1輪の野薔薇
「はぁっ? それでアッシュ――お前ら開店したばかりのパブで、大乱闘しちゃった訳!?」
翌日、ここは国境警備隊の隊長室。
部屋の主アシュトン・リード大尉に、呆れ顔で尋ねたのは、エルム・コリンズ中尉。
川を挟んだマルト王国の軍人で、こちらの警備隊に出向中の身。
緊張状態が続く西側のフランク王国とは違い、スペルバウンド王国とマルト王国は、百年以上友好を保つ同盟国だ。
アシュトンとは同い年の23歳で、初対面から妙に気が合った。
ゆるくウェーブの付いた金髪に青い瞳、優しく整った顔。
天使と見紛う美形だが。
「ばっかだねーっ、店は大迷惑じゃん! ったく、ここの奴ら脳筋ばっか――その代表が、アッシュお前だけどね!」
実は堕天使のような、毒舌の持ち主。
「……分かってる」
がくりとうな垂れる、アッシュことアシュトン隊長。
「あそこまで、暴れるつもりは無かったんだ……ただ」
あのロージーという娘の腕に、酔っぱらいの汚い手が触れた時。
カッ!と――怒りで、思考が焼き切れた。
華奢な肩を抱き寄せたとき、
『この子は、俺が守る……!』
と胸の奥がうずくような、使命感で一杯になって。
「気が付いたら……」
「他の隊員と一緒に、20人以上の酔っぱらいを叩きのめして。
その過程で、店をめちゃめちゃにした――って訳だよね?」
あっさりと、状況を要約したエルムが
「――で? その『ロージーちゃん』って、そんなに可愛いの?」
にやりと問いかけた。
「ちゃんと、お詫びして来なよ! ほら、花とか持って!」
昼食時から午後の訓練までの、空き時間。
エルムに追い出されてとぼとぼと、『薔薇の名前』に向かった警備隊長。
店に着くと扉は鍵が閉まっていて、叩いても応答がない。
「留守か――?」
ぐるっと裏口に回るとキッチンの窓から、焼き菓子の良い匂いと小さな歌声が、もれて来た。
「東と西の川の中、国王様がお出迎え……右に7回左に5回、くるりと回せば、女王様のお出ましよ♪」
あのロージーが食器を拭きながら、初めて聞く歌を楽しそうに歌っている。
こっそり最後まで歌声を聞いてから、コンコン……指で、窓ガラスをノック。
「あっ……隊長様!?」
振り返ったロージーの、若草色の瞳が、嬉しそうに輝いた。
「アシュトン様、昨日は助けていただいて、本当にありがとうございました!
あいにく叔父たちは、外出中で……」
キッチンに通して、改めてお礼の言葉を告げるロージー。
「アッシュでいい。その――昨夜は、遠慮なく暴れてしまって、すまなかった! 店の被害額は、隊に請求してくれ」
頭を下げる警備隊長に、
「アッシュ様? お店の中は叔母の魔法で、すっかりキレイになりましたから。
それに悪いのは、あの酔っぱらい達です!」
頬を染めて、きっぱりと言い切るロージー。
その時
チンッ――! と、タイマーの鳴る音が。
「あっ、すみません! ちょっと失礼します」
急いでオーブンに駆け寄り、中を覗き込む姿を目で追うと。
パチンと指を鳴らした後に、
「バーニング・ウルフ……!」
ささやくように唱えた、呪文が聞こえた。
「今のは、魔法か?」
戻って来たロージーに尋ねると、
「はい……スコーンを焼く時にしか、役に立ちませんけど」
しょんぼりと下を向く、看板娘。
「いやっ――家業に役立つ、立派な魔法ではないか!」
元気付けようと、アッシュが言った言葉に。
「……そう、ですね」
なぜか、ますます顔を伏せるロージー。
何とか慰めたくて
「あっ、そうだ――これを!」
後ろ手で握っていた『花』を、アッシュは差し出した。
一輪の、白い野薔薇。
来る途中の生垣に愛らしく咲いていて、まるで『ロージー』のようだと思った。
『ほら、花とか持って!』
エルムの言葉を思い出し、そこの住人に頼んで一輪譲ってもらった。
ずっと握っていたせいで、ぐったり首を垂れてしまった切り花。
「うわっ……すまん! こんな物を」
慌てて引っ込めようとした手に、少し荒れた指先が触れる。
「これを、わたしに……?」
何も言えずに警備隊長が、ただこくこく頷けば、
「嬉しゅうございます……アッシュ様」
少し潤んだ瞳でロージーが、ふわりと微笑んだ。