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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第九章 Essential existence
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待ち人、来たり

 口を開けばもう、ため息以外出てきはしないから、咲月は努めて口を堅く閉ざしたまま、膝に抱えたバックを両腕で腹に抱き込んだ。


 たとえ何時間かかろうとも、一人で歩いて行くほうが、余程も良い。

 本心でいくらそう思っていようとも、咲月には彼らの申し出を断ることはできなかった。

 「どうせ目的地は同じなんだから、一緒に乗せて言ってあげる。ありがたく思いなさいよ?」


 4WDの白い大きな車。車の種類に疎い咲月には、こういう形の車を何と言うのか知らないのだが……。

 アメリカでよく見るような、大型の、後ろの部分がトラックの荷台のようにせり出した形の車。キャンプに行くのに使うような車だ。

 亜梨沙は、当たり前のように咲月の荷物をその荷台に放り込んだ。


 ちなみに、亜梨沙たちの荷物は、5人乗りの座席部分、3人座れる後部座席の上に鎮座している。

 運転席に亜梨沙の養父、助手席に母親が乗り込み、亜梨沙は後部座席へ乗り込んだ。

 ――当然、咲月は後部座席に乗るしかないのだが、そこには彼らの荷物が置かれている。

 三人分、二泊分の荷物は相当の量がある。

 しかも亜梨沙の隣とは……いっそのこと荷物と一緒に荷台部分に乗る方がマシなようにすら思える。


 それでも、無駄に逆らうのは良くないと、ため息を堪えつつ乗り込んだ。

 そろそろと、ほんの少しだけ荷物を亜梨沙の方へ避け、申し訳程度に作った隙間に尻を押し込み、無理やり扉を占める。

 本来の座席の半分以下のスペースで、咲月は縮こまった。


 ディーゼルエンジンが唸りを上げ、走り出す。

 「……それにしても。よく見たらそれ、結構良いものの様だけど。お祭りのお手伝いのお仕事って、そんなに儲かるものなのかしら?」

 完全に人目を気にする必要のなくなった彼女は、水を得た魚のように生き生きと咲月に嫌味たっぷりの台詞を投げかけた。

 「あの後、お母さんに聞いたけれど、うちの親戚にあんな田舎の神社の関係者なんて居ないのだそうだけど」

 ペットボトルのお茶に口をつけ、一度言葉を切ったあと、彼女は不審げな目を咲月に向けた。

 「さすがに、あちらの方の親戚まで詳しくは知らないけど。……でも、あなたが今年の3月までいた家はうちの親戚よ。そして、その後にあなたを引き取るはずだった家も、うちの親戚。……なのにその家へ、あなたは行かなかったそうね? 聞けば、突然あなたを引き取りたいと申し出た人が居たとか。――遺書にあった遺産の一切は要らないから、あなたの身柄だけ引き取らせて欲しいと」

 亜梨沙の母が、娘の言葉を肯定するように前から口を挟んだ。

 「ねえ、何の見返りもなくあんたみたいのを引き取りたいなんて、いったいどんな人だったの?」

 

 尋ねられ、咲月は返事に窮した。

 間違いなくそれは、葉月の事だろう。――真実を言うわけにはいかない。

 「お医者さんです。個人医院をやってらっしゃる、ドクターで……」

 答えながら、咲月は手首のムーンストーンに触れる。

 「医者? 何でそんな人が突然、あんたを引き取ろうなんて考えるわけ? 医者なら、雀の涙みたいな遺産の分け前なんて必要ないよね? 実際要らないって言ったらしいし。っていうか、あの時の神社の関係者じゃないの?」

