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二十幕 猛法、義勇軍を知る



 ()(しゅう)(ゆう)()(ふう)(ぐん)()(けん)

 右扶風郡は(らく)(よう)のある()(なん)(ぐん)から遠く離れ、司州の最も西にある郡だ。

 そんな右扶風郡の中央部に()(すい)という大河が流れている。渭水はそのまま流れていくと(こう)()に合流する。しかし、(こう)(のう)(ぐん)で黄河と合流するまでは渭水と呼ばれていた。

 そんな渭水の北岸に栄えたのが郿県だ。

 郿県は南部に(たい)(はく)(ざん)という高峰がそびえており、北部しか開発が進んでいない。

 (しん)(れい)(さん)(みゃく)最高峰ともいわれる山で、海抜三七六七mという巨峰だ。

 当然、南部は人の寄り付かない未開の地となっている。

 しかし、だからといって人が住んでいないわけではない。

 人と関わりたくない厭世家はこういう秘境の地にいるものだった。



 (もう)(たつ)(あざな)()(けい)

 十七歳になる青年は、細く不健康そうな体をのっそりと(しょう)()から起こした。

 孟達の右腕に僅かな重さを感じる。

 そちらを見ると、小柄な少女が孟達の腕に絡みつくようにして未だ眠っている。

 少女の名は(ほう)(せい)。年は九歳。

 孟達は法正の顔を見ると、不機嫌そうに歪めていた表情を和らげた。

 左手で法正の頭を撫でる。

 撫でて、少しの思案。

 「そろそろ風呂入れるかぁ」

 ぼそりと呟く孟達の言葉に、眠っているはずの法正の身体が跳ねる。

 「ま、ちょうどいいわな。セイはどうやらすやすや夢の中だ。今の内に風呂沸かして、眠ってる間に入れちまうか」

 「たぁ、セイ、起きてるよ」

 孟達の不穏な呟きに、半刻前から孟達の体温(至福の時間)を堪能していた法正が慌てて声を上げる。

 しかし。

 「おはよう、セイ。ちょうどいいし、起きたなら風呂入るか」

 「違う、選択肢を、選んでも、結果が、同じに、なるのは、クソゲー」

 「うん。そうだなわかるわかるー」

 「たぁ、セイ、お風呂、嫌い」

 「いやでもお前、風呂入らな過ぎて髪の色素濃くなってるぞ」

 「銀髪、嫌い?」

 「めちゃくちゃ好きだけど、セイの頭を撫でるたんびに、ぬめっとしてくるんだよな」

 「たぁ、ストップ。さすがに、傷つく」

 「洗った後のセイの髪の手ざわり、好きなんだよなぁ」

 「ぐ、ぐぐ、ぐぐぐ」

 「というわけで、風呂を沸かしまーす」

 孟達は法正を抱え上げると、家の端にある風呂焚きまで向かった。



 孟達と法正。

 二人は親が違う。

 さらに、法正はまだ親元で庇護されるべき年齢だ。

 にもかかわらず二人が人里離れた地で人目を避けるように住んでいるのには訳がある。

 簡単に言うと、人の世に馴染めなかったのだ。

 だから、孟達は法正を連れて、人が滅多に入ってこない山のふもとで暮らしている。

 たまに人に事業や生活の助言をすることで僅かばかりの収入を得て、行商に定期的に回ってもらって生活に必要なものを仕入れている。

 そうやって、たった二人で暮らしているのだ。



 風呂から上がり、薄着のままで孟達は法正の髪を乾かす。

 「ったく。三回洗わないと泡たたなかったじゃねえか」

 「まったく、こらえ性のない、脂」

 「でもその甲斐あって、手櫛がすっと通る通る。やっぱセイの髪は綺麗でいいな」

 「だい、じょうぶ。たぁは、セイが、臭くても、愛してくれる、もんね?」

 「そりゃそうだ。そんなことで俺の愛は減らないってなもんよ。ただ、あまり入らないと、頭痒くなってくるだろ」

 「人間の、からだ、不便」

 「いや全く仰る通り」

 「寝なかったり、食べなかったり、悩みがあったり、するだけで、運動機能が、落ちるの、不便」

 そんな、法正のいつもの愚痴に、孟達は心中でドキリとする。

 思わず、髪を乾かしている法正の表情を伺うと、法正も孟達に視線を向けていた。

 すぐに、孟達は視線を逸らす。

 しかし、法正が孟達から視線を外すことはなさそうだった。

 (やっぱ、ばれてんなー、これ)

