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逃げる魔法使い 〜寿命を削って魔法を使っていただけなのに、なんだか周囲の様子が変です〜  作者: うちうち


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番外編④ 「追跡者」

「少女は、伝承にある長命種かもしれない」

「狙っている相手が、すでに近くに潜んでいる可能性がある」




 ――それが、団長のもとに届いた情報だった。


 団長が率いるのは、十名にも満たない小さな冒険団。だが、その分だけ動きは早かった。命令は即日、全隊員に通達された。


 少女には、常に護衛を。ただし、「目立たぬように」という条件付きで。


 その条件を前に、問題となったのが――フィリナだった。


 すらりと伸びた長身に、無表情、白い外套。群衆の中では否応なく目を引く。だが、当の本人はそのことをまるで意に介していない様子で、団長に淡々と主張した。


「これまでも一緒にいた私が、急にいなくなる方が不自然です」


 静かな声だったが、言葉には芯があった。


「相手がこちらの動きに気づけば、かえって襲撃の引き金になるかもしれません。私がそばにいれば、普段通り。相手も警戒しない」


「……そ、そうか?」


「安心してください。追手は、全員、私の槍のサビにします」


「……えっ、襲ってくる前提じゃん……?」


 呆れたように返す団長に、フィリナはうっすらと眉を動かしただけだった。





 その会話が影響したのか、どうだったのか。その後も、変わらぬ光景が続いた。

 少女の隣にはいつも、背の高いフィリナが立っていた。


 小さな足取りでぴょこぴょこと歩く少女と、それを静かに見守る白外套。

 2人は、山沿いの町の市場や通りを散歩することが多く、いつしか町民たちの間では、「お姉さんと妹」として知られるようになっていた。


 少女が笑うと、フィリナは口元をほんのわずかに柔らげる。その自然な距離感に、誰もが微笑ましさを覚えていた。








 ――それは、とある昼下がりのことだった。


 野営地の木陰。風がさわさわと草を揺らし、木漏れ日がゆるやかに揺れていた。テントの外れ、倒木に腰かけたフィリナの膝の上には、少女がちょこんと頭を乗せて眠っていた。


 両手は胸の前でそろえられ、小さな肩が上下するたび、すうすうと穏やかな寝息が漏れる。その様子はまるで、小さな動物が安心しきって昼寝しているかのようだった。


 ……ただし、唐突に、フィリナの太腿を濡らし始めたものがあった。少女の口元から垂れた透明な涎だった。


 ぴとり。一滴。


 ぽた、また一滴。


 フィリナは何も言わない。ただ、太腿に敷いた自分の外套がじわじわと涎に浸食されていく様子を、無言で見つめていた。うっすらと口を引き結び、若干視線が遠くなっていた。





 そんな静けさの中、ザッザッ、と草を踏む足音が近づいてくる。次いで、ひょいと現れたのは――団長だった。


 手には何か紙袋を提げている。中身は昼食のパンらしい。


「……その子に名前をつけてやろうと思うんだ」


 唐突な言葉に、フィリナが小さく目をしばたたかせた。


「勝手に……ですか?」


「本人が忘れてるなら、仮の名前でもあった方がいいだろ。呼び方が『あの子』『そっちの子』じゃ、いずれ困る」


 団長は言いながら、パン袋の口を締め直し、少女の方へと視線を落とす。


「お前さんには、昔に言っただろ。名前ってのは、本人を思い出すためだけのものじゃない。ここにいること、ここに居ていいってことを、伝えるためにあるんだよ」


 言葉の終わりに、風が一吹き通り抜ける。木漏れ日が少女の頬をきらきらと撫でた。


 その声は、いつになく柔らかく、静かだった。


 





 ――そして五分後。


 野営地の中央、即席の集会スペースには団員全員が集まっていた。件の少女は、フィリナの背後であくびをしていた。頬にまだ涎の跡がある。


「よーし、じゃあ順番に案を出していこうか」


 団長の音頭に、手をまっすぐ上げたのは、若い魔法使いのカヤだった。最近の彼女は、少女をかわいくドレスアップすることに並々ならぬ情熱を注いでおり、その成果として少女はカヤを見ると必ずフィリナの背後に回り込むようになっていた。


