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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第九章 Essential existence
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待ち望んだもの

 肌の色が、常より更に白い――というより青白い。頬や顎の線も、記憶に比べ少し肉が落ちたように見える。

 それでも、抱きかかえられ、彼の胸のすぐ傍にある咲月の耳には、確かに彼の心音が届き、見上げた彼の瞳は、綺麗な濃紺色に輝いていた。

 「咲月……怪我は? ……血の匂いがするんだけど」

 変な目で見られるのが嫌で、長袖で隠した傷は、既に血は止まっていたはずだが……結構深く抉れていたし、もしかして今の騒ぎでまた傷が開いたのだろうか?

 咲月は右袖をまくって確認する。だが傷が開いた様子はないし、流れ出た分の血は先ほど既に拭ったのに。

 さすがは吸血鬼、やはり血の匂いにはそれだけ敏感なのだろう。

 その傷を目にした朔海は、自分の方が痛そうな表情を浮かべた後で、キッと亜梨沙らを強く睨みつけた。

 「彼女のこの怪我は君たちの仕業?」

 そこらの芸能人より遥かに綺麗な顔をした彼が、厳しい表情で冷たい声音を発し、問い詰める。

 綺麗な顔なだけに、その迫力はいや増し、彼らは一様に押し黙った。


 しかし、亜梨沙だけは引きつった表情をしながらも、嘲笑とともに、誰何の問いを投げつけた。

 「……何、あんた誰よ? この旅館は私たちの貸切のはず。私、あんたの顔に見覚えなんかないわよ? ねえ、誰か彼を知ってる?」

 亜梨沙の問いに、踊り場に留まる彼らは一様に首を左右に振った。

 「見たところ、その女の知り合いのようだけど。その女とどういう知り合いなの? ……ああ、もしかして彼女がどういう女か知らされていないのね?」


 文句なしの美形が、咲月を大事そうに抱え、守っている。

 その構図が気に入らないのだろう、その不満が、朔海への恐怖に勝ったらしく、彼女は自分の納得のいく説明を思いつき、嬉しそうに笑った。

 彼女は踊り場から一歩踏み出し、段を一段降りながら、うっそりと目を細め、朔海の顔を眺める。


 「聞かされていないんでしょう? 彼女が、身元の知れないどこの馬の骨ともつかない身だって事。行く先々で不幸を呼ぶ疫病神みたいな女で、しかもお金のために体を売るような下衆な女だなんて。ねえ、こんな女に騙されちゃダメよ、せっかくイケメンなんだもん、もっといい女がいくらでもいたでしょうに」

 優越に満ちた笑みを浮かべながら、亜梨沙は一段一段、ゆっくりと階段を降り、こちらへ近づいてくる。

 「あなた、今夜はどうする予定なの? もしどこかに泊まる予定なら、明日、私たちと一緒にどこかへ遊びに行かない?」

 クスリと笑いながら、咲月を一瞥し――

 「そんな女は放っておいて、ね?」

 媚びるような目で朔海を見る。


 「――悪いけど」

 だが朔海はそれに一切の感情を見せないまま、冷たい視線と声音を彼女に投げつける。

 「咲月の身元は、僕が保証する。――僕は、彼女を一生をかけて守る。そう誓ったんだ。だから……それ以上咲月を傷つけるような事をするなら、容赦はしない。僕は荒事は好まないけれど、彼女を傷つけられたとあれば、話は別だ」

 朔海は、咲月を横抱きにしたまま踵を返し、冷たい視線だけを亜梨沙に向ける。

 「今夜の話し合い、僕も混ぜてもらえるよう、咲月の養父母ごりょうしんの遺書を預かっているっていう弁護士さんに頼んできたんだ。悪いけど、僕も咲月も、今後一切君たちと関わりあうつもりはないよ」

 

 屈辱に顔を引きつらせる亜梨沙を背に、朔海は颯爽とその場を後にすると、スタスタと咲月を軽々抱えたまま、遊戯室とプレートのかかった引き戸を潜り、上がり框にスリッパを脱ぎ捨て、十畳程の和室の真ん中に咲月を降ろした。

