満々で台所に立ってしまった。うーん。止めるタイミングを完全に逃した。
王女様の隣で、剣士が、無言のまま包丁を手に取る。刃のきらめきが、夜の支度の始まりを告げていた。
「じゃあ、私はお客さんのところに行ってきますね〜」
私は半ば逃げるように、エプロンの裾を押さえながら食堂側へ向かった。王女様、明らかにやったことなさそうだった。こうなったら、いざという時は私が手直しをせねば……!
そして、20分ほどして、厨房から王女様の声が響いた。
「できたわよ。運んでちょうだい」
差し出された皿の数々を見て、私は思わず息を呑んだ。
小皿に美しく盛られたピュレ状の野菜。
透き通るような琥珀色のスープ。
皮目が黄金色に焼き上がった、チキンのソテー。
――皿の上に広がる色とりどりの料理の数々は、まるで芸術作品だった。
香りも品があって、ふわりとバターとハーブが鼻をくすぐる。
王女様は、銀のスプーンを揃えながら、優雅に一礼した。
「“王家の晩餐・秋風仕立て”。王宮の味よ」
「さすが王女様……!」
私は、胸を張って配膳に向かった。
食堂では、待ちくたびれたお客さんたちが、湯気の消えた湯飲みを手にしたり、空腹をごまかすようにテーブルを指でとんとん叩いたりしている。
それでも、皿の上の“王家の晩餐”を見た瞬間、ざわっ、と空気が揺れた。
「おお……」
「なんかすごいの来たぞ……?」
「山の宿でこんな……?」
どよめきが広がる。お腹が空いているせいもあって、「なぜ王家の晩餐が山の宿で出てくるのか」という疑問は、今の彼らには優先順位が低かったらしい。
「お待たせしました〜。本日の特別料理です〜」
料理を置くたびに、お客さんたちは身を乗り出す。まるで、誕生日ケーキを目の前に置かれた子供のように、全員の目がキラキラしていた。
配り終えると、一斉にスプーンが持ち上がる。
期待。歓声。ぐーっというお腹の鳴る音すら聞こえた。
私は、食堂の端に下がってから、こっそりと自分用の一口をつまんでみる。初めての料理でこんなに綺麗に作れるなんて。王女様ってすごい。
どれ一口……あれ……?
――沈黙。
食堂全体が、時が止まったみたいに静かになった。
目の前の男性客は、スープ皿をじっと見つめ、二口目に行こうとした手が空中でピタリと止まる。
向かいの奥さんは、眉間にしわを寄せ、「……あれ?」と小声でつぶやいた。
別の席では、若い旅人が首をかしげ。
後ろのほうで子どもが「……からい?」と呟く。
その母親は「え、ちが……いや、から……? え?」と混乱していた。
私にも、みんなの気持ちは痛いほど分かった。
最初の一瞬だけは、たしかに美味しい。
香りも良いし、舌に乗った風味も悪くない。
……のに、その直後。
口の中に、何層もの味が、洪水みたいに押し寄せてきた。
甘味、塩味、苦味、酸味、辛味――。
それぞれが己の主張を武器に、互いを殴り合っている。
スープを飲めば喉の奥がかっと熱くなり、
肉を噛めば舌がびりびりとしびれ、
香草の香りが鼻の奥で爆ぜる。
舌の上で、“王家の誇り”と“暴力”が共存しているような味だった。
「……っ、か、辛っ……?」
「いや、違……いや、でも……ごふっ」
「おい! このスープ、飲んだら食道が焼けるぞ!?」
客席からそんな声が漏れ始める。
食堂のお客さん全員の額に、じわりと汗がにじんだ。
食堂の様子を見守っていた王女様は、不思議そうにスプーンを口元に運び――次の瞬間、ぴたりと静止した。
「…………」
そのまま数秒、動かない。
やがて、急にそわそわと落ち着かなくなり、自分の料理をじっと見つめて「……あら?」と呟いた。
……まさか、味見してなかったんですか王女様。
「王宮では毎日これを……?」
「やっぱ王様ってすげえんだなぁ……」
旅人のおじさんと、隣にいた勇者が、まったく同じトーンで呟いた。
なぜか二人とも、妙に尊敬したような顔をしている。
料理をいつ下げようかタイミングを見計らっている私の横で、王女様はスプーンをそっと皿に置いた。
そして――顔の角度だけは気品を保ちながら、しかし完全に目が泳いでいる状態で、なんとお客さんに説明を始めた。その隣で、ハラハラと見守る私。
「ええっと……これは……そう。本来の持ち味を、最大限、尊重した結果であって……」
「尊重してこれって、逆に素材の悪口になってるよな?」
「俺知らなかったけど、チキンの持ち味は殺傷能力だった……?」
「べ、別に味見を忘れたとか、そういう話ではないのよ? その……王宮では“素材を信じる”と言われていて……」
「信じた素材の方が裏切ってません……?」
「信じた結果これなら、次は疑ってください!」
「火加減も完璧だったし……盛り付けも美しかったはずなのよ……? まあ、味は……ほら、“王家の風味”って、たまに刺激的で……」
「確かに、若い頃の戦の味を思い出すのう……」
「これは……生きる覚悟の味じゃ」
「……ストーップ! ひとまずそこまで!」
私は慌てて手を挙げた。
「て、撤収―! ちょっと手違いがありました! まだこの料理は途中です!」
「と、途中……?」
「いや、これもう……完成してない?」
「もはや行ききるところまで行ってる感が……」
「いえ! まだここから進化するんです!」
半ば叫ぶように言って、私は皿をかき集めた。
そして、お客さんたちの湧き上がる疑問と汗だくの視線を背中で受けながら、全力で厨房へ引き返す。
無理やりに調味料で煮込むか? いや待て。こういう時こそ、魔法を使えば――!
私は杖を片手に、そっと皿に触れる。
味の輪郭をなだらかにし、喧嘩している要素だけを少しずつ引き算していく。
ただの塩加減ではどうにもならない、“方向性そのもの”を調整するための魔法だ。
――こうして「王家の晩餐・秋風仕立てver.2」は、かろうじて人の舌が理解可能な世界へと、無事に引き戻された。
信じられないことだが、味を変えるのには青色の魔法が必要だった。さすが王家。




