二十二幕 上洛始動
中平二年(西暦一八五年)一月。
年が明けたばかりの涼州だったが、年明けの祝賀の空気はもはや微塵も残っていない。
それもそのはず。
辺允・韓約改め、辺章・韓遂の両将を旗頭に、長年漢に虐げられてきた羌族と、河関県・枹罕県を荒らしていた賊が連合を組んで、朝廷の腐敗した政治を弾劾するために挙兵したのだ。
前年に起こった黄巾の乱は朝廷の腐敗した政治に端を発した民衆の反乱だった。
非戦闘員も含めると百万を超えるとされる大反乱だったが、漢が派遣した討伐軍諸将の奮戦によって、反乱軍が壊滅すると、朝廷は腐敗した政治そのものを直そうとはせず、そのまま現状を維持する方針を取っていた。
民衆の失望はどれほどのものだっただろうか。
それは、呼称を『上洛軍』と改めた反乱軍に大量の民衆が参加を表明し、当初五千ほどの兵力だった上洛軍が半年の間で三万にまで膨れ上がったことに表れていた。
ひとつの県が保有する常備兵は千から三千ほど。
まさしく桁違いの反乱となってしまったのだ。
上洛軍の目標は腐敗した政治の是正。
参加している諸将の思惑はそれぞれにあれど、当面の間は足並みをそろえて洛陽へと攻めあがることが指標となっている。
そこで決めなければいけないのは、どういった進路をとるか、ということだ。
「あー、洛陽に向かってまっすぐ行くんだったら、隴県に向かって直進だ。隴県までの間には川がない。だいたい六百里(約二百四十㎞)ってところだ。通常であれば、二週間ほどで行軍ができる、けども」
金城郡金城県の政庁において最終的な判断をするために上洛軍の主だった将が集まっていた。
担がれた神輿・韓遂。
理想を夢見る男・辺章。
新たなる王・宋建。
虐げられし羌族の大人(族長)・北宮玉。
羌族の猛将・李文侯。
その他、十名ほどの人間が金城県の政庁は県令室に集まっていた。
「ふん。新しき王の王国は、動く城だ。故に機動力がない。通常の行軍よりも時がかかるぞ」
胸の前で腕を組み、尊大な態度を崩さない宋建が声を上げる。
彼は、かつてない画期的な兵站を作り上げ今回の戦に臨んでいる。
「行軍はゆるゆるとでいい。そうして移動している間に、加わりたいと望む者も出てこよう」
「しかし、我らは反乱軍だ。迅速に動かなければならないのではないか?」
辺章の言葉に、北宮玉が不安げな声を上げる。
長く羌族を率いてきた男だ。
しかし、今までは大国である漢に対して、散発的に攻めかかるだけだった。
遊牧民族である羌族は定住地をもたない。数年前までは隣の并州で刺史の任に就いている董卓の私兵団と干戈を交えていた。
騎馬部隊を主体にして戦い、敵の防備の間隙を突き、そして敵が手を回す前に撤退するという、いわばゲリラ戦を得意としてきた実績がある。
そんな彼からすると、鈍足であるということはそれだけで壊滅の危機を目の前にぶら下げられているような気がするのだ。
それを韓遂が首を振って否定する。
「いや、今回の戦は侵略ではない。反政府行為である以上、国は討伐軍を組織するだろうが、民衆にとってはこちらにも正当性のある上洛と映っている。むしろ堂々として討伐軍をこちらにまで引きずり出せれば地の利があるこっちが有利だ。軍容で民衆からの信頼を勝ち取るならば、焦って進軍する必要はない」
「どちらにせよ、隴県に至るころには洛陽より派遣されし将と相見えることになるだろうな」
隴県より先は司州の右扶風郡である。
そしてこの周辺には皇帝一族の墓が点在しているのだ。
皇族の陵墓を荒らされるわけにはいかない国は、どうにかして司州に上洛軍が入り込むのを阻止したいだろう。
反対に、上洛軍としては、洛陽まで辿り着けずとも、皇族の陵墓を暴いて、墓の中にある埋葬品を回収するだけでも大きな成果である。
潤沢となった資金力で第二回、第三回の上洛を敢行し最終的に洛陽に辿り着けば勝利なのだ。この一度きりで勝ち切る必要はない。