 背後を見ようとしてくる法正の頭を押さえ、髪を乾かしながら、孟達は風呂上りとは別の原因の汗をかいていた。



 一年ほど前。

 孟達と法正はある依頼を受けた。

 (こう)()七年(西暦一八四年)に起こった大乱・(こう)(きん)の乱における推移がどうなるか教えてほしい。

 そんなことを大量の金を携えた男たちが言ったのだ。

 洛陽に住まう高官や大臣たちが藁にも縋る思いで山のふもとの賢人を訪ねてきたのだ。

 まず、男たちは噂の賢人が年端のいかぬ子供であることに不満を言った。

 しかし、練習問題として(こう)(きん)軍の初動を見事にいい当てたことで、男たちの二人を見る目が変わった。

 そうして、法正が最適であろう戦略を指し示し、孟達が黄巾軍・(かん)軍の将兵の心理を読むことで、万里の彼方にいながらほぼ正確に乱の推移を当てきって見せた。

 そしてつい先日、依頼を持ってきた男たちのひとりが、再度この庵を訪ねてきた。

 「全てが君の言ったとおりになった。これからもぜひ、良い付き合いをさせていただきたい」

 男はそう言うと二人に洛陽で評判の菓子を渡した。

 「私の名は(りゅう)(くん)(ろう)という。私の付き人で料理の上手い者を連れてきた。食材もある。今日は私にご馳走させてくれ」

 男は二人をもてなしながら黄巾の乱の実際の推移を語って聞かせてきた。

 それはほとんど二人が予想した通りで、男の興奮した様子を見ても満足のいく仕事だったということがわかる。

 少なくとも、法正は満足していた。

 しかし、その時から孟達の様子がおかしくなったのだ。



 最初に違和を感じたのは(てつ)(もん)(きょう)という局地戦。

 (とう)(たく)が指揮する(へい)(しゅう)軍の動きを予想していた時のことだ。

 董卓は上昇志向の強い男だ。

 董卓は自分の安全を最上位に置いている男だ。

 それは彼の経歴を提示されたときにすぐにわかったことだ。

 ならば董卓のとる方針は、自軍の兵力を損なわせず、最適なタイミングで戦争に介入し、名声を手に入れることに他ならない。

 黄巾軍につく可能性もあったが、黄巾軍は董卓が満足できる見返りを提示できない。結果として、董卓は(かん)軍につくしか選択肢はないだろう。

 戦争の終盤まで軍を無傷に保ちつつ、国から軍令違反を咎められない範囲となると、(ゆう)(しゅう)(だい)(ぐん)(はん)()(けん)が最適な駐屯場所だろう。

 自領である并州からは出ているので出兵拒否と判断されることはないだろうこと。

 いざとなった時に自領からさらに徴兵が可能であるということ。

 さらにいざいざとなれば、自領に逃げ込むこともできるということ。

 それらが、董卓が班氏県に駐屯することを示していた。

 さて、ここで黄巾軍の動きを見る。

 黄巾軍の主要な目的は、王朝打倒である。

 故に、首都・洛陽を戦略目標として選ぶしかない。

 他の細々したものは、洛陽に辿り着くための前哨戦に過ぎないのだ。

 そしてそれだけで終わらせることはできない。

 戦争は政治行為の一環であり、『ただの武力行使』でしかないのだ。

 勝てば官軍というが、正当性を主張できない官軍は武力行使で勝とうともいずれ負ける。

 故に、首都から離れた地には黄巾軍の正当性を主張し、打倒皇帝の意思を民草に植え付ける存在が必要不可欠だ。

 そういった広報活動を積み重ねることで勝った後にも負けた際にも利用ができる。

