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Need of Your Heart's Blood 1  作者: 彩世 幻夜
第八章 Beginning of trial
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清士の問いと咲月の答え

 ――決して、それは嫌いなものではない。むしろどちらかといえば好きなものだ。

 しかも今は、かなり差し迫った事情も手伝って、やる気も十分にあった――はずだった。


 だが、どんなに好きなものでも、どれだけ意欲があったとしても、目の前に山と積まれた本の内容をただひたすらに暗記し続ける、という単純作業を延々と続けるという事が、こうも精神的疲労を募らせるものだったのかと、咲月は思わずため息を吐いた。


 いつの間にか太陽は随分と西へ傾き、空が徐々に赤く染まり始めている。

 もうすぐ七夕。夏至を過ぎて間もない今の時期を考えればおそらく5時を過ぎた頃だろう。

 「今日はここまで」と、ようやくのお許しを得て、咲月は次の修行の場へと一人山道を歩きながらそれを見上げ、もう一度ため息を吐いた。

 もう、正直なところ身体も精神もボロボロだ。さっさと布団にでも入って休みたい、という思いが無いわけではない。


 けれど、今日最後の授業について、晃希はこう言った。

 「あいつは一応“元”がつくとはいえ天使だからな。それも永いこと魔物退治ばかりしてきた奴だ。多分、今君が一番欲しいと思っているだろう知識と力を持っているのも、今ここでは多分奴だろうと俺は思う」

 

 ――葉月の命を狙ってやって来た紅狼を筆頭にした彼らは魔物だ。それに対する力こそ、咲月が今一番欲する力。

 それを教えて貰えると言うならば、当然、疲れただのと言っている場合ではない。

 だから、咲月は彼が居ると言われた場所へ続く山道をゆっくりと歩いて登って行く。


 本当に、この山がまるまる一つ全部が神域で、つまり神社の敷地なのだ。

 この道を辿れるのは、社に住まう者たち以外には動物と、彼らが許しを与えた無害なモノノケたちのみ。

 下草や小枝などの手入れはされ、きちんと道にはなっているものの、拝殿までの整えられた参道とはまるで違う山道。

 今はただ歩いているだけなのに、足腰にかかる負担は相応にある。

 朝方のあれで疲れた咲月の足腰にはかなり厳しく辛い道のり。


 だから、少し拓けたその場所に、彼の姿を見留めた咲月は、ホッとため息を吐いた。

 彼は木の幹に背を預け腕を組んだまま虚空をぼぅっと眺めながら佇んでいた。

 

 咲月の気配に気づいたのか、視線だけこちらへ寄越した。

 「――来たか」

 一言、短く呟くと、彼は木に預けていた分の体重も合わせてしっかと両足で大地を踏みしめながら、パサリと翼を広げた。


 そして、その蒼い瞳でじっと咲月を見下ろす。ふとすると、酷薄そうにも見える綺麗な蒼い瞳に射竦められ、咲月は無意識に身体を強ばらせた。


 「……ふん、たった一日で随分な有り様だな?」

 彼は首を僅かに横へ傾け、口元に小馬鹿にするような微笑を浮かべる。

 反論の余地のないそれに、咲月は「す、すみません……」と、項垂れた。

 「そんな様子では、とてもではないが魔物と対峙させるわけにはいかぬぞ」

 カァ、と、頭上でカラスが鳴いた。

 「魔のものと一度でも相対したならば、良く分かっておろう? 奴らと渡り合うのに一番必要となるものが何なのか」

 清士は、表情こそ嘲笑のままながら、真剣な目で咲月を見る。

 「奴らにとっては力が全てだ。例え神の力、聖なる力という、奴らと対するのに有利な力を有していたとしても、それだけでは足りぬのだ」

 清士は、面白くなさそうにフイとそっぽを向き、口を尖らせた。

 「事実、我はただの一度たりとも兄に勝てた試しがない」

 「お兄さん……?」

 「そうだ。我にはサハリエルという名の兄が居たのだ。同じ卵から生まれた双子の兄は、はるか昔に堕天使に堕ち、我はその討伐の命を受けて、幾度か奴と刃を交えたが……奴の圧倒的な魔力の前に、我はほとんど何もできなかった。――そして、今もなお……」