 少し肌寒いようながらんとした部屋の壁に造りつけられた棚には、碁盤や将棋盤、雀卓が並び、それらの駒や石、牌を入れた器がその下段に綺麗に並べられている。

 端の方には古めかしいボロボロの紙の箱に入ったオセロもある。

 さらにその下には座布団がいくつも重ねて置かれていたが、朔海はそれに見向きもしないまま、咲月の腕を取って傷の具合を確かめた。

 「これ……何か刃物で切った?」

 また、自分の方が痛そうな表情をしながら、彼はその傷にそっと口づけ、魔力で傷を癒した。


 「さ、朔海の方こそ……、顔色悪いよ? それに痩せたよね? 大丈夫なの?」

 この数ヶ月、待って、待って、待ち続け、ずっと会いたいと願っていた相手が目の前にいる。そう思ったら、心にかかっていた暗雲は一気に吹き飛び、綺麗さっぱり消えてなくなった。

 ――が、代わりのように、それまで押し込められていた色んな気持ちが一気に溢れ出し、感極まって、掠れる声で咲月は勢い込んで尋ねた。

 

 そのまま押し倒されそうな勢いで尋ねられ、朔海は少しばかり焦り、驚きながら朔海は頬を少し赤く染めながら、目を泳がせた。

 「あ……、うん。一応、大丈夫……なんだけど。その、あれからずっと一度も血を飲んでなくて、それで慌ててあそこからここまで、途中弁護士さんを捕まえたり色々しながら急いで来たから……、その……今、すごく喉が渇いてて……」

 それでも最後には咲月の目を真っ直ぐに見つめ、言った。

 「だから……血を、貰ってもいいかな?」

 彼の声が、耳に心地よく響く。もちろん咲月に断る理由などあるはずがない。躊躇いなく左手を差し出し、頷いた。

 しゃらりと手首につけた腕輪が音を立てて肌の上を滑る。


 「……あ、」

 「それは……」

 二人の声が重なった。

 ずっと会いたいと、早く戻ってきて欲しいと願い続けた場面で浮かれていた心に、一気に氷水を注がれた気分になり、咲月は声を詰まらせながら、差し出した手を畳について、深くうなだれた。

 「――ごめんなさい。……私、何にも、できなくて」

 謝罪の言葉が、震える。

 葉月が、朔海にとってどれだけ大事な存在か分かるから。咲月と出会うまで、唯一の理解者であった彼を失ったと知れば、朔海は深く悲しむだろう。

 「ごめんなさい」

 咲月は、もう一度謝る。……謝る以外に、何をすればいいか、全く思い浮かばない。


 だが、朔海は首を横へ振った。

 「……大丈夫だよ、謝らなくていい」

 彼は、静かに、優しくそう言ってくれる。

 「何があったか、ファティマーに聞いた。むしろ、謝らなきゃいけないのは僕の方だよ。……危険な目にあわせて、怖い思いをさせた。辛い思いもさせた。……守るって、言ったのに」

