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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第九章 Essential existence
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憂鬱な旅路

 口を開けばもう、ため息しか出てこない。

 珍しく、電車ではなくバスに揺られながら、咲月は窓の縁に肘をつき、頬杖をつきながら、流れていく景色をぼぉっと眺める。

 高速道路を行くバスの車窓から見える景色など、代わり映えのしない灰色に埋め尽くされている。

 ただでさえ重く暗い心を抱える咲月の目には、とてもつまらないものにしか見えなかった。


 バスの向かう先は、富士吉田。そこからバスを乗り換えて、向かう先は富士五湖のひとつ、山中湖だ。

 別荘やペンション、何より大学などの学校が持つ合宿施設などが多くあるそこは、言わずと知れた観光スポットだ。

 

 豊生神宮を出て一人暮らしを始めて、はや半月。……いや、たった半月しか経っていないのだ、アルバイトを始めてから。

 なのに早速3日も休んでは、先方からみた咲月の印象はさぞや悪かろう。

 高校生OKなアルバイトは、そう多くはない。ましてや、高校生であるべき年齢にもかかわらず高校生ではなく、しかも両親の居ない咲月でも雇ってくれるところは限られてくる。

 せっかく運良く2つも受かったというのに、初期研修もそこそこに放り出してこなければならないとは。

 ……つい、ため息が漏れる。


 そして目的地は、その山中湖にある温泉旅館。

 葉月に残してもらったお金があるとはいえ、まだアルバイトを始めたばかりの咲月は、本当に“自分のお金”だと主張できるようなお金など一銭たりとも持ち合わせていない。

 そんな中で、温泉旅行など当たり前だが思いつくわけがない。たとえ思いついてもまず実行などするはずもない。

 ――だというのに、こうしてバスに揺られている理由が、咲月が肩からさげたショルダーバックの中に押し込まれている。

 一通の、手紙。定形の茶封筒で届いた手紙の送り主は、養母の姉。――つまり亜梨沙の母親からだった。


 内容は、至って簡潔だった。

 ――親戚一同集まっての話し合いをしたいから、お前も来い、というのだ。

 呼ばれた“親戚一同”というのは、おそらく養父母が亡くなった後で、咲月の引き取り手の件で散々揉めた挙句にたらい回しを決めた、あの連中らの事であろう。

 あちらも咲月の顔など見たくもないだろうが、こちらもそれ以上にそんな針のむしろのような集まりに顔など出したいわけがない。

 ……それを思うとため息をつかずにはいられない。


 だが、このタイミングからして、亜梨沙があの後母親に何か言ったのに違いない。

 彼らが、面倒だと思いながらも咲月を完全に手放さなかったのは、養父母の遺産というおまけがついていたからだ。

 

 ――咲月を引き取った者に、彼女の養育費として財産の一部を分け与える。

 

 その遺言の下、今彼らの遺産は遺言を預かった弁護士が管理している。

 ……が、考えてみれば葉月はそれをどうしたのだろうか?

 当たり前だが、吸血鬼である彼が養父母の親戚のはずがない。

 いったいどうやって咲月を引き取る手はずを整えたのか知る由もないが、しかし改めて調べられることで、何か彼や彼の縁で世話になった豊生神宮の面々に迷惑をかけるような事態になってはいけないと、そう考えたら無視もしきれず、結局こうして指定の場所へ向かっている、という訳だ。

 

 一体、誰と誰が来るのだろう。それぞれ一家の主のみが来るならまだ良い。

 だが、少なくとも亜梨沙は来るだろう。先日の屈辱を晴らさんと、舌なめずりしている様が容易に想像できる。

 他にも娘や息子を持つ者も多い。

 咲月に関する話し合い、という事で養父母の遺産から捻出された宿泊費分が浮くとなれば、もしかすると少々季節はずれの感があるこの時期でも家族ごとやってくる者も居るかもしれない。

 それら全てをあしらわねばならないのだ。――慣れたこととはいえ、気分はやはり重たくなる。

 正直、このままいつまでもバスに乗っていたいと――このまま目的地に着かなければいいのにと思うが、こういう時に限って高速は空いていて、時間通りにバスは湖畔沿いの高速バスターミナルへ到着した。