「でしたら、発言をよろしいでしょうか」
一同の中で黙っていた男が膝を進めて名乗り出る。
「ふ。河関の飼い犬よ。申すがいい」
そんな男に、宋建が薄く笑いながら許可を出す。
そんな宋建の態度に、男は立ち上がった。
「この、お前、宋建! いいか、私は、韓殿と辺殿が貴様の手綱を握っているから、こちらに付いているのだ。決して、貴様の軍門に降ったわけではない。そも、この上洛軍において、総指揮を執っていらっしゃるのは、韓殿と辺殿だ。貴様ではないぞ、偽王が」
「ほう。犬が吠えよるな。その首、よほどいらぬと見える」
宋建も立ち上がり、腰の剣を抜く。
男も剣を抜いた。
一触即発の空気の中。
「お二人とも、落ち着かれよ」
二人の間に割って入ったのは辺章だった。
「宋建殿。貴殿は、俺とカンハクを大将に推してくれた。俺たちはそれを疎漏無く勤めているはずだ。そんな俺たちの顔を立ててほしいものだ。貴殿が彼の発言を許可するのは俺たちの顔を立ててのことなのか?」
「ま、まあ、遺恨もあるでしょうが、ここまで来たら一蓮托生。棋王殿も、あまり波風を立てないでもらいたいもんなんですが」
辺章についで韓遂も宋建と対峙する男に声をかける。
ちなみに、辺章は二人の間に割って入ったが、韓遂は壁にかけられた地図の前から動いていない。
さらに言えば、剣を抜いた二人の剣幕に及び腰になっている。
しかし、声だけは努めて震えないようにしているようだった。
そんな韓遂の情けなさと、辺章の言葉に気勢を削がれた二人は、顔を背けつつ再び座った。
「それで、棋王殿。話したいことがあるのでしょう?」
発言を促された男は、拱手をして話し始めた。
この場には河関・枹罕・大夏の高官も混ざっている。
棋王は河関県の県令であった。
李垠、字を棋王という男である。
河関県といえば、宋建が荒らしまわっていたとされる県だ。
河関の賊・宋建。
彼は五百にも満たない賊団を率いて、河関県の各地に出没し、里(村のこと)を襲っては潜伏することを繰り返していた。
里を襲っている情報を聞きつけ、李垠が討伐軍を向かわせると、その討伐軍を正面から打倒して潜伏するのだ。
そうして、李垠は宋建の勢力が拡大するのを止めることができないまま時間が過ぎていっていた。
今回の上洛軍において、参加を請われた李垠は民のためになるならばと、従軍を決意した。
しかしその軍には、怨敵である宋建が既に指揮官の座にいたのだ。
失望しかけた李垠だったが、上洛軍の指針を聞いて、まだ望みはあると、そう思っていた。
総大将である辺章と韓遂が賊である宋建や異民族である北宮玉を抑えられるのであれば、この軍は戦闘経験豊富な将の集まった精強な軍となるからだ。
この軍であれば。
洛陽が差し向けてくる討伐軍にも勝利し、その上で洛陽に攻め上がり、腐敗した政治を立て直してくれるに違いないと、そう、信じている。
そして、そのことを内外に示す必要がある。
口先だけの上洛軍ではないのだということを。
「まずは行動で示しましょう。涼州刺史・左富繁の討伐です」
「あー、まあ」
その言葉に、韓遂は宋建に目を向ける。
宋建は鼻を鳴らして韓遂の視線を無視するが、既に宋建の口からも涼州刺史・左昌を攻撃すると聞いていた。
反目しあっている両者が同じ対象を攻撃しようとしていることに僅かな面白さを感じる。
「左富繁。涼州刺史。去年の段階で俺たちを反乱勢力とみなした朝廷から軍費が送られてきたにもかかわらず、その軍費を着服し、隴西郡において十全な軍事行動をとらせなかった。まあ、腐敗した官僚を煮詰めたみたいな奴だな」
「左刺史。直接の面識はなかったが、そんな人間なのか」
韓遂の言葉を聞いた辺章も、左昌によるあまりの暴挙に顔をしかめている。
「賄賂ってのはよくあっても、公費を着服ってのはなかなか聞かないからな。しかもそれで大過がないのならまだしも、軍費を出し渋ってくれたおかげで、俺たちに自由に動く時を与えた。地方監督官としては失格の動きだよな」
