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第二話 走ろうぜドルト



 遥か彼方の水平線まで雲一つない真っ赤な夕焼けのなか、情緒のないカモメの鳴き声だけが生命の存在を感じさせる。

 夕焼けが差し込む薄汚れた船室で、ドアがゆっくりと開いた。


「騎士さん。港、着きましたぜ」


 腕っぷしの強そうな船乗りが寝ているドルトの肩を叩く。


「んっ……あぁ失礼、ご苦労様でした。たしかここに……ええ。約束の報酬です、どうぞ」


 ドルトは寝起きの頭痛が酷い。青ざめたドルトはよろよろと立ち上がり、(かね)の入った袋を船乗りの手の上に乱雑にのせた。


「………随分と多いな」

「当たり前です、こんな状況の時に船を出して頂いたのですから」


 実際、ドルトは一度初老の船乗りに出航を断られている。

 老いぼれのくせに死ぬのが怖いのか、と内心馬鹿にしていたものの、もう一度船を漕いで海を渡る元気はもう残ってはいなかった。


 陽が沈むまでにゼルミアス城に絵を届ける、この船乗りのお陰でそれは果たすことが出来そうだ。安心と共に疲れがどっと押し寄せてくる。


「まぁ、貰えるものは貰っとくが。……気ぃつけろよ」

「ええ、では」


 大きな荷物を背負いながらキャンバスを脇に抱え、覚束ない足取りで船から降りるドルト。その時船が揺れ、ドンと尻餅をついてしまう。


「ッ!?」

「ちっ、おいおい……騎士さん、大丈夫か?」


 見るに見かねた船乗りがドルトに駆け寄る。面倒くさそうな顔を装っているが、見ず知らずのドルトを心配しているのは確かだ。


「っっ、いやぁ……大丈夫、とは言い難いですね。ふふっ」


 思いきりぶつけた腰をさすりながら、ドルトは指で瞼を押す。目眩だ、目は閉じているのに視界はグルグルと回り続けている。

 無理に無理を重ねた結果、ドルトの身体は限界を迎えていた。城へと急いでいるヤツがこの体たらくでは笑えない。


(ははは!これしきのことで体調を崩すなんて、昔じゃあ考えられないですね!まったく……)


 頭痛までぶり返してきた、これは駄目だ。とりあえず、人目のつかない所に───


「おい、なにニヤニヤしてんだ?ほら立て、ケツびしょびしょだろ?」

「………あ、はい。助かります」


 ドルトは差し伸べられた手を条件反射で握り返し、よろめきながらも何とか立ち上がった。

 握った手の感触は皮膚が厚くゴツゴツとしており、それでいてあたたかみがある。


(へぇ、こういう時に『父親』のことを思い出すんですね。こんな時だから、かもしれませんが)


 船乗りの手は義父の手にそっくりで、義父との思い出がドルトの心にフラッシュバックしていく。何かと残念な思い出が多いなか、一つだけ。一つだけ心に引っかかる言葉があった。

 それは、義父が出征する日にドルトへ贈った言葉。今のドルトを諭すように、過去から檄を飛ばしてきた。


───ドルト、人を頼れ!一人で生きようとするな!御主に欠けているのはそこじゃ!


 思い出した途端、ドルトの手にグッと力が入る。船乗りの眉毛がピクリと上がる。

 クィーンと鳴く能天気なカモメ達、時は刻一刻と過ぎていく。


(……変わるべきは今、なのでしょうか)


 薄紫色の唇が、ようやく声を発した。


「──あの、いきなりですが、別料金でいいので。……ひとつ頼まれてくれませんか?」

「んだよ………荷物持ちの金くらいなら、もう受け取ってるぜ?」


 気前のいい男には夕陽がよく似合う。握ったままの二人の右手はいつしか握手のようになっており、小っ恥ずかしい。


「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」

「気にすんなって!一度関わっちまったからには、もう他人じゃねぇだろ?気楽に行こうぜ、な?」


 こうして、船乗り──ガットが城までついてきてくれることになった。



◆◇◆



 星泥が消えたフーノスネートには街の残骸すら残っておらず、あれだけ栄えた王都は荒野と化していた。果てしない地平の世界に、ただ高くゼルミアス城が鎮座している。

 元々何も無かったかのような風景を、ドルトは淡白に一瞥(いちべつ)した。


(瓦礫も死体もすべて、ステラ・ヴィヴィが吸い込んだということですか……素晴らしい)