 道路を挟んですぐ目の前が、もうすぐ湖だ。

 高速道路の灰色だらけの景色と違い、前には湖、後ろには雄大な富士山がそびえる綺麗な景色が広がるその光景に、しかし咲月はため息を吐いた。

 客観的に見れば綺麗な景色なのだろうことはわかる。湖面に浮かぶ、巨大な白鳥の遊覧船をぼぉっと見つめながらも、やはり主観的にはどうでもいいものにしか見えない。


 時計を見ると、ちょうど昼時。

 ――だいたいどこでも、旅館やホテルのチェックインは午後、早くとも1時、遅ければ3時くらいのところもある。

 (そういえば、詳しいこと何も聞いてこなかった……)

 かろうじて旅館の場所こそ地図が同封されていたが、それ以上のことを調べる気になどなれずに出てきてしまった。

 「……お昼を食べてから行こう」

 見ればバスターミナルのすぐ隣にファミレスがある。

 たとえ遅刻したとしても、どうせ聞き流すべき嫌味が一つ増えるだけ。

 なら、少しでも気分軽く美味しく食べられる時にしっかり食べて、辛い時間を耐えきる体力を養っておくべきだろう。

 そう考え、店の扉を押し開けた。


 平日ながら、昼時の店内は、レジ前に席が空くのを待つ客らがすでにたまっている。

 その面子の中に、ある顔を見つけ、咲月は自分の判断を大いに後悔した。

 開けた扉を即座に閉じ、回れ右をしよう――。

 ほとんど反射的に考え、体は即座にそれを実行に移そうとした。


 だが――

 「あら、どこへ行くの?」

 わざとらしい高い声を出したのは……よりにもよって亜梨沙だ。

 会いたくない面々は数居るが、今一番見たくない顔を一番に見る羽目になってしまうとは。

 「……混んでいるようだから、他へ行こうかと」

 無理やり愛想笑いを顔に張り付け、そのまま店を出ようとしたが――


 「ちょっと待ちなさい」

 刺の交じる声で咲月を呼び止めながら、亜梨沙は扉を押し開けた。

 「次、私たちの番なの。よかったら一緒にどうかしら? 私たちは3人だし、どの席に案内されたとしても、一人分席は余るでしょうからお店の迷惑にもならないだろうし」

 そう言いながらにっこり笑った。

 そう、とても楽しそうに笑う。

 ――良い獲物を見つけた捕食者の笑み。弱者をいたぶる強者の笑み。思わず舌なめずりでもしそうな笑み。


 既に、蜘蛛の糸に絡め取られてしまった以上、咲月に逃げるという選択肢は与えられていなかった。

 もしも無理にここで逃げても、どうせまた旅館で顔を合わせることになるのだ。

 今逃げれば、その再会後にもっと酷い仕打ちが待ち受けるだろう。

 少なくともここでは人の目がある。じっと耐え忍びさえすれば、そう酷い事にはなるまい。

 そう自らに言い聞かせ、咲月は店の扉をくぐった。


 ファミレスも、そう言えば久しぶりだ。元々滅多に来ないが、以前来たのはそう言えば……朔海と葉月と出かけたあの日以来だ。

 タイミングを見計らったように、名が呼ばれる。

 「エンドウ様――。3名様でお待ちのエンドウ様」

 ウェイトレスが紙に書かれた名前を読み上げる。

 「あ、はい。……すみません、ちょうど今知り合いにあって。4名でお願いしたいんですけど良いですか?」

 亜梨沙が尋ねる。

 店員は一瞬眉をつり上げかけたが、ちらりと店内に目線をやったあとで、営業スマイルを浮かべた。

 「はい、どうぞ。ではご案内いたします」

 先頭に立って歩くウェイトレスに、亜梨沙、亜梨沙の母、そして咲月の知らない男性が続き、その後ろを荷物を抱えながら咲月が続く。

 先頭の3人は、おそらく自家用車で来たのだろう、大きな荷物を持たず、小さなカバン一つだけを持って身軽でいるが、ショルダーバックの他に2泊分の荷物を詰めたカバンを肩から下げた咲月は、走り回る小さな子どもや、行き来する客や店員とすれ違うのに苦労しなければならなかった。