 一瞬、悔しげな表情を浮かべながら彼は語尾を濁した。それを振り払うように、左右に首を振り、大きく一つため息を吐いて、清士は改めて咲月へ向き直る。

 

 そして、ぬっと人差し指を突き出し、コツンと咲月の額を突いた。

 すると、その一点からふわりと暖かな光が全身を包み、キラキラ光る光の粒子がすうっと咲月の身体から疲労と、疲労による身体の痛みやだるさを拭い去った。

 「あ……」

 彼の指先が触れた所を咲月は両手で探るようにそっと触れながら、一気に軽くなった身体に驚く。……これは、魔術?


 「言っておくが、これは我が天使であるからこそ使える術。他の誰も……かつての我が同僚たちを除けば、晃希ですら使えぬ術だ。当然、お前には使えぬ」

 「天使だから……」

 「そうだ。……我はかつて、兄を追いながら、立ち塞がる邪魔な魔物を幾度となく切り捨ててきた。――かの高名なミカエル様より賜りし神剣の御力を以てして、な」

 驚きに、咲月は目を見張る。……どんなにその手の話に疎いものでも、その名を知らぬものはそうは居るまい、という超有名な天使の名。

 「他に並び立つもののない、その強大な御力のご加護と、かの偉大なる我らが神の力を持ったそれを振るえば、殆どの魔物は瞬時に塵と化した。……そう、我が兄を除けば、な」


 清士は、そう言いながらおもむろに、何もない宙空からひと振りの光り輝く剣を取り出した。

 「……これは、我が天使たる力を具現化した聖剣だ。――かつて有していたかの神剣には遠く及ばぬが――それでも、一応聖なる力を有した聖具だからな。この辺りの有象無象の魑魅魍魎くらいならば、軽くひと薙ぎすれば瞬時に浄化してしまえる」

 言いながら、頭上の木に向けて剣を振り切った。

 ガァ、と濁った悲鳴を上げ、真っ黒い鳥が木の上から転げ落ちる。――カラスだと、思っていたのだが、よく見ればカラスにしては少々図体が大きすぎる。

 「……羅刹鳥、だな。他者の姿を借り、人家に入り込む悪鬼だ」

 落下しながら、ボロボロとその形を崩し、塵と化していくそれを睨みながら、清士はそう断じた。

 

 「――だが、これは我が力あっての事。……我が扱う破魔の術は全て、我らが神の力を基盤とする聖なる力を用いたもの。我が扱う術を、お前に教えることは不可能だ」

 清士は、剣を再び宙空へと消し去ると、素っ気なくそう言った。

 「不可能……」

 咲月は、胸の前で片手の拳をきつく握り締め、思わず俯いた。その術こそ、咲月が今一番欲するものであるというのに。

 「しかし、だ」

 そんな咲月の様子を見下ろしながら、清士は再び口元に淡く嘲笑を浮かべた。

 「我は、生まれてから今までの生において、、気の遠くなるほど永い時を、魔物との闘いに費やしてきた。その中で相対した魔物の種類は数知れず。その中で培ってきた知識と経験を、お前に渡してやることは可能だ」

 清士は腕を組みながら、咲月を見下ろす。

 「見たところ、お前から僅かながら破魔の気を感じる。それが、どの程度使えるものかは、我もこれから実際に見ていかねば分からぬが……。ある程度の知識と共に鍛えれば、最低限の自衛くらいは可能だろう」

