二十八幕 車騎将軍と中郎将の出陣
中平二年(西暦一八五年)。
漢の西域に属する涼州で反乱軍が興った。
賊を中心に結成されたその反乱軍は、地方官吏や漢に奴隷として酷使されていた羌族という異民族を吸収し、あっという間に三万を超す大軍勢になってしまった。
それに対して、漢は地方の反乱であると判断し、最初は涼州の官吏たちに任せる腹積もりだった。
しかし、涼州は首都・洛陽の威光の届かぬ僻地のひとつ。
貪官汚吏の怠惰な地方運営によって初動を遅らせてしまい、反乱軍は涼州を進軍し、司州に入ろうという動きを見せていた。
洛陽は司州東部、河南尹にある。
反乱軍が洛陽に攻め寄せるには、三舖地方を超え、弘農郡を更に越えなければならない。
とはいえ、余裕がある、と言える状態ではなくなってしまった。
加えて言えば、三舖地方と呼ばれる三つの郡。右扶風郡、左馮翊郡、京兆尹。これらは歴代皇帝が埋葬されている地域が多い。ここを反乱軍に占拠されれば、漢という国の威信は地に落ちることとなる。
余裕がないどころか、早急に対処しなければ戦略的な敗北に晒される危険が産まれた漢は、前年の大反乱・黄巾の乱の傷も癒えないままに、討伐軍を編成することになったのだ。
漢が選んだ国家の危機を救う英雄は次の二人。
皇甫嵩。字を義真。
董卓。字を仲穎。
これら二人はどんな人物なのか。ただいまこの瞬間から物語を観測する皆様のために簡単に説明することにしよう。
皇甫嵩。
一度官途に就いた時もあった。
しかしすぐに辞め、それ以降は父の喪に服し、父の喪が明ければ叔父の喪に服すことで、仕事を徹底的に避けていた男だ。
ちなみに、『喪に服す』とは家族や親しい間柄の年上の存在が死んだ際に、必要最低限の生活を行い、その死んだ人を悼むことである。食べるものは粥だけ。家からは一歩も出ず。客とも会わない。そういう暮らしを短ければ数か月。家族などの密接な関係の者が死んだ場合は三年、家に籠る。
これは国家で推奨されており、官吏が死んだ場合、国は香典代のようなものとして、金品を送ったが、それには家族が三年間生活できるだけの金も含まれていたという。
皇甫嵩は喪が明けても出仕をせず、黄巾の乱が起こり、皇帝から直々に誘われる形で何年振りかの職場に復帰した。
そして、左中郎将として黄巾軍に対して外征を行う将軍に抜擢されることになったのだ。
理不尽なまでのいきなりな大抜擢に、しかし、皇甫嵩は結果を出し続けた。
黄巾軍の地方指揮官・波才を撃破し、混乱に乗じて独立しようとした元黄巾軍の彭脱を討伐。指揮官のひとりである卜己を生け捕りにし、籠城を続けていた大将のひとり、張梁を撃破。すでに病没していた黄巾の乱の発起人にして総大将・張角の遺体を晒すと、更に進軍して最後の大将・張宝を撃破する。
黄巾軍には三人の大将と複数人の地方指揮官がいたが、皇甫嵩は実質的に三人の大将全てを討ち取っている。
更に片手間のように、讒言によって訴えられた味方の将も救ってしまうような八面六臂の大活躍を見せた。
もう一人の英雄は董卓だ。
彼は黄巾の乱においては目立った活躍ができなかった。
というのも、総大将・張角が籠城する城を包囲していた漢軍の将が、讒言によって更迭されたことで急遽戦場に駆り出されたからだ。
董卓たちは無理な進軍をして、黄巾軍の伏兵に合い、その対処に時間がかかり、戦場に到着するのが大きく遅れてしまった。
しかし、黄巾の乱以前にも董卓は幾度も異民族の討伐に従軍しており、左右どちらの手でも弓を射つことができるほどの武勇を存分に発揮していた。
更に并州刺史となってからは、私兵団を率いて異民族や賊を相手に辺境の治安を守り通しており、黄巾の乱での失態があっても救援を要請できる信頼があるほどの指揮官でもあった。
そんな護国の将だ。
そんな救国の英雄だ。
決して。
「ねえええええええええ。やだああああああああ! もう討伐軍指揮官とかやりたくないいいいいいいいい!!!」
子供のように、駄々をこねながら泣きわめくような存在ではないのだ。
というか、普通の大人でもやらない。
皇甫嵩という男。
問題がある。
なんとはいっても、仕事が嫌いなのだ。
『喪に服す』といえば聞こえはいいが、実際に喪が明けても彼は出仕しなかった。
官吏が汚職する官界に嫌気がさした?
