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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第八章 Beginning of trial
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暗雲

 ――あれから、もうじき1週間が過ぎる。

 

 明日は、七夕祭りの本番だ。

 拝殿の前の広場に飾った笹竹は、稲穂の予言通り、色とりどりの短冊や七夕飾りが所狭しとひしめき、随分と賑やかな様子になっている。

 的屋の屋台も着々と組み立てられ、発電機やその他もろもろの機材を運び込む軽トラックがひっきり無しに麓の道を行き来している。

 天気予報によれば、明日はよく晴れるようだから、ここも相当賑わうのに違いない。


 咲月は修行と修行、仕事と仕事の合間を縫って、明日の屋台のための見本用の腕輪の制作に励んでいた。

 日々課せられるそれに、身体も心も確実に疲弊していた。

 まだ若いから、一晩眠れば朝にはある程度は回復できるけれど、毎日休みなく続けられるそれが、徐々に徐々に澱のように疲労を蓄積させていく。

 それでも、これは、咲月が自分で望んだことだから、まだ耐えられる。


 けれど――。

 (いつまでかかるか分からない、……そう、聞いてはいたけれど)

 ここへ来てからというもの、一向に、一切の連絡がない。彼が今どうしているのか、全く分からないまま、もう1週間が過ぎようとしている。

 いつまでかかるか分からない、そう確かに聞いていたし、分かっていたつもりだった。

 しかし、葉月を失った今、咲月にとって一番気がかりな事は、朔海の安否だ。

 もしも、決定的な何かがあったとしたら、そう連絡が来るはず。だから、連絡のない今はまだ彼が無事である証拠。そう、自分に言い聞かせるが……。

 少しずつ降り積もっていく不安の種は、幾度寝ても、何をしていても減る事はなく、どんどんとその嵩を増していくばかり。

 

 日々、少しずつ少しずつ重たくなっていく心の疲労。今はまだ、何とか耐えられる範囲内に収まっているけれど、いつまで保つやら咲月にも分からなかった。


 箱に、ぎっしり詰まった幾種もの石を指で探り、つまんでは細いテグス糸に通していく。

 ガーネットは、一月の誕生石。地道な努力により理想の状態を得る助けとなる石。

 アメシストは二月の誕生石。冷静な決断力を得ることができる助けとされる石。

 アクアマリンは三月の誕生石。充実した人間関係を築く助けとされる石……。


 一つ一つ、石の種類とそれに付随する情報を確かめ、授業のおさらいをしながら、一つ一つ、丁寧に仕上げていく。


 「すごい。早いし綺麗だし……」

 今日も授与所の売り子をしていた竜姫が、横からそれを眺めて感嘆の声を上げる。

 「これは、あなたに頼んで正解だったわね」

 短冊や七夕飾りを求める客の列が途絶えた隙を見計らい、昼食を持ってきた晃希も興味津々に完成品を手に取った。

 「ああ、それに石を選ぶセンスも悪くない。凄いな、教えた事全部、きちんと理解して覚えて、確実に実践に耐えられる実力が身に付いてる」

 「うむ。これなら売上も期待できそうだ」

 稲穂が満足そうに頷いた。

 「もしも評判が良さそうなら夏祭りも頼もうか。目標金額を売り上げたら、……そうだな、何でも一つこの稲穂様が願いを叶えてやろう」

 勿論、できる範囲でだがな、と冗談交じりに笑いながら、彼女は言った。


 だけど。――咲月の願いなど、ただ一つしかない。ただ、朔海の無事を願い、一日も早く彼の顔が見たい。……それ以上の願いなど、今の咲月には考えられなかった。

 けれど、それは稲穂の管轄外の願いであろう。

 他にも、葉月の死を無かったことにして欲しいとか、明らかに大それた、願うべきではない望みばかりが思い浮かぶ。

 願いなら、既に叶えてもらっているというのに。

 ――力が欲しいと望んだ咲月に、日々それを与えてくれているのに。


 他に、何を望むことがあるのだろうか。

 心の中で、そう思いながらも、咲月は微かな笑みを浮かべて答えた。

 「ご期待に添えるよう、頑張ります」

 せめて、目の前のこなすべき事柄に意識を集中させておかなければ、あっという間に心の重みに押し潰されてしまいそうだから。

 咲月にとって、一つ目標を掲げられ、そこへ向けて頑張る、というのは有難い事ではある。

 実際、出店の売り子をするのが楽しみである事は変わりない。


 午後には、境内の飾り付けに村のとび職の男性陣が来る予定になっているし、この後は咲月も自分の店の仕上げを手伝いに行かねばならない。

 徐々に徐々に高まってくる、祭りならではの雰囲気に浮かれる空気。

 手にした腕輪がまた一つ完成する。


 サラサラと、風が笹を揺らし、笹に下がる飾りがかさりかさりと音を立てる。

 明日の夜には綺麗にライトアップされる予定のそれを見上げながら、空を見る。――今のところ天気予報通りよく晴れている。


 (――大丈夫。きっと、すぐ戻ってきてくれるはず。そう、あと少し、あともう少し待てば)