「どちらにせよ同じことではないか。隴県は涼州の州都。刺史府もかの政庁に置かれている。隴県を落とすということは、左富繁を討つということにほかなるまい」
宋建の言葉。
宋建は正面から李垠の言葉に賛同したりはしないが、それでも悪辣なる涼州刺史を討伐するという意見自体には反対していないようだ。
しかし。
「あー、あのですね?」
韓遂が声を上げる。
「いや、ですね? 俺も、左富繁については思うところありまして。隴県を落とす傍ら、何とかして排除できないかなと思ったんですよ。で、調べてもらったんですけどね?」
「なんだ、三流役者。はきはき喋れ」
宋建の言葉に、韓遂は折れ曲がった背筋を伸ばす。
「あいえあの、隴県に、ですね。左富繁、いない、みたいなんですよ」
『は?』
その場の全員から同じ疑問の声が上がった。
刺史は刺史府にいて職務を遂行するための存在だ。
刺史府を留守にして勝手気ままに出歩いていい存在ではない。
「なーんか、ですね。一週間ほど前に軍勢を引き連れて移動してますね。西南の方に向かったっていう情報があります」
『………………』
場を沈黙が支配する。
「まあ、その、あれですね。左富繁、逃げました」
『はぁ!?』
「ぐっぶっぶっぶっぶ」
肥えた体を揺らしながら、満悦といった表情で笑う肉塊があった。
左昌。字を富繁。
涼州刺史にして涼州騒乱の元凶ともいえる男だ。
この男が十全に職務を全うしていれば、今涼州を騒がせている上洛軍の結成はなかったかもしれない。
そんな男は、自分の任地から遠く離れた場所にいた。
漢陽郡冀県の県城だ。
「上洛軍の通り道にいづまでもいるわげがないだろうが。避難だ避難。上洛軍よ、隴県を抜ぎだいのならば好ぎにずるがいいざ。私ば涼州の監督官。軍権も持っでおらず戦う必要もない。地方最高官どじで、生ぎ延びるごどごぞが最も肝要なのだ」
「お、おお! な、なる、ほど!! さすがで、ございます。刺史殿………」
左昌の得意げな言葉に、冀県県令の鮑雋が顔を引きつらせながら左昌を褒めたたえていた。
「探らせませましたよ、ええ」
韓遂がげっそりとしながら軍議の場に顔を出した。
左昌が隴城にいないことがわかって半月ほどが経っている。
現在、中平二年(西暦一八五年)の二月に入ったばかりだ。
二週間ほどの間、韓遂は情報収集にあたっていた。
無駄な時間ではない。
宋建、北宮玉、辺章といった実働部隊たちは連携を確認する時間に充てられたからだ。
しかしそれでも、いつまでも軍事行動を起こさないというのは、兵たちの士気にかかわる。
韓遂もそれがわかっているから、懸命に情報を集めた。
その結果がこれだ。
「左刺史は冀県の県城に逃げ込んでます」
韓遂が地図を指さす。
その場所は現在の金城城から洛陽に向かう進路を大きく迂回する場所にあった。
いくつかの県城の近くを通らねばならず、更に川も超えなければならない。
大軍を進ませるには危険に過ぎる場所に冀県はある。
「隴西郡の首陽や襄武の脇を通る進路になる。もしくは、平襄と豲道の間を抜けて向かうかだ。どちらにせよ、俺たち上洛軍の支配下に無い地域を通り抜けないと冀の県城にはたどり着けない」
地図を指さしながら説明する韓遂に、一同が苦虫を噛み潰したような表情になる。
そして、その視線が、辺章に向かう。
辺章は居並ぶ面々の問うような眼を受けて、表情をくしゃくしゃに歪めた。
「ここで、左刺史を放置するのは、民への裏切りだ。俺の、信念への裏切りだ。上洛をして、訴えを行いたいという、そんな気持ちでこの軍に参加してくれた兵たちへの裏切りだ。それは、したくない。でも―――」
「したくないのならしなければいい。軍の大将とは、ある意味で王に他ならない。王が行うこと。それが正義だ。道化よ。お前はいったい何を迷っている。わかりきったことをほざくための場ではないぞ」
