蛇蝎のごとく嫌われている
「クラリッサ・ブライトン!貴様との婚約を破棄する!そして、チェルシー・コーエン男爵令嬢を我が婚約者とする!」
王侯貴族の子弟が通う学園の卒業パーティーで高らかに宣言したのは、ソザートン王国の第二王子であるヴァージル・ソザートンだった。
「貴様ほど心根の醜い女は見たことが無い!俺に愛されるチェルシーに嫉妬して嫌がらせをしたな。そのような女を国母にはさせぬ!それに・・・ダンスが踊れぬ女に社交が出来ようか」
ヴァージルが嘲るように付け加えた一言で、パーティーに参加していた生徒たちはクラリッサ・ブライトン公爵令嬢の足に目が行ってしまった。
ブライトン公爵令嬢は左足が悪く、いつも引きずるように歩いていたからだ。
「どうした?言い返す言葉も無いか?」
「いい加減にその口を閉じろ。愚弟が」
ヴァージルの背後から低い声が響いた。続けて、ヴァージルの頭の上でワイングラスを逆さにして浴びせかけた。
「ヴェロニカ!貴様、何をする!」
「頭を冷やしてやったのだろう?愚弟へのせめてもの情けだ」
ヴァージルの頭にワインを浴びせたのは、ソザートン王国の第一王女にしてヴァージルの双子の姉、ヴェロニカ・ソザートンだった。
「クラリッサに申し訳なさ過ぎて、私は今にも気絶しそうだ。本当に貴様と同じ血が流れていると思うだけで死にたくなる。だが、最後に愚弟を正してやるのも家族の情だ」
「俺を正すだと!?」
「ああ。何故、クラリッサが嫉妬するなどという盛大な勘違いをしているのだ。貴様はクラリッサのみならず、年齢の近い高位貴族の令嬢から蛇蝎のごとく嫌われているではないか」
「は?」
「気付いてなかったのか?というより、貴様は覚えてもいないのか!?」
「な、何をだ」
「良い機会だ。かん口令も敷かれていないしな。語って聞かせてやろう」
あれは十二年前、我々が六歳の時のことだ。社交界デビューの前に王族と高位貴族の子供たちで顔合わせのパーティーが城で開かれた。ヴァージルの為に子息たちを集めたパーティーと、私、ヴェロニカの為に令嬢たちを集めたパーティーの二回が開催された。
ヴァージルのパーティーが開かれた一週間後、私のパーティーは薔薇が美しく咲き誇る庭園で開かれた。色とりどりのお菓子を楽しみながら和やかに進んでいたパーティーを打ち壊したのは、ヴァージル貴様だった。
自身の為のパーティーが一週間前に開かれたことをすっかり忘れたお前は「ヴェロニカだけズルい!」とパーティーに乱入した。一匹の蛇を持ってな。そして、貴様は蛇から手を離した。
貴族の令嬢とは云え、まだ全員が六歳前後。解き放たれた蛇に、逃げ惑うものに気絶するもの・・・。そして蛇は、逃げようとして転んだ令嬢に襲い掛かった。その令嬢を庇ったクラリッサが蛇に足を噛まれたのだ。最悪な事に、蛇には神経毒があった。早期の治療で全身には毒が回らなかったが、クラリッサの足には痺れが残ってしまった。
「つまり、貴様の愚行の所為でクラリッサは左足が不自由になったのだ。それなのに、ダンスが出来ないことをあげつらうとは・・・この恥知らずが!」
高位貴族の令嬢たちが我先にとクラリッサの補助を申し出る理由を、第二王子の婚約者だからすり寄っているのだと思い込んで馬鹿にしていた幾人かの生徒たちは己を呪った。
そして、同じように考えていたヴァージルは、なおも言い募った。
「だが、その足を理由に俺の婚約者の座に強引に納まったのだろう!?」
「この世の何処に元凶との結婚を希望する人間が居ると思う?馬鹿も休み休み言え」
馬鹿な貴様の為に続きを聞かせてやろう。公爵令嬢に瑕疵を負わせてしまったことは、王族であろうと代えがたい事実。真摯に謝罪することが決定した。それを利用したのが母上だ。母上は「息子に責任を取らせる」と言って、強引にクラリッサを貴様の婚約者にしたのだ。
母上の考えなど手に取るように分かる。正妃様には子が出来ず、王位継承権のある男児を生んだのは側妃である第一王子の御母上と自分のみ。実家の家柄も変わらぬから、息子の婚約者で差を付けようとしたのだよ。公爵令嬢を婚約者にすれば、貴様が王位に近づくと考えたのだろうな。クラリッサは、貴様に傷物にされた挙句に、生贄にもされたのだ。まったく我が母ながら反吐が出る。