 そして、『これ』は雑兵に任せておける任務ではない。

 幹部か、大将格が動くはずだ。

 決戦が洛陽周辺で行われるなら、勝った時、負けた時、どちらであっても黄巾軍を支持する勢力は近くにあった方がいい。

 これらのことから考えると、()(しゅう)北部には黄巾軍の大将格が率いる軍が潜伏しているはずだった。

 戦うことを主体とした軍ではないだろう。

 しかし、無力というわけでもない。

 ここまでを男たちから戦の推移を教示してほしいと言われた時に既に想定していた。

 ()(しゅう)(きょ)鹿(ろく)(ぐん)(ちょう)(かく)が発見されたという情報がもたらされ、それを(きょ)鹿(ろく)(ぐん)(たい)(しゅ)(かく)(てん)が追ったと報告された時、孟達にとって必要な情報が全て揃った。

 ()(しょく)(こう)(そう)(じょう)を包囲する頃に、孟達は依頼者たちに今後の展開を話して聞かせた。

 依頼者たちがその情報をどう使うかはわからない。

 しかし、目の前で嬉しそうに戦の実際の推移を語って聞かせてくる劉君郎から聞いた限りでは孟達の予想の通りに戦が運んでいる。

 つまり、依頼者たちは、孟達から聞いた情報を使って、戦火に巻き込まれないように動くことしかしなかったのだろう。

 別に、間違っているわけではない。

 ただ、報告を聞きながら、孟達は面白くもない世の中に苛立ちを感じていた。

 そんな孟達の心に今までと異なる驚きのさざ波が沸き立った。

 孟達の予想はほとんどが当たっていた。

 逆に言うと、わずかに外れていた。

 報告された内容はこうだ。

 「(とう)(とう)(ちゅう)(ろう)(じょう)は鉄門陜で奇襲にあったが、逆に奇襲を返し、鉄門陜に布陣していた黄巾軍を殲滅した。董東中郎将は殲滅を行うことで進軍が遅れ、()(きょく)(よう)(じょう)に着いた頃にはすでに要塞化が進んでいたようだ」

 「(こう)()()(ちゅう)(ろう)(じょう)は下曲陽城を囲むように流れている()()(すい)を堰き止めるため、城の北に堰を作って水攻めをした。黄巾軍は北の作業を察知することができずに、下曲陽城は浸水し、最後には全軍が脱出しようとしたが、叶わず主だった将兵は打ち取られて逃げ出した者は百もいなかった。十万にも及ぶ首で(けい)(かん)が作られたそうだ」

 劉君郎は、孟達を誉めているようだった。

 「一語一句相違ない。素晴らしい才だ、孟子敬殿」

 そんなことを言われるが、孟達には興味がない。

 それよりも、そんなことよりも、気になることがあった。

 「君郎のおっさん。董東中郎将には外部から参加した小部隊があったりしたか?」

 問われた劉君郎は怪訝な顔をして、頷いた。

 「いた、とされているな。(りゅう)()(だん)とかいう義勇軍だ」

 「規模は数百、か」

 「あ、ああ。三百ほどの部隊だそうだ」

 「なーるほど。それで、これか。そりゃ、特異点だな」

 孟達は呟くと、それきり黙った。

 それ以来、孟達はふとした時に遠くに意識を飛ばしているように見えるのだった。



 「孟くん。法嬢。少しはこの部屋を片付けたりはしないのかな?」

 そう言われた二人は、鬱陶しそうに初老の男を見上げる。

 (りゅう)(えん)(あざな)(くん)(ろう)という。

 (かん)という国において(たい)(じょう)という大臣職に就く高官だ。

 国の頂点である三人の大臣職・(さん)(こう)

 それに次ぐ九人の大臣職・(きゅう)(けい)

