一日目?(3)
今ここが現実であって、先程までが夢であったなどと言ってしまえるのも、先程までのことが今に比して朧気だからである。しかし何度も気付いたそれは確かに違和感の正体であって、その違和感というと、これは全く今にあるのだから、何かあったとすれば今なのだ。そうしてくどいようではあるが、全く明瞭なこの朝は、私の知らぬ明瞭さをしているのであった。
しかし己の感官にこそ見合った印象というものの記憶を、私は全く持っていないのである。ただ、今受け取っている諸々の印象が、私にとって結構な無茶を強いているということをは分かるのである。そして私はどんなに、自らの手指に有るだろう神経というものに意識を巡らしても、これをは確かに有ると分かるのに、一体そこから得たであろう感覚というものを何ら見つけることが出来ないのである。
しかし最も言いたいのは、私の前に現れる色々のものが皆、一見して全く、私の納得に預かるであろうものだということである。ただ、これらをは多分、別に知っているという訳でもないのだろう。ああ、たった今気付いた。私はこの顔が私であるという以外には分からないのである。