五
「おうどうした! 全然飲んでねぇじゃねぇか!」
「あ、副隊長……いえ、俺は……」
「なんだ辛気くさい顔をして。せっかくお前の初任務が無事終わったってのに。まぁあの旅人達が片付けたから何もしてないからそんな気分でもないか」
「いや、あいつら、本当にあの獣を倒したんでしょうか」
「なんだ疑ってるのか?」
「だって、あれはそんじょそこらの旅人がどうこう出来るほど優しい獣ではありません。それを……」
「まぁ、お前はまだ入ったばかりだ。わからないだろうな」
「どうして信じられるのですか? 倒したところを目撃してはいないではないですか」
「なんとなく、だよ」
「俺には、わかりません。それにあの態度。隊長に馴れ馴れしく……」
「ん? ああそうか。お前は誰よりもシルバに憧れてたな」
「はい。隊長の様な人になりたくて必死に努力してきたんです」
「別に本人は気にしてないしいいだろ」
「隊長は素晴らしいお方です。優れた能力がありながら努力を怠らず、謙虚で寛大な。だからこそあの礼儀知らずな態度が気に入りません」
「そうかい。それでも客としてココに来てるんだ。失礼な態度はそれこそ隊長への迷惑だってことは忘れるなよ」
「それは……わかってますけど」
鎧にこびりついた獣の赤黒い血は、ドールの手で綺麗に拭き取られた。ドールは黒く輝く鎧に抱きつく。鎧は条件反射の様に手をドールの頭の上に乗せ、優しくその髪を撫でた。
「エヘヘ」
顔を綻ばせ、硬く冷たい鎧の胸元に頬ずりをする。それは決して心地の良い感触ではないはずだが、ドールにとっては何よりも幸福な行いであった。
「それじゃあ行こっか」
鎧の手を取り、部屋の扉を開くドール。すぐ傍にいる使用人に話しかける。
「ゴハン食べたいんだけど、ツレテッテくんない?」
「かしこまりました。こちらです」
使用人は軽くお辞儀をしてから歩き出した。ふたりは手を繋いだままその背中に続いた。
案内されたその場所は、先ほどまでの豪華な場所とは違いやや質素であった。
「こちらは騎士様方のお使いになっておられる食堂でございます。それでは私はこれで」
「ありがとネー」
部屋まで案内をした使用人はお辞儀をして、持ち場へと戻っていった。
ドールが食堂の辺りを見渡す。華美な装飾などは一切ない、集まって食事をする。ただそれだけの為にあるような部屋だ。木製の机と椅子が等間隔で部屋に並べられている。そこに何人かの男達が座り、大声で笑いながら酒をあおっていた。
「おう、さっきの!」
騒いでいた中のひとりがドール達に気づいて、立ち上がる。筋骨隆々で背丈の高い大柄な男だ。
「ン? アンタ誰?」
「っと悪いな、俺はシルバ騎士隊の副隊長を勤めている者だ。一応さっきもいたんだがな」
「へぇ~」
「それよりメシに来たんだろ。さぁ座ってくれ! ここのはなんでも美味いぞ」
男は近くの席を引くとドールと鎧を座らせた。
そこに大皿に山のように盛られた肉が豪快に置かれる。
「う~わ」
あまりの大きさに言葉を失うドール。鎧はもともと言葉を持っていない。
「ほら、鎧のあんたもそんな格好じゃ食えないだろ」
そう言って兜を脱ぐように促した。
「あ、いーのいーの。ダーリンは食べないから」
「ん? それはどういう……」
呆気にとられている副隊長をよそに、ドールは近くにあった先割れた食器で肉を刺し、豪快にかぶりついた。茶色の外観とは打って変わって、中は鮮やかな赤色を残している。
「ん~! サイッコー! お酒ナイの? ゼッタイヒツヨーでしょ」
「お、ネーちゃんイケる口か? もちろんあるぜ。おい!」
副隊長が呼びかけるや否や、木で作られたジョッキになみなみと注がれて泡がこぼれ落ちそうになっている黄金色の酒が気前よく運ばれてきた。
「あ〜もうゼッタイウマイっしょこれ! わかってんジャン!」
ドールは置かれた途端に間髪いれずに手に取って、口に盛大に流し込み、喉を鳴らしながら飲み込んだ。
「っクハー! イキカエル! むしろ死ぬかも!」
意味は分からないが、とりあえず満足していることは分かる言葉を叫ぶ。
「イイ飲みっぷりじゃないか。追加もってこい!」
「そーだそーだ、ガンガン持ってコーイ!」
