3.
「きっと、そんな風に悩んじゃうのも含めて、ヒカリっていう一人の女の子なんだね」
そう、それが、私が恋する女の子で。もしかしたら、私を好きになってくれるかも知れない女の子。だから、この言葉を、選んだ。それが、彼女の気持ちを少しでも軽くしてくれたら良い。そんな想いが、ちゃんと届いたら、嬉しい。
私が、中学一年生の時のこと。
同じクラスの、ある女の子。とりあえず『Tさん』とでも呼ぼう。
そのTさんは、八方美人……というと悪い意味で捉えられがちだけど、厭み無く自然にクラスメイトの誰とでも、いや、他のクラスの子や先生とも、仲良くできるような子だった。
ルックスは美人と言うよりは、愛嬌のある、どちらかと言えばかわいい系で、特別目を引くほどではなかったと思う、というか、私の好みのタイプではなかったのだけれど、性格も朗らかで人当たりが良く、男子からのそういう人気もあったようだ。
実際、中一の一学期だけで少なくとも三回は告白されたという話を聞いたけど、その全てを断ったらしいTさんは、それでも悪い話を全く聞かないくらい、周囲の人たちに好かれている子だった。
Tさんにもよく連んでいるグループはあったけれど、彼女が引き連れていると言うよりは、周りが彼女を持ち上げているような印象で、私はそこにはあまり近づかなかったけど、彼女はそんなことは気にする様子もなく、私や当時はまだ私と良く一緒にいた子たちとも自然と会話に加わっていたりもして、私は恋愛的な好意こそ持たなかったものの、クラスメイトとして好感を持って接していたし、その時はまだ彼女も私に対して良くも悪くも特別な感情は持ってはいなかったのではないかと思う。
それが変わった、いや、豹変した、とさえ言えるのは、二学期に入ってわりとすぐの体育祭の時のことだ。
「あの先輩、さっきからすごい。ちょーカッコイイ!」
出る競技全てで一位をかっさらっていくその女の人は、周りの女子より頭一つ分は背が高く、見間違えようもない。
私と同じような黄色い声を上げている子たちから聞こえてくる話では、バレーボール部に所属している三年生だという。
「ね、すごいね」
私は自分の中の興奮を共有したかったのだろう、近くにいたTさんにそんな風に話しかけた。
「そうだね」
そのTさんの返事は、今思えば、いつもより素っ気なかったような気もするけど、そこまで細かく記憶しているわけではないので、確証はない印象だ。ただ、その時の私はテンションが上がっていたから、そんな小さな違和感も気にしなかった。
「あー、あんな人と付き合えたらなー」
その私の言葉は、別に切実な感じではなく、冗談めかしたような感じで言ったと思う。だから「なに馬鹿なこと言ってんの~」くらいの、軽い返事を想像していただろう。
「……なにそれ」
だけど、Tさんから返ってきたのは、そんな、ひどく冷たい口調の言葉だった。
「あんた“そういう人”なの?」
Tさんから「あんた」なんていわれたのは初めてだし、彼女の「そういう人」という言葉には強い侮蔑や嫌悪感のようなものが含まれているように感じられて、まさに冷や水を浴びせられたように、私の気分は一気に冷え込んだ。
「えっ……その、あの先輩はそこらの男子よりカッコいいし、別に、女の人が好きとか、そういうのじゃ……」
そんな、言い訳めいた言葉を口にする私を、Tさんは冷たく一瞥すると、
「あんた、ヘン」
そう吐き捨てるように言って、どこかへ行ってしまった。
「……何なの……」
私は訳が分からず、その場に立ち尽くした。
私の言葉の何かが、彼女をひどく苛立たせた、あるいは、逆鱗に触れた、なんて表現した方が良いのかも知れない。
それが、私がビアンであるかのような発言をしたせいなのか、それとも、Tさんが嫌っていた先輩を持ち上げるようなことを言ったせいなのか、はたまた、私が考えつかないような理由なのか。当時は考えても分からなかったし、今考えても、本当のところなんて、知る由もない。それに、その時に分かったとしても、どうなるものでもなかったのだろう。
とりあえず、気まずくしたことは謝ろう。そうすれば、多少関係がぎこちなくなろうとも、彼女なら許してはくれるだろう――その時はその程度に考えていた。
だけど。
私に待っていた仕打ちは、Tさんからの徹底的な無視だった。
それだけなら良かった。だけど、みんなの人気者であるTさんがそんな態度をとることで、最初は戸惑う様子だった他の人たちも、やがて私を無視するようになる。そして、それが直接的な危害に変わるのに、それほどの時間はかからなかった。
