二十一幕 涼州群雄
通りを闊歩する身なりの整った人々。
彼らは、口を開けば生活が苦しいと文句を垂れる。
しかし、食事をすることができ、着る物もある。
屋根のある場所で生活をし、洗濯された着物を着て、風呂に入ることもできる。
病になれば薬を求め、たまの贅沢と言って酒を飲むことだってあるだろう。
そんな人間には、本当の貧しさなどわからない。
誰もかれもが判を押したように人間として生きている。
まだ幼い少年は、濁った眼で通りを歩く人間を、まるで別の生き物のように見ていた。
衰弱してろくに呼吸もできなくなった弟を抱きしめながら、ただ、少年はその別の生き物を見続けていた。
麹勝。
成長した少年は、青年となり、そう名乗っていた。
涼州は武威郡の租厲県外れにある曝里と呼ばれる小さな里(村のこと)で麹勝は生活をしている。
辺境である涼州は外れ物が集まる地だ。
その外れ者たちの中でも手に負えない荒くれ者たちが曝里に集まっていた。
奪われたのだから壊してしまえ。
持っているのだから奪いまくれ。
とにもかくにもめちゃくちゃに。
そんな信条の者たちが当然生きていけるはずもなく。迫害されて行き着くのがこの曝里だ。
八つ当たりのようなレゾンデートル(存在意義)。
曝里はそんな者たちの受け皿として、租厲県県長・劉雋が造り上げた里だった。
肉を食らう獣が草食獣の中で暮らすことはできない。草食獣の怯えは肉食獣の欲を刺激してしまう。
穏やかに暮らす人々を見ているだけで彼らのようなはぐれ者はささくれを刺激されるような疼きを感じるのだ。
だからこそ、離した。
肉食獣は肉食獣同士で暮らせば、お互いがお互いを牽制しあい、結果として揉め事も起こらなくなるのではないかと、そう考えたのだ。
適度に仕事を与え、報酬を支払うことで、劉雋は彼らと良好な関係を築いていると思っていた。
結局のところ。
根本的に人間を信じる劉雋は、人間を信じない曝里の人間と相性が悪かったのかもしれない。
光和七年(西暦一八四年)、十月。
黄巾の乱も最終局面となったその時期。
皇甫嵩が広宗城に籠っている張梁と対峙しているまさにその時のことだった。
「黄巾はもうすっかり追い詰められたな」
「もっと荒れると思ったんだがな。つまんねーこった」
「で。麹勝。あの話はどうする?」
「あー」
話を振られた麹勝は、しかし、そんな話に興味がないとでもいうように虚空に視線を向けていた。
曝里は七百ほどの荒くれ者が住んでいる里だ。
その中でも麹勝はなぜか注目される男だった。
特別若いわけでも年季が入っているわけでもない。
武や智に秀でているわけでもない。
それでも、曝里の荒くれ者どもは、麹勝を無視して動くことはできなかった。
なぜか、と言われても答えられるものは誰もいない。
全員が全員、なぜかはわからないが、麹勝が曝里そのものだと考えていたのだ。
曝里。
荒くれ者を集めた掃きだめ。
反骨精神。社会性の欠如。制御できない獣性。
曝里の性質がそのまま人間になったかのような男が麹勝だと、全員が思っていた。
「劉県長にも恩は感じるけどなー」
「異民族相手に暴れりゃ金くれるもんな」
「はん。あいつはこっちを利用してるだけじゃねえか」
「まあまあ。利用してるのはお互い様じゃねえの」
そんな声に、麹勝は立ち上がった。
牙を研ぎ、爪を磨いた結果、鋭さを失っていっている気がしたのだ。
「羌族、河関・枹罕の賊をまとめたのは辺仲遂と韓伯章って奴らしい。奴らはその兵力で洛陽に上り、宦官の大粛清を行って腐敗した政治を正そうと考えてるとか」
そんな噂を聞いたのは、ひと月は前の話だ。
そして、半月前。
曝里に使者が来た。