「私は、響きが可愛くて、子供らしい名前がいいと思いまーす!」


 と、張り切って掲げた紙に書かれていたのは――『ルリュミ』。


「なんか妖精っぽくて愛されっぽくない? あの子、そういうの似合うと思うな!」


 提案者の熱量は十分だったが、反応は微妙だった。


「舌がもつれそう」

「これ人名か……?」

「早口言葉ですか?」


 群衆の微妙な反応に静かに敗北したカヤは「しゅん……」と肩を落とし、そっと背後に下がった。その後も、いくつか案は出たが、どれも賛同を得られず。





「他にはないか? じゃあ、おれが考えてきたやつを出すか」


 団長が荷物袋から分厚いスケッチブックを取り出し、表紙をパタンとめくる。黒いマーカーでくっきりと記されたのは――『ミア』という名だった。


 その瞬間、団員たちがざわつく。ほう……とあごを撫でる者もいた。


「いいな。短くて呼びやすいし。かわいい」

「歳を取ってもおかしくならない絶妙ライン」


 口々に賞賛が飛ぶ中、団長はふと振り返って、フィリナに視線を向けた。


「お前も何か案あるか?」


 フィリナは、先ほどまで膝の上で寝ていた少女をちらりと見た。


 少女は既に起きており、指先でフィリナの外套の濡れた部分をいじっている。その指先がふにふに動くたびに、布にしみた涎の跡が拡がっていく。


 フィリナは眉間に皺を寄せた。団長が、背中を押すように声を掛ける。


「難しく考える必要はない。あの子を見ていて思ったこと、あの子が好きそうなもの、よく口にしてる言葉でもいい。なにか“その子らしい”言葉があれば、それで」


 フィリナは少し悩んだ様子で首を傾げると、団長の手元からスケッチブックを受け取り、静かに何かを書き始めた。ペンの音がさらさらと響く。


 やがて、無言で差し出された一枚のページ。どれどれ、と団員がみな近寄って覗き込んだ。


 そこに記されていたのは――。





『パンの耳』





「…………」


「……?」


「???」


 その瞬間、時間が止まった。


 団員たちは、それを見た。だが誰も、何も言わなかった。言えなかった。


 その文字列がどういう意味を持つのか。冗談なのか本気なのか。好きな食べ物の話なのか、それとも何か深い象徴なのか。誰一人として、即座に判断を下せなかった。


 フィリナの顔を見る者も、スケッチブックを凝視したまま動けない者もいた。言葉を飲み込み、口だけが開いたまま止まっている者もいた。


 その場の空気が、凍るでもなく、ざわめくでもなく、ただ――止まっていた。


 そして、団長が咳払い一つ。


「よし、『ミア』でいこう! 全会一致な! 解散ッ!」


 団長の判断が最速だったのは、この日が初めてではなかった。さすがは団長だった。







 その日以来、少女はみんなから「ミア」と呼ばれるようになった。

 本人は何が決まったのか分かっていない様子だったが、呼びかけられるたび、少し恥ずかしそうに笑っていた。











 それからしばらく経った、ある日の朝。朝靄の残る広場に、不意に差し込んだ冷たい気配があった。


 町に突然現れた黒衣の一団があった。彼らは、無言で一歩、また一歩と前に出る。長衣の裾が風に揺れ、奇妙な金属の管が腰に並んでいた。そのいずれにも、水晶のようなものがはめ込まれている。


 その後ろを、剣と槍で武装した傭兵たちがぞろぞろと従っていた。黒衣の者たちとは違い、彼らは顔を隠しておらず、むしろ苛立ちを露骨に顔に浮かべていた。傭兵のひとりが剣の柄に手をかけ、軽く鳴らすと、子供が悲鳴を上げて母親の影に隠れた。



