一
「ダァァァアアッ!」
甲高い女の叫び声がこだまする。日の沈んだ暗い森を全力で駆け抜ける。長い足を素早く回し、周りの景色が線に見えるほどの速度で走っている。
女の背後には獣がいる。とても大柄で、人ひとり丸呑み出来そうなほどだ。体中が灰色の毛で覆われていて、鋭い牙を光らせて大口を開け、女を目掛けて四足歩行で走っている。
「こいつマジ速スギるし! ちょっとは手加減しろっての! って足加減か、どっちでもいいし!」
女は追いかけてくる獣に対して苦言を呈した。もちろん獣はそんな言葉には耳を傾けてはくれない。目の前にいる逃げる餌をただ必死に食らおうとしている。
木々を上手いこと扱い、曲がりくねった走りで巧みに獣の口を躱す。獣は少しのところで捕らえられない餌に苛立ちを覚え、またそれ以外の物は目に入らないほど必死だった。
そして、
女はついに疲れ果て、大きな木を背にして、獣に対して向かい合う。
「はぁ………はぁ……。マジ疲れたぁ。キッツぅ。ダルぅ」
膝に手をついて、切らした息を整える。追い詰められたネズミの様な状況であるというのに、女の表情に焦りや恐怖は全く無い。
獣はひとつ、またひとつ歩みを進める。姿勢を低くし、構える。そして、女に飛びかかろうとした次の瞬間。
ゆっくりとその大きな体が横倒れになり、土煙を巻き上げた。地面が揺れ、女はふらつく。
「おっとと」
女の目の前には先ほどまで自らを食らおうとしていた厳つい顔が転がっている。生首だけの状態となって、体とは分かれている。
獣の上に人影がひとつ。月明かりに照らされて、僅かに青く輝く。全身を黒い鎧で固めている。当然、頭まで隠れている。手には背丈ほどの長さの剣が白銀に輝いている。その鎧は獣から飛び降り、女に近付く。
重々しい金属音を立てながらゆっくりと目の前まで歩み寄った。
「ダーリンマジカッコ良すぎ!」
女はその鎧に向かって目を輝かせて叫んだ。
「こんなでかいのイチゲキとかヤバすぎっしょ!」
鎧は何も答えない。ただ女はひとりで言葉を続ける。
「え?『あんなに危ないことしなくても自分ならひとりでも仕留められた』? そんなん分かってるって! でもアタシのおかげでカンタンだったっしょ? コイツ、アタシのことしか頭に入ってなかったってカンジだったし。てーか、アタシがスキでやってることだし? ダーリンの役に立てるならこれくらいよゆー的な?」
軽口が次から次へと湧いてくる。鎧はただその言葉を聞いている。
「まぁでも、アタシ頑張ったっしょ? だからさぁ……褒めて?」
そう言って自らの頭を鎧に向けて差し出す。鎧は剣を背中の鞘に挿し、そのつむじをジッと見つめた後、ゆっくりと右手を頭に伸ばし、
すんでの所で止めた。伸びてきた手の気配は感じたのにいっこうに降りてこない感触を不思議に思い顔を上げる。
「? どしたん?」
鎧は自分の手を見ていた。その手は先ほどの獣の返り血で真っ赤に染まっていた。
「あ~、さすがにその手はイヤかも。とりあえず、近くの街に行こっか。アタシもさっきので汗びしょびしょだし」
鎧は頭部をこくりと下げて頷いた。
ふたりは肩を並べてゆっくりと歩き、森を抜けた。その先には明かりの灯った建物が密集している、城壁に囲まれた街が佇んでいた。