それもある。
幼少のころから叔父に従って戦を続けてきたので厭戦の気分がある?
それも、ある。
しかし、そもそもとして、他の仕事もしていない。
要するに。
働かなくても生活費のある、そんな環境に染まりすぎて、働くのが嫌になってしまったのだ。
どれくらい嫌かというと。
前回、黄巾の乱で中郎将に抜擢されなかったら、飢えて死んでいた。
それぐらい差し迫った状況でも、働くより、飢えて死ぬのを選ぼうとしていたほどだった。
何かと理由をつけて働くのを避けようとする。
今回の理由はというと。
「俺もうすぐ結婚なんですよ! 今、嫁さんと、式の日取りを決めてるんですよ!! なのに戦地に行け!? こんな丁寧な死亡フラグありますか!?!?」
というわけだ。
そして更に。
「だいたい、董将軍がいるじゃないですか! 歴戦の! 対異民族に特化した! 董将軍が! その人がいれば俺はいらなくないですか!?」
そう泣きつく相手は、大将軍の何進だ。
皇帝・劉宏の正妻が何進の腹違いの妹だ。
何進は皇后の親族・外戚として軍部の最高責任者である大将軍に昇進していた。
「そう言うな、皇甫。陛下も俺も張譲殿も、お前の指揮能力を評価しているんだ。今回の戦はただの戦ではない。歴代皇帝の陵墓を守る戦だ。それなのに、二線級の指揮官を出せるわけがないだろう。ある意味、国民へのパフォーマンスでもあるんだ。今、お前さんは相当な人気なんだぞ?」
そんな人気いらねえ!! と頭を抱える皇甫嵩を横目に、何進はもう一人の指揮官を見る。
(まあ、それに、董殿は董殿で馬鹿正直に信頼できるかというと、難しいからなぁ)
董卓という男。
この男も問題がある。
并州刺史という立場は辺境の監督官を意味する。
各郡の太守や各県の県令たちが不正を行わないように監督するのが彼の職務だ。
これだけであれば、できる者が多い。しかし、辺境の高官というのはそれだけでは済まないものがある。
漢という国は東部は海に、北部と西部は山岳地帯に、南部は大小様々な国家に接している。
北部と西部では山岳民族が、南部では他国籍の民族が多く割拠している状態なのだ。
それでも、南部はまだ大きな問題にはなっていない。
大きな問題になっているのは、北部と東部に割拠する様々な山岳民族たちだ。
彼らは遊牧民族としての性質から国というものを形成せず、氏族で細分化されそれぞれがそれぞれの方針で動いている。
どれだけ手懐けようとしても、細かく分かれた氏族全てを相手どることはできず、結果として幾度も漢は山岳民族たちから攻撃を受けることになっているのだ。
そうなってくると、辺境に派遣される人間というのは安穏に生きていくことはできない。
刺史という役職はあくまで監督官であり軍権をもたない。それを馬鹿正直に守っていても辺境では誰も守ってくれないのだ。
董卓は并州という辺境の地で、軍権をもたない刺史として君臨した。
しかしそこで満足はせず、賄賂を巧みに駆使して、董卓直属の私兵団を形成。軍権をもたない刺史にもかかわらず、軍事能力を確保してみせたのだ。
賄賂の授受は当然ながら犯罪である。
しかし、その穢れた金で、辺境の治安を守ることに成功していた。
故に、首都・洛陽でも董卓の動きは掴んでいたものの、黙認せざるを得ない状況だった。
領内を守ると言えば聞こえはいいが、董卓は漢の庇護を期待せずに動き、そして成功を収めているのだ。
独立志向の強い男。
それが、朝廷の董卓に対する評価だった。
「大将軍殿。よろしいか」
董卓が何進に声をかける。
「董殿。なにか?」
「儂の任地が空白になる。去年も半年ほど空ける羽目になった。たったそれだけで、并州は賊が跋扈した。いずれは各郡の太守たちで対処させたいとは考えているが、今はまだ、并州の治安維持は儂の私兵団を頼りにしておる。ここで儂がまた前線に出れば、并州も荒れ始めるのではないか、と危惧している。皇甫殿ではないが、儂も今回の従軍には素直に従えぬ」