「貴様の軽い頭でも理解できたか?クラリッサが貴様を慕うことは一切無い!婚約者としての義務を果たしてくれているだけだ。そんなことも知らずに嫌がらせをした?する訳ないだろうが」
「だ、だが、実際にチェルシーは被害に・・・」
「被害?例えば?」
「足を引っかけられて転ばされたと・・・」
「足の悪いクラリッサがそのような事をすると本気で思っているのなら、貴様は救いようのない愚か者だな。ヴァージル?」
流石のヴァージルも分が悪いと思ったのか黙ってしまった。
「あと、先ほど貴様はクラリッサのことを『国母にはさせぬ』と言っていたが・・・ヴァージル、この姉の知らぬ間に次期国王に任命されたのか?」
「な、何を言って・・・」
「貴様は第二王子だろう。第一王子が健在である今、何故自分が王位に就くと言い切れるのだ?」
「母上が・・・」
「ああ、母上な。公爵令嬢が婚約者なのだから、自分の息子が王位に就くと思い込んでいるものな」
「思い込み・・・」
「ヴァージルが次の国王になると信じているのは、母上と貴様自身と・・・そこの男爵令嬢くらいではないか?」
じりじりとヴァージルから距離を置こうとしていたチェルシー・コーエン男爵令嬢の動きが止まった。
「おやおやヴァージル。婚約破棄してまで愛を貫き通そうとした相手が逃げようとしているぞ?」
「わ、私は逃げようなどと・・・」
どう見ても逃げ腰だった。
「はあ・・・。今日この場で起きた貴様の愚かな所業は、国王陛下に私自ら報告してやろう」
「ま、待てヴェロニカ」
「そうだ!貴様がパーティーの開始早々に婚約破棄を叫ぶから、私からの発表が出来なかったではないか」
ヴェロニカは改めて姿勢を正した。
「私、第一王女であるヴェロニカ・ソザートンは、一ヶ月後に帝国へ輿入れすることが決まった!この場を借りて、皆へ報告させて貰おう」
ヴェロニカの発言に会場が騒めく。帝国とは、ソザートン王国と海を挟んで向かい合った大国家である。国力は帝国の方が遥かに勝っている。関係は友好的でもなく、敵対もしていない。
「ヴェロニカ様・・・帝国のどなたとご婚姻を?」
「現皇帝陛下だ」
更に会場が騒がしくなった。現皇帝は御年三十八歳。皇帝としては若いが、ヴェロニカより二十歳も年上だ。その上、妃が既に四人居り、子供は十人以上という話が王国にも伝わっている。
「私から国王陛下にお願いした。この先、帝国とは友好な関係を作るべきだと!誰かに強要された訳ではない」
暗に、クラリッサに婚約を強要したことを詰っていた。
「愚かな母と弟を王国に残して行くことは不安だが、良く取り計らってくださるよう国王陛下には伝えてある。どうか、今日のパーティーで私を快く送り出して欲しい!」
ヴェロニカが会場の主役となった。ヴァージルとチェルシー・コーエン男爵令嬢は会場から追い出されていた。
そして、一ヶ月後。ヴェロニカは長い年月を支え合ってきたクラリッサをはじめとする高位貴族の令嬢たちに見送られて帝国へと旅立った。
現皇帝の五人目の妃となったヴェロニカは、後宮で年上の妃たちには実の妹の様に可愛がられ、子供たちには姉の様に慕われた。皇帝は豪放磊落な性格で、妃たちに平等に愛を捧げていた。ヴェロニカは皇帝との間に一男一女を儲け、ソザートン王国と帝国の懸け橋としての役目を果たした。
婚約破棄を宣言されたクラリッサは、令嬢たちの家々の力も借りてヴァージルとの婚約を白紙とした。王家からはひっそりと賠償金が支払われた。その後、五歳年上の辺境伯と結婚し、王家からの賠償金を元に嫁ぎ先で病院やリハビリ施設を建設した。
ヴェロニカとクラリッサを支えた令嬢たちは、それぞれの嫁ぎ先で幸せに暮らした。結婚後は、学生時代と比べれば顔を合わせる機会が減ったが、頻繁に手紙を遣り取りした。
ヴァージルは王命でチェルシーと結婚し、コーエン男爵となった。ヴァージルの母親である側妃は、コーエン男爵領へと送られた。どうあがいても、慎ましやかにしか暮らせなかった。
第一王子が即位したのは、卒業パーティーから十五年も後のことだった。
長編の続きに悩むと、短編が書きたくなる現象に名前を・・・。