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二十七幕 応報



 (ちゅう)(へい)二年(西暦一八五年)三月七日。

 ()(らい)(じょう)(きく)(しょう)の手に堕ちて二週間が経っていた。

 城内では建物が焼け落ち、人が住めない状態から簡易的ではあるが壁と屋根のある駐屯所が各所で建設され、そこに付近の()から集められた男たちが押し込められていた。

 食料は租厲城の兵糧庫を開放して配られ、徴収された男たちはその日暮しをしながら城内の復興に従事させられている。

 男たちは衣服にどこの()からの招集かを明記された布を縫い付けられており、反抗的な態度を取った男の()は、凌辱の限りを尽くされた。

 最初の頃は何人かの男が反抗的な態度を取ったが、翌日、その男たちのもとに、家族の首が届けられた。

 そしてこう言われる。

 「まだ家族は残ってる。お前はガキが三人いるな。あと三回は抵抗できるぞ」

 むしろ、抵抗を推進してくるような物言いに、男たちの心は千々に砕け散った。

 三日目には誰も抵抗の意を示す者はいなかった。

 (ばく)()兵はたったの七百。

 対して集められた男たちは三千にも上る。

 それでも。

 残された家族のため、悪魔の軍に忠誠を誓うしかなかった。



 「とりあえず、租厲の()から徴収できる男はこれで全部だ」

 (さい)(ちゅう)が麹勝に声をかける。

 麹勝は(けん)(ちょう)()の県長執務室から外を見下ろしていた。

 「はっ。これが、租厲の頂点の見る景色か。城内を歩く人間が豆粒みてえだ。そりゃこんなところにいたら、下賤な輩の顔なんざ、見えるわけがねえよな」

 麹勝はそう言うと、室内に目を向けた。

 蔡沖が神経質そうに各()から集めた男たちの名簿を持って立っている。

 「蔡沖。なんか不満かよ」

 「麹勝。確かにお前の言うとおりにして俺たちは城を取った。たったの七百。たったのそれだけで、お前は城を取って見せた。これはすごいことだ」

 「はあ。んで?」

 麹勝からしてみれば、取れて当たり前のものを取っただけだ。それを褒められたところで、麹勝の胸の内に響くものは何もない。

 「これからどうするんだ。租厲全域から集めた男たちを兵にしたとして、兵力は三千七百。動き方次第でどうにもできる兵力だぞ」

 「どうする、ねえ」

 麹勝はつまらなさそうに蔡沖を見ると、(しょう)()に腰を下ろして、頬杖をついた。

 別に、麹勝に何か野心があったわけではない。

 ただ、自分に命を下す人間がいる、ということが気に食わなかったのだ。

 この世界は、誰かが、何かに従って動いている。

 全ての人は幸福に生きたいと願っており、それを為すために暗黙の了解がある。

 皆が一様に同じ方向を向いて、害されないように必死で生きている。

 それが、麹勝には酷く気味悪く映るのだ。

 誰も彼も、死と隣り合わせで生きているのに、自分は害されないと思っている。

 同じ目的を抱いていれば、生きていられる。

 利を共有できていれば、殺されない。

 そんな、くだらない妄想で成り立っている脆い幻想が人の世だ。

 一歩、蔡沖に近づく。

 蔡沖が一歩、下がった。

 その事実に、麹勝は獰猛な笑みを浮かべる。

 「なんだよ、蔡沖。傷つくじゃねえか」

 「不必要に近づくなよ、麹勝。お前は、意味もなく俺を殺すだろ」

 その言葉に、麹勝は笑みを深くする。

 麹勝と関りを持つということは、常に死と隣り合わせでいるということだ。

 どんなに有能でも。

 どんなに麹勝と馬が合っても。

 麹勝は、隣にいる人間が、警戒をやめた途端に牙を突き立てる猛獣だ。

 それでも、一歩離れた状態でついていきたくなるどす黒い魅力が、麹勝にはあるのだ。

 殺せるから、殺す。

 犯せるから、犯す。

 奪えるから、奪う。

 租厲を襲ったのも、深い考えのないそんな欲求からで。

 それでも、麹勝についていけば美味い目を見れると、そう考えるのが曝里兵たちだった。

 「たぶん、何人かは城から逃げてるだろ。租厲軍も戻ってくるかもしれない。他の県からも討伐の軍が来るぞ」

 蔡沖のひりついた視線が麹勝を射抜く。

 そんな視線を受けて、麹勝はつまらなさそうに視線を上に向けた。

 「ど~うだかねえ。(じょう)(らく)(ぐん)とやらが暴れてるせいで(かん)(よう)(ろう)西(せい)(きん)(じょう)も意識がそっちに向いている。租厲は隣県とも距離があるし、果たして討伐軍が差し向けられるかどうか」