皇帝、宦官の筆頭、軍務の頭領。国の最高権力者三名の前でそう嘯くほどに、董卓は力を持っている。
張譲が口をパクパクとさせながら言葉をなくし、皇帝・劉宏が顎に手をやって「ふむ。それは問題だね」と眉間にしわを寄せる中、何進は顔を手で覆った。
国に仕える以上、国からの指令は最優先でこなさなければならない。そうでなければ待っているのは罷免だ。
だというのに、国からの指令を、皇甫嵩は極々私的な理由で嫌がり、董卓は任地の治安を盾に渋ってみせる。
まさに問題児だ。
しかもその問題児が、軍事においては有能であることも頭痛の種だ。
皇甫嵩は黄巾の乱で活躍した救国の英雄。それもあるが、彼の叔父である皇甫規が異民族との戦いで大きな功績を残した。皇甫嵩もまだ年若い頃に叔父の軍に従軍し軍功を上げているという記録があるのだ。皇甫規の要請で表沙汰にはなっていないが、昨年の黄巾の乱の対策として資料庫を漁った何進はその記録を見つけていた。当時、十歳かそこらの皇甫嵩が、一軍を率いて異民族の将帥を撃破していたのだ。それを頼りに黄巾軍討伐指揮官として抜擢した結果があの八面六臂の大活躍だ。
董卓にしてもそうだ。
若い頃より異民族討伐軍の部隊長として皇甫規と同年代の張奐に付き従って武功を上げた叩き上げの軍人だ。同じく同年代の段熲からも官吏として推挙されている。
しかし、上司の意向に逆らうことも多く、それゆえ免官となった。資料にはその際の諮問書も残っていたが、一概に董卓が悪いともいえない内容だった。
例えば北方異民族と戦っていた将軍が補給路の延長を気にして一時撤退を命令した。
全軍が撤退を始める中、あと一押しで異民族の攻勢を挫けると考えていた董卓は、わざとゆっくりと撤退を開始し、それ故に先に撤退していた前軍と董卓より後ろの軍が分断された。それを好機と見た異民族がもたついている漢軍の背に襲いかかったが、董卓は軍を素早く転身させ、攻め込んできた異民族を迎え撃ち、後方の他の部隊もそれに応戦し、後方の接敵に気づいた前軍も取って返して参加したため、結果として千を超える異民族兵を討ち取り、防衛戦を勝利に導いた。
行軍が遅れたこと自体は大きな違反ではないが、それが故意であったとするならば、重大な軍紀違反だ。しかし、それを証明することはできない。諮問の際も董卓は撤収準備に手間取ったと発言しており、大きな問題にはできなかった。
こういったことが一度ならず幾度も積み重なった結果の免官だった。
今回の黄巾の乱においても、戦線にすぐに加わるのではなく、并州を出陣した後は幽州の代郡に駐屯しており、諸将が国防に懸命になっている間、座して構えていたようにも見える。
もちろん、無傷の漢軍が黄巾軍の背後に鎮座しているという状況はそれだけでも黄巾軍に重圧を与えるだろうし、下手に動くよりも効果的だったかもしれない。それでも、国は出兵要請をしたのだ。それを無視したとも捉えられるような動きをしていたのは確かだ。
どちらの将も優秀なのには変わりない。
しかし、簡単に切っていい札でもないのは確かだ。
それを切るのには当然理由もある。
何進はその説明を行う前に、董卓の返答に答えなければならなかった。
「確かにそれは問題だ。代わりとなる将を派遣しよう。そうだな。朱公偉ならどうだ」
朱儁。字を公偉。
皇甫嵩と同年でこちらもまだ若々しい盛りの男だ。
前年の黄巾の乱においては、右中郎将として討伐軍に参加していた。
漢においては将軍号を複数で使用する場合、その将軍号の前に『前後左右』の文字をつけて同じ将軍号でも僅かな序列の違いを作る。
後漢代において、前後左右の序列は一番上が『前』次いで『左』、『右』と続き、最後に『後』がくる。
本来であれば、左中郎将の皇甫嵩が黄巾の乱における総大将になるはずだった。
しかし、朝廷はそれを明確な指示として出さなかった。