 太常はその九卿の筆頭に当たる役職とされている。

 要するに、要人だ。

 そんな男が、頭に三角巾をつけながら、年若い二人を叱っていた。

 「大臣がなんでそんな掃除屋みてぇな格好が似合うんだよ」

 「たぁ、あのひと、きっと、大臣って、うそ」

 「失礼すぎるな君たちはぁ!! いいから、掃除の邪魔だから、外に行ってなさい」

 「いやほんと勘弁してください人のテリトリー勝手に入ってきてしかもその主を追い出すとか人間の風上にも置けないしなんだったらこの部屋この屋敷全て物が効率的に置かれてるから下手に動かされると最悪俺たち死に至るわけでいやもうほんとほっといてほしいというか勘弁してください」

 「おそと、やぁ。たいよう、あたると、とけるぅ」

 「溶けない!! あと、大事な物は触らない。食べ物のごみを捨てるだけだ。なんでこないだ持ってきた骨付き肉の骨がまだあるんだ!? 菓子が入っていた入れ物をそのまま再利用するな。洗え!! 布団も干してやるからついでに出ていろ。埃がたつぞ!!」

 「なぁーーにぃーー、この世話焼き幼馴染みたいな爺さん。女の子じゃないのが不満なんですけど」

 「ん? なら娘を連れてこようか? 呆れてものも言えなくなるだろうがな」

 「おっさんの娘ぇ? ………………ちなみにぃ、おいくつのぉ」

 「たぁ」

 「な、なんでせうか、セイちゃん?」

 「歳か。十、いや、年が明けたから十一になったな」

 「あ、そすか」

 「たぁ?」

 「なんでもないよーなんでもないよー!? ほら、セイちゃん美人だなぁ」

 「………たぁ」

 「さーて、おっさんに掃除は任せて、俺らは外で本読むかぁ。急がないといい日影がなくなっちまう」

 「………むぅ」

 そう言って逃げるように家の外に出ていく孟達。

 そんな孟達を、法正と、劉焉は訝しげに見ている。

 「………たぬきのおじさん。たぁが、なに、気にしてるか、聞いてきて」

 「たぬきのおじさんとは私のことか? なぜ私が聞く。君が聞けばいいではないか」

 「たぁは、セイに、心配かけるようなこと、言わない。聞いても、答えてくれない」

 「ふむ。仮にそうだとして、彼が私に胸の内を晒すとは思えんのだが」

 「たぶん、大丈夫。たぁ、甘いから」

 「甘い? 彼が? ふむ―――」

 劉焉はボーっとしている孟達を見やる。

 孟達が甘い男だとは、思えなかった。

 彼は人のすべてに失望しているような気配がある。

 そんな孟達に、彼の言うところの失望するような大人が声をかけたところで、胸襟を開いてくれるとは思えない。

 しかし。

 眉尻を下げた法正が、劉焉を縋るように見上げた。

 それで、ダメもとで聞いてみようという気になった。



 「孟子敬。何か悩みがあるのか。聞いてやろう。言ってみるがいい」

 庵の中から外を伺って劉焉の言葉を聞いた法正が顔を覆った。

 ―――ダメかもしれない。

 しかし、そんな法正の思いとは裏腹に、孟達はぼんやりと答え始めた。

 「ああ、いや。大したことじゃないですよ。ただ、俺の、俺たちの予想を覆す動きをした奴らがいたんで」

 「予想を覆す?」

 劉焉は首を傾げる。

 劉焉が聞いた彼らの予想というのは黄巾の乱の推移に関してだけだ。

 そして、それはことごとく当たっていたはずだ。

 ということは、劉焉の知り得ない場所で受けた別の依頼のことだろうか。

 「あんたはこう言った。『鉄門陜で黄巾軍の奇襲を受けた董東中郎将は逆に敵に奇襲をかけて殲滅したことで進軍が遅れ、下曲陽城に布陣した時には要塞化されてしまっていた』」