辺允を盟主とした上洛軍の結成を知らせるものだった。
辺允は名を章と改め、各地に上洛軍に参加するよう檄を飛ばしたのだ。
現状に不満をもった者。腐敗した政治を憎む者。地位と名誉を望む者。ひと暴れがしたい者。
様々な者が続々と集まっているという。
曝里がそれに参加するかしないか。
最近周りで聞こえてくる話はそればかりだった。
麹勝にはそれが気に食わない。
上洛軍に伸るか反るか。
まるでそれしか選択肢がないかのようだった。
「おい。麹勝」
古くからの馴染みが声をかけてくる。
蔡沖というその男は、麹勝が曝里に流れ着いた時、最初に麹勝を支持した男だ。それ以来何かと傍にいる。麹勝がやりたいことを言って、蔡沖がその方法を考える。そんな盟友のような存在だ。誰彼構わず噛みつく麹勝も、蔡沖の言葉には耳を傾けることが多い。
この時も、麹勝は蔡沖の声に足を止めた。
「そろそろどう動くか決めようぜ。上洛軍に従うのか。それとも、県長に従うのかをよ」
そんな言葉を言ってくる蔡沖に対して、麹勝は胡乱な目を向けた。
「お前までそんなこと言うのか」
麹勝の言葉の意味がわからず首を傾げる蔡沖を、麹勝はため息とともに見る。
「上洛軍だろうと、県長だろうと、結局は言ってることは変わらねえ。どっちにつくか。誰の下につくか、だ。どっちもたいそうなお題目を掲げて、俺たちを従わせようとしている。どいつもこいつも、随分と腑抜けたことじゃねえか。誰かにつきたいなら、どこへなりと行けばいい」
「どっちにもつかないのか? それは、静観をするって」
「待ってりゃいい。そしたら、上洛軍を討伐するためにあちこちが動き出す。防衛力の落ちた空き地がたんまりと転がってるじゃねえか」
「な」
「下につけとかよ。見下されてるよなぁ。自分たちだけが世界を回してるとでも思ってるのかねぇ。そんな奴らのよ。足元を掬ってやったら。それはもう痛快じゃねえか?」
麹勝は蔡沖に振り返る。
蔡沖が思わず後ずさるほどの、獰猛な笑顔が、麹勝の顔には乗っていた。
「待てばいい。武器を集めて、兵糧の支度をして、ただ、待てばいい。それだけで、租厲は勝手に空白の地となる」
租厲県政庁。
今日も今日とて官吏が忙しく動いている。
しかし、普段の秩序だった忙しさと異なり彼らの動きはどこか慌ただしさを感じるものだった。
租厲県県長の劉雋が、出兵することを表明したからだ。
「遠からず、洛陽から討伐軍が派遣される。そうなった時、迅速に動いて討伐軍に協力をする。そのための心づもりを、全員がしておくように」
そう言われた官吏たちが緊張感を帯びながら仕事をしているのだ。それによってどこか慌ただしさを感じるようになっている。
「出兵の話をするのはもう少ししてからでも良かったのではないですか?」
劉雋について様々な仕事を学んでいる官吏見習いのひとり、張繍が劉雋に問いかける。
「洛陽から軍が派遣されるのは恐らく年が明けてからでしょう。今から周知をして、賊を刺激することにはなりませんか?」
「賊が距離のある租厲を偵察するようなことはしないと思うけどね。それで仮に刺激をしてこちらに向かってくるようならそれはそれで大義名分が出来上がる。麦の刈り入れももう終わっているし、耕地が多少荒らされても今なら被害は少ない」
「でも、この城にいるのは二千くらいですよね」
「兵は二千だが、籠城をするのなら県城内にいる民たちも戦力になる。湯を沸かしたり、石を落としたりしてね。なので、この城を枕に戦えば、兵力は五千ほどになるだろう。そうやって耐えていれば、他の県や郡から援軍はすぐに来る。友軍と挟み撃ちにしてしまえばいい」
「私はどうすればいいですか?」