 けれど、この程度のことは序章にすらならない事は、これまでの経験上嫌というほど分かっている。

 しかも案内されたのはあろうことかテーブルを挟む両方の席がどちらもソファー席になったボックス席。

 ――せめて、椅子ならばまだ少しはマシだったのに、と、彼女に罪はないことを知りながらも、案内したウェイトレスを恨めしく思ってしまう。


 「お母さんは奥でいい? お養父さんもそっちでいいよね?」

 亜梨沙が尋ね、それで咲月は初対面の男性の正体を察した。――亜梨沙の母の、再婚相手であるらしい。

 四十後半か、五十代くらいだろうか? 少なくとも、かつての亜梨沙の実父よりは明らかに年嵩に見える、恰幅のいい――というかぶっちゃけたるんだ中年男。

 見た目だけを言えば、いったい何処に惹かれたのか全く分からない、脂ぎった顔に浮かぶのは、金持ちが貧乏人を見下すとき特有の侮蔑の眼差しだ。

 「私は奥に座るわ」

 亜梨沙は、さっさとソファーの奥へ座り、メニューを開いた。

 「夕食は懐石料理を頼んだの。せっかくだし、お昼は軽めがいいわね」

 母親は、娘の開いたメニューを向かいから覗き込み、パスタのページを眺めた。

 「そうか? 俺はやっぱりこういう方がいいな」

 と、迷わず肉を選んだ亜梨沙の養父は、メニューを亜梨沙の母に渡した。

 亜梨沙は、メニューを独り占めしたまま、「私、これに決めた」と、何がしかの写真を指差し、母親に見せる。

 「そうね……、私も同じのにしようかしら」

 「じゃあ、決まりね」

 亜梨沙は当たり前のように調味料やペーパースタンドと共にまとめて置かれたベルを鳴らした。


 咲月は、メニューの一切を見ていない、というのに。


 ちょうど二つ向こうのテーブルに料理を運んできたウェイターがすぐさまやって来る。

 「お待たせいたしました、ご注文をお伺いいたします」

 「俺はとんかつ――ああ、これね」

 メニューの写真を指しながら、まずは亜梨沙の養父が注文を告げた。

 「それから……、私はこれ、オムライス、ドリンクバー付きで。……って、お母さんもこれなんだよね、えっと、オムライス2つと……お母さん、飲み物は要る?」

 亜梨沙の問いに彼女は頷き、亜梨沙は、続けて養父にも尋ねた。

 「じゃあ、ドリンクバー3つ」

 彼が頷いたのを見て、亜梨沙は店員に告げると、メニューを畳んでしまう。

 店員は、当然まだ注文を告げていない咲月を見る。

 咲月は、ついため息をつきたくなるのを堪えながら注文を告げた。

 「――日替わりランチを」

 一切メニューを見ていない咲月は、店の入口、レジ横に書かれていた『本日の日替わりメニュー』と書かれていたそれを思い出し、告げる。

 「パンとライスはどちらになさいますか?」

 尋ねられ、咲月は一瞬迷った。好みを言えば、断然ライスなのだけれど、現状を鑑みて、ライスは――得策ではないと判断し、パンを選んだ。

 「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

 亜梨沙が代表のように頷く。

 「ドリンクバーのグラスと、ランチのスープはあちらにございますので、ご自由にお取りください」

 店員が引き上げると、早速のように亜梨沙は横柄な態度で咲月に命じた。

 「私、アイスティーがいいわ。――お母さんと、お養父さんはどうする?」

 「私はアイスコーヒー」

 「俺もコーヒーがいいな、冷たいやつ」

 「あなた、スープを取りに行くんでしょ? もちろん、ついでに持ってきてくれるわよね?」

 注文時、咲月から思ったような反応を得られなかったのが不満なのだろう、やや不機嫌そうに亜梨沙が言った。

 いわゆるパシリにされるだろうことは、とっくに覚悟していた咲月は、「分かりました」と、簡潔に応え、席を立った。