直接的、といっても、私に殴る蹴るといった暴行があったわけではない。細かいことは思い出したくもないけれど……まあ、無視もそうだけど、物を隠された、捨てられたとか。一歩間違えば小さくない怪我をするかも知れなかった仕打ちもあったけど……とにかく、そんな、よくある、よく聞く、『いじめ』だ。
理不尽だと思った。憤った。そんな感情を原動力に耐えていたけれど、長続きはしなかった。心が折れた、つもりはなかったけれど、そうだったのかも知れない。日に日にネガティヴな思考が増えていった自覚はある。
ある日、ゴミ箱から教科書を拾っているところを先生に見られた。もしかしたらそれは、私の被害妄想なのかも知れないけれど、教室に先生が入ってきた音に振り向いた私と、一瞬目が合ったように、その時は思った。一瞬、ということは、先生がすぐに目を逸らしたということ、なのだと思う。先生が目を逸らしたのは、私の姿でなく、私の身に降りかかっている事態ではないか、考えれば、そう思わずにはいられない。……ただ、その時は「家には連絡しないでほしいな」くらいの気持ちしかなかったけれど。
だけど、そんな気持ちも無意味だった。
先生が家に連絡をしたわけではない。家ではずっと普通にしていたつもりだったけど、まだ二学期が終わりもしないうちに、親に様子がおかしいと詰め寄られ、結局、いじめのような目に遭っていることを話すことになってしまったのだ。
親ガチャ、なんて言葉があるけれど、私はたぶん、人から見ればスーパーレアとかウルトラレアとかレジェンダリとか……まあ、恵まれていたのだと思う。
すぐに、転校だ、引っ越すぞ、そのために仕事を辞めるぞ、と動き出した。両親ともに、だ。
結局、父の方はそれなりの立場にあったために強く慰留されたそうで、転勤という形になった。その転勤時期は、引き継ぎとか手続きとかそういった諸々のために新年度になり、親たちは三学期は学校に行かなくていい、と言ってくれた。
その時、心底湧き上がってきた感情には、自分でも驚いた。あれをどう言えば良いだろう? 開放感? 安心感? 肩の荷が下りた、という言葉の使い方としては間違っているのかも知れないけど、本当にそんな、体が軽くなるような感覚がして、自分はそんなに追い詰められていたのか、と思って、なんだか笑えた。残念ながら、勝手に溢れてくる涙のせいで、その笑いは引きつっていたけれど。
中学二年生、新しい環境とはいえ、さすがに以前のように、とはいかなかった。
それでも、周りの人たちは私から見れば十分すぎるほど親切に感じられた。都会の人間は冷たい、なんて話を聞いたことがあるけれど、田舎の人間の方が陰湿じゃないか、なんて思ってしまうくらいには。……まあ、都会とか田舎とか関係なく、コミュニティにも当たり外れがあるだけなんだろうけど。
そんな“当たり”環境のおかげか、私は徐々に、対人関係で緊張せず自然にいられるようになっていくことができた。
とはいえ、私が初めていじめられていた過去を話すことができたのは、中学三年の三学期も終わりが見えた頃。結局、その時点でもまだ“卒業”という“保険”が必要だったということだろう。
その話をした時、あれは誰が言ったのか、でも、言われた内容だけはハッキリ覚えている。
「じゃあ、一年も無かったんだ」
たぶん、その程度の期間で済んで良かったね、という感じの意味合いだったのだろう。でも、その時の私は、そう言えちゃうのは幸せな人だな、なんてことを思った。
平日の昼間、部屋で一人きりでいると不意に襲ってくるモノ。あんな、嫌な感情が別の嫌な感情を呼んで、結びついて、混ざり合って、できた汚物が脳みその裏側にべったりとこびりつくような、おぞましさ。あんなモノを知らずにいられるのは、なんて幸せなんだろう、と。
別に厭みでそう言いたいわけじゃない。ただ自分にとってはそれが期間の問題じゃなかったのだと改めて知ることができた、というだけのこと。
だけどやっぱりその時は、少し“距離”を感じて。だからきっと、私がちゃんと私に戻れたのは、高校の時の出逢いのおかげだ。
――こんな、昔のことを思い返してしまうのは、きっと不安のせいだろう。
昨日は、夏休みにかこつけて、ヒカリを旅行に誘うことができた。
下心が全くない、とは言わないけれど、私は旅行という“非日常”を、ヒカリと過ごせるだけで、その想い出を作ることができるだけで、満足なつもりだ。
ヒカリも、その時はすごく楽しみにしてくれていたように思えたし、実際そうだったのだろう。
でもその夜、ヒカリから『明日、直接会って話したいことがある』というメッセージを受け取った。
良い方の想像もしなかったわけじゃ、ない。でも、脳裡で膨らむのは、悪い方。
ヒカリに、私の下心が気付かれて、拒絶されるのではないか――そんな、不安。