「戦の経験を積みたいかい?」
「できれば」
「では、絶無についていくといい。シャーチィも同行したがるんじゃないか?」
「連れて行ってもいいですか?」
「許可する。絶無の下で兵の動かし方を学びなさい」
そう言って微笑む劉雋に、張繍は拱手した。
そんな張繍を、劉雋は頷きながら見ていたが、ふと、思いつたことがあった。
「そういえば、張輝抱殿に従軍してもらうことは可能だろうか」
その問いかけに、張繍は今度は目を丸くする。
県の最高官が県に住まういち豪族を使うというのだ。
兵を指揮する県尉・張先の面目も潰れてしまうのではないか。
しかし、そんな懸念を、劉雋は笑って跳ね飛ばす。
「少しでも勝つ確率をあげる。そのためなら多少の面目など捨てるべきだ。それに、絶無はそんなことを気にしない。君の叔父上が手伝ってくれるのなら、これほど心強いこともないさ」
家族を誉められた。
その嬉しさが張繍の頬を紅潮させる。
「私から文を送ってみます。きっと来てくれますよ!」
そう言って笑う張繍に、劉雋も笑顔で頷いた。
租厲県の県城から馬で数日の距離に張盛里という名の村がある。
この村は豪族張家によって栄えた村であり、村の名も張家から来ている。
張家の家督を継いだのは張済、字を輝抱という青年だ。未だ十九の若造に過ぎない。
しかし、彼には軍事の才能があった。
兵を率い、賊や異民族と戦う。民衆を守り、時に官吏とも協力して敵を倒した。
故に、豪族張家は民からだけでなく、地方官吏からも頼られる英雄のような存在となっていた。
そんな張家に書簡が届いた。
日課である朝の鍛錬を終えた張済は妻の鄒艶から手拭いを渡され、汗を拭っていた。
「うへへ」
鄒艶は自分の旦那である張済の引き締まった上半身に興奮し、だらしない笑いが漏れている。
段々と荒い息になっていき、頬も紅潮し、悩ましげに体をくねらせ始める鄒艶。
そんな鄒艶に、張済は苦笑を漏らしながらも愛おしさを深く感じる。
長い付き合いだったというのに、自分の身体が、鄒艶の情欲を呼び起こすようなものだったとは知らなかった。男として魅力があるといわれているようでむず痒いやら誇らしいやら嬉しいやらで張済の胸中も忙しい。
とりあえず、お互いに燃え移った情欲の炎を発散しようかと、鄒艶の手を取った。
鄒艶も期待に熱の籠った吐息を漏らす。
その時。
「書簡が届いておりますよー」
張家に仕える侍女のひとりが空気も読めずに夫婦の時間を引き裂いた。
「宝院。後にしてもらえるかしら?」
気を削がれた張済が我に返ったように咳払いをして居住まいを正そうとする。それすらも不愉快だというように鄒艶が苛立った視線を侍女に向けた。
「後でよろしいですかー?」
「………なによ。誰から?」
「シューお嬢から」
「早く貸して」「シューからか」
宝院の言葉に、鄒艶の表情から熱が抜け落ちる。張済も嬉しそうに宝院から書簡を受け取った。
「はいな。私も聞いていいものですかね?」
「もちろんだ。読み上げるぞ」
張済の言葉に、宝院も嬉しそうに聞く体勢を取った。
鄒艶。
実の名は張雛、という。
張繍の実の姉であり、張済とは血の繋がった叔父と姪の関係だ。
近親婚を忌避するこの国で立場のある豪族ができるはずのない結婚。
それを可能とするため、張繍は租厲県の県長に自身の身柄を差し出した。その代わりに張雛が死んだという偽装と、鄒艶という存在しない人間の経歴を作り上げたのだ。
県長である劉雋は張繍の才能を買ってそば仕えをさせたいと考えていた。
月に一度届く書簡ではよい環境で楽しく過ごしている様子が書かれている。
そんな張繍の様子に安堵しつつも、自分たちの幸せのために張繍を売ってしまったような気持ちになっている夫婦は、常に張繍のことを気にかけていた。