理由は皇甫嵩と朱儁が旧知の仲だったからだ。
二人で話し合わせた。その結果、右中郎将・朱儁が総大将となった。
皇甫嵩が自由奔放、縦横無尽な将だとすれば、
朱儁は謹厳実直、頑強固徹な将だ。
空白地帯を一時的に任せるには過剰なほどの存在だ。これで董卓の面目は立つ。
何進は皇甫嵩を説得し、董卓に便宜を図った。
これでようやく二人に対して正式に指示を出せる。
既に、皇帝・劉宏や十常侍・張譲にも二人を指揮官として涼州に送ることの許可はもらっている。
あとは二人を将軍に任命すれば漢軍は正式に動き出せる。
それを思い、何進は二人に告げた。
「皇甫義真。貴殿には左車騎将軍の位を任命する。董仲穎。貴殿には前年に剥奪した東中郎将の位を戻し、改めて中郎将として任命する。両者の奮戦によって洛陽を伺う反乱軍の侵攻を妨げてほしい」
その言葉に、皇甫嵩は唖然とし、董卓は歯を軋ませた。
将軍と中郎将。
実はこれには明確な違いがある。
将軍は軍事行動の全責任を負ってその采配を決定する人間であり、中郎将はその将軍に従って戦果をあげる部隊の総指揮官だ。
民衆からの理解ではどちらも将軍として扱われるが、それどころか、蓋勲のような部隊長ですら将軍と扱われるが、厳密には違う。
前年の黄巾の乱では大将軍である何進が中郎将である皇甫嵩、朱儁、董卓、盧植に指示を出し、ある程度の自由を与える形で広域戦を乗り切った。
漢全土を舞台にした広域戦であったため、戦線に駆り出す将に対して将軍位を授けずに、洛陽を作戦本部として大将軍は洛陽での情報収集に徹していたのだ。
しかし、今回は三舖の防衛を主軸にする局地戦だ。
将軍を送り込み、その指揮下で中郎将が働くという、本来の形での戦ができる。そうすることで、洛陽は反乱軍の対処を将軍に一任できるのだ。
最初に言葉を発したのは皇甫嵩だった。
「い、言うに事欠いて、俺が将軍!? 歴戦の董殿を差し置いて? なんでどして!?」
「まず理由のひとつ目。皇甫は前年の黄巾の乱で中郎将として活躍している。際立った戦果だった。なればこそ、昇進は当然のことだ。次に理由のふたつ目。董殿は黄巾の乱の折、広宗城への移動を命じたが、結果として広宗城には辿り着けず、皇甫が広宗城を落とした。仕方のないことではあっても命を遂行できなかったのは事実だ。よって董殿は中郎将として据え置き。皇甫は昇進して車騎将軍とした。『左』としているのは便宜上だ。まだまだこの国は荒れている。車騎将軍を増やすかもしれないからな」
「………………いやそれにしたって車騎将軍って」
皇甫嵩の絶望するような声音に何進は苦笑する。
車騎将軍とは軍の重鎮ともいえる要職だ。
軍部において外戚がなり、お飾り的な意味合いが強い大将軍、反乱の鎮圧を職務とする驃騎将軍に次ぐ、第三位の序列にあたる。
中郎将から一足飛びに二十以上も序列をぶち抜いての昇進だ。青ざめもする。
「………これは、水を空けられましたな、義真殿」
董卓の表情にも暗いものが乗る。
出世とは無縁に穏やかに生きていたいだけの皇甫嵩からしてみれば、百害あって一利もない状況だ。
「あの、辞退とかって」
「皇甫嵩。皇帝の僕からの命でもあるんだよ」
そろりと挙げた手を、劉宏の言葉でぴしゃりと叩き落とされた皇甫嵩は目に見えてしおれながらも、
「上意、かしこまってござりまする」
渋々了承の意を示すこととなった。
「現在、反乱軍は盟主に辺武允と韓文約を立てて賊将・宋建、同じく賊将・王国、羌族の大人・北宮玉と連合を結んで三舖を伺っている」
地図を開きながら情報共有を行う何進の周りに皇甫嵩と董卓が集まる。
「北宮玉か」
董卓が顔をしかめる。
「董殿は戦ったことがあると聞いたが」
「ええ。儂の任地で攻めては退き、退いては攻めるを繰り返す面倒な奴ですな。騎馬の指揮は羌族らしく巧みですが、城攻めや長期戦略は苦手のようでありました」
