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「おかしいな……」
森の入り口に、少しだけ足を踏み入れただけのつもりだった。だけど森は私を飲み込んだかのように深く、奥へと誘うようで。
危険を感じて、すぐに引き返そうとしたけれど、戻っても戻っても出口は見つからない。
(もしかして、何かの魔法……?)
誰かの魔法だとしたら、今の私に抗う術はない。さっそくやらかしてしまったかもしれない。二度目の人生は、森の中で飢え死にだろうか。
さて……どうやって脱出しよう?
「ん……?」
突然、全身がピリついたような感覚がした。それから、奇妙だけど落ち着く不思議な匂い。
このまま進めば、何かがありそうだ。逆に、ここで怯んでいたって何も変わらない。それなら進もう。
「そこの女」
足を進める直前だった。
低くて冷たい男の声が、私の背筋をゾッと凍らせた。
この先に何かがあるーー私がそう思ったのは少しばかり遅かったようだ。
「何をしている?」
「…………」
動揺を見せないように振り向く。
その男は、私の後方にある木の太い枝の上に立っていた。
深い紺色の髪は前側だけ少し長く、後ろは切り揃えている。暗い紫色の瞳はダークな印象を与えるけれど、顔立ちは整っていて美しい。
同い年か年上に見えるけど、誰だろう?
「迷ってしまったの」
とりあえず正直に答えると、男は何故か鼻で笑った。
「自分の意思で来たんだろ? ここに」
「……森の中に入ったのはそうだけど、迷ったのは本当」
何だコイツ、と心の中で呟いた。
初対面のくせに、見透かしているような態度に腹が立つ。
「何故ここにいる?」
(え……)
今度は質問の仕方を変えてきた。思わず不安になって、私は静かに息を飲む。
だけどそれは意味のない緊張だったようだ。私が言葉を返す前に、男の方が口を開いた。
「同じ匂いがしたからだろ?」
呆れたようなその口調は、やはり見透かしているみたいでとても不愉快だった。
何だろう、この感じ。
初対面であるこの男に、自分よりも自分のことを知られている気がして、すごく気持ち悪い。
だけど反論はできなかった。確かに自分に近い匂いがしたような気が、しなくもないのだ。
「あなたは誰?」
「……お前と同じ悪魔族だが? 名前まで教える義理はねぇな」
「悪魔族? 聞いたことないんだけど」
ていうか、そんな設定、知らないんですけど。
セピアは悪魔の魔法が使えるけど、人間であって、悪魔そのものではない……はず。
「そうか。お前、記憶がないうちにこっちの星に捨てられたんだな。はっ、少しは同情してやる」
「いや、よく分からない上に嬉しくないけど」
こんな濃いキャラ、小説では登場しなかった。
ていうかあの小説はそこそこの短編だし、恋愛メインのお話のため、世界観はあっさり描かれている感じだった。
……だとしたら、私の知らない裏設定があってもおかしくないかも。
「お前はこの星とは別の星で生まれた、悪魔族という存在だ。この星で魔力が感知されないのがその証拠だ」
「……!! 確かに魔力無しって言われてるけど」
「だろうな。でも悪魔の魔法が使えるだろ?」
なんなの、この男。どうしてそこまで知ってるの? 私の魔力が感知できるから……?
小説ではこんな展開、まるで起こらなかったのに、どうして?
「同じ種族ということに免じて、今回は見逃してやる。もうこの森から出て行け」
「……待ってよ。あなたはこの森で何をしているの?」
「俺はこの世界の審判だ。その役割を果たしているだけだ」
「審判……? もっと分かりやすく話して」
嫌な予感がする。突然現れたイレギュラーな存在。セピアが悪魔族とかいう、信じがたい新事実。
全部全部、本当のことだったら?
私はどうすれば良いのだろう。
「この星は来年の2月17日に崩壊する運命である。だが、どういうわけか今日、その運命が変わってしまった」
「え……?」
確かに小説では、セピアは2月17日に世界を滅ぼした。その運命が変わったってことは、私は闇堕ちを回避できるということだ。
なんだ、良いことじゃん!
「だから修正をするために俺が来た」
「ん? 修正?」
「この星は2月17日に終わらなければならない。そうなるために、魔物をバラまきに来た」
「待って待って待って待って待って」
この男は何を言っているの!?
まさか星が崩壊することを望むなんて……!
「崩壊しないならその方が良いじゃん! 何で余計なことしてんの!?」
「俺は自分の仕事をするだけだ」
「人の命よりも仕事の方が大事なわけ!?」
「関係ねぇな。この星の人間がどうなろうと、どうでもいい」
そんな……。最悪だ。
魔物なんて小説には登場しなかった。平和な世界ではあったはずだ。
それなのに、運命だからって。
そんな馬鹿らしい理由で、どうして崩壊されようとしなくちゃいけないの?
「……あのさ、運命が変わった原因を調べるのが先じゃない?」
「それもどうでもいい。俺は運命を正すだけだ」
頭かったいな、この男。
純粋にムカつく、殴りたい。
だけど今は我慢しなくちゃ。
「……分かった。私がこの星を崩壊させる」
「……あ?」
「私の魔力でこの星を壊す。それでどう?」
男はぱちくりと瞬きを繰り返した。
その後、上から下まで私の体を舐めるように見てきた。
「お前の魔力量なら可能だろうが……、さっき人の命がどうこう言ってなかったか?」
「あんたを試してみただけ。本当に運命を正す気があるのかどうか。本当は私、この星の人間達が大嫌いなの」
賭けだけど……、ここはとりあえず魔物をばらまかれるのを止めなきゃ!