 「あ、あの人たちは……、事情があってしばらくお世話になっていただけで」

 下手な事を答えるわけにいかない咲月は、慎重に答える。

 が、その咲月の返しを聞いた途端、亜梨沙は意を得たりとばかりに嫌な笑いを浮かべた。

 「ああ、そっか。そういう理由なんだ。……あんたも一応、女だもんね、それも世間一般では女子高生で通る歳の」

 彼女が浮かべる、嘲笑と、吐き出された台詞。

 「他に何の取り柄もないあんたの、唯一の取り柄よね、確かに」

 彼女が言わんとするそれが、どういう事か。……察しできないほど咲月は馬鹿ではない。

 「――売女」


 咲月を侮辱する言葉。だが、咲月はそれ以上にあの優しい人たちを酷く傷つけられたように感じ、いけないと分かっていながら、思わず強く亜梨沙を睨みつけてしまう。

 シートベルトと荷物で動きを制されていなかったら、彼女につかみかかっていたかもしれない。

 それくらい激しい怒りの炎が、咲月の心の中に火の粉を散らした。

 だがここは完全に亜梨沙のテリトリー内だ。

 これまで咲月をギリギリで守ってきた社会常識と法律が、反撃の余地を奪う。


 「あら、何? 図星を指されて怒ってるの?」

 クスリと嫌な笑みを浮かべ、亜梨沙は残りのお茶を咲月の頭の上からとぽとぽ注いだ。

 「そんな汚れた女が隣に居るなんて私、耐えられない。……綺麗にしてあげる」

 ――笑いながら。

 「おい、俺の車を汚すな」

 それをバックミラーで覗きながら、彼女の養父はそうたしなめた。

 「はぁい」

 そう残念そうに返事をした亜梨沙はひとまずその行為を中断したが――

 「けど、あんたみたいのが持つのに、そんな良いものもったいない。私が、もっとあなたにふさわしいものにしてあげる」

 今度はカバンからソーイングセットに入っているような小さなハサミを取り出し、持ち手の部分を順手に握り締め、思い切りり咲月のカバンへ振り下ろした。

 刃を、カバンに突き立てるつもりだと悟った咲月は、咄嗟にカバンを庇った。


 鋭い痛みが右腕に走り、スパッと一筋赤いラインが肌に刻まれた。

 小さいながら、力いっぱい振り下ろされた刃は思いのほか肌を深く抉り、咲月の腕はたちまち真っ赤に染まった。

 即座に左手で傷を押さえ止血するも、滴る血は少なくなく、ぽたりぽたりと、カバンを汚した。


 「おい、車を汚すなと言っただろうが。お前、シートを血で汚したら承知しねえぞ」

 イラついた声が、前から飛んでくる。

 「もうすぐ旅館に着くのよ? そんな怪我して、旅館の人になんて説明するのよ」

 亜梨沙の母親はそう言って、怪我をさせた娘ではなく、咲月を詰った。


 ……この程度の傷なら、包帯で少し押さえておけば血は止まる。多分、縫うほどの傷ではないだろう。

 かつて、怪我の絶えない日々を送っていた咲月はそう判断し、とりあえずカバンからハンカチを取り出し、それを巻きつけ止血を施した。


 咲月が仮の手当を済ませて程なく、車は一軒の旅館の駐車場に頭から突っ込み、停まった。

 「へえ、凄い。随分綺麗な旅館じゃない」

 亜梨沙は早速自分の荷物を持って降りる。

 咲月は、未だ止まらない傷を止血のため抑えていた左手を外し、ドアを開けようとし――しかし、手にまだ血がついたままなのを思い出し、取っ手に触れるのを躊躇った。

 咲月は、右手を眺めた。腕は血に染まったものの、幸い右掌は綺麗なままだ。

 咲月は痛みをこらえ、右手でドアを開け、車を降りた。


 トラックの荷台に放られた荷物は、風にさらされたおかげで、先ほどスープで出来た濡れたあとは綺麗に乾いていた。