 「差し向けられたときの対処は」

 「難しく考えるな。この辺りの県が保有している兵力は二千がいいとこだ。城を落とすには足りねえよ。逆に撃退して、そこの県も支配下に置けばいい。この辺りの()と同じように処理してやれば、兵力はどんどん増える。大切な人間が、不条理に死ぬことを怯える奴が、増えるんだぁ。気持ち悪くねえ世界にならあな」

 そう言って笑う麹勝に、蔡沖は頷く。

 麹勝は狂気に染まった男ではあるが、戦の勘所は間違っていない。

 城を落とすには籠城側の三倍の兵力が必要だと言われているし、攻城戦には様々な技術がいるが、守城戦では特殊な技術はいらない。

 城壁を上ろうとしてくる兵に、石や湯を落としてやればいいだけだ。

 女子供でも守城戦には参加ができる。この城に集まっているのは働き盛りの男ばかり。それならば言わずもがなだ。

 城を攻めてきた軍が退き始めたら、追撃をかけて敵に打撃を与える。

 痛手を被った県は、支配下の()が襲われても対処ができない。

 そうしているうちに、()()(ぐん)は麹勝の手に堕ちるだろう。

 その光景がありありと浮かんでくる。

 夢も、希望もないはぐれ者。

 それが曝里に集まった人間だった。

 そんなもはや人間とも呼べない獣たちに、未来を夢見させてくれる男・麹勝。

 悪のカリスマの素質を持つ男は、その自覚なく思う様に道を切り開いていた。



 「なんだ、ガキじゃねえか」

 ガラの悪い男の声に、二人の少年がぎくりとする。

 「おいおい。働き盛りをよこせって言ったろうが。ガキはいらねえんだよ」

 「し、しかしだな。この子らの家には父親もなく、兄もいない。この子らの母や姉妹を守るために仕方ないのじゃ」

 城門を潜る一団の中に揉める者たちがいた。

 絡んでいるのは曝里出身の男で、集めた人間の中に年若い子供が紛れていたことを咎めている。その曝里兵に初老の男が抗弁しているのだ。

 「ああ? 働き盛りがいねえなら、その家の女どもを犯して殺すだけだぜ?」

 「でも、人手はあって損はないですよね?」

 「ちっ。声変わりも済んでねえガキかよ。お前の()は、(めい)(ほう)か。わかった。認めてやる。その代わり、周りの男たちと同じ量をこなせなかった分、お前の姉ちゃんの綺麗な指を一日一本ずつ届けてやるからな。楽しみにしとけよ」

 げひゃひゃひゃ、と笑って、曝里の男は(めい)(ほう)()の一団を通した。

 指示された配置場所に向かうため、明峰里の男たちが三々五々に散る中、少年の一人が先ほど助けてくれた初老の男に声をかけた。

 「助けてくれてどうもありがとうございます。わがままを聞いていただきすみません」

 「なに、気にするな。君たちが来てくれなければ、あの姉妹はなぶり殺しにされていた。こちらとしても、天の助けを得た気分だった。何をするのかはわからんが、君たちの企みがうまくいくことを祈っているよ」

 初老の男はそのまま二人から離れていく。

 「さて、うまく入れたな」

 「だね」

 「どうするよ、(ちょう)(しゅう)