 少女の絶大な力を恐れるも、ドルトの胸はいまだ高鳴っている。

 ゼルミア神王国を治める神、ゼルミアがこの『宣戦布告』を黙って見過ごすはずがない。

 自然と口角が上がっていくドルト。


「ひっでーな……戦争ってのは、心まで失くしちまうもんなのかね」


 ガットが呟く。彼はドルトの前を歩いており、ドルトの表情の変化には気づいていない。


「何か思い入れでもあるんですか?」

「思い入れ、っつーよりか…家族亡くした奴らのこと考えるとよ。こりゃ死んだ人間の形見すら残っちゃいないぜ?これやった奴は悪魔に違いねぇ」


 乾いた笑いが人っ子一人いない荒野に広がっていく。

 夕焼けに恐ろしさを感じるのは子供の時以来だ。


「……すみません、荷物を運んでもらっているというのに。こんな光景をお見せしてしまって」


 一般人ヅラしたドルトは礼儀正しく謝罪する。


「一応見ときたくて来てるんだ、気にすんなって。そんなに神経質だとハゲちまうぞ?」


 ガットは気まずさを打ち消すように豪快に笑った。


 その彼の笑顔こそが、自分の心から一番遠いところにある感情に思えた。

 まっとうな人生を歩んでいたら、ガットのような気持ちを抱けたのだろうか。


 そう感じて、ドルトは蟻を踏んだ。



◆◇◆



 小一時間ほど、ガットにあれやこれやと質問されながら歩を進めていると、遠くに騎士団が駐屯しているテントが見えてきた。そこにいる騎士に絵画を渡してサインでも書けば、晴れて任務完了となる。



「なぁドルト。やっぱ時間、ヤバくねぇか?」


 キャンバスを抱え直しながら心配そうな顔で振り返るガット。


 夜空が太陽を追い出すまで、あと5分ほど。

 目視出来ると言っても、急がなければ間に合わない距離だ。


「まって……ください、頭が、あぁ……」


 こんな時に、今にも突っ伏したくなるほどの頭痛がドルトを苦しませていた。

 荒野の夜風が脳みそに入り込むようだ。ドルトはしっかりと目を開けない。


 ガットはうずくまったドルトの背をポンと叩いて、彼を励ました。


「ふっ、しゃーねーな!ドルト、あとは俺に任せとけ!お前の『情熱』は俺が届けてやる、だからドルトは後からゆっくり来りゃあいい」


 海の男らしい熱い言葉を豪語するガット。

 ドルトの事情を聞くにつれ、たった一枚の絵に賭ける、ひたむきな彼の『心』にガットは強く胸を打たれたのだ。


 もっとも、ドルトが自分の話を美化し過ぎただけかもしれないが。


「それじゃ……だめ、なんですよ、私もいないと……」


 ドルトは息も絶え絶えに事情を説明しようとするが、時間がない。何も知らないガットは軽いストレッチまでして準備万端である。


「……?よくわかんねぇけど、俺が何とか説得しといてやる!安心しとけ!」


 その言葉を残してガットは走り出してしまった。

 走りにくそうなサンダルを脱ぎ捨て大きな荷物を抱えたまま、風のように走り去っていく。



 置いていかれたドルト、やっと一人になれた。他人の眼を気にしなくていい。


(……はっ、結局『これ』に頼ることになるとは)


