豊生神宮の愉快な仲間たち
晃希は、拝殿の裏からさらに山の上へ行く小道を、「関係者以外立ち入り禁止」の札を横目に登っていく。咲月もそれについていくが、この拝殿までの道と違い、手入れは行き届いているものの、山道そのものの小道は、傾斜もきつく、流石に疲れを隠せない足腰にはなかなかきつい。
少し呼吸を乱しながら歩くこと数分。
下の拝殿の屋根を見下ろせる場所に建つ二階建ての住宅と、平屋建ての大きな建物。
そして、その平屋建ての建物の前に、一人の男性が佇んでいるのを見つけ、咲月は失礼と分かっていながら思わずその彼を凝視してしまった。
キラキラ輝く美しい金髪。美しい蒼い瞳も、もちろん目を惹くのだが、それ以上に気になるのは、彼の頭の上に浮かぶ輪っかと、背中に背負った白い翼。
――それは、天使、と言われて大半の人間が思い浮かべるだろうそのままの姿をしていた。
ただ、服装だけは目の前を行く晃希と同様、神社の神職らしい袴姿ではあるが……しかし。
その腕に抱かれた、小さな子ども。この間の瑠羽よりも幼い、まだ乳児と言っていい年頃の赤ん坊をあやしながら、じろりと睨まれ、咲月は焦る。
何か、自分でも気づかぬうちに粗相をしただろうか?
(……、って、そうだよね。ジロジロ見るのはマナー違反だよね)
謝らねば、と、慌てて口を開こうとしたが、それより早く不機嫌そうな声音が響いた。
「……では、お前が新たな同居人、というわけだな?」
背の高い彼は、ふん、とこちらを不機嫌そうに見下ろした。
「はい、あの、すみません、……私、咲月と申します。よ、よろしくお願いします」
やはり、機嫌を損ねてしまったらしい。咲月は慌てて謝罪しながら、今日3度目の自己紹介をする。
「こら清士、初対面の相手をお前呼ばわりするんじゃない。……悪いな、こいつは清士。俺と同じ、狛犬で……まあ、見たら何となく察しがつくだろうけど、元は天使で――」
呆れたように晃希は彼の態度に意見しつつ、咲月に彼の名を教えてくれるのを、だが彼は途中で遮った。
「元、ではない。今でも我は天使だ。……ただ、兼業で狛犬もやっている。それだけだ」
ふん、と不機嫌そうにそっぽを向きながらそう反論する。
……だが、咲月の記憶が正しければ、キリスト教というのはかなり厳格な唯一神信仰の宗教であり、日本の神社で祀られるような神は彼らからすれば『邪教の神』。ヘタをすれば悪魔や魔物扱いされる場合もあるはずだというのに、それに仕える役割であるはずの狛犬を兼業する、というのはどうなのだろう?
と、いうか。……彼は本当に天使なのか。そういえば、そんな話を稲穂様がしていた覚えがある。
だが、見ると聞くとは大違い、とはまさにこの事だろう。古風な造りの和風建築を背景に立つ、袴姿の天使が赤ん坊を抱える光景なぞ他ではまず見られないに違いない。
「ところで清士、お前いったいこんな所で何をして――」
と、彼に尋ねようと口を開いた晃希のセリフはまたしても途中で遮られた。
ドタン、バタン、ガシャン! と派手な音が建物の中から聞こえた。
すわ何事かと驚く咲月の前で、晃希は大きくため息を吐いた。
「……ああ、成程な。何となく分かったが、今度は何をやらかしたんだ、お前」
頭痛でもこらえるように眉間にしわ寄せ、頭を抱える。
「ふん、今晩の食事のメニューで狐と問答していたはずだが、いつの間にか鹿肉と熊肉どちらが旨いか、という話に変わり、さらにそれらを狩るのが上手いのはどちらか、という話に移り変わったところでもう一人新たな参加者が増えた」
「……稲穂様、だな。それで?」
「今の時期は鹿も熊も食い時ではない、と。これからは川魚が美味い時期なのだから、狩るならイワナかヤマメにするべきだ、と」
「……それで?」
「誰が一番魚捕りが上手いか、という話になって、川へ赴いた」