 ――が。

 「待ちなさい」

 ドリンクバーコーナへ向かおうとした咲月を、亜梨沙が引き止めた。

 「カバン、邪魔になるでしょう? 見ていてあげるから置いていったらどう?」


 こんな場面で、私物から目を離せばどうなるか。……結果が目に見えているからこそ、当然咲月はショルダーバックをしっかり肩からかけて席を立っていた。

 ……流石に泊まりの荷物が入ったカバンは床に置いたままだが――

 「大丈夫です」

 その答えが、亜梨沙が望むものではなく、むしろより場の状況を悪くすると知っていながら、しかし咲月はそう答えを返した。

 あの、大荷物を入れたカバンとて、本当は置いていきたくはない。けれど流石にあの荷物を抱えていくつもグラスを運ぶのは無理だ。

 葉月が残してくれたお金で購入した、大事なカバン。亜梨沙などにダメにされるだろうことが分かっていながら置いていかなければならないのは実に心苦しい。


 ――せめて、この朔海が選んでくれたカバンだけは、どうしても死守しくて、咲月はそう答え、今度こそドリンクバーへ向かった。

 スープ窯の脇に、小さなプレートを見つけ、咲月はそれにグラスを6つ並べ、出来うる限り素早く注文通りのドリンクと冷水を注ぎ、最期に自分のスープを取って戻る。

 ちょうど、今のこの場所の角度からだと、彼女の座るテーブル席の下の様子が目に入る。

 “つい”の過失を装うように、カバンを蹴り倒し、靴で踏みつける様子が見て取れる。


 ――亜梨沙は、特別な力もないただの人間。あれから3ヶ月半、修行を積み、少しずつでも着実に力を積み重ねる咲月にとっては敵にすらならない相手だ。

 だがしかし、咲月にとって盾となるはずだった人目が、今は逆に裏目に出ている。

 他人様のテーブルの下の事情など、誰も気にするはずがない。こんなことで一々騒げば、こちらの方が白い目でみられてしまうだろう。

 咲月は、悔しさを押し込め、耐えるしかなかった。


 亜梨沙の行為を見て見ぬフリをしながら、咲月はドリンクを各々に配る。すると、間髪いれずに、亜梨沙がクレームを入れる。

 「何これ。何でこんなに氷入れてるわけ? こんなんじゃほとんど飲む分がないじゃない! 氷が溶ければ今度は薄くなるよ、これ! ……入れ直してきなさいよ」

 グラスの四分の一程度の氷で、クレーム。事前の注文があったわけでもなくこれでは、クレーマーだ。それも、いわゆる“モンスター”というやつだ。

 無論、あちらはそれを分かってやっていて、この状況を楽しんでいるのだ。

 娘が、堂々と人を虐めるのを目の前にしながら、彼女の両親は涼しい顔のままだ。

 仕方なく、咲月は再びドリンクコーナーへ足を向ける――と、しばらくしてけたたましい音が後ろで響いた。


 「お客様、大丈夫ですか?」

 すぐさま店員が駆けつけたのは、やはり予想通り亜梨沙の居るテーブルだった。

 振り返ると、テーブルやソファーに白い破片が飛び散り、流れた液体がポタポタとテーブルから滴り、ソファや床、そして案の定咲月の荷物を汚していた。


 ……亜梨沙が、咲月のスープカップを倒したのだ。おそらく、というかほぼ間違いなく故意に。

 水やお茶ならともかく、熱い、具入りのスープ。……これは、匂いがつく。それもカバンだけでなく中身にも被害は及んでいるに違いない。

 あまりに予想通りの展開に、これから先の3日間にかかる暗雲がさらに重さを増して咲月の心を覆い尽くしていく。

 

 悔しさを噛み締めながら、咲月は彼の名を小さく呟いた。

 「朔海……」


 ――お願いだから、早く戻ってきて。 

 

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