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ーーそして世界は腐り果て、終わりを告げた。
これが私が読んでいた恋愛小説の最後の一行だった。清々しいほどのバッドエンドである。
この作者の何を言いたいのかよく分からないドロドロ小説が好きで、今回の新作も楽しませてもらったけれど、……いやあ、酷かった。
主人公の少女が失恋して、精神が崩壊し、世界を破滅させるほどの大魔法を使って世界を滅ぼしちゃう。
すごいな。本当に読んでいて鬱になる展開の連続。一切の救いもない物語。
最後まで読んだ人は私しかいないのだろう、本棚登録が1のままこのネット小説は終了してしまった。
あー、面白かった。この終わった後のモヤモヤ感が堪らない。途中までは普通の恋愛小説で、そこそこ読んでる人もいたのに。
って、いつまでも余韻に浸っている場合ではない。そろそろ出勤しなければいけない時間だ。
『○○県××町で、不審者の目撃情報がーー』
テレビの電源を落として出勤したその日ーーー、なんと私は帰り道に、通り魔に刺されて死んでしまったらしい。
黒い服装の誰かとすれ違った瞬間、お腹の奥が熱くなったのを覚えてる。それから数秒遅れて見えた自分の血も、それに濡れた包丁も。
ああ、私、刺されたんだ。死ぬのかなぁ。
ぼんやりとそう考えながら、私はゆっくり目を閉じた。
*
「セピア、いつまで寝てるの? もう昼休み終わるよ」
少し低めの優しい声が私の耳を撫でる。
うっすら目を開けると、困った顔をした幼馴染がすぐそばで私を見つめていた。
そうだ。私、学園の中庭にある大きな木にもたれて寝ていたんだっけ。
「リオ……?」
「え? そうだけど?」
「り、リオ・アールルク?」
「うん。僕の名前を忘れたの?」
リオは可笑しそうにくすくすと笑う。私の幼馴染のリオだ、間違いない。幼馴染なんだから顔も名前も忘れるわけがないのに、私は一体どうしちゃったのだろう。
「……ごめん。変な夢を見てたの」
「みたいだね。もう行こう、授業始まるよ」
リオは私の手首を掴むと、ぐいっと引っ張って私の体を起こしてくれた。そしてにこりと甘く微笑む。
(あれ……?)
このシーン、覚えてる。セピアがリオに恋をするきっかけとなる瞬間のシーンだ。
幼馴染ではなく、ひとりの男の子としてリオを意識し始めるセピア。この男らしい腕に、そして綺麗な笑顔に落ちるのだ。
(この記憶は何だろう? 私のものではない、だけど私のもの)
思い出せ。思い出せーー!
私の中にある何かがそう叫ぶようだった。
思い出さなきゃ、この物語は終わる。最悪のバッドエンドで終わってしまう。
読むのはいいけど、まさか体験したくない。私は失恋したくないし、闇の中に落ちたりもしたくない。ましてや、世界を滅ぼそうなんて。
「…………!!」
固まった私を、リオが不思議そうに見下ろした。
「セピア、どうしたの? さっきから変だよ」
「た、大変だ……」
「何が」
「このまま進むと、世界が滅んじゃう!」
「……はあ?」
呆れた目で私を見るリオの手を、思い切り振り払った。
「ちょっと、触らないでよ!」
「え?」
「リオはしばらく私に近づかないで。お願いね」
我ながら切り替えが早いというか、順応力が高いというか。セピアとしての記憶もしっかりあるから、なんとかなってるんだろうけど。
結論から言うと、私はあのバッドエンドな恋愛小説『恋に落ちた悪魔』の主人公であるセピア・ランラーゼに生まれ変わっていたらしい。
あの、失恋して闇堕ちして世界を滅ぼす系ヒロインちゃんに。
通り魔に刺されて死んだという事実は取り乱すほどにショックだけれど、今は感傷に浸っている場合ではない。
気づいたのなら、最初にやるべき事はひとつ。私は失恋しなきゃいい。つまり相手役であるリオに、そもそも恋をしなければいいのだ。
「僕達、仲の良い幼馴染だよね?」
(うっ……)
恋をしなければいいとはいえ、あからさまに突き放すのも気が引ける。だけど私がセピアである以上、勝手に胸がドキドキしたりときめいたりしちゃうのかもしれない。
リオは私ではなく、他の女の子と恋に落ちることを知っている。だからとりあえずは、リオと少しでも距離を取るのが一番だろう。
「あのねリオ。私、好きな男の子がいるの」
「えっ?」
「だからリオと仲良くしてて、誤解されると困るのね。わかってくれる?」
リオは驚いたような目を私に向けた。その数秒後、ぽりぽりと自分の頬を掻く。
「……それは知らなかった。誰が好きなの?」
「秘密」
「秘密かぁ」
穏やかな声に安心する。リオは分かってくれたみたいだ。彼に嘘をついてしまった事実に胸が痛むけれど、今はこれが最善だろう。
(……よし! 恋についてはひとまず置いといて)
セピアの魔法について考えよう。実はこれが一番の問題である。
私は教室に向かうリオについて行くフリをしながら、そっと気づかれないようにはぐれた。
向かったのは誰もいない、広くて落ち着いた図書室だった。