 ――が、やはり微妙に匂いは残っている。

 これは後で染み抜きを試みなければならないだろう。

 咲月は、ずっとこらえていたため息を小さく吐き出し、カバンを肩から下げた。


 白いハンカチに滲む赤い血を手で隠しながら、案内された部屋は……

 「大広間?」

 旅館などにある、宴会に使うような広い畳敷きの部屋だ。


 まさか、皆で雑魚寝などということは――もちろん、ない。

 亜梨沙は梅の間、亜梨沙の両親は富士の間と、立派に名前のついた客室に通されていた。

 おそらくこんな部屋に通されたのは咲月だけだろう。


 宿の職員は、怪訝な顔をしていた。

 「お食事は皆さん揃ってここでお摂りになると伺っておりますが……」

 咲月の荷物を運んでくれた仲居さんが不審そうに咲月を見る。その視線は、咲月の腕の傷に向けられている。

 「ちょっと、自分の不注意で切ってしまって……。大した傷ではありませんから、ご心配なく」

 宿の玄関先で、咲月は笑って言ったが……。ハンカチに滲む血の量は、正直それで素直に納得してもらうには難しい程だった。

 これは、風呂は諦めるしかないだろう。

 金庫もないこんな場所に、無用心に荷物を置いて離れるわけにもいかない。


 どうやら亜梨沙たちが本日一番乗りだったようで、大部屋はしんと静まり返っている。

 咲月は部屋の隅に蹲り、これまで溜め込んでいたものを一気に吐き出すように大きくため息をついた。


 少しずつ、少しずつ、時を追うごとに館内がだんだんと騒がしくなってくる。

 やって来た者たちがとる行動は、概ね部屋に通され、一息ついたところでまずはひとっ風呂浴びてくるか、と浴衣に着替えて大浴場へ向かう。

 咲月のいる大広間は一階にあり、そのすぐ奥が大浴場のある半地下への階段になっていて、誰もがその前を通って行くのだ。

 その際、大広間に視線を投げるものも少なからず居た。

 ある者はギョッとし、ある者は蔑みの目を向け、またある者は裏目しげな眼差しで咲月を睨みつけた。

 ふすまを全て閉じてしまいたいところだが、残念なことに仲居さんたちは夕食の準備で大忙しだ。

 大広間にいくつも膳を並べ、座布団を敷き――そして時折邪魔そうに咲月をちらりと眺める。


 咲月とて、席を外したいのは山々だが、他に行くあてもない。

 居場所のない、居心地の悪さ。ほんの半年ばかり前までは当たり前だった空気に、一気に時間が巻き戻ってしまったかのような錯覚を起こしそうになる。

 (――もし、そうなら……)

 本当に時が巻き戻るなら。――もう一度やり直しがきくなら、今ならもっと早く、葉月の命が危うくなる前に紅狼を追い返す事ができるはずで。

 もしそうなら、このくらいいくらでも耐えよう。……そう、思うのに。

 

 「ねえ、ちょっと来てくれない?」

 大広間に一人で居る咲月を遠巻きに眺める大人たちに対し、わざわざ部屋の中までやって来た彼女を見て、咲月はうんざりしてしまった。

 確か、彼女は亜梨沙と仲の良い彼女の従妹だったはず。

 大人たちの目がある中、無下にする事もできず、咲月は立ち上がった。

 荷物を置いていくのは心配だが、まあ幸い今は仲居さんの出入りが多いから、逆に安心かもしれない。

 そう思うことにして、咲月は渋々彼女の後に従った。

 そうして連れて行かれたのは、二階から三階へ続く階段の踊り場だった。

 1階は大広間と大浴場、2階は卓球やゲームコーナーなど共有スペースになっており、客室は3階より上、エレベーターも完備されており、折れ上げタイプの階段に他に人気はない。