 「思ったより状況がまずい。早く動こう」

 普段は結んでいる髪を解いて布で隠した張繍がシャーチィに返した。



 張繍たちが租厲に戻ってきたのは三日前だ。

 そこから情報を集めることにした。

 情報を集めて、二人は愕然とする。

 二週間前に県城で大きな火事があったというのだ。そのあと、県城から兵が周辺の()に派遣され、強制的な徴兵が行われたという。

 動ける男は連れていかれ、拒否をする家は家人が嬲り殺しにされたらしい。

 張繍は次に、まだ徴兵の行われていない()を探した。

 明峰里がその条件に合致した()だった。

 明峰里に赴くと、張繍は()(ちょう)に掛け合って、夫を亡くした妻を紹介してもらった。

 事情を話し、許可を得ると、曝里兵が徴兵にやって来た際、その未亡人の子供として曝里兵と共に租厲城に帰ってきた次第だ。

 ()(よう)からほとんど休まず駆け通しで租厲まで来た。

 汚れた二人の姿は、農家の子供といわれても特に疑問ももたれないほどだったようだ。

 曝里兵に連れられて二人は粗末な待機所に案内された。

 「命があるまでここで待機してろ」

 そんな命令に、二人は返事を返して待機所に腰を下ろす。

 三面が壁になっており、そこに屋根がつけられただけの簡素な建物だ。

 そこに三十人ほどの男たちが集まっていた。

 城内の様子を確認する作業は、ここに連れてこられるまででほぼ終了している。

 士気は低く、集められた男たちに気力はない。

 しかし反面、目に恐怖の色が強い。抵抗力もないようだ。

 麹勝は各()から集めた男たちの反骨心をよほどうまく取り除いたのだろう。それがわかる。

 こうなると、租厲軍がこの城に攻め寄せても、強い抵抗を受けることになるだろう。

 思ったよりもまずい状況に、張繡は歯噛みをしていた。



 城を攻められた際、最も重要なのは城門を開かれないことである。

 逆に言えば、城を攻める側はどうにかして城門を開こうと様々な策を行う。

 もっとも一般的なのは、城壁を駆け上ることだ。

 城壁の高さは平均して一~二(じょう)(約2~4m)。

 二人一組ではしごを持ち、前の者が城壁を駆け上るのを、後ろの者が押し上げることで手伝う。前の者が城壁を上りきると同時に梯子が城壁にかけられることになる。あとは後続の者が梯子を上ってくるまで、梯子を倒されないように孤軍奮闘するだけだ。

 しかし、城壁の上には守備兵がいる。

 多勢に無勢で上って来たものは殺され、梯子も倒される。

 そんな無茶無謀を繰り返し、少しずつ守備兵の数を減らして、城壁の上に陣形を張れるほどの人数を送り込むことで、ようやく城壁の攻略が一歩進む。

 あとはそのまま城壁の陣地を広げ、城門を開く機関室を探し出して占拠し、門を内側から開く。四か所ある城門のどれかが開けば攻城側の勝利だ。

 これが、攻城側に三倍の兵力が必要と言われる所以である。単純に兵を犠牲にしなければ城門を開くことができないのだ。

 しかし、もちろん、どんなことにも搦手はある。

 今張繍たちがやっているように、敵城に潜入し、内側から城門を開いてしまえば、それだけ犠牲になる兵力も少なくなるのだ。

 あと二、三日もすれば租厲軍が租厲城を包囲する。

 作戦の決行まで、時間が迫っていた。

 それまでに、敵の兵の配置や、麹勝の位置など調べられる限りを、調べなければならない。



 翌日。

 資材を運びながら、張繍とシャーチィは昨夜調べた情報を共有する。

 余人に聞かれても問題が無いように短い符丁での情報共有だ。

 『麹勝はどうやら県長の執務室にいるらしい。政庁自体は見張りの兵もいて正面から入るのは無理そうだ。ただ、警備はザルで侵入は難しくない。政庁にある抜け道はほとんど把握できてないみたいだ』

 『曝里兵七百がこの城の指揮系統の中心にいるみたい。城門の機関室みたいな重要な場所には曝里兵が詰めてる。それぞれ五、六人ってところかな。あとは夜の見回りも曝里兵がやってる。まあ、当然だけど』

 二人が喋る短い言葉は翻訳するとこういった情報になった。そんな情報交換をしながらも、二人の作業量は他の男たちに引けを取らない。

 正規兵に交じって軍事訓練を受けてきた二人にとって、この程度の作業は苦にもならなかった。

 『シャーチィ、武器はある?』

 『短刀を何本か持ち込んでる。どうする気だ。揉め事を起こすのはまずいだろ』

 『(ぜつ)()様がここを包囲した時に少しでも指揮系統を乱しておきたい。戦闘になってごたついてる隙に麹勝を殺せないかな』

 『………………………………』

 シャーチィは思わず張繍の顔を凝視してしまった。

 「おい。見るな。目立つ」

 符丁を除いて短く言ってくる張繍に、慌ててシャーチィは視線を逸らす。作業をしながら周囲を伺うが、特に疑問に思われたりはしていないようだ。

 『正気かお前』

 『もちろん正気。このくらいの練度なら、一対一だったらまず負けない。槍があればもっと人数いても大丈夫。シャーチィは包囲されたら機関室に行って門を開けて。私は麹勝を討つ』