そして、張繍付きの侍女であった宝院もそれは同様だった。
官吏見習いとして登用された張繍は他の官吏と同じように生活をする。当然、私的な侍女などもってのほかだった。
それ故、宝院も張家の家に置いていかれてしまっていた。
こんなに長期間離れたことのない宝院も半身を引き裂かれたかのような気持ちに追いやられている。
つまるところ、張家の中でもこの三人は張繍からの便りを特に心待ちにしているのであった。
「ふむ。いつもの定期報告とは違うようだ」
「まだ前の便から半月も経ってないですものね」
「というよりも、ふむ。どうやら、張家への要請だな、これは」
「要請?」
首を傾げる鄒艶に張済は頷く。
「ああ。涼州の情勢悪化に伴って、洛陽から派遣される官軍に協力を申し出ることになった。武威郡からは租厲県の兵が洛陽の軍に合流することになったそうだ。その租厲県の兵に張家も参加してほしい、と」
「シューに会えるかな? 私も行っていい?」
「シューは官吏見習いだ。さすがに戦場には連れて行かないと思うが。いたとしても後方の指揮官の位置にいるだろう」
「私もシューお嬢に会いたいのですが」
「………………わかった。まあ、会えるかはわからんし、後方の安全な場所に待機してもらうが、どうしてもというのなら連れて行こう。エンは馬は乗れたよな。宝院は乗れるんだったか?」
「お任せを。乗れますとも」
嬉しそうに諸手を上げながら言う宝院に、張済は頷く。
「よし。では、そのつもりで。そうだな。一応、魚鱗甲を着て動けるようにしておいてくれ。宝院は自分の分とエンの分、二つ、服に鉄板を縫い付けてもらっていいか」
「はい。兵団の備蓄から鉄板をいただいてもいいでしょうか」
「もちろんだ。惜しまず使ってくれ。二人に大事があれば悲しむのは俺だけじゃない。シューも酷く悲しむ」
「わかりました。万全の支度を整えておきます」
そう言うと、張家の中でも特に張繍に大きな感情を抱いている三人は、張繍に返事を書くためすぐさま書簡の作成を始めるのだった。
「我が上洛軍の目的は不浄なる政治を浄化することである。まずは足元を固めるところからだ。涼州刺史は汚職官吏だ。奴を討伐し、我が軍の名声を上げる」
光和七年(西暦一八四年)十一月。
上洛軍と名を変えた羌・賊連合軍はようやく重い腰を上げることとなった。
金城城を落としてより三か月。
この不可思議な停滞はひとえに、軍が膨れ上がりすぎたからに過ぎない。
現政権に不満をもつ者がどんどんと参加していき、規模が膨れ上がったのだ。そのため軍を再編せざるを得ず、三か月もの時間を要してしまったのだった。
この間に、辺允・韓約は改名をしていた。
二人の名が知られ、指名手配されてしまったからだ。
辺允は新たに辺章、字を武允と名乗り、韓約は韓遂、字を文約と名乗るようになっていた。
ちなみに、二人の改名を聞いた辺允の娘・辺雪は「きもちわる」とドストレートな罵倒を投げかけてきていた。
隣で首を傾げている呉結に、辺雪は二人の名前の由来を説明する。
「元の字の字をお互いに交換して名に変えているのよ。新しい字も『文』と『武』で対比させているようね。ここまでくると仲がいいというより気持ちが悪いわ」
「うわ、きもちわる」
辺允、韓約、そして宋建の三人で食事をしていた時に決まった名だった。
酔っていたのもあって冗談半分で決めた名前。それを宋建がいたく気に入り、周知してしまったのだ。
後に引けなくなった二人は年頃の女二人に白い目を向けられることになってしまった。
閑話休題。