「……それで?」
「面倒だったからな、潤も居るし、我は辞退した」
「……で、こういう結果になってるってことは、その勝負、久遠と稲穂さまで引き分けたのか」
晃希はもう一度ため息を吐く。
と、タイミングを見計らったように、道場の引き戸が勢いよく開いた。
「はははは、この勝負、稲穂様の勝ちだ。まあ、当然だな」
と、実に清々しい顔で彼女は胸を張りながら笑う。
「おう、来たか、咲月」
彼女は、先日見たあれよりさらに鮮やかな赤色の着物を身にまとい、魅惑的な脚や胸元を惜しげもなく晒しながら咲月に笑みを向けた。
「うう……、酷い目にあった……」
その後ろから、ふらつきながら歩く、金色の毛皮を纏った獣が出てくる。その尻には、ふさふさと触り心地の良さそうなふかふかの尻尾が――九本。
「紹介しよう、我が社の三の神、九尾の狐の久遠だ」
つぶらな金の瞳が、こちらを見上げる。――可愛い。つい、その背中の毛皮を思う存分撫で、あのふさふさ尻尾の手触りを堪能してみたいと思う気持ちを押し込め、咲月は4度目の自己紹介をする。
「初めまして、咲月、です。……あの、よろしくお願いします」
「ああ、そうか、君が……。うん、ボクの名前は久遠。よろしくね」
獣が、人の言葉をしゃべる。――葉月の家に居る間に随分慣れはしたが、狐など、普通のものすら直接目にするのはこれが初めてだ。
だが、その可愛さといったら……。
つい、しゃがみこんで頭を撫でなでしたくなるが、そこはグッとこらえる。……可愛く見えても、れっきとした神様なのだから。
「でも……そうか。本当にボクらの姿が視えているんだ」
彼は、その場に“お座り”しながらこちらを見上げ、感心したように言った。
「姐さんも、そっちのそれも視えてるの?」
視線で清士を指しながら久遠が尋ねる。
「え……、は、はい。とりあえず、その羽とか、色々も全部視えてますけど……。じゃあ、やっぱり彼も普通は視えない、って事なんですか……?」
「うん。昔竜姫が通っていた中学……全寮制のキリスト教系の学校に居た頃は、そこの一番偉い神職の教員でさえ、そいつが視える奴は居なかった」
と、咲月の問いに久遠は証言する。
「アイツも、ボクも、普通の人間の目に映ることはないのに。君は目が良いんだね」
「さて。とりあえず一通り顔合わせも済んだところで……。夕飯まで休ませてやれと、竜姫からのお達しだからな。そろそろ彼女を部屋へ連れて行ってもいいか?」
「え?」
晃希の言葉に、咲月は思わず声を上げるのと同時に、周囲を見回した。
「……どうした?」
「あの……、さっきから凄い視線を感じる気がして……。いえ、すみません、多分私の気のせいで……・」
その咲月の答えに、稲穂、久遠、清士、晃希が一斉に息を飲んだ。
「……凄いな。咲月、どうやら君の霊視能力における視力は竜姫と同等程度にあるようだ」
稲穂は、感嘆の入り混じる声で言った。
「咲月、君の感じているそれは気のせいなんかじゃない。――おい、お前ら、隠れてないで出てこい」
と、稲穂は突然周囲に声を張った。
すると、パサりと上から羽音がして、少し大きめの烏が舞い降りたのを皮切りに、茂みからは真っ白な毛色の猿が、建物の裏手からは立派な角を持った牡鹿が姿を現した。
「――彼らは、私の舎弟だ。……いわゆる九十九神の類でな、低級な妖だ。力が弱い分、そこの清士や久遠以上に、その姿が視える人間は少ないんだよ」
「……だけでは、ないな」
晃希と言い合ったあと、じっと黙ったままだった清士が、口を開いた。
「お前、これも視えるのだろう?」
そう言って彼が指差したそこの空気が、揺らいだ。――空気が仄かに色付き、おぼろげに人の姿を取る。緑色の衣装をまとった、女性。
「え……、と、たぶん……。その、女の人の事を言っているのなら、ですけど……」