 その言葉に、シャーチィは、必死になって獰猛な笑みが零れそうになるのを抑えなければならなかった。



 租厲県の最後の()である明峰里から男を集め、三日が経った。

 麹勝は県長執務室で床几に腰掛けながら、窓の外を伺う。

 「ようやっと来たか」

 城壁の向こうで喧騒が聞こえ始めていた。

 (ちょう)(せん)率いる租厲軍の帰還である。

 そしてそれは、租厲軍が租厲城を攻めるという異常事態の幕開けでもあった。

 その異常事態を引き起こした男。

 曝里の麹勝。

 彼はすぐさま蔡沖を呼び出し、曝里兵をあらかじめ決めておいた配置につかせるよう命を下した。

 曝里兵一人につき五人の男を指揮する。

 荒事に長けた曝里兵だ。

 五人の男が団結して襲いかかっても、返り討ちにあうだろう。

 曝里兵七百に徴兵された男たちが三千五百。合計で四千二百。

 対する租厲軍は豪族である張済の軍を吸収して三千五百。

 数の上ではほぼ互角。

 そして、互角ということは、籠城側に勝機があるということだった。

 「大方、曝里兵だけで構成されてると踏んだんだろう。残念だったなぁ」

 蓋を開けてみれば、張先の予想とは外れ、租厲城は十分な人数で守備されていたことになる。

 この形を、麹勝は作りたかった。

 敵が諦めて撤退を始めれば、すぐさま追撃に移る。数的同数による背後からの攻撃。

 精強な騎馬部隊をもっている(ちょう)(さい)の軍は逃がすかもしれないが、租厲軍の中核である(けん)()・張先を討つことができれば十分以上の戦果だった。

 仮に、租厲軍が攻城を始めれば、それはこの上ない好機だ。

 攻城戦には馬は使えない。どんなに精強な騎馬部隊でも馬を降りて戦うしか方法がないのだ。厄介な敵である張済軍をすり減らすことができる。

 「どうせ撤退だろうが、攻めてこいよ、(ちょう)(ぜつ)()。お前の主の仇は、ここだぜぇ」

 麹勝は楽しそうに、城壁の方を見つめていた。



 戦が始まる前の緊張感。

 どちらが先に動き出すか。それを両軍が伺っている。

 そんな肌がひりつくような静寂を、シャーチィは初めて味わっていた。

 まだ年齢も低く、従軍経験は当然ない。

 殺しや盗みの時にも同じような緊張感はある。

 しかし、それとは桁違いの人数がこの場にいて、その全員が同じ緊張感の中にいる。

 誰かが少しでも声を上げれば、取り返しのつかない殺し合いが幕を開けるのだ。

 そんな、崖の淵に立ったような緊張感の中、シャーチィは一人で城内を歩いていた。

 持ち場につくように命じた曝里兵から少しずつ距離を取り、道を逸れる。

 曝里兵にとっても、重圧のかかる局面なのだろう。シャーチィの離脱に曝里兵は気づかなかった。

 そのまま、城壁に近寄る。城門から少し歩いた城壁に、目立たないように開閉できる扉がある。その扉の内部が、城門を開閉する機関室となっている。手押しの滑車を回すことで、城門が開くのだ。

 シャーチィの役割は簡単だ。

 機関室を制圧し、城門を開く。

 それだけで、租厲軍は、無傷で租厲城に入城できる。値千金の任務だ。

 城壁と見紛うほどに細工された扉に耳を当てる。

 中では複数の男たちの声が聞こえた。

 焦らず、耳を澄ます。

 (一、二、三、四、五人、か)