だから、私を迎えてくれたヒカリの穏やかな笑顔に、どこか悲しみのようなものを感じてしまったのだろう。
「ヒカリのタイミングで、焦らなくても良いよ」
それは、あまり愉快ではないことを口にしようとしているようなヒカリを気遣って口にした言葉だけど、だからこそ、自分の不安を先送りにしようとした身勝手な言葉でもあったかも知れない。
閑静な、という形容詞がぴったりの道。でも、不安の中では、静寂は、心に痛い。
「……私は……」
「……ヒカリ?」
何かを口にしかけて、立ち止まってしまったヒカリを振り返る。
――そして彼女が口にした言葉たちは、まとまりがなくて、だからきっと心からの本音なんだろうと思えて。
ヒカリがその誠意を私に向けてくれることが嬉しい。そしてまた、彼女の抱えていた悩みは、私にとっては僥倖ですらあって。
「私は……モモと旅行に行けるなら、すごく楽しみ。でも、こういう私を隠したままっていうのはどうしても卑怯な気がして……。私でも私自身のこと、はっきり解ってないのに、それでも、いわなくちゃって、気持ちばかり先行して……。だから、何が言いたいかっていうと……」
――私は、この恋を諦めなくて良いのかも知れない。
「もう大丈夫だよ。ヒカリのその……誠実さは、十分に伝わったし、そんな風に真剣に考えてくれて、私は嬉しいよ――」
そう、本当に嬉しいんだ。だから、ヒカリには、そんな顔をしていてほしくない。
だから、その言葉が、彼女の顔を、少しで良い、晴らしてくれたら嬉しいと思った。
高校の時。
私が懲りずに好きになった女の子は、一言で言えば……サバサバ女子、というヤツだろうか。
きっと私は、彼女のその、執着の無い感じとでもいうか、そういうところに憧れていた。
そして、甘えてもいたのだろう。私が、彼女には、いじめられていたことや、恋愛対象が女子であることを話したのは。
「そういった過去も、指向も、全部ひっくるめて、今の“モモっち”っていう女の子じゃん。私が今友達やってるのは、そのモモっちなんだから……まあ、寝込みを襲われたりでもしない限り、気にしないよ」
最後の彼女の言葉がある種の牽制になって、私は結局、好きなのはあなた、という想いだけは伝えることができなかったけど。でもその、あっさり感じに、私は何というか、開き直れたというか、大げさに言えば、救われた。
だから、良いんだ。ヒカリは、私が好きになったヒカリのまま、それを迷ったり悩んだり、ましてや否定したりしないで、胸を張っていても。
――きっと、私の想いの、いくらかは、ちゃんと届いたのだろう。
私の言葉に小さく驚いたような様子を見せた後、何かを心の中で噛みしめるようだったヒカリは、それまでの張り詰めたような様子はなく、いつもの、私の好きな、ヒカリだった。
だから私も安心して、ちょっとした悪戯心が湧き上がった。
「そういえば、私がいじめられるようになった原因って言うか、きっかけって、言ってなかったよね」
きっと、こんなことを言えば、私のことを“そういう風に”意識しちゃうだろう、そんな軽い気持ちで、私は言葉を口にする。
「あの子たちに言わせるとね? ……女の子を好きになる私ってヘン! なんだってさ」
――だけど。
「……モモ。私まだ、今日、モモに一番伝えたかった言葉、言ってなかった」
私の言葉を受けたヒカリは、ドキッとするような優しい目を私に向けて、その口を開いた。
――敵わないな、なんて思う。
私が好きになったヒカリという人は、だって私が好きになった人だから、私なんかよりも一枚も二枚も上手で。
私のように意識しなくたって、相手の心を玩ぶようなことを自然に言えてしまうような、カッコよくて、素敵な人で。
だから、そんなことを言われてしまえば、私は、舞い上がるような幸福感の中で、おなかを見せながらゴキゲンに尻尾を振るワンコのように、彼女に全面降伏するしかないのだ。
「私が、今、好きな女の子は、あなたです」
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
元々は『Unique』だけ執筆するつもりで、『euqinU』の方は構想に全く無いものでした。
前者のラストシーンが見えた辺りで、後者を書きたい、という思いがわき上がってきて、結果、こういう形で完成となりました。
自分は、自分の作品を客観的に評価できないので、これが良い判断だったのかは分かりません。
ただ、読んでくださった皆様にとって、少しでも良いものになれていれば、幸いです。
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