 そう言って、彼は滲んだ涙をそっと拭ってくれる。

 「それに、……彼はまだ死んでない」


 そして、朔海は衝撃的な台詞を口にした。

 「え!?」

 咲月は思わず顔を上げ、朔海を見上げた。

 「だって、でも……葉月さん、確かに息を引き取って……灰に……」

 ポケットから小瓶に詰めた彼の遺灰を取り出し、彼の目の前に差し出す。

 「うん。流石に吸血鬼とはいえ、こうなってしまったら自力で蘇る事は不可能だし、普通の方法では復活できない。……それは確かだ」

 朔海は、咲月の手ごとその瓶を手のひらに包み込んだ。

 「でも。ある一定の条件を満たしていれば、遺灰から蘇る方法はある」

 朔海は確信に満ちた声で、そう断言した。


 「まず、一つは、その者の魂が無事であること」

 朔海は、その条件を一つずつ挙げていく。

 「二つ目、そのものの血の情報が残っていること。――そしてもう一つ。始祖の直系の血を引く……王族の血があれば、例え灰になってしまっても、蘇らせることができる」

 朔海の手に、力がこもる。

 「知ってのとおり、僕はその王族の一人。そして、力を得るために、僕は彼の血を得た」

 つまり、条件のうち二つは満たされている。

 「でも、それだけだったら、彼を蘇らせる事はできないはずだった」

 最後の条件、彼の“魂”。

 「咲月が、彼の遺灰と、その腕輪をずっと持っていてくれたから。……彼は、戻ってこれる」

 朔海は、咲月の腕にある腕輪のムーンストーンを眺め、苦笑を浮かべた。

 「その、ムーンストーンの中で、葉月の魂は眠っている」

 朔海は咲月の手を取り、ムーンストーンに自分の額を押し当てた。


 「もちろん、簡単なことじゃない。蘇りの儀式は、この間の、あの結界を張る術より更に多くの魔力が要る。だから、流石に今すぐは無理だけど」

 少し、自分に言い聞かせるように、彼は言った。

 「今のゴタゴタが全部済んで、静かになったら……。そしたら……」

 咲月は、静かに頷いた。

 「あのね、朔海。私、あれからずっと、色々考えたの。時々、稲穂様たちに相談したりしながら、一生懸命考えて。……それで、決めたことがあるの」


 咲月は、あの日からずっと伝えたかった言葉を声に乗せる。

 「私は、朔海と居たい。ずっと、朔海の隣に居たいから。……だから、私、吸血鬼になる。やっと、その覚悟ができたの」

 彼の傍は、とても居心地がよくて。もう、絶対に手放せないと良く分かったから。


 「だから、お願い。あなたの世界に、私を連れて行って欲しい」


 朔海は、一瞬心底驚いた顔をした後で、一気に顔を真っ赤に染めた。嬉しそうに口元を緩めながら、照れたように口元を手で覆い隠す。

 ふにゃりと体を弛緩させ、朔海は両手で顔を覆った。

 そろそろと、ゆっくり両手を下ろし、指の隙間から咲月を見て、朔海はぽそぽそと呟く。

 「あ、ありがとう」


 その様子がどうにも可愛らしくて、咲月もついついつられて笑崩れてしまう。

 今朝からずっと、強ばったままだった表情筋が、一気に緩む。


 「……そのつもりで、来たんだ。咲月を一番最初に引きったっていう養父母ごりょうしんの遺書を預かっているっていう弁護士さんを呼んできた。おそらく今晩あたりにあるだろう、君にとって面白くない話に、決着をつけるために」

 朔海は、緩んだ表情を必死に引き締めながら、そう言った。

 「まさか、こんなに早くそう言ってもらえるとは思ってなかったから。……覚悟が決まるまで、待つつもりではいたけれど。僕は、あまり長いことこの世界には留まっていられない。こちらでの事の一切は葉月に任せていたから、こちらのお金はほとんど持っていないし、色々な手続きも僕ではできないことがあまりにたくさんありすぎて。……葉月の居ない今、僕は君を僕の家へ招くつもりで来たんだ」

 そして朔海は改めて咲月に尋ねた。

 「僕と一緒に、僕の家へ――次元の狭間にある、僕の自宅へ来てくれる?」


 咲月は、躊躇いなくそれに頷いた。

 「うん。……分からないことだらけで、色々迷惑かける事になるだろうけど。その、……よろしくお願いします」

 咲月は朔海に軽く頭を下げた。

 

 嬉しいのと、少し恥ずかしいのと、ちょっとの緊張とでドキドキ高鳴る鼓動に、体中が一気に熱くなるのを感じながら、咲月はもう一度、彼に左手を差し出した。

 「……ありがとう」

 朔海は、もう一度礼を口にして、咲月の手首を捕まえた。


 そのまま口へと運び、牙を埋めた。

 本当に渇いていたのだろう、彼は夢中で傷口に吸い付き、血を飲み下した。

 じわりと、痛みとともに不思議な感覚が全身をめぐる。酔いに似た感覚が、脳を痺れさせていく。

 だがそれは決して不快な感覚ではなく、むしろ――


 「ありがとう、ごちそうさま」

 何処かへ飛んで行きかけていた理性が、その言葉で一気に引き戻される。

 ふるふると、慌てて首を横へ振りながら、煩いくらいに高鳴る心臓を必死になだめる。


 (――私、今何を考えた!?)


 何か、とても恥ずかしい事を思いついたような気がする。

 「さて、多分まだご飯にはまだ早いよね? お風呂でも行く? それとも……」

 朔海は部屋をぐるりと見回しながら言った。

 「もう少し、ここで時間を潰していく?」


 もちろん、咲月は即座に後者を選んだ。

 「……碁や将棋はあっても、チェスセットはなさそうだけど」

 別に、何もなくたって構わなかった。

 咲月は、こうして彼がすぐ傍に居てくれる幸せを噛み締める。


 まだここは敵陣の中だし、夕食は針のむしろになるだろう事実は全く変わっていないのに。

 彼が傍に居る。ただ、それだけで、何も怖いものなど無いように思える。

 先程までとは打って変わって軽くなった心。もう、口を開けてもため息など全く出てこない。


 「もうしばらく、ここに居よう」

 久しぶりに、心からの笑みを浮かべながら、咲月は言った。

 「色々、積もる話もあるし。ね?」

 

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