 目を瞑る。

 以前見せてもらった内部は、空気穴も明り取りの穴も開いているが、ほとんど密閉状態だ。機関室内部で火を使うことはできない。故に視界は悪い。

 焦らず、じっくりと、暗闇に目を慣らす。

 そして、目が暗さに慣れたことを確信すると、懐の短刀に手を添えていつでも抜けるようにする。

 全ての準備が整い、覚悟も決めたシャーチィは、戦の幕を上げるために、扉を開いて中に躍り込んだ。



 「おい。蔡沖を呼んで来い」

 近くに控えていた曝里兵に、麹勝は命じた。

 曝里兵は短く了解を告げると、部屋から走り出る。

 どうも、租厲軍は城の南方向から攻めかかろうとしているようだった。

 租厲城の現状としては四千二百の守備兵が四方に展開している。

 各城壁千ずつの兵が守っているのだ。

 対する租厲軍は三千五百。その兵力が南の城壁に集中している。

 南だけを見れば、守備兵千と攻城兵三千五百の戦いとなる。

 局地的に三倍の兵力差を作られているのだ。

 (この三千五百で南を攻めることで守備兵を南に集め、兵のいなくなったほかの方角を別動隊で攻めるって策か? ま、どちらにせよ、南を防がない手はないな)

 各城壁から半数ずつでも南に送ればそれで対処できるような策だ。

 「お粗末なものだぜ」

 麹勝が呟くと同時。

 執務室の外から足音が聞こえた。

 「蔡沖。各城壁から南に半数の兵を―――」

 振り返り、蔡沖に命令を出そうとして、麹勝の言葉が途切れた。

 「蔡沖ってこれ? それともこっち?」

 子供が、両手に首を持って立っていた。

 そのうちの一つは、確かに蔡沖だ。

 「………なんだ、てめえ」

 麹勝は、そんな子供に得体の知れなさを感じて腰に佩いていた剣を抜く。

 「おいおいガキ。どっから入った? 勝手に大人の仕事場に入っちゃいけないって、教わんなかったのか?」

 麹勝と子供―――張繍の間には執務机がある。

 その執務机を回り込むように歩きながら、麹勝は張繍を油断なく見た。

 蔡沖は弱くない。

 仲間がいるのか。それとも、この子供がよほど豪の者なのか。

 「いや、火事場泥棒に言われたくないんだけど」

 張繍は言うと、麹勝に向けて両手の首を投げつけた。

 それを麹勝は一つは躱し、一つは剣の柄で弾いた。

 反射で行った動作。

 それは、張繍の前では大きな隙だった。

 一足で張繍は麹勝に肉薄すると、短刀で麹勝の腹を突く。

 小柄な張繍が更に身を屈めて、急接近したため、麹勝は剣で応戦ができない。

 麹勝がようやく剣を振り下ろした時には、麹勝の腹に深々と短刀が突き刺さっていた。

 「………ち」

 しかし、舌打ちしたのは張繍の方である。

 「なんだよ小僧。見事な身のこなしなのに、武器は普段使いじゃねえのか。こんな短い刃で、腹刺しても、致命傷にはなんねえぞ?」

 麹勝は笑いながら短刀を引き抜き、張繍に放ってみせる。

 「指令部急襲とか、おもしれえ策だな。ほれ、次はどうするよ」

 剣を構える麹勝に、張繍は懐から予備の短刀を取り出して構えた。



 機関室に躍り込んだシャーチィは、すぐさま両手に構えていた短刀を中の人影に向かって投げた。

 二本の短刀が、機関室を守備していた守備兵の喉に突き立つ。二人の兵が音もなく倒れた。

 守備兵たちは急に明るくなった室内にまだ目が慣れていないようだ。

 新しい短刀を懐から取り出しながら、内部の兵に駆け寄ると、一人、二人と喉を裂く。ここでようやく守備兵が襲撃を受けていることを悟ったようだ。しかし、既に四人が無力化されている。最後の一人が斬りかかってくるが、シャーチィはそれを危なげなく躱し、お返しとばかりに焼き直しのように守備兵の喉を掻き切った。