 ドルトは苦渋の決断をすることになる。何せもう手段は一つしかない。


 魔術だ。それははるか昔、人類と『聖霊君主』との尊き盟約によってヒトが得た奇跡の御業。

 今では当たり前のように享受される、人間社会の根幹とも言える知恵。

 だが勿論、一般人の使用が禁じられている魔術も存在する。


 それが《禁忌魔術》、今からドルトが頼る術だ。


 騎士団の制服の内ポケットから小さめの革手帳を取り出し、ページをちぎる。ナイフで器用に親指の皮膚を切り、流れる血を文字がびっしりと書かれた紙切れに押しつける。


 紙切れに刻まれた魔術は精神操作魔術 《リグルーゼ》。対象の痛みを一時的に和らげるが、一定時間後に痛みが数倍になって返ってくる魔術だ。


 血液が文字をなぞる様に染みていく、血文字はカタカタと震えだす。

 字は激しく震えて紙切れは徐々に熱を帯び、ジュッッと灰になった。掌を焦がす痛みを感じて、ドルトは術の成功に安堵する。


 空中に残ったのは血文字、螺旋状に回りながらドルトの額に吸い込まれていく。


「──リグルーゼ」


 魔術は奇跡を代行した、彼の眼に再び正気が宿る。


「くっっっっっ!」


 ドルトが一歩踏みしめる、砂塵が舞う。

 また一歩、翔んで一歩。彼の出せる最高速で一直線にゼルミアス城を目指す。


 イメージ通りに力が入らずふとももが傾き、ドルトは疲労が抜けていないのを感じる。


 でも、間に合えば。間に合ったのならなんだっていい。

───狂った夢にケジメをつけ、世界の命運を白き少女に託す。


 私の人生は、それからだ。


「ぬっ……ぁあぁぁぁぁぁあああ!」


 らしくもない叫び声をあげるドルト。


 痛みがなくとも、まともに動ける脚がない。

 今にも転びそうな不恰好な走り方で遠のくガットの背を追う。

 背後の陽光が一筋、また一筋と細くなっていくのを自分の影で知覚しながら、がむしゃらに走る。


「つっ────っっ!!」


 ついにドルトは体勢を崩し、肩を思いきり地面に擦り付けながら倒れた。


 荒い呼吸で肺を落ち着かせ、無意識のうちに目線を空に向ければ───すでに夜。

 涙など出ず、今になって冷たく感じる汗が乾いた地面に流れ落ちていく。


(………………なにも、ないな)



 酸欠で薄くなる意識の中、どうやら近づいてくる足音が、二つ。


「お見事だ、ドルト警備兵。まさか本当に間に合うとはな」


 立ったまま怖い顔でドルトを見下ろしているのは、ヤン・デオヴァイ警備隊長だ。普段は眩ゆいスキンヘッドも夜ではあまり輝かない。


 警備隊長はゼルミアス城に常駐している兵の中ではトップ、神王国騎士団の中でも『四大騎士』と呼ばれるほどの権力を持つ役職だ。王や神の側を離れている彼を見るのは、ドルトにとっても滅多にないことだった。


「おい!根性見せたじゃねぇか!!おいおい!」


 自分のことのように喜びながら、屈んだ体勢で遠慮なしに背中をバンバンと叩いてくるのは間違いなくガットだ。正直痛い。


「…………ではご友人、いいかな?」

「あ゛?空気が読めねぇ奴だな。……まぁいいけどよ、こいつも疲れてんだ。手短にな」


 ドルトから離れようとしないガットに、ヤンは痺れをきらして声をかける。ガットは腹を立てながらも、ヤンにドルトを譲った。


(そろそろ 《リグルーゼ》が終わる……まずい、意識が……)


 全身の血管がジリジリと焼けるように痛む、効果切れ寸前に起こる兆候だ。熱病に犯されたような身体感覚の中、思う。

 『なぜ警備隊長がこの場にいる?』何故、なぜ?

 

「どうやら限界か。ならば、一つだけ教えてやろう」


 仰向けになったドルトの頭上にヤンは立つ。


 青白いヤンの顔面は恐ろしい。醜いほど細い鼻筋に、彫りの深い漆黒の瞳。極めつけには存在感が薄く、ついた異名は【亡霊】。

 騎士すらも恐れ慄く【亡霊】は課せられた任務を全うする。


「──ドルト・ルハイン、君は死刑だ」


 それは無情な、死の宣告。

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