「その辺りは恐らく辺武允、韓文約あたりが担当しているのだろう。こ奴らは涼州の政情が乱れたのを機に立ったようで、涼州の混乱を解決してみせてから進軍を開始した。民意を得ている。長期的な戦略にも明るい軍でありそうだ」
「政情の乱れ、ね」
「何があったんです?」
董卓があざ笑うように言った言葉に、皇甫嵩が反応する。
皇甫嵩。普段は引き籠っているがゆえに、時事問題に暗い。
「なに。涼州刺史が賊討伐の軍費を着服したのよ。現場では軍費が足りず、賊を討伐できぬ内に賊軍が膨れ上がったそうだ」
「えー………。その刺史さん、死罪では?」
「軍費着服などで死罪になどできようものか。直接反乱に加担したわけでもなし。まあ、免職辺りが関の山ではないか」
「その通りだ。左富繁は免職となり官界から追放された。今ごろどこぞの田舎で静かに過ごしているだろう」
董卓の言葉に何進が頷く。
「それで、皇甫。どう動く?」
「んー、いやちょっと待ってくださいね。西の方は山も多くて実際に現地に行かないとどう動けるかがわからないのが難点ですね。とりあえず、長安まで行って、相手の動きを探りたいんですが」
「馬鹿者」
皇甫嵩の慎重論に、張譲が声を上げる。
「三舖を甘く見るな。この地には歴代皇帝の陵墓がある。反乱軍からすれば、洛陽まで到達できずとも、この地を荒らしてしまえば、潤沢な資金源になってしまう。それは絶対に阻止せねばならぬ」
「なるほど。三舖。涼州からですと、直線でくれば右扶風ですね。で、三舖に侵入されると戦略的敗北、と。では、董殿に右扶風に先行してもらい、俺は長安で本陣を作りながら、京兆、左馮翊の様子を確認しましょう。安全が確保できた後に俺も右扶風に入ります。これならばどうです?」
張譲の意見を取り入れ、すぐさま自分の意見を修正する皇甫嵩。
張譲はそれに呑まれるように頷いた。
董卓は初めて見る、そして劉宏や何進、張譲は久しぶりに見る皇甫嵩の軍議での姿に、それぞれ思うところはあれど信頼の表情を向けるのであった。
「董殿」
何進が董卓を呼んだ。
「は」
董卓が短く返事をするのを待って、何進は話し始める。
「董殿は私兵団を造り上げていたはずだ。規模は一万弱とか。その私兵団は今回どうする? 并州に残しておいて朱の指揮下に置くか?」
その問いに董卓は僅かに瞠目する。隣にいた李儒も、顔には出さないが何進を伺うような雰囲気を出していた。
「え!? そんな規模の私兵団って作れるものなんスか!?」
皇甫嵩が間の抜けたような声で何進と董卓の話に反応する。
「あぁ。幸運と抜け目の無さ。両方を兼ね揃えれば可能だ。なあ、董殿」
「………は、いえ」
「公的に認めることはできない。が、責めるつもりもない。結果として現在、涼州が荒れているわけだが、同じ辺境である并州が荒れていないのは、董殿の、ともすれば違法行為すれすれの行動故ともいえる。国に利を与えてくれるのであれば、ある程度の黙認もできようものだ。それに増員当初こそ法に反しているが、今はまっとうに運営できているようではないか」
そこまで内情を知られていることに、董卓は内心で歯ぎしりをした。
(洛陽の魔物どもが………。辺境の刺史程度を御すことなど、造作もないということか)
董卓の視線を受けて、しかし何進は揺らがずに話を続ける。
「包み隠さずに言うと、董殿の私兵団は一時的に朱の指揮下に入るか、董殿に従って涼州の反乱軍鎮圧に従軍するかのどちらかにしていただきたい。并州に置いたままにして、朱と衝突するようなことがあれば、その咎は董殿、貴殿にまで届くということを、事前に伝えておく。どうする、董殿」
董卓はしばし考える。
董卓の私兵団はもともと五百の集団だった。
それが黄巾の乱の折、国から一万の兵を養う軍資金を与えられた。さっそく徴兵を行い私兵団の中でも武勇に秀でた男に調練を命じた。
しかしその男、調練を激しく行いすぎて、五千の兵を殺した。