 「ああ。そして、君の予想もそうだったよな」

 「微妙に違う。俺はこう言った。『鉄門陜で黄巾軍の奇襲を受けた董東中郎将は数日の帯陣の後力押しで黄巾軍を撃破する。しかし、ここでの遅れによって下曲陽城に着いた頃には皇甫左中郎将が下曲陽城を包囲していた』。俺は董東中郎将は下曲陽城に遅れて到着すると予想していた。結果として、皇甫左中郎将が武功を立て、董東中郎将は大きな武功を立てられずに力を失うと予想していた」

 「………そういえば、そうだったか」

 「下曲陽城の水計でもそうだ。下曲陽城に籠った将が北を無視することはあり得ない。だから守備部隊がいるとふんだ。当然、北の堤防も察知される。そこの攻防で(かん)軍にも数百は被害が出たはずだった。けれど、そうはならなかった」

 「北を守備していたのは(げん)(せい)と呼ばれる将だったそうだ。義勇軍の動きに翻弄されたとか聞いたが」

 「そうだ。鉄門陜でも、下曲陽城でもその義勇軍が動いたおかげで戦が早期に決着してる。全体から見れば微々たる変化だが、鉄門陜では董東中郎将を救い、下曲陽城では被害を最小限にして戦を終わらせた。そんな奴らが、軍団長の名前も不明の小規模な義勇軍なんだ。とんでもない話だ。世の中にはまだまだ凄い奴らが大勢いる」

 孟達の呟きを咀嚼するように頷いて聞いていた劉焉は、ひとつ大きく頷いた。

 「つまり君は世を知りたいと、そう思ったのだな?」

 その言葉に孟達が勢いよく振り返る。

 その瞳は動揺に揺れていた。

 「そういう、わけじゃない。俺はセイとここで暮らしていければそれでいい。それ以上は求めない。世の中は汚いものであふれてる。ただ、たまに、今回の義勇軍の奴らみたいに輝く奴がいるだけだ。それは、俺たちには関係のないものだ」

 「どうしてだ?」

 「俺たちはここから出ない。煌めく奴らは表舞台で輝くだろ。俺たちと交わることはない」

 「このままここにいれば、そうだな。しかし、君たちはいつまでここにいるつもりだ」

 「ずっとさ。ずっと、このままここで暮らしていく」

 「それは許されないな」

 断言するような劉焉の物言いに、孟達は苛立った視線を向ける。

 「俺たちが生きていけないような表の世界を作ったあんたたちに何がわかる!? 表の世界から俺たちを追いやって、さらにこの穏やかな場所も奪うっていうのか!?」

 「そうは言っていない。しかし、君は表の世界と関わり、表にある輝きを見つけてしまったのだろう? その輝きから目を背けてこのままここにいて、果たしてこの空間は穏やかな空間足りえるのか?」

 劉焉は孟達の肩を掴む。

 「外に憧れた。煌めく者を、羨んだ。それは決して恥じる感情でも捨て去るべき思いでもない。君たちの力は、正しく使えばそれだけで君たちの居場所を作り上げるものだ。今すぐでなくとも構わない。しかし、その思いを、見ない振りすることだけは、私が許さない」

 「………………別に、おっさんに、許されなくても」

 「まあいい。私に言えるのはそれだけだ。あとは、強いて言うならそうだな。彼女に心配をかけないことだ」

 孟達ははじかれたように法正を見る。

 法正は孟達を不安そうに見上げていた。

 「二人でひとつなのだろう? なら、君の不安も、不満も、彼女には分け与えるべきだ。猛法に例外はないのだろう? 君の不安だけ例外だというのは看板に偽りありではないか?」