 そんな場所で待っていたのが亜梨沙と、仲の良かったその従妹、それに他にも数人、同年代の者らが集まっていれば、何を目的に連れてこられたのかは容易に察せられた。

 クスクスと、嫌な笑いが満ちる。

 「うーん、やれるのは嬉しいんだけどさ。流石にお前らに見られながらって、いまいちのらないんだけど」

 女が四人、男が二人。

 その中の男の一人が頭をかきながら眉をひそめた。

 「そう? 俺はこういうの嫌いじゃないけど」

 もう一人の男が、嫌な目つきで無遠慮に咲月をとっくりと眺め回しながら言った。

 「むしろ素じゃこんな女、相手にしても面白くないだろ」

 彼の下品な言葉に、しかし周りの少女たちは眉をひそめるどころかクスクスと笑みを浮かべる。


 叩かれたり、罵声を浴びせられる――。それは覚悟していたけれど。

 今の咲月が、決して受け入れる事の出来ないような事を、彼らは咲月に対し行おうとしている――。

 そうと気づいた咲月は、反射的に逃げ場を探して視線を投げる。

 ――が。

 「あ、逃げるなよ?」

 いまいち乗り気でなかった様子だった男が、不意に咲月の両脇に腕を差し込み、そのままガッチリと捕まえた。

 「お、いいね! そのまま押さえとけよ」

 

 相手は、非力な女一人。背後から咲月を捕まえている男はそう思って油断しているのだろう。

 稲穂様を相手に様々な武術を叩き込まれてきた咲月にとって、それは拘束のうちに入らない。

 これが、他のことだったら後々の事を考え大人しくしていただろうが……これだけは、黙っているわけにはいかなかった。


 彼以外の男に触れられるなど、到底許容できない。


 咲月は、男の足を力いっぱい踏みつけた。

 「痛!」

 情けない悲鳴を上げる男の顎に、咲月は間髪いれずに頭突き食らわせた。

 たまらず両手で顎を押さえた男の腹に、そのまま肘鉄を叩き込んだ後、そのまま膝を勢いよく持ち上げ、ニヤニヤいやらしい笑みを浮かべる目の前の男の腹に膝の皿をめり込ませた。

 さして鍛えている風でもない柔な筋肉の感触。

 男たちは呻いて蹲った。


 「ちょっ、何やってるのよ」

 そんな男達に、少女たちは揃って非難をぶつけた。

 「女一人捕まえてられないの、お兄ちゃんてば」

 

 咲月は構わずその場から即座に逃げ出すべく踵を返そうとしたが……

 狭い踊り場の上、男たちを罵りながら少女たちが行く手を塞ぐ。

 不甲斐ない男達に取って代わり、少女たちが寄ってたかって咲月を押さえにかかる。


 もちろん、相手は非力な少女だ。振りほどくのは造作もないが……流石に男相手にするような全力での攻撃は躊躇われ、中途半端に暴れた咲月は、不意に身体のバランスを崩し、ふわりと身体が宙に浮いた。


 足元にあったはずの地面が、ない。

 いつの間にか踊り場の端の段を踏み外してしまったらしい。


 ――落ちる。


 咲月は覚悟した。

 幸い、階段の設計上そんなに高さはないし、床は絨毯になっている。死ぬことはまずないだろう。……が、骨折くらいは十分ありえる。

 ――と、思わず目を閉じた咲月の耳に、思わぬ声が届いた。


 「――咲月!」

 

 空耳だと、咲月は思った。

 (何、これ……。これが噂の走馬灯ってやつなわけ……? でも、だって流石に頭を変に打ち付けでもしない限り死ぬことは……ないはずで)


 けれど、覚悟した衝撃も痛みがやってくる前に、とさりと柔らかくてかたい何かが咲月の体を受け止め、そして力強く抱きしめた。

 

 「……さく……」

 咲月は驚きのあまり喉の奥に詰まって出てこない声で小さくその名を囁いた。

 「さく、み……? 本当に……?」

 「ああ、……遅くなって、ごめん。ただいま、咲月」

 「どうして、ここに……?」

 信じられない思いで手を彼の頬に伸ばしながら、咲月が尋ねた。

 

 「巫女姫殿から事情を聞いてね。――君を、迎えに来たんだ」 

 

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