 黒衣のうちのひとり――細身で、まるで人間味のない機械のような動きをする男が、前に一歩、出た。水晶の装置がかすかに揺れ、金属のきしむような音が響いた。


 男はミアの方に顔を向けると、まっすぐに告げた。


「外見および挙動、初期個体群と一致。記録された特徴との符合率、実に九十二%」


 続けざまに、別の黒衣が淡々と引き継ぐ。


「従って、そこのそれを――長命種……いや、その末裔体と断定する。回収対象であると同時に、研究上の重大資産に該当する」


 言葉には一切の感情がなかった。まるで機械の音声読み上げのようだった。


 ミアの後ろに立っていたフィリナが、さっと一歩前に出て、無言のままミアを背にかばう。


 それを見て、黒衣の中のひとり――おそらく交渉担当であろう男が、やや明るい調子で前に出てきた。口元にわずかな笑みのようなものを浮かべ、やけに礼儀正しい仕草で口を開く。


「ご不安にさせてしまったなら申し訳ない。我々は王国に極秘に所属する“理術省”の者です。ここにいるのは、誰ひとりとして無関係な存在ではありません」


 男はまるで、花の品種について語るような口調で言った。


「そこのそれは、長命種……あらゆる病理的老化に対して抵抗性を持つ、極めて稀少な存在。すなわち、寿命という人類最大の限界を超える可能性を秘めた、貴重な個体です」


 彼の言葉に、誰もが息をのんだ。


「王国の――いえ、人類の希望とさえ言えるでしょう。ですから、我々はこの命を、無意味に消費させることなく、最大限有効に活用しようとしているだけなのです」


 黒衣の男は、まるで猫を抱き上げるような手つきで、ゆっくりと腕を差し伸べた。


「おお、腕も足もある……! 理想的な状態ですね。……純粋体ではないのが惜しいですが、それでも――よく、無事でいてくれました」


 その声は優しくさえあった。


「さあ、たくさんの実験があなたを待っていますよ。安心してください。すぐに死ぬことはありませんから」




 フィリナが静かに、しかしはっきりと一歩前に出た。槍に手を添える仕草は、ごく自然なものだったが、空気が一気に張り詰める。


「あなたたちは、誰にそれを許されたの」


 その言葉は、怒号ではなかった。けれど、聞く者の骨にまで染み入るような、冷たい響きだった。


「命を、素材と呼び。痛みを、実験と呼び。……そんなことを、誰が望んだの」


「我々は王国の理術省に所属する正規技官です。王家より承認された範囲で活動しており――」


「それが正しいと、誰が決めたの」


 再び、フィリナの声が落ちた。そして、背負った槍を構え直し、穂先を覆う布に手を掛ける。


「この子を、あなたたちの研究とやらに差し出す気はない。……誰であれ、ミアに触れようとするなら、私は槍の刃を向ける。去りなさい」


「去りますよ。『それ』を渡してもらえばすぐにでも」


 広場に、静かな緊張が張り詰めた。


 その張り詰めた空気を、さらに裂くように、別の声が響いた。


「……“それ”だぁ?」


 そこに立っていたのは、団長だった。いつものぼんやりした帽子に、だらしなく羽織った外套。けれど、その目だけは、笑っていなかった。


「うちの団員に向かって、ずいぶんな言い草だなぁ」


「団員……?」


 団長は、理術省の男のすぐ前まで歩いていくと、ぽんとその肩に手を置いた。


「そう。ミアは、うちの冒険団の、正式な団員。昨日、登録証明も出した。ギルドにも報告済みだ」


 団長は、にこりともせずに続けた。


「団員に危害を加えるやつは、“敵”とみなす。そういうのが、王国認可の冒険団の規則だったろ? 理術省さんよ」


 その口調は、柔らかいのに妙に芯がある。理術省の男は、小さく眉を動かした。


「……いったん退避とする。全ては、我が王国のために」


 命令のような呟きとともに、黒衣の者たちは無言で身を翻した。後方に控えていた傭兵たちも、やや不満げに肩を怒らせたまま、その後ろに続いていく。