 楽しい時はあっという間に過ぎ去るのに、こうして、ジリジリと待ち続ける時間というのは得てして長く感じてしまうものなのだ。

 まだ、1週間なのだ。きっと、今月中には迎えに来てくれるはず――。

 咲月は自分にそう言い聞かせ、立ち上がった。

 「あの、商工会の方に呼ばれているので、行ってきます」

 稲穂たちに軽く頭を下げ、咲月は麓へ向かう参道の階段を駆け下りた。



 ――だが。咲月の期待と願いとは裏腹に、七夕祭りが終わっても、夏祭りが過ぎても、彼からの連絡は一切入っては来なかった。



 「いらっしゃいませ、どんなものをお望みですか?」

 七夕でも、夏祭りでも、咲月の店は大好評で、売上目標を大幅に上回る利益を上げた。

 気をよくした稲穂の鶴の一声で、手伝いだけのはずの町の盆踊り大会でも三度みたび出店をやる事になった咲月は、折りたたみ椅子から立ち上がり、営業スマイルを無理やり貼り付けながら、店の前に並ぶ色とりどりの石を覗き込む客に声をかけた。

 「それはもちろん、恋愛成就のお守りで! ……片思いの男の子が居るの。彼を振り向かせたいのよ!」

 ぴょんぴょんと、目線より若干高めのそれらを目を輝かせつつ指差して、彼女は元気よく答えた。

 「こら、美姫みき、危ないからあんまり飛び跳ねるな」

 その隣で、連れの男性が苦言を呈した。

 見覚えのある2人に、咲月は慌てて頭を下げる。

 「こんばんは。……いらしていたんですね。今晩は神社の方へ?」

 尋ねた咲月に、彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。

 「ああ、もうしばらく子ども達と屋台を楽しんだら、ね」

 白崎誠人。竜姫の従兄だと以前紹介された彼は、飛び跳ねる娘の肩に手を置き、彼女の動きを制しながら、並べられた石に視線を落とす。

 「それにしても、本当に色々種類があるものなんだな……。君はこれ、名前やら何やら全部覚えたの?」

 感心した風に尋ねられ、咲月は頷いた。

 「色々、大変だったんじゃない? まあ、今となってはいい思い出……と言えなくもないけど。実際大変だったからなぁ」

 彼は少し遠い目をしながら苦笑する。

 

 ――あれからもう二月近くが経つ。修行は……師匠方の評価の方はまあ上々であるが――。

 「でも、やっぱり少しでも早く、もっと力が欲しいと思うから。大変とか、そんなのは大したことじゃないんです」

 修行を始めて二月。初めこそ慣れない運動や勉強に心身の疲労が大いに溜まったものだが、今では大分慣れ、修行内容もどんどんレベルアップしつつある。

 

 だから、心に覆いかぶさるこの重たい気持ちは、そのせいではない。

 あれから一度も連絡のない朔海を憂う心労は、全く晴れないまま、積もりに積もり、山のように連なった暗い気持ちが、咲月を焦らせる。


 ここへ来た当初は頻繁に訪れたあちらからの厄介者達も、目的の葉月が失われた今、咲月など彼らにとっては興味のない存在となったのだろう、最近では滅多にやって来ることもなくなった。

 

 誠人の娘の注文に沿う石を透明なシャーレに選び取り、それらをテグスに通していく。

 ――店番は、とても楽しかった。

 一つ一つ、パチンコ玉サイズの天然石が連なり、実際に形になる。石の効能など、興味津々に聞き入る客も多く、カップルで買い求める者も少なくない。

 実際、一番人気はやはり恋愛関連の願いをこめたアクセサリーだ。

 楽しそうに石を選び、それが形になる様を眺める人々の笑顔を見るのは、咲月にとっても楽しかった。

 こんな風に、普通に、気軽に他人と会話を交わし、交流する機会など初めてに等しい咲月にとっては新鮮な体験でもある。

 ――けれど、そんな中でふと思ってしまうのだ。……彼も居れば、と。


 入れ替わり立ち代り、晃希や竜姫、稲穂や清士が様子を見に来てはくれるけれど。――やはり、肝心な人の姿がない、という事実が、暖かな心に寒風を吹き込む。


 ほんの僅かに陰った咲月の表情を、誠人は見逃さず、気遣わしげな表情を浮かべた。

 「……じゃあ、まだ連絡はないんだね?」

 黙って小さく頷く咲月に、誠人は困った顔になる。

 「そうか……。なんの力にもなれない僕がつまらない気休めなんか言っても、大した意味もないだろうけど。……あまり、気を落とさないで。きっと、そのうち連絡があるさ」

 「はい、ありがとうございます」

 本当に、彼らはとても暖かい。優しい言葉をくれる彼に、咲月は少し表情を緩めて礼を言った。


 と、その横から新たな声が割り込んだ。

 「……あら、どうも見覚えがある顔だと思ったら。アンタもしかして……」

 またしても、聞き覚えのある声だった。


 ――できる事ならもう二度と聞きたくなかった声。……もう二度と聞くことはないだろうと思っていた声。

 顔を上げれば、やはり見覚えのある顔が、そこにあった。

 「誰? 知り合い?」

 彼女の連れらしい同年代の男が怪訝な顔をして尋ねた。


 「いいえ。……彼女は呪わしい疫病神。身寄りのない可哀想な彼女を引き取った親切な家に、次から次へと不幸を呼び込む、恩知らずよ」

 

 

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