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「確かに魔力は高いと思うが、不安定な状態だな。本当に出来るのか?」
予想外のところを突かれて、一瞬だけ言葉を詰まらせてしまった。この人はどうしてそんな事まで分かるのだろう?
「……実は、まだ使いこなせてないの」
「ふぅん。それならお前には期待できないな」
「ま、待って! 同じ悪魔族なんでしょ? どうやったら魔法を使えるのか教えてよ」
このままじゃ魔物とやらに喰われて死んでしまう。そんなのはごめんだ。とにかく今はこの男を止めなければ!
「お前には覚悟がないだけだ」
「覚悟?」
「魔法を使う覚悟がない。だから使えない」
心臓がどきりと鳴って、戸惑う。
覚悟がないーー確かにその通りかもしれない。
自分の力を知らなかったセピアならともかく、私は最初から知っているのだ。私が使えるのは悪魔の魔法だと。
そのことを知っていたから、恐れていたのだ。
魔力が暴走したらどうしよう、私が世界を滅ぼすことになったらどうしよう。
……男の言う通りだ。私には覚悟がない。
「セピア」
(……え?)
突然の私を呼ぶ声に、勢いよく振り向くと、さっき別れたばかりのリオがいた。私とこの男から少し離れた場所に突っ立っている。
「り、リオ、どうしてここに?」
「やっぱり様子が気になったから、ついていこうと思ったんだけど……、途中からセピアを見失って、魔法を使ったらここに辿り着いたんだ」
ご丁寧な説明は有難いけれど、この状況はかなりマズイ。リオが使えるのは植物を操る魔法で、技量もあって強いけれど、この男には多分勝てない。
「セピア、大丈夫? ……その人は誰?」
盗み聞きをしていたわけではないみたいだ。何も状況が分かっていないというリオの様子に、私は安堵しながらも焦る。
「リオ、こっちに来ちゃダメ。引き返して」
「どうして?」
「いいから、もう一度魔法を使ってこの森から出て行って」
ちらりと男の顔を見上げると、面倒臭そうな顔をしている。同じ種族の私は見逃してくれると言っていたけど、リオのことはどうするか分からない。
「おい、……セピア?」
男が急に私の名前を呼んだ。その名前で合っているのか確認するような言い方だった。
リオがそう呼んでいたからだろうけど、この男に名前を呼ばれるのは違和感しかなかった。
「何?」
「お前、この男を逃がそうとしているのか?」
「……っ」
どうしよう、最悪だ。
このままじゃリオが殺されてしまう。私もきっと今度こそ見逃されないだろう。
「……状況は掴めないけど、あんたに殺意があることは分かった」
(えっ?)
「セピア。君は僕が大事だって言ってくれたよね? それは僕も同じだよ」
「何言って……っ、いいからもう逃げてよ!」
男がすぅっと静かに息を吸った。
その瞬間、まわりの木々が一斉に倒れ始めた。
「っうわ……!」
ズシン、ドシン……!!
土埃で視界が見えず、息も吸いづらいほどだ。木が自分の上に落ちないよう、目を瞑って祈る事しかできない自分が悔しい。
「くそっ……!」
せめて、まだ近くにいるであろう男を殴りたくて、私はゆっくり進みながら手を伸ばした。
すると指先に人の感触が当たり、逃がさないようガシッと掴む。
よし、殴ってやる。
そう思って男を睨みつけた瞬間。
「怪我はない?」
予想外の優しい声に、私はそっと拳を解く。
「リオ……」
今の木による攻撃は確かにあの男のものだった。彼の方が魔力は高いように感じたけれど、リオは対応できたの……?
「あいつ、凄い魔力だ。今はとりあえずこの森から脱出することを考えよう」
「……う、うん」
私の手を引っ張って、リオは男からの魔法攻撃をはじき返しながら走り続けた。
森の中だからか木や土を使った魔法が多く、リオはなんとか対応できている。
針のように変化して襲いかかってくる木の枝も、突如作られた落とし穴も、素早く反応できるリオは躱し続ける。
だけど、魔力量に差があるようだ。
魔法を使う度に、リオの額から汗が流れ出る。息も荒くなってきた。
早く脱出しなきゃいけないのに、相変わらずゴールは見えない。これじゃあリオの魔力が尽きてしまう。
「セピア、やっと森から抜け出せるルートが分かった」
「え?」
「走りながら植物に聞いてたんだ。どう進めばここから出られるのか」
さすがリオ!
強烈な攻撃をかわしながら、そんな事までしていたなんて。
「ここから先、まっすぐだから」
大きな木から右に曲がった直後、リオはそう言う。
「振り返らずに走って、セピア」
「……え?」
彼の足音が止まり、私は目を見開く。
「多分、僕があいつを止められるのは長くて1分くらいだと思う」
「その間に、私ひとりで逃げろってこと?」
「このままじゃ二人共やられる。セピアだけでも逃げて」
「無理だよ! 私が残る! 私が交渉して時間を稼ぐから!」
「ダメだ、セピアが生き残るんだ!」
「ふざけないで! あの男と最初に接触したのは私なんだから、私がけじめをつける!」
ーーそれに、あなたは私を選ばないのだから、今すぐここで見捨ててよ。
(ああ、もう、馬鹿らしい)
恋とか愛とか嫉妬とか。
そんな理由で世界を滅ぼすくらいなら、いっそ後悔しない選択肢に進んだ方が、どんなにマシだろう。
「リオ、下がって!」
まだ私に「逃げろ」と促してくるリオの言葉を無視して、私は叫んだ。
そして一歩、リオの前に立つ。
深く息を吸うと、景色が違って見えた。
何故かビックリするくらいに不安な色がない。
空が澄んだ朝のように青く、ざわついていた木々はクリアな緑色に見える。
優しい空気の泡が私の体を撫でるように、そっと舞い降りてきた。
(気持ちいいーーまるで自然が私を受け入れてくれてるみたい)
今ならなんでも出来る。
そんな気がした。
「……!!」
攻撃を続けていた男の手が止まった。
魔力が尽きたわけではないだろう。
まるで私とリオに透明なバリアーが張られているかのように、攻撃が弾かれるのだ。
尖った木の枝も、荒れていた土も、腐ったようにシナシナになって元の場所へ戻っていく。
「ふん、やっと魔法が使えるようになったか」
「おかげさまで」
やっぱり私の魔法は悪魔の魔法だ。
私の魔法を受けた木も土も腐ってしまう。
せっかく自然が味方してくれたように思えたのに、これは胸が痛む。
「それで? その魔法を使ってこの世界を滅ぼすと、お前はさっき言っていたが?」
「……ま、魔法が使えるようになった今、あなたに嘘をつく必要はなくなった」
この男に勝てるだろうか。さっきまでは遊んでいたのか、随分手加減しているように思えた。
世界を滅ぼすほどの魔力があるセピアでも、こんなイレギュラーな存在に勝てる保証はない。
(でも、戦うしか……)
魔法を使う覚悟は得られた。だけど手が震える。その様子をずっと隣で見ていたリオが口を開いた。
「セピア、君に魔力があったなんて知らなかった」
「……うん、今初めて使ったからね」
「戦うのが怖いなら逃げていい。でももし勇気があるなら、僕と一緒に戦ってくれる?」
「見くびらないで。当たり前でしょう」
自分に言い聞かせるように言うと、ようやく手の震えが止まった。