 フィリナは、槍を下ろさなかった。団長も、じっとその背中を見送ったままだった。その背後で、ミアが、そっとフィリナの外套を握っていた。





 しばらくして、遠ざかる足音が完全に消えたとき。団長は、帽子の下でぽりぽりと頭をかきながら振り返った。


「まったく……名前をつけたとたんにこれだ。世の中、厄介ごとばっかりだな」


 彼の顔にようやく、いつものゆるい笑みが戻った。




 その日から、ミアの周囲を守る団員は、3人に増えた。





* * * * * * * * * * * *





 そこまで話して、老婆は口を閉じた。ぱちり、と、暖炉の火が跳ねる音が、静かに響く。

 そんな中、勇者と剣士の視線が、王女にそっと向いた。王女は慌てて手と首をぶんぶんと横に振る。


「ち……ちがっ……! 違うわよ⁉ うちの王国に理術省なんてないし……!」


「極秘に所属するって言ってたぞ」


「私が知らない極秘なんてあるわけないでしょ⁉ ね? そうですよね?」


 王女は、助けを求めるように老婆に視線を動かした。老婆は表情を動かさずに王女を見返し、王女はあっという間に挙動不審になった。


「えっ? えっ? まさかほんとにうちの……」


「違いますよ」


「ほっ……ほら! ほらあ! あなたたち謝って! 謝れ! 私と王国に謝れ!」


 王女は立ち上がり、両手を振り回しながら勇者と剣士を一喝した。


「というか、あなたはなんで関係ないって顔してるのよ! 王国所属の剣士でしょうが!」


 王女にそうなじられ、剣士は黙って肩をすくめた。

 老婆はそれを眺めて、面白そうに目を細めた。


「この話は今から60年ほど前の話ですが、話に出てくる王国はもう滅んでいますよ。長命種を追い求めていたのも、何とか崩壊を食い止めたいためだったようです。理術省の科学者たちと傭兵は、その切り札だったのでしょう」






 座り直した3人は、ふむ、と頷いた。その隣で、魔法使いの少女は、祈るように両手を胸の前で握り、目を閉じて宙を見上げていた。悟りを開いたかのような穏やかな表情だった。


 その隣で、勇者が、思い出したように口を開く。


「そういえば、その子が騎士の息子と仲良くなったみたいな話って……いてっ! え⁉」


 その瞬間、魔法使いの少女が、王女と剣士がこちらを向いていないことを確認し……宙から杖を取り出して、勇者の頭をポカリと殴った。しかし振り返った勇者が見たのは、そっぽを向く少女と、彼女の掌に乗る小さな金属細工だけだった。歪んだ幾何学模様。何やらぼやけて見えるが、光に透かしてもただの細工にしか見えない。


「……お前、今、杖持ってなかったか⁉ なくしたとか言ってたじゃん!!!」


「持ってないよー」


「いや、今俺、確実に殴られたぞ! 痛いもん!」


「殴ってない。目の錯覚」


「目の錯覚はどっちにしてもおかしくない⁉」





「……で、そのアクセサリーなに? 怪しすぎるんだけど」


「明日の天気がちょっと良くなりますようにって、おまじないだよ」


「今そんなこと祈る?」





「もう、ふたりでじゃれてないでよ。……まあ、せっかくだから、その話、聞かせてくれる? その少女と騎士の息子の恋物語を」


 王女がくすっと笑って、老婆に向かって身を乗り出す。その顔は、どこか嬉しそうで――恋の話を前にした、年頃の少女らしい興味がそのまま表れていた。


 魔法使いの少女は、それをちらりと見上げる。そして、掌の上に乗った金属細工を見つめながら、ぐーぱーと手を開いたり閉じたりし始めた。


 それはまるで、「さすがに王女様は殴れないなぁ」という無念の動きに見えなくもなかった。

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― 新着の感想 ―
滅べ王国!、、、違う違う!そっちじゃないから!
ガッツリ実験材料扱いだった
そんな扱いばかり受けていたら、そりゃ逃げたくもなるわなあ。 魔法を使わなくても、杖は役に立つとw
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