 数十秒の攻防。

 それをほとんど音も立てずに制すると、シャーチィは機関室を制圧し―――、

 急に殺気を感じ、身を翻した。

 先ほどまでシャーチィが立っていた場所を剣が通り過ぎていく。

 (六人、いたのか」

 気配が薄く、年若い兵だ。

 剣を振るうというよりも、剣に振るわれている。

 今も、突き出した剣の重さによろけてしまっていた。

 「抵抗しないなら殺さないけど」

 その言葉に、若い兵は動揺を見せるが、一瞬の後には、剣を顔の前で横にするように構え、腰を落として見せた。

 「敵襲!!!」

 短い言葉が機関室に反響する。

 「………あっそ」

 若い兵はシャーチィが喉を掻き切るのを見て、そこを防御したようだ。

 間合いを詰めたシャーチィに、若い兵がどうだ、とばかりに挑戦的な視線を送ってきていた。

 「別に」

 そんな若い兵に、シャーチィは呆れたような視線を投げ返す。

 そして、腕を四回振るった。

 「あづっ!?」

 若い兵は短い悲鳴を上げる。両脇と両腿をざっくりと深く切られ、そこから大量の血液が迸る。

 自分の身体から命が零れ落ちていくのを感じながら、若い兵はシャーチィが機関部をいじり、城門を開いていくのを見守ることしかできなかった。



 五合。十合。

 何度か切り結び、麹勝は楽しそうに笑った。

 「お前、本来の獲物じゃねえな? もっと長物か。せっかく不意をついて手傷を負わせたのに、決め手に欠けるなぁ?」

 「っ」

 (ま、大方槍だろうな。剣だったらもっと斬ってくる)

 そう考えて、麹勝は声を上げた。

 「侵入者だ! 県長執務室に侵入者が来てるぞ!!」

 そんな麹勝の言葉に張繍は表情を強張らせた。

 得意の獲物をもってきていないのは、政庁への潜入中だからに他ならない。

 長柄の武器を持っていては、場合によっては身動きが取れなくなる。

 執務室に入ってきた張繍が二つの首を麹勝に投げつけてきた。それによって、麹勝は一瞬考えた。侵入者が大勢おり、すでに政庁内が制圧されている可能性を。しかし、それであれば得意の武器を持ってくればいい。そうでない理由は、未だに、潜入中だからだ。

 麹勝が声をあげ、応援が駆け付ければそれで終いの、小さな事件だ。

 その時、城門の方で歓声が上がった。

 反射的に、そちらに視線を向け、麹勝は信じられない光景を見て硬直した。

 城門が、開いていた。

 「何が」

 そして、その硬直は、今度こそ致命的な隙になった。

 張繍が、振り向いているその首筋に飛び掛かり、体重をかけて短刀を押し込んだ。

 ぶちぶちと筋繊維を切断する音が短刀越しに張繍の手に伝わる。

 明らかな手応え。

 麹勝は腕を振るって張繍を弾き飛ばした。

 しかし、喉からは夥しい血が流れ、ごぼごぼと水に顔を付けたような呼吸音しか聞こえない。

 視線を彷徨わせ、もう一度城門を見る。

 やはり大きく開け放たれていた。

 (そうか。このガキ、租厲軍と連携したのか。俺の徴兵に少数で紛れ込んで、軍が到着する前にこの城に潜伏。軍が到着したら、機関室の襲撃と、指揮官の俺への襲撃の二手に分かれて動いたのか。俺は、まんまと、時間稼ぎに使われたのか)

 そこまで考えて、先ほどまでより地面が近くなっていることに気づいた。

 床に、いつの間にか膝をついていた。

 視界の焦点が急速にぼやけ始める。

 その事実が、なんだか麹勝にはおかしく感じた。

 いつも奪う側だった自分が奪われる。

 何も間違えていなくても、自分よりも力を尽くした他者がいれば、それで命が奪われる。

 その連鎖の中に、自分もいるだけだ。

 生きるというのは、こうでなければいけない。

 奪われるだけでも、奪うだけでも、充足しなかった。

 奪い、奪われる。

 その天秤がゆらゆらと安定せずに揺れ続けている。

 それこそが、麹勝の求めた生だった。

 「やる………じゃん」

 ぼやける焦点で張繍を捕らえながら、絞り出すようにそう言うと、麹勝は倒れ伏し、動かなくなった。



 租厲城は異質な男によって破壊の限りを尽くされた。

 租厲城自体は奪還することに成功したが、租厲県全体が復興のために動く必要が出てきてしまった。

 故に、阿陽県県長・(しん)(しょう)に事情を説明する伝令を送り、上洛軍に対峙することを辞退する結果となった。

 曝里兵は残らず死罪。

 曝里兵に加担していた租厲守備兵は全員許され、それぞれの()に帰る許可が下りた。

 租厲兵千五百と張済指揮下の兵三千は一丸となって租厲城の復興に寄与することとなった。

張繍が無事に劉雋の仇である麹勝を討ち取りました。

麹勝は破綻している人間としてキャラメイクしました。

根っからの悪人ですが、奪い合いの論理を自分にも適用している辺り、結構潔癖な男なんです。

ある意味で純粋すぎて、複雑な人間社会が薄汚れているように見えていた男ですね。

張繍エピソードの初ボスということで結構思い切った思考回路で設定しました。

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