四
謁見の間から出てくる三人。シルバはドールと鎧に向けて言った。
「まずは体を綺麗にしましょうか。それから食事へ案内します」
「待ってマシタ!」
ふたりは長い廊下をシルバに続いて歩き、客人専用の浴室の前まで案内される。扉の前に女性の使用人が立っていた。
「この部屋は男性の立ち入りは禁止されております」
扉の前の女性は、凜とした態度でそう言った。
「ああ、わかっているよ。彼女の案内を頼む」
使用人は「かしこまりました」と言って、ドールを連れて扉の中へと入っていった。扉が閉まる前にドールが「あっ」と思い出した様な声をあげたかと思うと振り返り、シルバに言った。
「ダーリンはあとでアタシがキレーにするから、触んないでネッ」
言うだけ言って、返事を待たずにドールは消えていった。扉が閉まったのを確認し、鎧を応接室へと案内するため歩き出すシルバ。
「……」
ふたりは何も言わない。ただ金属が歩く音が聞こえるだけだ。シルバとしても話しかけようにも、返事が来ないことは分かっているため躊躇していた。
結局応接室までふたりはひと言も言葉を発しないままだった。部屋に着き中に入る。手入れの行き届いた豪華な部屋は客人へのもてなしと国の力を表している。
「どうぞお座りください」
椅子を指して促した。しかし鎧は首を横に振り、否定の意を示す。
「そうですか」
シルバはその気持ちをただ聞き入れた。沈黙の時間が部屋を支配した。そこで鎧はいっこうに姿勢を変えないシルバに疑問を抱き、シルバと椅子を交互に指差してみせた。
その挙動の意味を察知してシルバは首を振る。
「あ、いいえ。お客人が立っているのに私が座るわけにはいきませんから」
言われて鎧は首を振り、何度も空中で指を椅子に向けて指し示した。その仕草は「自分のことは気にせず座って良い」という意図があることは出会ったばかりのシルバでも分かった。
(こうして見ると、喋らないこと以外は普通の人だな)
鎧の振る舞いに少しの親近感を覚えた。しかし、言葉が話せないとなると、二択で答えられることしか聞くことも出来ない。そこでシルバは尋ねた。
「文字の読み書きは出来ますか?」
鎧はシルバの方を向きゆっくりと頷いた。返答について、内心喜んだシルバは紙を机の上に置き、ペンを鎧に手渡した。
(これで意思疎通が出来る)
鎧に机の前に立ってもらうように促し、質問をする。
「あなたの名前を教えてください。まさか"ダーリン"が名前なわけではないでしょう」
鎧は頷き、ペン先にインクを付ける。五本指に分かれた籠手で持っているペンを紙に付けて、ツラツラと走らせる。
(鎧姿で器用に書くものだな。いや、それも当然のことか)
ペンを置き、名前を書いた紙をシルバは受け取った。
「これが……あなたの名前ですか?」
鎧は頷く。
「なるほど……」
シルバは紙をジッと見つめ黙り込む。そこへ扉が勢いよく開いた。
「お待たせダーリン!」
開かれた扉からドールが流れ込んで来た。湯上がりで体は綺麗になり、服装も先ほどまでと違うものになっている。そして左手には水の入ったバケツを持ち、右手には複数枚の布巾を持っている。
「ここのフロめっちゃ広くて泳ぎマワレルくらいでさ、もービックリ。石けんもなんかよくわかんないけど、スッゲーいいの! 今アタシ世界一イイカオリのするオンナな自信あるね。それにほらこの服。アタシの服洗うからってアタラしいのくれたんだ。どう似合う? カワイイっしょ?」
入ってくるなり、五月雨に話を飛ばすドール。鎧はそんな彼女を見つめているだけだ。
「ドールさん」
「ん? どしたん?」
「つかぬことをお聞きしますが、あなたは文字の読み書きは」
「あ、ムリ」
「……そうでしたか」
「じゃあアタシ、ダーリンを綺麗にしてあげなきゃだから」
「では、私も着替えてきます。準備が出来ましたらこの部屋の外にいる使用人に食堂まで案内してもらってください」
「ありがとねオニーサン」
「いえ」
「さぁダーリン。アタシが体のスミズミまでキレーにしてあげるからネっ!」
シルバは応接室を出て、扉を閉めた。
「ふぅ」
「いかがなさいましたか?」
話しかけてきたのはひとりの使用人だ。
「ん、ああ、いや少しね」
「何か問題でも?」
「大したことではないんだが……君、これが何か分かるかい?」
シルバは手に持っている紙を見せた。使用人は眉間に皺を寄せて、紙に書かれているものを睨みつけた。しばらくして視線をシルバの方に戻し言った。
「何でしょうか? 落書き……?」
「わからないか」
「申し訳ありません」
「いいんだ。君が気にすることじゃない。それじゃあ私は行くよ」
使用人は一礼をしてシルバを見送る。紙を眺めながらシルバはボソリと呟いた。
「……読めないよな」
それは鎧が自分の名前を書いた紙だった。そこにはインクの線が絡まるように描かれているだけに見えた。
鎧は字がド下手だった。