第三話 狂いきれない虚しさよ
夢よ、夢よ、憎しみに満ちた夢よ。
どうか、どうか、潰えてはくれないか。
一度死んだ夢と、一度殺した夢よ。
何故、目を覚ました?
望むのは辛いことだと知っているのに。
死んだ夢を私はもう一度望んだ。
絵筆には触れないと決めていたのに。
殺した夢は蘇り私に絵を描かせた。
夢よ、夢よ、私を狂わせる夢よ。
どうか、どうか、
───其の内から出づる熱狂を、鎮めてはくれないか?
◆◇◆
傷ついた体に、濁った意識が覚醒する。《リグルーゼ》の反動で満足に動けそうにない。
枕は、サイコロみたいな硬い枕だ。ツンとする独特な匂いは、軍用テントに塗られた魔物避けの匂いだろう。
(私は倒れて、運ばれたのか……)
目を覚ますドルト、首の筋を痛めないように横を見る。
……そこにはこちらを覗き込む、もはや見知った船乗りの顔が。
「お、目ぇ覚ましたか。もう朝だぞ」
「……天国の朝にしては、眩しくないですね」
「馬鹿抜かせ、まだ死んじゃいねーよ」
他愛のない冗談にも少し重い雰囲気が漂う。
ガットは食いかけのサンドイッチを一気に頬張り、ごくんと飲み込んで深呼吸。心を落ち着かせる。
「ふぅ……い、いやー、騎士団製のサンドイッチはうめぇな!鶏の卵まで使ってんのか」
「それはよかったです。私は、今ちょっと食欲なくて」
「……そ、そういやさっき煙草貰ったんだけどよ、俺はこんな贅沢品吸わねぇからさ。お前吸うか?」
「いえ、あまり好きではないので」
「……そうか」
長い沈黙が訪れる。ガットは椅子に座って腕を組み、ドルトは体を起こして全身の治り具合を確かめる。
気まずい雰囲気のなか口火を切ったのは、意外にもドルトだった。
「死刑は、正直予想外でした。本来間に合わずとも、退団処分で済む約束だったので」
「……この国は昔っからそういう国だからな、人の命をなんとも思っちゃいねぇ。だから意味もなく戦争をおっ始めて、このザマよ」
「ガット、責めるべきは国よりも神ですよ。誰も神を殺せないから、かの残虐な神は国の姿を借りて、嗤ってやがるんです。……まぁ私の件は別件ですけどね」
頭上のランタンが揺れて、錆びた鎖が擦れ合い低い音を鳴らす。炎も揺れる。
視線を落とすドルト、僅かに口を開く。
「元々死刑はですね、最低でも半年間じっくりと査問会の審議を行ったうえで採決されるものなんです。しかし、これには例外があって」
「神か国王の勅命があれば即刻死刑も可能、だろ?」
「……知ってましたか。まぁ神は城に帰ってきてないので、私に死刑の勅命を下せるのは現国王しかいないんですけどね」
国王と聞いて、固まった頬を崩すガット。思い出し笑いでにやけ始めた。
「いやぁ、国王っつーと、あれか?ドルトが絵ぇ描きたいつって直談判したせいか?えらそーなクセしてなかなかにケツの穴がちっちぇな」
ドルトもつられてくすりと笑うが、目を閉じて小さく首を振る。
「いえ、彼は15年という在任期間の中で、誰一人として死刑にしてないんですよ。元々例外的な措置ですし、私怨のためにこの措置を取るとは考え難い。つまり、神も国王も私の死刑には関わっていない、と私は考えています」
「?じゃあ誰なんだよ、お前を死刑にしたいって奴は」
「──ヤン・デオヴァイ警備隊長、あのハゲです。彼なら『あの貴族』達と関係があっても何らおかしくありませんし、間違いありません」
少し得意げに語るドルト、まさに証明完了といった具合だ。
そしてドルトがヤンの動機に対する推理を述べようとしたちょうどその時、ガットが声を上げた。
「あっ!そういや警備隊長といやぁ、俺あのじーさんから手紙預かってたわ!なんか、ドルトの『鍵』なら開ける、とか言ってたんだけどよ」
面食らった顔をしたドルトを尻目に、彫りかけの木彫りの下に置いてあった手紙をガットが持ってくる。
その手紙を見た瞬間、ドルトは金色の封蝋に気がついた。無理矢理封を破ろうした者を呪い殺す、世界一危険で世界一高価な蝋、『金色クジャクの封蝋』だ、間違いない。
(とすると、もしや国書クラスの手紙か……!?)
『金色クジャクの封蝋』はその厳重さゆえ流通量は少なく、重要な書簡にしか使われない。また、ゼルミア神王国の国章が彫られた印璽が用いられている点からも、決して偽物ではない風格が伝わってくる。
「早く言ってくださいよ……と、小言を言いたいところですが、今はよします。早く、早く読ませてください」
「お、おう。ほらよ」
少し早口になったドルトに押されるように、ガットは手紙を渡した。
ドルトはそっと自らの騎士団勲章──『鍵』を金色の蝋にかざす。
カチャリ、重々しくも気高い解錠音。金色の蝋は光の粒子となって空中へと溶けてゆく。ふわっと封が開き、手紙が厚みを帯びる。
「すっっげぇ……」
「ふぅ、封印魔術を解く『鍵』が勲章に刻まれているとは聞いていましたが、本当だったんですね」
騎士団に入団する際に授与される騎士団勲章には、それぞれ異なる『鍵』が刻印されている。戦時の情報漏洩を防ぐ目的で搭載されている『鍵』が、まさかこのタイミングで日の目を見るとは。
(いやしかし、どんな難解な封印魔術も『鍵』さえあればゴミ同然なんですねぇ……ひひっ、これだから魔術は愉快極まりないんですよ!!)
『金色クジャクの封蝋』には、聖霊達の編んだ世界最高峰の封印魔術が溶け込んでいる。それなのに、こうも容易く術が解けてしまった。
どんな魔術も絶対的な法則には逆らえないのだ。論理的かつ単純明快、「知識に則り神秘を穿つ」とはまさにこのこと。
「ぐふふっ、ふひひッ……!」
「……おいドルト、読まねぇのか?」
「ハッ!……えぇ読みます、読みますとも。あぁそれと、一応機密文書ですので、向こうを向いて待っていてください。話せる内容だったら、話しますから」
「おう、んじゃな」
「ふふっ、助かります」
ガットは自らテントの外に出て行った。
ドルトは初めて不安げな顔になる。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか)
悪い知らせには決まってる。
葛藤と唾を飲み込んで、
指先はかすかに震え、
不幸の手紙を、
彼は見た。
『ドルト・ルハインに告ぐ。
───先日、ゼルミアス城にて、騎士団長ゼムニ・ウィルクス・ルハインが殺害された。
父殺しへ復讐の意思あらば、己が命捨てる覚悟をせよ。軟弱な殺意しか持てぬならば、其の勲章を捨て凡夫に成り下がり、平和を得て後悔に生きよ。
強制はしない、我々は勇敢な者を求む』
青年の、狂った化粧は流れた。