とにもかくにも、軍容も、軍の名前も、指揮官の名前すら変わった新生軍である上洛軍は次の目的地を涼州の州都・漢陽郡隴県に向けるのであった。
涼州漢陽郡阿陽県。
さしたる特徴のない小さな県だ。
そこに、中平二年(西暦一八五年)一月、前年皇甫嵩と共に黄巾の乱を戦い抜いた救国の指揮官・蓋勲が派遣された。
蓋勲。そして、蘇格。
たった二人の派遣に、阿陽県県長の辛章は大いに喜んだ。
現在、涼州は荒れに荒れている。
金城県で蜂起した上洛軍を名乗る賊軍がそろそろ動く気配を見せているのだ。
それに呼応するように、各地で小さな賊が暴れ始めている。
大方、戦果をあげることで上洛軍に加わった際の価値を上げようとしているのだろう。
上洛軍の対処をしないといけないのに、各郡各県は小さな賊の鬱陶しいまでの蜂起にまで対処しなければならない。
蓋勲は手始めにその点を解決しようと考えた。
「辛県長。兵を五百ほどお貸しいただきたい」
名目上、蓋勲は県尉として派遣されている。すでに阿陽県には県尉がいたが、賊と戦っている間に命を落としていた。涼州刺史・左昌はその穴埋めに蓋勲を使ったのだ。
県尉とは、県の治安維持を執り行う役職である。
阿陽県についた蓋勲は、その荷も降ろさないままに、再び馬上の人間となった。
「ここからここまで。明日やってくる兵と交代して、政庁に戻るように。怪我を癒し、疲れを取ったら身体を鈍らせないように毎日動かしておけ」
その言葉に、疲れ切った兵たちが嬉しそうに沸いた。
蓋勲が兵の指揮を取り出して二週間が経っていた。
その間に阿陽県の各地で放棄した小さな賊を三つ、壊滅させている。
蓋勲は賊を壊滅させるたびに麾下の兵の半分を県城に帰らせていた。
阿陽県に所属している常備兵は二千名。次に来る二百五十は蓋勲が始めに指揮した兵たちだ。
それらの様子を見て、城に帰った後、鍛錬をさぼっていなかったか確認する。
とりあえず、それで一息つく予定だった。
地図を広げ眺める。
地図には方々に放った斥候から集められる情報が所狭しと書き込まれている。
「よくやりますな。さすがは武門の名家・蓋家の手腕ですね」
「嫌味か貴様」
拱手をしながら言ってくる蘇格に、蓋勲は顔をしかめる。
その蓋家を衰退させたのが蘇格なのだ。
次の目標を見定めながらため息をつく。
「この程度、どうということもない。それに、蓋家で学んだことではないよ。皇甫中郎将の下で学んだことだ。俺はひとつの県を舞台に動いているが、あの人は潁川郡を舞台に地図が真っ黒になるまで情報を書き込んだ。俺はそれを見よう見まねで真似ているだけさ」
「随分といい経験をなさったんですねぇ。羨ましい限りだ。それはそうと、いつまでこの動きを続けるつもりですか?」
「次の兵たちの様子を見たら一度帰るつもりだ」
「ではちょうどよかった。お耳に入れたいことが」
蘇格の言葉に、蓋勲は顔をしかめながら頷く。
情報収集能力も判断力も申し分ない。
部隊指揮もそつなくこなす。
さすがに腕っぷしに関して苦手分野のようだが、指揮官としてなら十分合格を出せる才を持っている。
しかし、どうにも、蓋勲は蘇格を好きになれなかった。
一族の仇なのだ。
そう簡単に割り切れる感情ではない。
今が戦時であるがゆえに棚上げしているに過ぎないのだ。
「聞こうか」
「阿陽には従事が二名入り込んでおります」
従事。
刺史と共に洛陽から派遣されてくる官吏で、刺史の業務を補佐する役割がある。
軍費を着服した左昌。その男を補佐する従事。ろくな者でないに違いない。
「辛義重と孔伯碩の二名です。しかしどうも妙な情報が。我々に同情的だという話もあります」
「ほう」
蓋勲が阿陽県について即座に軍を動かした目的は賊の討伐、兵の鍛錬、だけではなかった。