 「最低限の、自衛……」

 「そうだ。……お前は、どんなに力を持とうとも、結局はただの人間だ。――少なくとも、今は、な。非力な人間の心身で、魔物どもとまともにやりあおうなど、正気の沙汰ではない。それを生業とする者たちですら、何年もの厳しい修行を重ねるのが当たり前なのだ。にわか仕込みの術で高位の魔物と相対すれば……断言してもいい、お前など一瞬でそいつの餌食となるだろう」

 清士は、冷たく見える眼差しで厳しい言葉を並べる。

 「もしも、自衛以上の力をお前が望むのであれば、我はお前に一切を教える事はない」


 きっぱりと、断言され、咲月は息を詰めた。

 (私が、欲しい力は……)

 自分が、必要としている力は何だろう? 

 

 葉月が、紅狼と相対するために、その命を懸けた。足りない力を補うため、命を費やした。――何もできない咲月を、守るために。

 力が全てである魔界の“魔物”を相手に、二度と再びそのような事にならないように。……そんな理由で彼を――朔海を失いたくはないから、今、咲月は力を欲している。

 それは……、どの程度の力があれば良いものなのだろうか?


 弱肉強食、というからにはあればあるほど良いもののようにも思うが……。


 思い悩む咲月に、清士はため息を吐きつつ、再び口を開いた。

 「……お前が、ただの人間であり続けるならば、我が教えるそれは最低限の自衛を可能とする程度のものだ。だが、この先、お前が新たな力を手にした時、それはお前次第でそれ以上のものに昇華させることは不可能ではない」

 少し、複雑そうな表情で彼は言った。

 「我の立場からすれば、自ら魔物へ堕ちようとするなど、到底奨励できはしないが……。お前には、お前を守るべき者が居るのだろう? ならば、剣となる役目はそやつに任せて、お前は大人しく守られていれば良い。最低限、足手纏いにならぬ程度に自衛する術さえ身につければ、それで充分ではないのか?」


 だが、咲月はその言葉に思わず首を横に振っていた。

 「……何もできず、ただ守られているだけなのは、もう嫌なんです。別に、自ら剣を持って先陣切りたいわけじゃない。でも、何もしないでただ彼の背中を見てるだけなのは絶対に嫌。……私は、……私は彼の隣に立っていたいんです」

 そのための力が欲しい。

 一方的に守られるだけではなく、自分も朔海を守れる力が欲しい。だがそれは、“自衛以上”の力……という事になってしまうのだろうか。――過ぎたる力が禍となる、その理屈も理解出来るだけに、咲月はそろそろと清士の冷たい瞳を見上げた。


 「……言ったはずだ。そのためには、俄仕込みの技では耐えられない。本当に、それだけの力が欲しいと思うのならば、当然お前はそれに足るだけの対価を支払わねばならん。本当なら、数年かけて支払うべきものを、数十分の一にも満たぬ時間の中で支払わねばならん。――それでも良いと、それに耐える覚悟がお前にあるならば、……良いだろう、容赦なく鍛えてやろう」

 だが、と、それまでよりさらに温度を下げた零下の眼差しで清士は鋭く咲月を睨む。

 「その覚悟がないならば。……もしも途中で投げ出すようならば、その時点で我はお前にそれを教える事をやめる。それを踏まえたうえで、尚、力を望むか?」


 その場限りのいい加減な答えを許されない場の雰囲気の中、咲月は両手を握り締めた。

 たった今、彼に癒してもらったからこそ軽い身体だが、つい先ほどまでの重たく痛んだ身体を思えば、全く怯まず頷くのは無理だった。

 だけど咲月にとってそれは、何をおしても手に入れたいものだったから。


 不安を飲み込み、まっすぐ彼を見上げて、そして頷いた。


 夕日が、ゆっくりと山の向こうへ沈み、東の空には星がぽつぽつと浮かび始めるなかで、清士はニヤリと嫌味な笑いを浮かべた。

 「そうか。……ならばその覚悟、とくと試させて貰うとしようか」


 

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