結果として残った五千は精強な兵となったが、軍資金が大きく浮いた。
これを、董卓は洛陽に返却するでも、新たな兵を動員する資金にするでもなく、貯えて黄巾の乱が終わった後に私兵団増強の資金にしたのだ。
違法行為すれすれどころか、違法でしかない。
やっていることは元涼州刺史・左昌と何ら変わりない。
左昌との違いはその後の立ち回り方だけだ。
左昌は着服した軍資金をただ己の贅沢のために使いつぶしたが、董卓は私兵団を増員するとその兵力で并州各地の賊を討ち、討伐報酬として各地の豪族や官吏から金を請求した。今では并州に董卓私兵団なくして平穏なし、という認識が蔓延しており、私兵団の維持費も各地の豪族や官吏の支援で成り立ち始めている。
董卓のやったことは悪ではあるが、しかし今董卓を取り除けば、并州は涼州の二の舞になりかねないのだ。
それならばいっそ、その私兵団をも取り込めないか。
何進はそう考えている。
「もちろん、従軍するにせよ、并州に残すにせよ、その期間の維持費は国が保証しよう。あとは、董殿。貴殿の考えに任せたい」
ある種信頼しているともとれる言葉だ。
ある種試しているともとれる言葉だ。
しかしどちらを選ぶか。どちらを選べば自分の利になるか。
董卓は李儒に視線をやる。
李儒は董卓の隣で頷いた。
言葉を交わさずとも、それでわかる。
「では、お言葉に甘えまして、我が私兵団は涼州に連れていきたく存じます」
「ふむ」
「私兵団の中には賊上がりの者やまだまだ若い者など、漢の秩序にうまく溶け込めない者もおります。儂の命令ですら勝手に曲解して好き放題やる困った連中です。朱殿に預けても御しきれるかどうか」
「そ、そんなにか?」
何進が顔を引きつらせるが、董卓は僅かに遠い目をする。
「先の黄巾の乱の折。下曲陽を包囲していた際に、皇甫殿と足並みを揃えるため、進軍停止の命を出しておりました。しかし、バカ二人が『威力偵察は進軍ではない』と駄々をこねまして、突撃を敢行。被害こそ出さなかったものの、敵に勢いを与える始末。指揮官二名も怪我を負って一時戦線を離れる結果になりましたが、この指揮官二名が、我が私兵団の古参にして上級指揮官だというのですから。儂はそういった奴らの動きも前提において作戦を立てるので特別罰したりはしませんが」
その言葉に、
「あー、あの、報告にあった、あれかぁ」
皇甫嵩が当時を思い出して苦笑する。
「それは確かに、公偉には荷が重いかもしれませんね。公偉の奴は変則的な敵や部下や環境よりも、四角四面な環境に置いた方が力を発揮する男です。董殿の私兵団を指揮するには向かないでしょう」
皇甫嵩の言葉に、何進も頷いた。
「では、董殿。本拠から私兵団を呼び出してほしい。何日ほどかかる?」
「危急の折ですので急がせましょう。十日もあれば」
董卓が拱手しながら答えれば、何進も頷く。
「董殿の動かせる兵はどれほどだ? 一万弱と聞いているが」
「は、七千ほど、でしょうか」
「では、申し訳ないがすぐに呼び出してほしい。こちらでも兵を準備する。董殿の七千に加え、一万八千の兵を集める予定だ。総計二万五千の軍勢で、長安に向かって進発してほしい」
「「は」」
何進の指示に、皇甫嵩、董卓が拝礼をして応じた。
こうして十日後。
中平二年(西暦一八五年)三月二十日。
ようようやっと、漢軍が動き出した。
軍を率いるは後漢が誇る名将にして、問題児の左車騎将軍・皇甫嵩。
その部下に、野心に滾る瞳を轟々と燃やしながら、私兵団増強の正当性を手にした中郎将・董卓。
両者に率いられるは洛陽が徴募した一万八千の新兵と董卓私兵団七千の精兵、総勢二万五千。
目指す目標は三舖地方を伺う賊・羌族・地方官吏の連合軍。上洛軍と自称する反乱軍だ。
彼らが三舖地方に侵入するのを妨げるのが今回の任務。
新章の幕は、ようやく切って落とされようとしていた。
人物紹介漢編!
こっから第一次辺章韓遂の乱本戦始まるよ!




