銀行の貸金庫
「この前お父様といらしたのは、確か2年前……今は『ネイバー』の後見人と、お暮しだとか。
その後、お変わりございませんか?」
気遣うように尋ねる頭取に、
「ええ、おかげ様で」
毎日メイドとしてこき使われる生活を、2年間も送っていることなど、おくびにも出さずに。
平然と微笑むロージー、いやローズマリー・フローレス男爵令嬢。
ほうっと見とれた頭取が、思わず呟く。
「『薔薇のレディ』と称されたお母様に、ますます似てこられましたなぁ……」
こほんと咳払いをしてから、
「それで本日は、どのようなご用件で?」
頭取の問いかけに、男爵令嬢は小さな手提げから、銀色のカギを取り出した。
「『貸金庫』まで、ご案内頂けますか?」
およそ30分後、
「では、レディ・フローレス。またのお越しをお待ちしております!」
「ええ、ありがとう」
深々と頭を下げる頭取たちに見送られて、用事を済ませたレディは、淑やかに馬車に乗る。
座席にふわりと腰を下ろした途端、
「んんーーっ!」
組んだ両手を勢いよく上げて、思い切り伸びをしたロージーを、
「お嬢様、はしたのうございますよ!」
執事のスタンリーがたしなめた。
「いいじゃない、だって――」
「今日は、ま・だ、『レディ・フローレス』ですから!」
ぷうっと頬を膨らませてから、我慢出来ずにくすくすと、笑い声を上げるロージー。
「そうね、今日いっぱいは……上手く行ったわね、スタンリー!」
「はい。実に堂々としてらっしゃいました――さすがはお嬢様!」
にやりと笑った執事が、膝の上のアタッシュケースの蓋をぱちりと開ける。
中には、びっしりと並ぶ札束。
「わぉっ……銀行強盗って、こんな気分かしら?」
ロージーが楽しそうに、中を覗き込んだ。
「これってほんとに、フローレス家の財産? うちは領地も無い、名ばかりの男爵家なのに!」
「もちろんです! 亡くなられたお祖父様の絵画コレクションや、不要な土地屋敷を処分した代金。それに旦那様が、貿易業で得た収益もかなりの額に」
「これだけあったら、『開店資金』に足りるかしら?」
「足りるどころか――我々が今まで貯めていた分と合わせれば、十分お釣りが来ますよ!」
フローレス家使用人達の『計画』とは、給料の一部を毎月積み立てて……皆で退職した後にどこか遠い町で、『居酒屋兼ティールーム』の店を経営すること。
『使用人』という立場から、そろって抜け出して。
その計画をスタンリーから聞いたのは、義母達が現れて半年ほど経った頃。
怒りやあざけりを毎日容赦なく浴びせられ、心がすり切れて砕けそうになった、ぎりぎりの時。
「わたしも……!
わたしも一緒に、連れて行って――お願いっ!!」
ロージーは夢中で、一筋の希望に両手を伸ばした。
「それにしても、さすが旦那様……いざという時に備えて、これだけの準備をされていたとは」
思わず声を詰まらせた執事に、
「そうね、『もし、自分に何かあったら』と。
毎月の生活費に、使用人皆のお給料を3年分――わたしがお嫁に行くまでの期間――準備して。
『貸し金庫』のカギを預けてくださって……まるで未来を見越してたみたい」
男爵令嬢もそっと、指先で涙を拭う。
「『生活費』はお義母様達が、ドレスやら何やらで――早くも使い果たしてしまったみたいだけど?」
「あっ! それでお嬢様に、結納金目当ての縁談を……!?」
「だと思うわ」
眉根を寄せて、執事に頷いてから。
「とにかく、これで……『灰かぶり』からも、さよならだわっ!」
ばんざーい!と、明るい声で両手をあげるロージー。
「『灰かぶり』?」
聞きなれない言葉に、スタンリーが首を傾げた。
「ほらっ、昔お母様がよく話してくれた、『おとぎ話』よ!
意地悪な継母たちに、灰まみれで働かされてた『灰かぶり』が、お姫様のような姿に魔法で変身して、お城の舞踏会に。
そこで王子様と恋に落ちるの!」
亡くなった実母は不思議な人で、誰も知らないお話や歌を、良く聞かせてくれた。
「なるほど前半はお嬢様の境遇と、たいそう良く似てますね」
納得したように頷く執事。
「でしょ?
さっきドレスメーカーのお店で、古いドレスに魔法をかけてもらった時――『これって、「灰かぶり」みたい!』って、思い出したの!」
「あいにく行先は『舞踏会』ではなく、『銀行』でしたけど?」
「そうね。でも……」
魔法使いや王子様が見つけてくれるのを、ただ待つなんてうんざり。
『ガラスの靴』も『カボチャの馬車』も、もういらないわ……!
「スタンリー、まだ少し時間ある? もう一か所だけ、行きたい所が……」
「はい、先に花屋に寄るよう、御者に伝えてあります」
お父様とお母様のお墓に、二人が『ロージーの花』と呼んでくださった、白い野薔薇をお供えして『お別れのご挨拶』をしよう。
「さっ、めそめそしてるヒマは無いわ! 明日の計画こそ、肝心かなめ!」
「そうですね! 我々全員が、タイミングを合わせないと! おっと忘れてた……『解除!』」
スタンリーが指をパチリと鳴らすと、馬車の飾りや扉の紋章が、跡形もなく消え去る。
後に残ったのは、ありふれた質素な貸し馬車。
中では男爵令嬢と執事が、計画の詰めに余念が無かった。