辺章の逡巡を、宋建が真っ向からぶった切る。
辺章は苦笑すると室内を見渡した。
「被害が出るかもしれない。それでも、どうにかして、左刺史を討ち取る方法はないかな」
「はっ」
辺章の弱弱しい声に、宋建が笑う。
「被害。軍を動かせば被害は当然出る。その被害に、無意味な被害というものはない。総大将の思い描く絵に近づくために兵はその身を犠牲にするのだ。その犠牲が無意味か否か。それを決めるのは総大将ただひとりだ」
その言葉に、辺章は俯く。
しかし。
「それにな。述べよ、三流役者。貴様なら何もせずに二週間、手をこまねいていたわけではあるまい」
宋建はそう言って、顔を引きつらせている韓遂に諸将の視線を集めた。
「あー、まあ。距離的な問題はどうにもできないが、一応、首陽、襄武、平襄、豲道の四城に対しては、略奪を行わないことを条件に通過の許可はもらっている。左刺史の討伐、ということに関しては目をつぶってくれている状態だ」
「――――」
それは、異例のことだった。
汚職官僚を討つことで、反乱軍を黙認するというのだ。
「ただ、これにも問題がある。司州に向かう進路から大きく外れる。その分、司州に入るのも遅くなる。洛陽が派遣した討伐軍に俺たちを迎え撃つ準備をさせることにもなる。左刺史を捕らえることは問題なくてもその後が大いに問題ありだ」
「ふっ。いきなり討伐軍の本軍と当たるよりも、冀を落として、そこを緒戦とする。勝利を手にすることで、この軍の兵たちは士気も上がるだろう。向こうに時間を与えるが、こちらにも時間がある。向こうが迎撃の準備をするというのであれば、こちらは士気を上げるまでよ」
「………………まあ、そういう考えも、あるな」
韓遂と宋建の言い合いに、北宮玉や李文侯は入ることができない。
李垠などは宋建と同じ意見ではあるのだが、仇敵に賛同するつもりはないので顔をしかめて黙っていた。
「よし」
そして、辺章は二人の意見を瞑目しながら聞いていた。
その目を開き、立ち上がる。
「ならば、我らは多少の危険はあれど冀を攻める。左刺史、いや、悪官・左富繁を討ち、その戦果をもって洛陽に上奏仕る!」
その言葉を聞いて、室内にいた全員が立ち上がり、拱手をする。
「軍の編成、武器の準備、全て終わっている。明朝、冀に向けて全軍で進発する。先発は北宮玉殿。続いて、宋建殿。最後に俺が出る。カンハク。お前は王国を護衛しながら進んでくれ」
「カンハクって誰やねん」
韓遂の文句を無視して辺章は号令を下した。
ここに、上洛軍が本格的に動き出すこととなったのだ。
「さ、さ、左刺史。ぞ、賊の進路がわかりました!」
鮑俊が泡を食ったように左昌の足元に縋る。
そんな尋常でない鮑俊の様子に、左昌は気づかない。
「ぐっぶっぶっぶ。どうじだ。ぞんなの、わがりぎっでるごどじゃないが。隴に向がっだのだろう?」
「い、いえ、それが、こ、この城です。冀城に向けて、三万の軍が侵攻を開始したと!!」
「な―――」
「『悪官・左富繁を討つ』と。大号令をかけて動いているようです!!」
「ば、ばがな!?」
左昌はぶくぶくに膨れた小さな手を机に叩きつける。
そして、鮑俊に命じる。
「ず、ずぐに、救援を要請じろ! 賊の進路を塞がぜるのだ!!」
地図を差し出してくる鮑俊の手から、地図を奪い、机の上に所狭しと置かれた食べ物を腕の一振りで吹き飛ばし、地図をその場所に広げる。
小さな眼が忙しなくきょどきょどと動き、一点で止まる。
「ぐぶ、ぐぶぶぶぶ。ぞうだ。救国の英雄がいるじゃないが。阿陽に伝令を。蓋を呼ぶぞ。私の指揮で戯げだ賊どもを駆逐じでぐれる」
左昌。字を富繁。
事ここに及んで、未だに自分が窮地にいると、ひとかけらも思っていないのだった。
左昌。
おデブすぎて、全てのセリフに濁音がつくキャラです。
マジでルビ振りが地獄でした。
もうこういうキャラは作らない………。