 その言葉に、孟達はがっくりと項垂れる。

 「負けた。どっかで聞きかじったような説教で俺が負けを認めるなんて」

 「随分な言い草だな!?」

 「わり、セイ。ちょっと、俺、センチになってたわ」

 「ううん、平気。聞けて、よかった」

 抱擁する二人を見て、劉焉はうむうむと頷く。

 「もし、君が出仕をする気になったら、いつでも私のもとに来るといい。君のような人間が才を存分に発揮できるような、そんな国こそが正しい姿だろうからな」

 「勧誘どうも。ただ、俺だけで何か事を為す気はないよ。俺だけだったら何もできない。セイがいてくれるから俺たちは千里の彼方をも見通せるんだ」

 「法嬢も出仕すればいい」

 「それはこの国の制度が認めてないだろ。だから、その夢物語は叶わない」

 皮肉気に笑う孟達に、劉焉が顔をしかめる。

 「そんなことはないだろう」

 「いーや、無理さ。太常であるおっさんの(ぞっ)(かん)になったとしても、周りの人間は俺たちを攻撃する。若造の意見を聞く太常。女の意見を聞く九卿ってな。俺たちはそういう空気がバカらしくなってここに引っ込んでるんだ。おっさんの気持ちはありがたいけど、気持ちだけ受け取っておくよ」

 皮肉気に笑う孟達の表情は、どこか寂しげにも見える。

 法正が孟達に寄り添うように孟達を抱きしめた。孟達も法正を抱き返す。

 二人だけで閉じた世界。

 このままこうしてゆるゆると、世間に関わることなく二人は生を過ごしていく。

 それは、とても寂しいものだと、劉焉は感じた。

 「ふむ。ならば、私が地方の高官になったらどうだ。出仕もしなくていい。君たちは私の治める地で隠遁をしてくれればいい。私が助言を得たい時に君たちを訪ねられればそれでいい。私は君たちという宝石を知ってしまった。君たちが光り輝く手助けができればそれに越したことはない。私の息子や娘たちに『猛法』という師ができればなんと嬉しいことだろう」

 劉焉の言葉に、二人の男女はポカンとした表情を返した。

 「ふむ。やることを思いついた。今日のところは失礼する。また近い内に来るから、少しは掃除をしておくんだぞ」

 劉焉は、ポカンとしたままの二人に力なく見送られながら、山際の庵を後にした。



 「な、なんだ。何やらかすつもりだ、あのおっさん」

 「ち、地方、高官、って、()()?」

 「い、いや、刺史になったからって、そんな無茶苦茶な強権は振りかざせない、だろ?」

 「う、うん。たぶん。だとしたら、………」

 法正が思考の海に沈み、数秒してハッとしたように目を見開く。

 「………………(ぼく)?」

 「あ? 牧って確か、百年以上前の制度だよな?」

 「(けん)()十八年(西暦四二年)。(こう)()(てい)は牧を廃止し、()(れい)を除く十二の州に刺史を配置」

 司隷とは、司州のことで洛陽の置かれた首都を含む州のことだ。それ以外の地には建武十八年(西暦四十二年)に刺史が配置されている。

 刺史は州内の監督を主な職務としている。軍権を持つことはなく、(たい)(しゅ)(けん)(れい)の違反を取り締まるのが役目だ。

 対して牧は、軍権をもった刺史だ。古くはまだまだ統治が進んでおらず、地方高官が武威をもって民衆を従えていた。しかし、統治が落ち着いたことで今度は地方高官の反乱が起こることを危険視し、牧から軍権を取り上げ、刺史へと改名したのだ。

 「いや、そうは言っても、大昔のカビが生えたような制度だぞ。今更どうやって復活させるってんだ?」

 「(りょう)(しゅう)で、乱が、起きてる。地方の、人事を、見直すことに、なるかも。『清廉で評判の高い重臣を州の長官に』っていえば、九卿から、選出、されるかも」

 「九卿から刺史に転任するってなったら、俸給が下がる。それを回避するために牧を復活させるってか?」

 「たぁ、あの人、とんでもない、かも」

 「なんか、マズい奴に目を付けられたような気がするなぁ」

 孟達と法正。

 二人は来たる未来に怯えながら、お互いを抱きしめ合うのだった。

 しかし、その表情はどこか、楽しげであった。

この二人は死国史のこぼれ話で登場したのが初出でした。

満を持しての本編登場ですね。


孟達、法正。

この二人は、なんとなくわかるかもですが、『ノーゲームノーライフ』の空白兄妹がキャラモデルです。

人読みの孟達と論理特化の法正というコンビでお送りいたします。

またそのうちひょっこり出てくると思いますので、お楽しみに!

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