次々と運ばれてくるそれを片っ端から飲み干してどんどんとジョッキが並んでいく。最初は面白半分で飲ませ続けた副隊長達であるが、段々とその勢いに不安と心配の気持ちが湧いてくる。それと若干引いた。
そこへ食堂の扉が開く。
「お待たせしました。ん?」
シルバが着替えを終えて入ってきた。眉根を寄せて置かれているジョッキの中身を確認する。
「これは"マコットラガー"じゃないですか?」
「あん? ナニそれ?」
顔が僅かに紅潮しているドールは飲みながら肉を頬張りながら尋ねた。
「まさかここにあるジョッキ全部……?」
シルバはドールの質問に答える前に副隊長に向かって聞いた。副隊長は畏怖の念を込めた頷きをした。シルバはドールに向き直り回答をする。
「マコットラガーはこの国の名前を冠する麦酒で、アルコール度数三〇%を超えるかなり強いものです。こんなに飲んでしまって大丈夫なのですか?」
「ダイジョーブだって、酒ならムゲンにイケッから!」
普段の振る舞いのせいで正気かどうかの判断が付かない。そう考えたシルバはドールの横にお行儀良く座っている鎧の方に視線を向けた。視線に気づいた鎧は手のひらを前に出して首を振る。
「えっと、それは"問題ない"ということでしょうか?」
鎧は戸惑うことなく頷く。
「はぁ、大丈夫なら良いのですが」
シルバの心配をよそにドールは食べ飲み進める。もはやその体積よりも多くの酒が収納されているような気がしてならないと誰もが困惑していた。
飲み終えたジョッキを置きシルバを指差してドールは言った。
「さぁオニーサン、アンタも飲るっしょ? ほら座んなよ」
隣にあった椅子を軽快引いてみせる。そこへ、
「いい加減にしろよ!」
食堂に大声が響いた。その声を発したのはシルバではない。副隊長でもなければ、もちろん鎧でもない。
遠くで座っていた騎士のひとりだ。その騎士は見た目からしてもこの場にいる誰よりも若かった。今までドールの振る舞いに対して思うところがあったのだが堪えていた。それが爆発したのだ。
「"ロン"……? どうしたんだ」
シルバは大声を上げた若い騎士の方を向き、困ったように尋ねた。
ロンと呼ばれた若者は椅子を勢いよく立ち上がり、肩を怒らせて、険しい表情でドールの席に近寄った。
「ナニ? どしたん? もしかして飲み過ぎ? 飲みホじゃねーの?」
「そういうことを言っているんじゃない!」
「じゃあなんだし」
「さっきから隊長方へのその無礼な振る舞いのことを言ってるんだ!」
「は? ベツによくね? なにキレてん?」
「俺たちシルバ騎士隊は皇帝陛下の誇り高き剣だ。本来であればお前達のような下賤な輩など話すことすら出来ない立場なんだ」
「ロン、口を慎め」
声を低くし釘を刺すシルバ。
「すみません隊長。それでも納得が出来ません。この者達はあまりにも図々しすぎます。そもそもあの獣を本当に倒したかさえ自分は疑っています」
「……」
シルバは黙った。それはロンの言っていることに納得をした訳ではなく、どちらかというとこの聞き分けのない子供をどのように諭そうかと考える親のような感情からである。
気分良く飲んでいたところに水を差されたドールは、不機嫌さを隠すことなくロンに対してだるそうに尋ねた。
「で? だからなに? アンタがどー思っても、アタシらがやっつけたのはジジツなんだけど。どーしてほしいワケ?」
「そこのお前、俺と勝負しろ」
ロンは相も変わらずドールの横に座っている、黒い鎧を指名した。
「アンタ、マジで言ってんの?」
ドールは心底呆れて溜息の方が多く含まれている質問をロンにした。
「当たり前だ」
その若々しい瞳には一片の陰りもなかった。
「ねぇダーリン、どーするぅ?」
ドールは鎧の方に向けて先ほどまでの不機嫌声が嘘のように甘えた声で尋ねた。
「自信が無いのなら逃げてもかまわない。その代わり直ちにここから出て行ってもらう」
「ロン、何を勝手なことを」
シルバは呆れた様子で呟いた。
鎧は少しの間を置いた後、椅子から立ち上がる。
「いいってサ」
その姿を見てロンは背を向けた。
「付いてこい」
鎧はその背中に従って歩き出す。周りにいた騎士達も遅れてそのあとを追った。