「……精霊まで、視えるんだ。ボク、百年近く生きてきて、竜姫以外でそこまで視える人間を初めて見たよ」
久遠が、本気で感心する。
「ああ、本気でうちの手伝いに欲しい逸材だな」
稲穂が大きく頷く。
「稲穂様、駄目ですよ。王子様が迎えに来るまで彼女の身を預かるのが約束なんですから」
「……分かっているよ。――咲月、今は下手な慰めの言葉など欲しくはないと思うから、あえて何も言わない。だが、一つだけ……これだけは心に留めておいてくれ。どんなに嘆いたところで、過去は変えられないんだ。だから、今は未来の事だけ考えればいい。心の整理がつくまでは、な。それは、決して逃げではないから」
「ボクで良ければ、いつでも相談に乗るよ。ふふ、久しぶりに新しい話し相手ができて嬉しいなあ」
「ああ、……改めて歓迎するよ、咲月」
ほわほわと、暖かい歓迎ムードの中、咲月は改めて頭を下げる。
「ありがとうございます」
「さあ、今度こそ部屋に案内しよう。……夕飯まで少し眠るといい。今にも倒れそうな顔色してるし、昨日からほとんど寝てないんだろう?」
晃希の問いに、咲月は小さく頷く。
「眠れなくて……。目を、閉じるとあの時の光景が頭に浮かんで……。眠ったら、良くない夢を見そうで……」
「……まあ、そうだよな。じゃあ、一つ呪いをやるよ。夢を見ずに熟睡できるって魔法を」
晃希は、牙で指の腹を破ると、滲んだ血で空に小さな魔法陣を描く。
咲月には読むことのできない、なにか象形文字のような記号を書き記したそれで、トン、と軽く咲月の額をつついた。
――と、見る間に強烈な睡魔が襲ってくる。
「……おい、馬鹿者。こんな場所で眠らせてどうする!」
清士の、焦る声が聞こえる。……が、何だろう、眠くてたまらなくて、頭がうまく回らない。視界がゆっくり歪んでいく。
「そうだよ、まずは部屋に案内するんじゃなかったの!?」
足元から、久遠の声がするが、視界がどんどん暗くなる。
「もちろん、俺が責任をもって部屋に連れてくよ」
「だが、せめて着替えくらいさせてやったほうが良いんじゃないか? 仕方ない、アタシもついて行こう。そうだ、彼女は動物好きだそうだから、久遠、お前も来い。抱き枕役を命じる。……目覚めた時、独りきりなのは辛かろうからな。起きるまで、ついていてやれ」
ふらり、と傾いだ咲月の体を軽く受け止め、稲穂が言う。
「……まるで、昔の竜姫を見ているようで、どうにも放っておけないよ」
「ああ、本人の性格はまるで違うけど、多分彼女も今は自分を責めているだろう。……悪いのは彼女じゃない。そう俺らが言ったところで今は何の慰めにもならないだろうな」
きっと、眠りから覚めた時、彼女はきっと力を望む。……過去の過ちを、再び繰り返さずに済むように。
「狛殿の話だと、彼女、どうやら予備知識もないまま魔術を使ったそうですからね。……おそらく、それに関しては俺の知識が役立つはずです」
「そうだな。ならばアタシは喧嘩のやり方ってやつを色々仕込んでやろう」
「その娘……、祓魔の気を感じる。それも、“神々”に由来する聖に属する力だ。おそらく基礎の心得さえ仕込めば、低級魔物程度なら軽く祓えるだろう」
「えっ、じゃ、じゃあボクは……えっと……」
「久遠、お前はいつも通り練習相手を勤めてやればいい」
「ええっ?ボクだけそんな役? うう、でもボクのは純粋に妖術だからなぁ。教えてあげられることがない……」
「いいんじゃないか? 癒し要員ってことでさ」
「そうとも。ほら、早速お前の出番だ。行くぞ」
稲穂は、咲月を背負い、さっさと母屋へと歩き出す。
晃希と久遠がそのあとに続き。
清士はため息をついて潤を抱えたまま彼らとは反対方向へ歩き出した。
(あの娘の破魔の気……。どうも覚えがあるような……)
と、首をかしげながら――。