阿陽県において、誰が敵で誰が味方なのか。
それをはっきりとさせるのに時間が必要だった。
最悪の場合、敵地のど真ん中で生活をしなければならない。
それを避けるために、即座に出撃してみせたのだ。
「蘇正和。どう見る」
「ふむ。どうでしょうなぁ。ここ、阿陽県は上洛軍の進行上に位置する県です。そのような地に置かれた従事。よほど信頼のおける者か、あるいは」
「疎まれて追いやられたか、か」
従事の二名。
彼らはもしかして、蓋勲と同じ立場にあるのかもしれない。
その可能性だけで、蓋勲には光明が見えた思いだった。
四つ目の賊を片付けて、阿陽城に帰還する。
兵は連戦連勝で士気が上がっている。さらに実戦を戦い抜いた自信が、兵たちを精強に仕立て上げていた。
辛章が二人を出迎えた。
「蓋殿。素晴らしい戦果だ。まさか、ここまでの力をもっていらっしゃるとは」
「おやめください、辛県長。私は県尉。あなたの部下です。あなたは私に『賊を討て』と。命じてくださればそれでいいのです」
拝礼をしてそう言う蓋勲に、辛章は恐縮しきってしまっている。
そこに。
「いや。地獄に仏とはまさにこのこと」
「ですなですな。聞けば、左刺史に諫言をなさったとか。それでこのような危地に飛ばされましたか」
蓋勲が顔を上げ、声の方を見ると、二人の男が立っていた。
ひとりは人の好さそうな、そして小心者そうな面長の顔立ちをしている。
もう一人はにこにこと笑っており表情は読みづらい。
「申し遅れました。わたくし、辛義重と申します」
人の好さそうな男が拱手をしながら挨拶をする。
するともう一人が手を上げて発言をした。
「はいはい。僕は孔伯碩といいます。お見知りおきをお願いしまーす」
「あなた方が、従事の」
その言葉に、孔伯碩が辛義重を肘で小突く。
「ほらねほらね。僕の考え当たってたでしょー? 蓋殿はこっちの内情を探るために出陣したんだって。じゃなかったら、僕らが従事だって知ってるはずないもんねー」
にこにことしながら、孔伯碩が蓋勲に近寄る。
「いやいや。刺史に諫言するなんて、どんな政治力のない人かなって思ったけど、予想に反してあなたは聡明のようだ。とくれば、刺史への諫言もわざとだったのかな?」
にこにこと、軽薄な様子で問いかけてくる孔伯碩。
その様子に、蓋勲は警戒心を深める。
「いえ、私の諫言で問題が解決するのであればそうしたいとは思っていたのですが」
「なるほどなるほど。ワンチャン狙ったけどダメだったから、外に逃げることにしたのかー」
「結果的にそうなったというだけです」
「ふむふむ。おけおけ。了解了解。まだこちらは、蓋殿の信用を得られてないみたいだね」
「君が胡散臭すぎるせいだ。いつも言っているが、その軽薄で、あけすけな物言いをやめたまえよ」
残念そうにがっくりと肩を落とす孔伯碩に辛義重が呆れたように突っ込む。
「すみませんね。彼は悪い人間ではないのですが、いかんせん人を測るのが好きすぎるきらいがあるのです。ご無礼を働き申し訳ありません」
「………………」
蓋勲は黙って二人の従事を見る。
辛曾。字を義重。
孔常。字を伯碩。
そして、背後を見る。
蘇格。字を正和。
最後に、県長を見た。
県長は眼前の言葉の応酬におろおろと不安げな様子を見せている。
(………どうにも、濃いメンツが集まっているような気がしてならんな)
先行きを想って、蓋勲は肩の荷がずっしりと重くなるのを感じた。
さあ、ここから始まる物語たちは、次の展開の部隊になる地を描くもの。
大きく分けて二つの戦線が動きます。
誰が生き残り、誰が死に抜けるのか。
お楽しみに!!




